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TITLE:
謝罪会見って何だろう。
SUBTITLE:
~ That Guilty. ~
Written by BlueCat

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【謝罪会見は平和の証?】

 謝罪会見というのはいつから一般化したのだろう。
 昔からあったのかもしれないが、興味がないので見たことはない。

 社会的(というよりむしろメディア的)な知名度の高い個人や企業・団体などによる公序良俗に反するような行為があった場合、これまたメディアの前で謝罪をするという形式の記者会見だろう。
 おそらく被害者と呼びうる対象が不特定多数になったり、特定可能だけれど多すぎるため、直接の謝罪はもちろん書面での謝罪もままならないという理由から開かれるのだろうか。
 場合によっては被害者とされる側と係争中のケースもあり、当然ながらすべての情報が開示されるわけではない。

 個人的に、これは単なる吊し上げのようなものだろうと僕は思っている。あまりいいイメージはない。
 他に優先することがあるのではないのか、というのがそもそもの理由だ。

 謝罪する側ももちろん、それを楽しみに見ている側(被害者とは限らない)も、会見をわざわざショーにするメディアも、である。
「他にすることないの?」というのが素直な疑問である。
 まぁ平和な証と考えておけば良いのだろうか。

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【謝罪会見はリソースの無駄では】

 公序良俗に反する行為、というのがどの程度の問題かにもよるし、謝罪する側の体制がどのようなものかにもよる。
 たとえば法人組織が巨大であれば、広報部のようなものもあるだろう。
 それならメディアの対応にはうってつけの部署であり、広く世間に向けて謝罪するという「お気持ち」の表明にも意味はあるだろうと思う。
 しかしそれを持たない小規模な組織であったり、被害者と係争中であったり、被害者に対してお詫びをしている最中だったりした場合、記者会見などにリソースを振り分けるのは、無駄ではないだろうか。

 たとえば東北で津波を伴う大地震があったとき、原子力発電所のいくつかの事故についても同様に責任者が謝罪会見をしていたような気がする(していないかもしれない。どちらにしても見ていないのでほとんど憶測である)。
 現場の責任者であれば詳細な説明は可能かもしれないが、地位が上になればなるほど具体的な情報(トラブルとその原因、対策と今後の見通し)から遠ざかることになる。
 現場責任者の方が、トップクラスの責任者よりも詳細で具体的な情報を持っているだろう。
 トップが謝罪するためにそれらの情報を集約するとしても、広報向けにまとめるだけでさえ余計なリソースの消耗になる。
 喫緊の問題を抱えているのだとしたら、この時間的/人的なロスはいかんともしがたい。

 その時間を、もっと有用に使えるのではないかなぁ、と僕は思ってしまう。

 あるいは芸能人が公序良俗に反する行為をした場合も同様。
 不貞行為だろうが麻薬使用だろうが、裁くべき人が裁いてくれるわけであり、広く世間に謝罪などしなくても相応に罰やペナルティが科せられるだろう。
 つまるところ僕の気持ちは「早くきちんと被害者対応をすればいいのに」というところか。
 繰り返しになるが、僕は謝罪会見というものが退屈なのでまったく見ないのだが、それを見て「ああ、そうやってちゃんと謝ってくれるならいいか」と思える人も居るのだろう。
 もっともそういう人はそもそも観ないと思うが。

 僕が「吊し上げ」と表現したのはそういう理由だ。
 許せる人は謝罪会見などなくても許せる。
 許せない人は叩くために謝罪会見を見る。
 謝罪会見をする側は、そもそもそれを時間のロスだと認識していれば良いけれど、その場を凌ぐ方が優先されるだろう。
 会見を流すメディアや会場を提供する組織/団体が儲かるのかもしれない。

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【知名度の危険性】

 知名度が高いというのはこうした部分で非常に厄介だ。
 特にwebがIRLの社会と重複した役割を果たすようになったぶん、人間が合理的な情報の取り扱いをしきれていない可能性も考えられる。
 僕は10年ほど前から、知名度を下げることに必死に取り組んできた(といってそもそも知名度などない)が、それは知名度が高いことは不自由だと気付いたからだ。

 webを含むメディアが乗せて運んでいる情報は、個人の感情から組織・団体のアナウンス、国家やそれより大きな組織の大観に至るまで様々だ。
 現在起こっていることのほか、過去に明らかに起こったこと、未来に起こるかもしれないこと、普遍的に変わらない基本的なことなども多くある。
 僕が書いていることは、所詮、単なる個人の感想に過ぎない。

 メディアというのもその多くは営利団体である。NHKさえ(建前がどうなっているかは調べないと分からないが)営利団体だろう。
 それが悪いというのではない。
 知名度の高い営利団体や、イメージを売り物にしている(そんなものが本当に売れると思っているなら相当にめでたいのだが)個人とそれを取り巻く営利組織も、よりリスクの少ない、効率よい手法で、ホワイトでクリーンなお金稼ぎをしたいと(少なくとも表向きは)願っているだろう。

 しかしそんなに簡単ではないことは多くの人の知るところだ。
 とくに組織が大きくなると、僕のような穀潰しが棲む隙間を生んでしまう。
 トップが穀潰しになっていたりすると、もはや打つ手もない。
 ジリ貧になり合併を繰り返すうち、劣化コピーのような機能さえ果たさなくなるだろう。

 かつてゲーム業界にそれが見られていた。
 現在の国産ゲームメーカは、掛かっているコストも(売値も)技術も高いのだが、ゲームとしてはつまらないものが多いように感じる。
 保険会社も吸収合併を繰り返したが、コンテンツは拡充するどころが縮小し、ユーザに苦慮を強いる一方だ。いったい得をしているのは誰だろう。

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【大きくて、有名で、綺麗なだけで安心しちゃうの?】

 今回は「ビッグモーター」という中古車販売チェーンの不祥事が取り沙汰されている。
 以前、無職になったときに面接を受けたことがあるのだが、個人の感覚で「この会社は勤めるにも相当危ないな」と践んでいた。

 僕は接客や営業の仕事をするときに、最低でも1年は様子を見る。
 取り扱う商品についてはもちろん、それを必要とする人や企業がどのようなモノを具体的/潜在的に求めていて、どのような対応/工夫をすればいいかを観察し、身に付けるまでに掛かる時間としては妥当だと思っている。
 もちろん僕より出来のいい人間なら、より短期間にそれらを発露しうるだろうとは思う。
 有り体に言って、僕は接客や営業をする上で、とくに優れているタイプではないからだ。

 面接担当者は「この店舗の営業でテッペン(トップ)になるのに、どれくらいでできますか」と僕に質問してきたので「最低でも半年、通常は1年です」と答えたところ、かなり難しい顔をした。
 聞けば、3ヶ月ほどでそうなれると豪語し、実際にそうなる営業がいるらしい。結構なことである。
 それだけで「ここは辞めておこう」と僕は思った。
 個人プレイを優先し、競争を煽動する店舗ありのサービス業など、ロクなものではないと感じたからだ。

 もちろんそういう場所でガツガツできる人も居ると思うが、僕はそういう仕事をしたくない。
 競争が嫌いなのだから仕方ない。
 ソロプレイをできる才覚があるなら、そもそも会社になど属さなくていいではないか。
 僕は凡人かそれ以下の能力しかないので、会社を探して面接をしに行っているわけで、凡人以上を求められるならそれはお互いのためにも辞めておいたほうがいい、という考えである。

 何かが何年か連続でNo.1らしい(CMも見聞きしないので、よく知らない)が、そもそもあれだけの敷地を持つ店舗とスタッフと車両をいくつも抱え、CMも打っていて存続できる(メーカの直属ディーラでない)会社が、ユーザフレンドリィだと勘違いする方がどうかしていると思う。
 だから車を買うときも候補にさえ入れなかった。
 大きいから、綺麗だから、メディアに広告を出しているから、という分かりやすいインタフェイスを作るには、相応のお金が必要で、それは必ずエンドユーザが支払っている。
 まともではないと思う相手と取引などするものではない。

 契約をしてしまった人や被害に遭った人は多少哀れだと思うが、もう少し社会を知ってから自動車の売買をしても良かったのではないかと思う。
 大きくて綺麗な店舗の会社がいい、というならディーラに行ったほうがいいだろう。
 群馬のような辺境にもなると、ディーラもデスクやガレージがちょっと散らかっていたり薄汚れている店舗がある。敷地面積も小さい。
 それでいいと思う。
 自動車やそれにまつわるサービスを買いたいという顧客は、会社のイメージや、その会社から何かを買う(あるいは売る)自分のイメージを買いたいというわけではないだろう(まぁ高級車ブランドのディーラだと「そこでやり取りする私」が欲しい人もいるのだろうけれど
)。

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【イメージを売買できる時代】

 知名度のある個人はイメージを売っているというのだが、僕はそれを買ったことがない。
 他人のイメージって買えるのだろうか。CMすら見ないから素直に分からない。
 有名人が「ここなら安心」とか「これは素晴らしい」と、CMやメディアショッピング(TVのほか様々な媒体であるだろう)で言っていれば、それでその商品を買うのだろうか。魅力的に見えるだろうか。
 僕はそうは思わない。つまり僕は、彼ら彼女たちのイメージとやらに一円も払っていないだろうと想像している。
 よって謝罪を楽しみにするという、加虐的な性向の悪さを発露するにも値しない。

 今回の中古車販売会社の場合、悪質な手法で保険金を過剰請求していたというのがもっとも問題視されているようだ。
 保険金請求をしている場合、一番の被害者は保険会社ということになる。
 個人の場合、基本的に損害の程度の大小を問わず保険契約者が支払う保険料は事故の件数により増加するので、1件で300万円の損害が発生したケースより、100万円の損害が3件発生した方が、契約者が支払う掛け金としては損失が大きい。
 保険会社からすれば、同じ300万円の補償であっても、1件の事故として請求されれば損になる。
 また保険金請求をしていなければ、被害者は単純に契約者(車両オーナ)となる。

 修理する側が故意に損害を大きくし、保険会社にであれ所有者にであれ請求することは、器物損壊なども含めて犯罪ではある。

 まったく取引をしていないので分からないが、仮にそれらの犯罪行為を会社ぐるみで行っていたとして、謝罪面会とやらはいったいどんな意味を持っているのだろう。
 やめるべき、というわけでもないし、もっとやれ、というものでもない。
 意見があるのではなく、単純に効果も理由も目的も分からないから疑問に思うのだ。

 まぁ、社会から距離を置くようにしているので、だから分からないのだと言われてしまえばそこまでだし、そういうものを必要として、それが当たり前の社会だと言われてしまえば「そうですか」としか言いようがないのだが。
 まともな人間は、こんな吊し上げをされるのには耐えられないと思うし、それを見て楽しむこともできないと思うのだけれど。どうなのでしょうね。

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【蕁麻疹の経過】

 昨日購入した薬が良く効いて(内服薬は効きが強い上、神経系に作用するので感覚に影響が出て困るが)過ごしやすい。
 とはいえ運動など体温の上がる行為もできないし、直射日光に当たると刺激を感じる。
 汗で痒くなることは減ったが庭仕事をするのは躊躇う。

 群馬は40℃に迫る気温。
 11時頃から眠って18時頃に起き、料理は夜、入浴は朝方にするようにしている。

 寝ている間は室温が29℃程度でも、半裸なので問題ない。
 動けば人体の内から熱が発生するわけで、日中は寝ている方が省エネになる。
 狭い室内でエアコンを掛け、ゲームや読書でもしているのが高効率だといえる。

 この異様な暑さがもはや通常である。異常ではないのだろう。
 いずれは夏だけ夜型社会になるかもしれない。効率を考えればその方がよいとも思える。

 地下で水を冷やすという機構を、もう一度試してみようかと考える。
 網状に分岐した金属管を埋設し、ビニルパイプで地上に出して屋内のラジエータで熱交換する仕組みだ。
 水(もしくはクーラント液)を循環させるポンプとファンしか電気を使わない。
 もちろん地下地温まで下げるのが限界なので性能は低いが、そのうちエアコンの室外機は地面埋設型も出てくるのではないだろうか。
 いや工事や管理が大変か。







 

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[NEXUS]
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[Engineer]
  :青猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Maintenance-Mechanics-Memory-Season-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Car-Human-Koban-Memory-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
:Webストリートを見おろして:
 
 
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