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生きづらい、ってどういうことだろう。
 
Written by BlueCat

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 感冒に罹っているような感覚異常。
 この身体に手を焼くのはいつものことだが、医者に行ったところでほとんど何の解決にもならないのもまた同様。
 対症療法薬が効けば良い方で、たいてい薬も出されず帰ってくることになる。
 なので医者に掛かることも少ない。

 医者が悪いというのではない。
 生まれついて少々変わった体質の自分が、一般的ではないというだけだ。

 高脂血症も、会社の産業医が健康診断で指摘し、当時暮らしていた前橋市内で最寄りの病院に掛か
ったところ、たまたま循環器系にも詳しい先生がいたため話が早かった。
 しかし太田市に来てから近所の病院に通いはじめたのだが、話にならないので今では前橋のその病院まで通院している。

 医者には得手不得手がある。誰だってそうだ。
 そして一般的な情報は共有され、広く流布する。
 家族性高脂血症と言っても、まともに取り合わない医者がいたところでそれを責める理由はない。

 母乳も粉ミルクもアレルギィだったという人を見たことがない(僕はそうだったが)。
 特異体質の自覚はあまりないが、客観的に、少数派の体質であることは確かだ。

 仕方ないので自分で記録を残し、似たような状況になったときに対処するしかない。
 ために僕は自分の不調を細々書き残す。
 誰かに心配して欲しいわけではないし「自分はこんなに大変なんですアピール」したいわけでもない。
 もちろん誰かが心配する自由(権利と言ってもいい)を否定する気はないから心配してもらっても構わないけれど、どちらかといえば放っておいてほしい ── どうにもならなくなれば無駄を承知で医者に行くのだし、「心配だお♡」「ありがとう♪」というコミュニケーションに意味を見出せないお年頃でもある。第一、それなりに辛いからそれどころではないのだ。

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 蕁麻疹がまったく引かず、掌や表皮が熱を持っている。
 数日で収まるかと思い放っておいたが、明日で1週間になる。

 痒みがずっと続いていて、ときどき突発的に鋭い痛みのような痒みのような激しい感覚に皮膚を刺される。
 うかつに薬も塗れないので仕方ない、我慢せず、優しく掻いている。
 眠っている間も意識せず掻いている ── 昔は意識していたのだが、自動化できるようになった ── ので身体が休まらず、目覚めは少々ぐったりしている。

 20代の頃にも一度、全身を覆う原因不明の蕁麻疹に襲われ、ひと月近く会社を休んだのだったか。
 今回の場合は明らかに熱中症が原因だが、どうして蕁麻疹が現れて、どうすればそれが引くのかは分からない。
 webを当たっても、熱中症後に蕁麻疹が発生するという症例についての情報は見た限りにない。

 想像するに温熱/発汗/射光によるものだろう。
 熱中症に罹ったとき、靴下までは脱がなかった。
 汗が出なくなっている状況だったのだから、布で覆っている部分を少なくするべきだったかもしれない。
 なるべく肌を晒したくないという無駄な自意識が悪かったといえる。

 今はなるべく陽に当たらないようにし、低めの温度(それでも27℃くらいで肌寒く感じることがある)に設定した室内で、汗をかかないように、分泌されたらすぐに濡れタオルで拭き取るようにし、それでも皮膚の違和感がある場合は(短いスパンになっていても)シャワーを浴びる。

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 以前、医者にもらった抗生物質(余っている)を飲んでいると症状が若干和らぐ。
 この服薬は逆効果のような気がするのだが、意味が分からない。
 オメガ3系脂肪酸がヒスタミン抑制に有用らしいので、置きっぱなしで滅多に摂取しないそれを食事の時に飲む。
(大さじ1/2程度である)
 ステロイド系の塗り薬も持ってはいるが、おそらく使用期限が切れているだろう(滅多なことでは使用しないので)。
 と思って冷蔵庫にあるそれを見たら、10年以上前に期限が切れていた。買いに行くべきか迷うところだ。

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 最近は目にする機会が減ってきたが「生きづらい」とか「生きづらさ」という言葉が、僕はあまり好きではない。
 なぜといってその前提に「生きることが容易である」という考えがあるからだ。
 しかし生きることは、そもそもそんなに簡単なことだったろうか。

 もちろん容易に生きることができれば、それは理想的だ。
 力の弱い者、才のない者、うだつの上がらない者、知恵の回らない者、気が利かない者、自分のことばかり主張する者、協調性に欠ける者 ── 。
 能力や生まれついた環境に恵まれた人はもちろん、上記のように恵まれない人たちであっても、たとえば文句を言いながらも、毎日何となく思い付いたことをして、飢えたり病気になったり怪我をしたりする機会が少ないように暮らせるのが幸せなことだろうと思う。

 しかし誰だって、生まれの境遇には多少なり不満があるだろう(僕はあまりない)し、生い立ちのすべてに満足している人も少ないのではないか(僕は今でこそ納得しているが)。
 スタートから現在までの経過がそうであるように、現状に不満のない人も少ないだろう(僕は満足している)。
 実際に恵まれているかどうかというのはあくまで相対的なものだ。
 恵まれている人は恵まれているなりに不満もあるだろうし、恵まれていない人だって考え方次第で満足することは可能だ。

 とりあえず、死なずに生きる、という点だけを考えれば、現在の日本はまずまず恵まれた環境だろうと思う。
 まずまず、であって、完璧、ではもちろんない。

 様々な不遇があり、そこには偶発的な、自然発生的なものもあれば、人為的な、故意にもたらされたものもある。
 具体的な不幸について、あれこれ挙げればキリがない。
 金銭的なこと、権利のこと、肉体的なこと、精神的なこと。
 事故もあれば犯罪もある。他人に利用されることもあれば、利用していたことに気付いて愕然とすることもあるだろう。

 メディアで目にした「生きづらい」という文言に含まれる意味は、そうではない。
 もっとふわっとしていて「お気持ち」要素が強い。

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 たとえばセクシャルマイノリティの人が「生きづらい」という。
 自認する性について、社会の理解を得られないことが不遇だというのだろう。
 しかしそもそもどうして他人の性的自認を僕ら全員が認識し、配慮しなくてはならないのだろう。

 僕自身、性的自認が肉体のそれと異なること(そういう人格)もある ── そもそも肉体の違和というなら僕は猫の身体に収まっていないから、種族違和が激しいのだけれど、そういう話はややこしくなるからやめておこう。本気だと思われても困るし ── が「お前の性別なんてお前自身とベッドに入る人、合計2人以外に関係ないだろう」と思う。
 僕はそのため、対外的には(肉体的な性的嗜好に合わせ)男性として暮らし続けているし、一人称に「僕/俺」も日常的に使っている(もちろんそれ以外も使う)し、トイレやお風呂について「女性用じゃないと嫌だ」なんてことは思わない。そんなことはどうでもいい。
 むしろ恋人から「性転換手術とか、しないでほしいな」と言われたりしたことの方が重要である。一緒にいる誰かに不遇を押し付ける方が僕には耐えられない(ちょうどお金も持っていない時期だったので良かった)。

 それに道ですれ違う人のひとりひとりに「あ、おっぱいが膨らんでる」とか「股間が左寄り!」とか思っている人の方が異常だし気持ち悪いと僕は思う。完全変態である。サナギになる気か。

 他人に認められたい、他人と価値観を共有したいと思うのは自由だ。
 しかし他人に無理強いしてでも認めさせようとすること、他人に価値観を強要することは、端的に言えば支配であり強制であり強姦である。

 なぜ自分が変わらないで、社会が変わることを求めるのか。その要望/欲求は正当で、社会の役に立つのか。
 そういう視点を議論せず、ただ権利の話をしているならば、仕事(会社にとって直接に金銭的利益を生む行為)もしないで「給料が安い」と言っているダメ社員と同じである。
 政治家でいえば、社会のためになることをあまりしているわけでもないのに「我々の権利は手放しません。かつ増税します」と言っているのに等しい。
 まぁ、それがこの社会で普通だというならそういう価値観の世の中なのだろうな、と(僕が)諦めるよりないが。


 個人の権利はもちろん尊重されるべきだろうけれど、集団や社会は、相応の理由があって形成されている。
 集団や社会にだって、権利はある。
 その集合の特権階級に、ということではなく、そこに属するひとりひとりに、である。

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 話が少々脱線してしまった。

 本質的な生きづらさとは「今、自分が持っているものだけでは、この集団/社会/世の中/時代に生存することが困難である」という状況ではないだろうか。
 たとえば比較的軽度のヤングケアラくらいなら僕は社会的相互扶助の一端でしかないと思っている。
(保身のために書いておくと、僕自身がそうだった)
 ネグレクト(育児放棄)に遭っても、逃げる場所を見つけられるなら(見つけられたなら)まだよい方だろう。
 しかし逃げ場のない虐待にまで至ると、これは度し難い。生存が困難である。

 子供に限ったものではない。
 学歴や職歴の不足で生活に十分な賃金を得られる職に就くことができず、外見や生い立ちや性格でパートナーに恵まれず、生活保護を受けようとしても認められず、望まずして売春や性風俗をするような人も居る。
(失踪している僕の姉はこのケースに該当するだろう。子供の頃から売春をしていたから、その根は複合的だ)

 まともに会社勤めをしている男達だって、高齢化社会の中で、権力や既得権益にしがみつく高齢者のために不遇を押し付けられ、発想や行動にも(予算やらコンプライアンスやらと)制限を課せられ、かといって独立するほどの才覚や運がなかったら、現状を維持するのがやっとだろう。

 彼ら彼女たちのそのすべて「自分の望んだ生き方ができない」という点で、十分に「生きづらい」のだけれど、そうした弱者はたいてい現状に対して不満を言わない。
 そういう発想を持たないし、そもそも文句を言ったところでどうにかなるものではないと諦めている。
 だいたいどこに(誰に)言えばいいのかも分からない。そういう能力もないのだ。

 自分の望みさえ持てない状況というのがある。
 現実にあり、昔からあり、今もある。


 先々月の電気代も払えない。
 今日明日の食事代もままならない。
 自分の持っている僅かなリソースと交換できるお金はわずかで、焼け石に水のようにしかならない。
 なんとかそれを変えたい。
 せめて「普通」といえるレベルに到達したい。でもどうやって ──。

 それが本来の「生きづらさ」だと僕は思っている。

 寝食にあたって生命を脅かされるような状況にない人間が、やれ「会社で認められない」だの「学校で友達ができない」だの「自認性別の公衆浴場に入れない」なんてどうでもいいではないか。
 それが「生きづらさ」だというなら、はいそうですね、とは言えるが、だからどうしよう、という気にはならない。
 勝手にしろとしか思わない。
 もっと救うべき弱者がいて、もっと救われるべき少数派がいる。
 そしてそれを本来は社会が救っておくべきだったと僕は思う。

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 正確に言うなら、ネグレクトを起こすような親もまた不幸なのだ。
 若者(というより子供くらいの世代)に、家事や介護をさせなくてはならない大人達もまた不幸なのだ。
 虐待をしてしまう人もまた不幸な生い立ちと精神を抱え続けている。
 会社や学校で、権力を振りかざして環境を持続不可能なものに変えてしまう者たちもまた不幸なのだ。
(これらの加害者になる可能性があるため、僕は社会や集団に参加しないように心掛けている)

 そう考えると、国家を存続させるべく適切な学習や認識や発言や行動ができない政治家も、またそういうどうしようもない人間からしか候補者を選べない我々選挙権者も、同じく不幸なのだろう。
 パパ活をしようとして失脚しかけた政治家だって「モテたい」と思った時代にモテることさえ叶わなかった、という点では不幸だろう。色々な意味で救いようがないが。

「生きづらさ」というのは本来血生臭いし、泥臭い。それだけでなく死臭さえする。
 メディアが(あるいはメディアに)訴えているのは、ほんの表面的なことだろうと僕は思う。

 生きることは簡単ではない。
 食べるものを畑で作って自給自足することだって簡単ではない。
 それなのに、それだけでは税金を納めることができない。電気代も払えない。

 みんなで協力した方がいいから、家族を作り、集団を形成し、社会を作ってきた。
 それなのに今やその社会は複雑だ。人口が減ってカスカスなのに、だからこそもっと複雑になってしまった。
 その中でも運や才覚や環境に恵まれた者は、確かに豊かな時間を過ごせるだろう。

 ではそれを持たないものはどうすればいいのだろう。
 そういう人たちが、せめて「普通に」「人並みに」暮らせることが「生きやすさ」であり、それができないことが生きづらさなのだと僕は思う。

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 メディアで発言力を持つ人が、仰々しく政権の無策や芸能人のスキャンダルを語ったりする。
 あたかも弱者を擁護しているかのような発言をする人は少なくないだろう。それが常識的だからだ。
 しかし彼らが、どれだけ社会をよりよくしているだろう。
 どんなことを実践しているだろう。
 言葉で訴えるだけなら、誰でもできる時代なのだ。

 資本主義社会、競争社会にあっては、必ず脱落するものがあり、弱者が生まれる。
 では社会主義、共産主義的な社会だったら、それはそれで今の日本と同じかそれ以上に権力者が独走してしまうことになる。

 何が正しいのかは僕にも分からない。

 たまたま僕は生まれ育ちこそ不遇だったかもしれないが、とにかく運が良かったので、ほとんどのことを自分ひとりで処理できる環境を構築できた。
 家族を持てば、とんでもなく手間のかかるイキモノの世話をさせることになるので、そんなことにならずに良かったとも思っている。
 しかしこれは僕に限ったものだ。

 運が悪くて、生まれも育ちも恵まれなくて、学もなく、地頭も冴えず、容姿に恵まれず、友達も恋人もできず、親兄弟もろくでなしが多く、孤独だし誰かに利用されたり騙されたりすることもあるけれど、それでもまぁ、ごはんは食べられるし、あたたかい場所で眠れるし、身の危険は感じないし、挨拶を交わすくらいの相手はいるし、今日よりもうちょっといいことがあるかもしれないから明日も頑張ろうかな、と誰もが眠る前に、ときどきほんの少しでも思える社会になればいいと心から思う。






 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :青猫:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Life-Love-Maintenance-Mechanics-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-
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[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:いのちあるものたち:
夢見の猫の額の奥に:
 
 
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