// >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:2021-05-04
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:ひとり旅くらしをしてみたいが。
SUBTITLE:
~ Cattle drive. ~
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
不労所得者になったら、自動車でも自転車でもいいから数ヶ月旅をしようと思っていた。けっこう前のことである。
実際に無職になってみると(猫を飼っているという事情を無視しても)まったくそんな気にならない。
ときどき、ぼんやりと、入浴中などに(まぁ、そういうのもいいけれど)と思い返すくらいである。
>>>
僕が最近、実際にやっていることといったら、園芸と家のリフォームである。
いずれも未経験で知識もまったくない。
力仕事は不得手だし、植物なんて触るのも嫌いな、完全インドアタイプの軟弱なイキモノが僕なのだ。
しかしこの家は、旧来の純粋な日本家屋であるため、断熱材も樹脂系シーリングもされておらず、花粉はもちろん、どこからともなく入ってきた虫が家の中に居るなんていうのが当たり前で、その時点で相当神経を病んだ。
あちこち痛んでいる道具や建具に囲まれているなんて我慢できないので、リフォームをし始めたわけである。
おかげで壁塗りもできるようになったし、床の張り替えもできるようになった。
柱や梁の歪みを矯正する知識や道具も喫緊に必要とされているので近いうちに揃えようと思っている。
その前に夏までにもう一部屋、床を張り替えたいと思って、まずは壁を塗っている。
同時に畑を整備すべく庭を開墾しているのだけれど、これが力仕事だけでは済まされない。
最近は、木の根を切り起こすことにも慣れてきたし、鍬を振って当たった金属音で、そこに根があるか石があるか分かるようにもなった。
(めちゃめちゃ無駄な知識と経験であるが、鍬で庭を耕す上では役立つ)
生かしておく木は枝を剪定しなくてはならなくて、そのための脚立や命綱の使い方にも慣れてきた。
ただ、畑にする場所は耕してもすぐに使えるわけではなくて、土を作る必要がある。
長らく放置されている間に土の生態系も変化しているようだし、従前、正しく保全管理されていたようには思えない。
(いずれ機会があれば書くが、コンポストの使い方なんて「オマエらそれでも元農家か」と言いたくなるほどそれはひどいもので、僕は呪詛の言葉を投げかけては腐敗を促進させている)
実に土壌というのはひとつの見えない生態系であり、無機質やphのバランスはもちろん、細菌類の生態圏を新たに構築するとなると本当にむつかしいのだと気づかされる。
空気と水の循環はもちろん、日照条件の確保や温度と湿度の自律環境を作り出し、恒常性を持った土壌を作ることをアタマの中でいくら思い描いていても、道のりは遠いと感じる。
>>>
建物を自分でどうにかしようとか、作物を庭で作ろうとか、そういう発想を、僕はTVゲームから身につけた。
建物を作るのが楽しかったのは「Fallout4」で、作物を作るのは「SKIRYM」。
いずれもゲーム体験自体が秀逸な素晴らしい作品である。
Fallout4でも作物は作ることができるし、畑を作ると考えればSKIRYMのそれより現実的かもしれない。
しかし種を撒いて出来た野菜や薬草やキノコから食事を作ったり、薬や毒を作るというシステムがSKIRYMでは顕著で、それはゲーム世界を冒険する上でとても重要な要素だったから、買わずに自宅で育てられることが大きな意味を持っていた。
一方、Fallout4での作物づくりは、生産物を材料に作成できるものの幅がそれほど広くなく、出来上がるものもさほど重要ではなかったが、建物作りの自由度はSKIRYMのそれを圧倒した。
>>>
ただ、ゲームのそれらと現実のそれらは大きく異なる。
種まきも壁張りも、ボタンひとつで瞬時に出来てしまうヴァーチャルなそれと異なり、現実世界では虫や埃に怯え、揃えた材料は何か足りず、ケガや体調不良に注意し(か弱いからな、私は)やる気をかき集めて、それでも慣れない作業には失敗し、力や技術が足りないため作業が思ったほど進まず、そのうえ翌日は筋肉痛、となる。
家の中に虫が入り、庭に虫が蔓延るのは耐えられないという、消極的な(しかし本能的で切実な)理由から、ないがしろにはできない。
そのうえ、気質が気質だ。
僕は「やらなくてはいけないこと」を無視して「やりたいこと」を優先する。
ただ「したくないこと」を(厭々、スローペースで)しているうちにだんだん楽しくなってきて、やがて「したいこと」に変わってゆく。
庭仕事なんて大嫌いだったし、家のリフォームなんて収入が10倍くらいあったら業者に頼んでいると思う。
ただ、時間はあるし、知らないことをするのはいつも楽しいのだ。
それにリフォームは材料/建築/土木といった工学系であり、庭仕事は生物/環境/化学といった科学系である。
>>>
もともと子供の頃から移動が嫌いである。
高校は、家の近所だという理由で進学先を選んだし、小学校の頃は歩くのが嫌だったから登校(通学)しなかったことがある。
(大学は、近所になくてお金もなかったので進学を考えなかった)
大人になっても通勤が大嫌いで、自宅の隣に会社があればどんなにいいかと思っていたし、引っ越しを考えたこともしばしばである。
(以前の勤務先がこの家から徒歩3分の場所にあることは皮肉な結果だ。ここで暮らすことになったのはその会社を退職した5年後だったから)
移動というのは基本的に退屈だ。
その間、読書であるとか歌を歌うであるとか、考え事をするとかでもないかぎり、とにかく時間を無駄にしている気分になる。
ドライブが好きだという人間の気持ちが僕にはあまりよく分からないし、僕自身、自転車でときどき走りたくなる理由も分からない。
遠くに出かけることが楽しくないとはいわないが、僕は台所やトイレにいるだけで、新しい発見があり楽しい気分になることができる。
移動が苦痛なぶん、じっとしていればその方がラクで楽しいのだ。
だからあまり、観光に出かけたり、旅行に行ったりする気にならない。
たぶん行ったら楽しいのだ。
そこには新しい発見があり、新しい出会いがあり、あとはなんだろう、美味しい料理やお酒があるんじゃないかな。
そう。出来上がったお仕着せの楽しみから、突発的なトラブルに至るまで、楽しいことがあるのだろうとは思う。
お金や時間や手間を掛ける価値があって、それによって自身の内面世界も豊かになるのだろうと信じたい(そこまで信じていない)。
だから入浴時、僕は思い馳せる。
せっかく自由になったんだから、数ヶ月、旅をして暮らしたらどうかなぁ、と。
それはファッションとしてとてもカッコいいし、楽しそうであるし、他人に自慢もできる。なによりカッコいい。
ただ僕には自慢する趣味もなければ自慢する相手もいない。
お金を持って旅をすればそれで手に入る格好良さがカッコいいとも思えない。
そんな手軽な格好良さに飛びつくこと自体、むしろカッコ悪いことだと感じる。
そもそも楽しいのか、ひとり旅。
「あそこにね、見知らぬ川が流れていますね」なんて独りごちながら過去の回想でもするつもりか。
2人以上だったらそれはそれで(たとえ相手が恋人だとしても)なんだか面倒だ。
もちろん人間タイプの恋人というものに対して過剰な(悪い)思い込みが発生していることについて僕は否定しない。
しかし自分のことを1人でできるわけでもない人間にあれこれ指図される苦痛については心得ている。あれは苦痛だ。
(そういう厚かましさのない、奥ゆかしい人なら恋人にしてもいいとは思うが、最近の人間に奥ゆかしさという資質は存在しないように観察される)
育ちはじめのブロッコリーの葉をすべて食い散らかしたバッタから「もうちょっといい作物を育てられるようにならないとダメだよ」と説教されるような気分になる。
一族郎党見つけ次第、生かしておかないからな!(バッタの話です)
だから行くならひとり旅だ。
といって、去年はKさんと(Kさんの友人たちと)一緒に新潟に旅に出たか。
魚を食べに行ったのだ。
楽しかったし、魚もお酒も美味しかったけれど。
やはり移動が苦痛だ。
>>>
「人生は旅だ」と誰かが言うだろう。
ならば僕には、人生が存在しない。
もし存在しても、その人生をしたくない。
移動しないで、ずっとひとつの、今居る場所で、のんびりぼんやりしていたい。
時間の経過によって、それでも物事は進んでしまうだろう。変化してしまうだろう。
あるいは物事は、自分に都合のよい方にばかりは進まないかもしれない。
同じ場所に居てさえそうならば、いったいどうしてここではないどこかに、新しさを発見する必要があるのだろう。
>>>
<本日のポトフ>
微熱が残っている。
煙草を吸っても問題がない程度に回復したが、まだどこか、粘膜の炎症が引かないのだろう。
もう2ヶ月目の半ばだ。
この身体そのものが、長い旅のようだ。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
青猫α:赤猫:
[InterMethod]
:Algorithm:Blood:Chaos:Diary:Ecology:Interface:Kidding:Life:Link:
:Recollect:Stand_Alone:Style:
[Module]
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[Object]
:Bicycle:Fashion:Game:Garden:Human:Memory:
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
//EOF
// >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210428
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ポトフはゲーマーごはんとして本当に最適なのか。
SUBTITLE:
~ potaufeu. ~
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
コロナウイルス検査のトーナメント、その頂上決戦の会場といえば保健所である。
(不適切な表現について、この場を借りてお詫び申し上げます)
いくつかの病院をたらい回しにされ、ようやく再検査をしてもらえる、と思ったら保健所に行かされた。
ああ、賢明な読者諸氏ならこの軽口から容易に想像がつくだろう。
結果は陰性だった。
(当日に結果が分かるものではないため、結果が出てからこれを書いています)
>>>
究極のゲーマーごはん、それはポトフだ。
と以前、書いたことがある。
いまいち信憑性に欠けたのだろうか、ゲーマーたちがポトフを作ったという報告を聞かない。
そもそもポトフはゲーマー食として不適だったのだろうか。否、断じて否。
これまでの経験上、ポトフほどゲーマーがゲームをし続けるに適した食事はない。
なかった。
なかったはず。
なかったと思う。
違うかな。
僕たちはどこかで道を間違えちゃったかな。
あれから僕たちは何かを信じてこれたかな。
ポエジィにまとめている場合ではない。
ポトフだポトフ。冬の間は忙しかったから、磯野〜! ポトフ作ろうぜ〜!
そのようなわけで検証も含めてポトフを作ることにした。
(単に食べたくなったのだが)
>>>
ゲーマー諸氏はよく考えてほしい。
コンビニごはんだって、まぁ悪くはないだろう。なにせスピーディだ。
作る手間はないし、片付けも必要ない。
いや果たしてそうかな?
たしかに作る手間は掛からないが、ゴミは発生する。
諸君がゲームをしながらご飯を食べても、ゴミは発生し、それは収集日にゴミステーションに運び出さなければならない。
ゴミが増えれば増えるほど、諸君がゲームに使える時間は損耗する。
それにコストだ。
コンビニごはんは手軽で早い。しかし高い。自炊しろ。
自炊して、浮いたお金で新しいソフトやハードを買え。
中古屋に行くな、新品を買え。
転売屋を避ける意味でもオンラインで買えばいいと思うぞ。
携帯端末ゲーム(いわゆるソーシャルゲーム)なら課金しろ。ただし、ほどほどにだ、約束だぞ。
コンビニが儲かっても仕方ないのだ。
僕らゲーマーにとって、儲かってもらうべきはソフトメーカーだ。
ハードメーカなんて放っておけ。
人間は、どんなハードでもそれがプログラマブルなコンピュータならゲームを作る。
俺ならExcelでもゲームを作れる。俺にできるならオマエにだってできるだろう。
道があるから人が歩くのではない。人が歩いた、そこが道になるのだ。
>>>
話を戻してポトフだ。
とにかくレシピサイトなんて見るな。
そこにあるポトフの作り方はだいたいニセモノだ。
(過剰な発言について、この場を借りてお詫び申し上げます)
材料はテキトーな野菜。塊肉。砂糖と塩と胡椒、お気に入りのハーブくらいだ。
コンソメだとかブイヨンだとか鶏ガラスープだとかは要らない。
よく考えろ。
ブイヨンだのコンソメだのというものは、ポトフから取り出したスープやそれをベースにしたスープ料理のことだ。
どうしてポトフにそんな調味料を入れるのだ!(ばーん!)(←テーブルを叩く音)
……コホン。
可能ならホンモノの燻製肉があってもいいが、そんなものをオマエたちが持っていたり用意できたりすることはまずありえないので期待していない。塊肉で十分だ。
野菜の中で絶対に必要なのはニンジンと玉ねぎだ。
なにニンジンが嫌いだと? じゃ、ニンジンは食うな。ただしそれでも絶対に入れろ。
ニンジンと玉ねぎのないところに黄金色の美しいスープをまとったポトフの実現はあり得ない。
オマエたちもゲーマーの端くれならコントローラにはこだわりがあるだろう? それと一緒だ。
素晴らしいプレイは素晴らしいコントローラがあって始まる。
ポトフはニンジンと玉ねぎがあって始まる。
ダシを取ったあとのニンジンを捨てるのが忍びないというなら黙って食え。
食えないなら犬か恋人か友人にでも食わせればいい。
ただし玉ねぎは食わせるな。だいたいの4本脚の動物にとって、ネギは毒だからだ。
煮込んでいる間、ゲームをするもよし、恋人とぱやぱやするもよし、その最中に別の恋人が来てしまって、仕方ないからちょっと待ってもらって追加でぱやぱやするもよし、シャワーを浴びて眠ってしまってもよし、目が覚めたら(だいたい2〜4時間後。鍋の大きさと火加減による)出来上がっている。
できれば2時間に1度くらいは鍋の様子を見に来てもいい。こなくてもいい。
定期的に確認するならキッチンタイマを使え。
俺は最後にトマトを入れた。皮なんか剥くな。オマエはゲーマーだろ? 俺はゲーマーだ。中に放り込んだトマトは勝手に皮が剥けるのだ。
俺の作ったスープは今回濁っている。
これは大成功とは言い難いが、大失敗ではない。
とろ火で作ると、だいたい間違いなく澄んだスープをまとったポトフができる。
そういう大成功なポトフは、化学調味料や圧力鍋でぐつぐつに煮込んだものとは別次元の味がする。食えば分かる。
煮込み時間は4時間ほどを見込め。ゲームやぱやぱやをしていれば苦にもならなかろう。
なんなら昼寝をしたっていい。
芋類や玉ねぎ、ニンジンにちゃんと火が通っているかどうか、箸か串を刺して確認しろ。ちょっと食べてみてもいい。
スープの塩味が足りなければ足せ。
全体のバランスが悪かったり、とがった味がする場合は、めんつゆか砂糖少々を足せ。
塩味が強い場合は、このまま生卵を洗って、鍋に放り込め。
1時間ほどで茹で上がるから、それを取り出して殻を剥いて入れろ。
一晩経てば、ゆで卵が塩分を吸う。
まだ空腹になっていないのか。
この香りに抗えるのか、オマエは勇者だな。
もう少しゲームをしたいか。
いいだろう。
火を止めて、1時間くらいゲームの続きをプレイしよう。
あるいは恋人とのプレイを再開してもいい。好きにしろ。
鍋の熱が引いたら、好みの温度に温め直せ。
温めるときも強火にするなよ。
ところで何故いちど冷まして温め直したのかって?
いい質問だ。
ポトフが旨くなるからだ。
ざっくりと厳密にいえば、スープと具材の浸透圧調整が行われて、調味料の味は具材に、具材のエキスはスープにそれぞれ移動する。
熱が入っている間、具材には味が浸透しにくい。
具材に閉じ込められた水分子の運動量が多いため、浸透圧調整を阻害するのだ。多分な。思いつきだから信じるなよ。
それにほら「カレーと女子は、ひと晩寝た方が美味しい」なんていうだろう。いわば「ひと晩寝ていない女子は美味しくない」というわけだが、あんなのは嘘だ。
いちど熱を冷まして、もう一度上げる。それでいい。それだけでいいんだ。
いわばギャップ効果だな。恋愛の話と料理の話を一度にしようとしているわけではないし、ネタでもない。
冷ました後に温めろ。その冷却期間は有効に使えるし、そのうえ料理は旨くなる。恋愛が上手くいくかは知らん。
深皿に盛って、ゲームをしながら食え。旨いぞ。
ナイフとフォークで気取って食ってもいいが、箸とレンゲでもいいぞ。
箸で切れない具材は、まだ火が通っていない具材だ。鍋に戻して煮直せ。
>>>
それとこれからの季節は気温が高いから、食べ終わったら冷蔵庫で保管しろ。
夏になったら、冷たいポトフがまた旨いぞ。
わかったか。
これがゲーマーのためのポトフの全容だ。
調理時間は最小限。手間は掛けなくても大丈夫。
調味料も少なかっただろう。塩と胡椒と砂糖だ。
ローリエなんてなくても大丈夫だ。
最初の火加減にだけ注意しろ。小さい鍋ならキッチンタイマは必ず使え。
途中でぐつぐつ煮立っていたら大成功とはいかない。
もっと弱くするんだ。ギリギリを狙え。オマエならできるはずだ。
オマエは何者だ。そうだゲーマーだ。クリアできない目標などない。
これらはいわゆる流行りの低温調理のうちだろう。
ちゃんと火が通るには結構な時間が掛かる。
その時間が料理を旨くするし、その時間がオマエのプレイ時間として有効活用できる。ナニをプレイをしているのかは知らんし興味もない。勝手にしろ。
皮を剥かなければゴミも出ない。
食材もさほど高くなかったはずだ。
ブイヨンだのを買うより、似非燻製肉を入れるより、ずっと経済的で滋味あふれる味が楽しめるだろう。
そしてゲームを続けろ。
オマエたちはゲーマーだろう。
そして新しいゲームを買え。
オマエたちはゲーマーだろう。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:黒猫:
[InterMethod]
:Chaos:Cooking:Diary:Kidding:Recollect:Style:
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[Object]
:Cat:Dish:Game:Tool:
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:キッチンマットで虎視眈々:
//EOF
// >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:2021-04-26
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
私の登場する恋愛ゲームにそのイベントは存在しません。
SUBTITLE:
~ flag is null. ~
Written by 黒猫
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
かつて、寝ていればだいたいの体調不良は治った気がする。
僕のカラダは不可解だ。医者の見立てに従って、それで治ったためしはほとんどない。
外科的なものは治る。手術もだいたい成功する。
けれど内科的なものはあまり期待できない。
子供の頃からそういう積み重ねがある。一般常識から外れた場所にこのカラダはあるのだろう。
薬はあまり効かないし、滋養のために高カロリィ食を取ると即排出される。
ひたすら眠って食事も控えてカラダの負担を軽くすることで、やがて回復する。
2年前の体調不良は長期に渡った。
どうにもならない消化器系の不調は、眠っても治らなかった。
もちろん、病院に行っても治らなかった。(精神性ですかね、という素晴らしい見立てまでされた)
今回もそうだ。
眠っても眠っても、治らない。
身体を動かしても、回復しない。
食事を摂っても、摂らなくても、回復しない。
医者にもらった薬が、効いたような気はしない。抗生物質は、果たして効果を発揮しただろうか。
時間と僕のカラダだけが、僕の体調不良を解決する。
今に始まったことではなく、ずっとそうだった。
10代半ばには、体調不良があればその都度記録するようになった。
ブログを書くようになってもそれは変わらなくて「何なの? 誰かに心配してほしいの? これ見よがしなのはさもしいから、やめなさい」と言われることもあった。
もちろん、眼鏡美女が心配して「青猫さま、私が看病してあげる(はぁと)」という場合においてのみそれはウェルカムだけれど、それ以外はお断りである。
精確にいえば、入院しているのでもない限り、看護は僕にとって不要である。
>>>
先に結論しておく。
恋人が風邪だの何だので臥せっていたとして、みだりに看病しに来るやつは基本的に無神経であると。
>>>
人間型の恋人が減って良かったことのひとつは「来客がある」という理由であくせく掃除をしなくて済むようになったことだ。
特に僕の場合、相互に認識するタイプの恋人は肉体的ヘテロにあたる ── つまりは女性である。
(一方的に恋慕する相手について、僕は性別や種族や材質、存在の具体/抽象を問わない)
今の生活になって、特に一昨年、昨年は来客が多かった。
今でも銀行員や地区の役員くらいはやって来るが、最初はやれ税理士やら司法書士やら不動産会社の人間やらが度々やってきて、難儀した。
この家の畳は朽ち始めているので、とにかく服に「い草」の屑が刺さり付く(僕が床のリフォームをしているのは、ただの気まぐれではないのだ)。
必然(当時は)あまり暮らしているわけでもない家なのに、来客のたび、前日にはやってきて掃除をする羽目になる。
自分の為だったら、ゴミ箱にシュートしようとして失敗したチリ紙など、席を立ったついでの時に拾えばそれで良い。
ゴミ箱の中身がいっぱいになっても、次回の収集日に袋を変えれば良いかとも思える。
しかし来客が来るとなると、テーブルの上の不要な書類も、床に散乱した本も、どこからか猫が運んできた爪楊枝も、片付けなくてはならない。
>>>
話を戻して病に臥せっているとき ── とくに体温が38℃に達したとき ── だいたい僕は家の中を歩くのがやっとだ。
ドラマやマンガ、アニメなどで恋人、あるいは想い人の看病に行くというのはまぁ、ある種のストーリィ上のイベントではあろう。
そして病の床に就いている主人公(あるいはその想い人)の家は、部屋は、とんでもなく綺麗だ。
(オマエ絶対元気だろ? あるいは恋人の看病なんて必要ないくらい、誰かが世話を焼いてくれてるだろ)と思うのである。
どいつもこいつもヴァーチャルに毒されている。現実を見ろ。
まず一人暮らしのオトコが病に臥せる。
一人暮らしのオトコというのは、ヒモやネコでもない限り、仕事をしている(僕は「職業:ネコ」なので無職だ)。
無職で一人暮らしの成人男性というのは、僕の知る限り、ほとんどいない。自分がそうだから「絶対に」とは言えないが、僕は他の人にもヒアリングを重ねているのにこの3年ほどで1人しか知らない。
仕事をしているオトコというのは、たいてい、家の掃除をしても週に一度だ。
これが倒れると、掃除をする人間は居なくなる。
食洗機でもない限り、台所のシンクには食器や鍋が積み重なる。
ベッドの周りには、薬のパッケージを丸めてゴミ箱に投げ入れようとしたのに失敗したものや、空になったスポーツ飲料のペットボトル、ゼリーやプリンやヨーグルトの空き容器とスプーン、大量のチリ紙、脱ぎ捨てられた下着とパジャマ、くしゃくしゃになったタオル数枚、山になったゴミ箱、無造作に置かれた体温計、いつからあるのか不明なコップと割り箸、などが散乱している。
ベッドからトイレまでは、スーパーマーケットの袋やそこから覗く生活用品が散乱する間を、まるでナメクジが通ったように道が出来ている。
這いつくばったついでに、タオルなどが脱皮の痕のように点在していたりする。
ひどいときは、床にゲロが撒かれている。
ひどい話だ。しかしそれが起こらないと、誰に言えようか。
トイレまで間に合わず、といって掃除する体力も気力もなく、這ってベッドに戻るのがやっとだったと僕が言って、誰が否定できよう。
こういう状況下で、自分の想い人(あるいは自分に想いを寄せている人)が訊ねて来るなどと聞かされようものなら、救急車でも呼んだ方がマシだと思える。
ためにあまり正直に重症であることをリアルタイムに誰かに教えることは、僕の経験上、いいことはない。
だからといって、症状が軽微なフリをすると「軽いのなら、お見舞いついでに行くね。だって会いたいモン!」なんて言い出すガールがいる。
家に帰って漫画でも読んで寝てろ! 俺の家の鍵はぜってぇ開けねぇからな来るなこんにゃろー!
となり、あらぬ浮気の疑いを掛けられたりする。
映画の主人公だって反吐くらい吐くんだよ。
俺だって具合が悪ければゲロ吐いたまま動けない事があるんだよ。
だから。
家に。
来るな。
<キリッ>
>>>
お分かりいただけるだろうか。
自力で病院に行ける奴も、恋人が看病に来るのを拒まずにいられる奴も、だいたい仮病レベルの軽微な状態である。
ちょっと熱があるだぁ?
少しカラダがダルいだぁ?
そんなラベルをぶら下げて、恋愛イベントのフラグを立てるのは勝手だが、俺の体調不良を恋愛イベントと勘違いするな! とは言いたい。
まぁ、その程度の軽い段階で病院に行ける方がよいのだが、僕の場合、ほんの数時間で風邪もインフルエンザも熱中症も重症化する。
家まで帰る間に、長期戦の備えをするのがやっとである。
4週間くらいなら、水分だけでも生きていけるし、そのくらいの時間があれば、大抵の病気は軽くなったりして、医者に行くこともできるようになる。
過去に重めの肺炎(マイコプラズマが流行っていた時期である)に罹った時も、扁桃腺炎に罹ったときも、本当に苦しくて救急車を呼ぶ体力もなく倒れていた。
眠って治したからすごいだろう、という話ではない。
そんな重症の時に来客の対応なんかできねいから、家に来ないでください、という話である。
どんな眼鏡ショートヘアの美女だろうとお断りである。
いいか、看病だのなんだのにイベント性を求めるな。
まぁ、付き合い始めて間もないカポーの片割れが軽微な体調不良に陥って、そういう「プレイ」をなさったりするのは良いと思うし、若い頃ならそういうのもいいとは思うのだけれど。
あ、でもでも。
床にゲロって動けなかったのは20代半ばであり、まぁ、一般的には若いから仕方なかったのかなぁとも思う反面、やはりあれは追い返さなくてはならないと今でも思うのだ。
床にゲロってやっとの思いでベッドに戻った経験のない人にはまぁ、分からないし知らない方がいい苦労だとは思いますが。
>>>
秋口に知り合いにもらって、花壇の畑部分に植えた人参は冬の間、枯れていた。
だから朽ちたのだとばかり思っていたのだが、すっかり元気になっていた。隣に活けた長ネギも、ねぎ坊主を抱えている。
畑エリアの拡大を実行する為、椿の木を1本、チェインソウで切り倒す。
ツツジも池の残骸も、最終的に撤去する予定だ。
今日、たらい回しの末に保健所でようやく検査を受けることができた。
微熱はまだ、下がらない。
僕が体調不良を記録しているのは、単にこのカラダをもっと知りたいと思っているからである。
眼鏡美女が来訪をご希望の際は、だから早めにアポイントを取り付けていただければ幸いです。
(床ゲロに関する記述はフィクションであり、実在の人物、出来事とは一切関係ありません。なおかつ浮気もしていません)
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Cat-Ego-Lies]
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// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:2021-04-25
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
木枝の剪定をしていて考えたこと。
SUBTITLE:
~ Wooden chip, Weaken ship. ~
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
6週目。微熱は引かず。
別の病院での検査は、数日前やんわりと断られた。しばし途方に暮れる。
もう一度、検査を受けるまで(そして陰性と診断されるまで)は誰にも会わないと心に決めているので、困るのではある。
>>>
今年に入ってから、木の剪定をずいぶんした。
長い間、手入れをされていなかった木のほとんどは、虫がついていて、場合によっては枝葉が病害に冒されている。
ひとまず枝を下ろして経過を観察し、回復しない場合は幹を切り倒そうと考えている。
また寿命を迎えつつある木もあるようなので、それについても切り倒す決定をした。
>>>
樹木というのは基本的に、上へ、外へと枝を伸ばす。
今更当たり前のことをと思うかもしれない。僕もアタマではそう思っていた。
しかし実際に剪定をしていると、想像と現実はずいぶん異なることに気がつく。
まず幹がある。
幹から直接伸びる枝は、幹が中心となるので必ず外向きになる。そしてだいたい上向きである。
問題は、この枝から分かれる枝である。
これらが、内側に ── 幹に向かって ── 伸びることが往々にある。枝の下から生えて上に向かうものもある。
これらはだいたい、枝が混む原因となる。
なぜといって内側に伸びた枝は、必ず他の枝とぶつかり、日陰の部分で陽の光を求めて迷走する。
下に向かった枝は、上に向かううちに元の枝や他の枝と密になり、隙間に虫が湧いたりする。
枝が伸びる上ではランダムに生えて伸びるより他ないのだけれど、間違った方向に伸びる枝は結果的に、木の幹そのものの健康を害し、全体の益を損なうものになる。
これらは人間の、あるいは組織の性質に似てはいないだろうか。
そもそも組織というのは外へ、上へ向かうべくして構成されるものだろう。
ところが内へ向かう者がある。中心に近づこうとするのは決して間違ってはいないだろうけれど、そもそもオマエは幹ではない。
幹でもなければ、主枝でもない、末端が遮二無二集権された中央を目指すのは、はっきり言って他の迷惑である。
枝の主な仕事は、外に向かって、葉を開いて陽を受け、花を開いて実を作ることである。内に向かってそれをされても困るのだ。
下に向かう枝も同様。
どうして下に生えるかというと、その方が上に行きやすかったり、枝の仕事をするのに都合のよい場所が見つかる場合があるからだ。極めて稀だけれどそういう状況もある。
だから自然発生的に、枝は幹の方角にも、地面の方角にも、枝を伸ばす。
つまり下に向かった枝は、上に向かう目的のため下に向かうという手段を与えられている。
だいたいこいつらがひねくれる。文字通りにひねくれるのだ。
他の枝に絡みついたり、行く手を阻害したりする。そっと自分の居場所を見つけてささやかに役目を果たそうとはしない。
ごくごく末端の、ごくごく細い小枝の場合にのみ、下向きであることが全体の益になる。
たとえば組織でも、それなりに出世してそれなりに能力のある人間が、どういうわけかねじくれた動機で、下に向けることで上に向かうような力の使い方をすると、やはりその組織の関係は歪む。
そういうやつを見かけたことがない人は幸いである。
では上向きだったらすべて良いかというと、どうやらそうでもない。
主枝から直接真上に伸びる枝がある。
だいたいこれらの枝は、その上に伸びている主枝に当たる。
幹に近ければ近いほど、内側が混むので致命的であり、上にいる主枝に阻まれてたいした仕事をするわけでもない。ただただ事態を悪化させるだけの存在だ。
あるいは格別、発達が良くて強く太く育ってしまった場合、上にある他の枝を阻害するようになる。
外に伸びている枝が阻害されるので、結果的に全体の益にはならない。
外に向かって伸びている小枝は、確かに上を目指しているかもしれないが、そもそも主枝から真上に伸びるようなショートカットの仕事はしていない。
主枝から真上に伸びる枝は、上昇志向の意識高い系のフリをして自分の無能をラクに上げ底し、結果的に組織の働きを阻害する猪口才な人間のように観察される。
基本的に集団というのは、外へ上へと向かうものだろう。
もちろんこれは概念的な定義であり、実際の集団が外と上を目指していると、ドンキーコングのようなことになってしまう気がする。気のせいだろうけれど。
個々人はどうだろう。
やはり同じように、上と外を目指すものではないだろうか。
もちろん、下と内に指向する要素も必要ではある。しかし、主体は上と外だと思える。
── 重ね重ね、概念なので、そこに重力(つまりは上下)や空間(内外)は存在しないのだけれど。
>>>
僕自身は、かなり下向きで内向きな人間である。
性格も下向きで内向きの傾向が強いし、そういう人間は ── あるいは僕だけかもしれないが ── 組織でも同様に内向きで下を指向する。
掘削作業に向くのかもしれないが、あいにく身体が弱いため、そういう仕事を経験する機会には恵まれなかった。
幸い接客や営業をさせると、能力を発揮した(個人的な意見を述べるなら、コミュニケーション能力を適切に発揮できるなら、誰でもできると思う)。
僕は、末端にいるときちんと動作できたのである(それでも身体をよく壊すが)。
事ほど左様、僕は組織の中では、せいぜい小枝タイプなのだろうと想像する。
大きな組織の、ましてその中心にあって、雑多な枝葉を組成して制御するなんて、考えるだけでぐったりする。
小さな組織であれば主枝くらいの役目を果たせそうだ(実際、果たしたと思う)が、僕より有能な者はいくらでもいると当時から思っていた。
あるいは樹木ならば根のような、つまりは目立たない仕事をするのに向いていただろう。
実際、僕は人目につかず、自分の目論見を完成させるのが得意だった。
悪事によらず、善事によらず、誰かに見せるために仕事をしなかったので、目的を設定することも手段を選ぶことも自分の能力に合わせて最適化した。
そもそも仕事を提供するお客様に対して適切(あるいはそれ以上)の満足を誘導(あるいは提供)できれば、それは成功なのだから。
組織がオープンになろうとして、言葉面ばかりの透明化を図ろうとすればするほど、個人的には仕事がつまらなくなった。
仕事をするための、あるいは仕事をしていることを確認してもらったり共有したり公表したり「見える化」するための、余計な作業が無意味に思えて大嫌いだからだ。
そもそも組織というのは、オープンな存在ではない。
木はオープンか。そんなことはあるまい。風通しがいいことと、開放されていることはイコールではない。
木は透明か。そんなことはあるまい。不透明で影を落とす存在だからこそ、陽を受け育つのではないのか。
さらにいえば、見えない根を深く張り、局所的なアンバランスに対応できるだけの芯を維持するのが組織というものだろう。
オープンになって骨格が脆弱になり、透明になって存在が希薄化し、私利私欲と過剰な自意識を持つ分子が根を張ることを忘れ倒壊させるのだとすれば、魅力的な組織は本当に減ったのかもしれない。
それでも人は、社会的な指向をもったイキモノで、集団を形成するはずだ。
その設計を、遺伝子を、いつも最適化できるならば、全体で共有できるなら、それが重要なのではないかと思う。
切り分けられて接合されて、虫が湧いて病に罹って、枝をほとんど落とされた裏庭の木。
人の欲にカタチを与えると、だいたい醜くなるのだろうか。
そんなはずはあるまい。カタチを与えて醜くなるのは、その欲が、そもそも醜かっただけだ。欲の全てが醜いとは限らない。
>>>
そういえば僕の尊敬する経営者は、どういうわけか植物を育てている人が多かった。
あるいは彼らも、言葉にするでもなくそんな概念に遊んだのだろうか。
切り落とした枝を運びながら、そんなことを思う。
集団という集団から隔絶されたような場所に僕は自分を運んだので、集団の特性を分析することにもはや意味はないのだけれど。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
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[Cat-Ego-Lies]
:家庭菜園ティストの狂気:夢見の猫の額の奥に:
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// TimeLine:<2021-04-20>
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
心という装置。
SUBTITLE:
~ Mind device. ~
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
先日、ふと思いついた。
心理学などでは一般的な概念なのかもしれないが、僕には学がないので分からない。
心というのは、ストレスに反射する装置なのではないかと思ったのだ。
── ちなみにここでいうストレスとは、主観における外部からの刺激全般を指し、一般に使われる「特に精神において過度の負担となる刺激や状況」を含みはするがそれに限定されない。
人間がいる。
通常、それは自我を持ち、必然に自己と他者の境界を認識する。
たとえば自分がいる。皮膚がある。その先は、自分ではない。
だから急におなかが痛くなったとか、急におなかが空いたとか、そういった事象を除けば、だいたいの刺激は自分ではない、その外部からやってくる。
その刺激が、心地よいものであったとしても、緊張や不安に満ちたものであったとしても。
あるいは往々にして、我々は外部の刺激によってしか、心地よさや安心、緊張や不安を感じないのかもしれない。
内部からの刺激だけで、そうした感情を持ちうることは(普段から座禅でも組んでいなければ)容易なことではないだろう。
── 少々余談になるが、座禅というのは刺激を平準化する行為である。
人間は刺激に慣れる。嗅覚においてそれが顕著であるが、それ以外についてもそうである。
すべての感覚の圧に人間は慣れ、より強い刺激でないと認識できないようになる。
座禅というのはそれをフラットに、リセットする効果を持つ。もちろん、それが主目的ではないだろうけれど。
動物にとって、安心や緊張は、死活問題である。
死活問題を的確にかつ素早く認識するシステムが、生物的優位に繋がることは間違いない。
とくに緊張や不安や恐怖については、より速く、より強く感じられる個体や種族に結果的に高い生存性がもたらされることに不自然さは感じない。
それが生命に標準的に備わった反射装置であり、その装置が鈍く、弱いものは生存不適応で淘汰されるのは必然だ。
安心や心地よさなど、たまたま危機の対極に置かれた幻影に過ぎないだろう。
集団を形成する種族の中で、その機能は高度化され、複雑化する。
感情をベースにしたコミュニケーションは、それぞれの装置間でやりとりされる信号のようなもの。
では外部からの刺激が低下するとどうなるか。
>>>
いい被検体がいる。僕だ。
一ヶ月寝ていても、誰にも怒られない。
自分を振り回す他人はほぼ存在せず、危害を加える他者を寄せ付けず、将来の不安もたいしてなく(見つかった場合は早速演算を開始するだろう)、さしあたっての緊張状態は(ささやかな体調不良以外に)存在しない。
外部からの刺激のなさは、安寧な日常を生み出す。安寧な日常を感じられるのは、その低刺激性がゆえだ。
何も感じず、何の対処も必要としない。
長期的なこと、抽象的なこと、役に立たないこと、したいことだけを、気ままに実行する時間は気楽で、ときどき愉悦すら感じる。
そしてその刺激のなさは、コミュニケーションの不要に起因してもいる。
言葉にする必要がなく、伝える必要がなく、思ったものはそのまま伝わる(対象は自分自身だが)。
「あれをああしてああしよう」といえば、僕には伝わる。まさに以心伝心。
今日の晩ごはんに何を食べたいか、悩む必要も尋ねる必要もない。
作ったものを食べる人(僕である)の口に、果たして合うかどうかを確認する必要も尋ねる理由もない。
自分の中で、言葉を使う必要もなく、それは伝播する。
だからまるで楽園のように、静かで穏やかな日々が流れる。
「自分が何を感じて、何を考えているか」なんて、どうでも良いことのように思えてくる。
僕によってもたらされ、僕にだけ与えられるその楽園は、コミュニケーション不要というコミュニケーションは、しかし危険な兆候でもある。
すなわちそれは自分が何も感じず何も考えないことを暗に許容し、あまつさえ「何も感じず考えないこと」がストレスのない日々の要件であるかのように刷り込まれる。
結果的にストレスの存在しない個体は、心という装置を劣化させる。
齢を重ね、心もアタマも凝り固まった人間は柔軟性を失い、その硬化はいつか致命的な形で組織を破壊する。硬化した血管が、生体を傷つけるように。
>>>
危険や緊張を感覚しない個体は、つまりストレスとなりうる対象(いわゆるストレッサ)を感覚できなくなった個体は、刺激に対する反射能力の低下した個体は、あるとき適切な環境適応ができず、死ぬ。
白痴は無能だ。白痴化することは生存不適化することである。
ストレッサが存在しなくなることは、コミュニケーションの欠如を招き、反応の緊急性も、反応する能力も失われる。
(メールの返信が3週間後になる僕のような個体は、往々にして集団では忌避される運命にある。集団適正として、反応は早いほうが「よいもの」として扱われ、即時性はコミュニケーションを劇的に進化させるという幻想さえ生んだ。まぁ、結果は見ての通りだけれど)
ストレッサが存在することは、すなわち生存適性を促す。
緊張によって環境適応能力は維持され、その緊急性はそのままその個体の能力開発を後押しするだろう。
人間は、高度な環境を構築する能力を持っているが、それは最終的に滅びの道に繋がってもいる。
特定の集団に都合のいい高度な環境が構築され、それが高度な快適さをその集団に提供すればするほど、集団の中で弱者は搾取され、やがて全体は弱体化し、搾取する対象さえなくなり種は滅びの道を歩む。
別に政治の話はしていない。メカニズムの話である。
ストレッサの反射装置として機能する(あるいはその機能に対して名付けられた)「心」は、それを持つ個体にとって都合良く環境が整備されるにつれ、その機能を低下させる。
(重ね重ね、政治や政治家の話はしていない)
心はやがて、個体にとってその機能を失うだろう。
他者は都合の良い道具になり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
弱者は都合の良い道具であり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
人間は、そういうシステムを構築しました。
なればこそ。
新しいメカニズムは、どうでしょう。
旧来のシステムをそのままに、硬化するシステムに代替する新しいメカニズムは。
人間はもう、旧来の人間ではなくなってしまったのだから。
心に替わる、新しい装置は。
あるいは現行のシステムに替わる、心の必要な環境は。
どうでしょう。
誰がそれを可能にしますか。
誰がその一歩を踏み出しますか。
私ですかそうですか。
あなたですかそうですか。
<わしゃもうダメじゃ>
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
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// TimeLine:<2021-04-19>
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
熱が下がらないと気を遣う。そういう社会だ。
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
5週目。
微熱は続いて36.8。
もうこれが平熱ってことでいいんじゃないかな。
ただ咳がまだ出る。21〜23時がひどいだろうか。
今週こそは再検査のために病院に行くぞ。行きたい。行ければ。行くかなぁ?
昨日から急激に食欲が減衰した。
3、4週目の食欲の増進が圧倒的だったため、急に何も食べたくなくなった感覚である。
まったく何も食べたくないし、お酒を飲む気もしない。(喉の調子が戻らないので煙草はひと月吸っていない)
まったく。恋する乙女か。
しかし、多分これが通常なのだろう。この2週間が特殊だったといっていい。
とはいえ強い食欲に突き動かされ、きちんとした満腹感によって食事を終え、適切に摂食吸収排泄のサイクルができあがっていた時期は終わりを告げた。
僕の身体は以前同様、空腹も満腹も、注意深く観察しないとそこに認められない。
顕微鏡でないと見つからないマイクロレベルの存在だと考えてもいい。いや、もう少し大きいはず。
とはいえ食欲が減衰して、驚いている。こんなに空腹を感じないものか。
昨日は昼食を食べて、カフェオレを(お椀サイズの)マグカップで2杯飲んで、少しお酒を飲んで、あとは白湯を飲んでいた。
白湯の量は4L。なるほど、水なら飲むのか。
しかし朝、身体が少し痺れていた。栄養失調の前兆。
まぁ以前のように注意深く観察し、なんとなく食べたい気になりそうなものを適当に作ったり買ったりして食べるよりないだろう。
栄養失調は後が怖い。未然に防ぐのがベストだ。
>>>
エディタに困っている。
ずいぶん長いこと、Evernoteが使い物にならない。アプリケーション版も、Web版もだ。
(ために、内部表現が少し変わっている)
ではAppleデフォルトのワープロソフトが使いやすいかというとそういうことはない。
区切り線が引けないし、ページ単位でのビューしかない。エディタ機能が貧弱だ。
地味に流行りらしいMarkdown方式のエディタも試したが、あんなものはHTMLやらに慣れ親しんだ人間のためのものだろう。
インラインコマンドで書式設定できるのは便利かもしれないが、改行が不便で、右寄せ左寄せも不便。
エディタ側はよしとしても、出力側のフォント指定はHTMLで指定する必要がある。
コマンドの関係で禁則文字が拡張されているから、使えない文字列が存在する。
マークアップだろうがマークダウンだろうがマークパンサーだろうが、使いにくいものは使いにくい。
仕方なし、Nebulaという外部アプリを使い続けてはいるが、これがまた、右寄せ左寄せにもフォント指定にも対応していないエディタなのだ。
肌にも合わず、気分の盛り上がるわけでもない道具は、どうも好きになれない。
おそらく僕は、道具にうるさい面倒なオトコだから、このあたりは仕方ない。
空腹をろくに感じないのと同じ、体質のようなものだ。
>>>
コロナ疲れ、というものがあるらしい。なんだろう。
寂しさ病、みたいなものだろうか。
実際に「自分がコロナウイルスに感染しているかもしれない」と疑い始めて2週間ほど経つが、誰かに会うことが2度とできない可能性を考えて少し戸惑う。
そもそも馴染みの飲食店に行くことはできない。
妹やその家族と会うことも控えなくてはならない。一緒に食事に出かけるなんて不可能だ。
今後、人間の恋人が増えるような事態が発生した場合も、ちょっと大変だ。
たまたま僕は、ほとんど誰にも接点がなく(猫以外に)一緒に暮らす家族もいなければ、毎日足繁く通う職場もない。
週に何度かぱやぱやしにくる恋人もいないし、月に何度か一緒に出かけたり、共通の趣味をするような友人もいない。
ひと月ほどを考える。
ここに来たのは、PCR検査キットを届けに来たTUと、奪うようにして譲り受けた猫を放り出すことにした知り合い、銀行の渉外係が2回で、計4回。
ただ。
それでも今後、誰かと一緒に居ることが困難になり、外食もできなくなると考えると、それは少々、悲しいことではある。
とはいえ僕は寂しいことや悲しいことが嫌いではない。
では僕以外は?
寂しいことが苦手な人は多いだろう。悲しいことが嫌いな人も多いだろう。(僕は不安も嫌いではないのだが)
社会は賑やかで、楽しくて、嬉しい場所を目指して進んでゆくし、そうあるべきだと思わないでもない。
そう考えればコロナウイルスという目に見えないものに怯え、さまざまな行動を自粛し、また自身の活動を(行動もしかり、経済もしかり)自身の意思に関係なく制限され、それに終わりが見えないともなれば相応に、不安や恐怖や寂しさは底の見えない闇だろう。自身の心に開く穴は、どこまでも自分を飲み込むだろう。
それらはストレスになり、終わりなく人の心を苛むのか。
それに疲れて、いったい人は、どこに癒やしを見いだすのだろう。(僕は自分が一番の癒やしだが)(←ぼっちアピールか)
しかし個人の力で、それは解決しない。
寂しさというのが病気なら、それを自分だけで治すのは、なかなかどうしてむつかしいだろう。
病気が起こす社会の寂しさは、ならばどうすれば治せるのか。
人々は、社会は、寂しさを嫌い、悲しみを嫌う。孤独を嫌う孤独な集団が強要された孤独。
なるほど疲れる。
それはたとえば僕のように孤独を好む個体が、かつての「孤独を悪とする」社会で、孤独でないことを強要され続けた疲れに似ているのだろう。
>>>
嗚呼。ネコノカミサマ。
僕ひとりならなんとでもなるこの世の中は、誰かの呪いによってかつてのそれから姿を変えたのでしょうか。
ええ。
一人だけ知っているんです。こんな世の中を望みそうなイキモノを。
いやそんなまさか。
僕も困ってはいるのです。
<悪魔にタマシイを売ったんだろ? 今さら引き返せるか>
>>>
そういえば。
暇なのでキャットタワーを納屋で自作しながら過去の記憶を漁っていたのだが。
僕はかつて、ガールについてロングヘアのほうがいい、断然だ! という価値観の持ち主であった。
(Webにも紙にも記録は残っていないが、一時期の日記にそれが記録された記憶がある。ちなみにペーパメディアの日記は諸般の事情によりすべて捨てたので証拠はない)
そしてなおかつ14歳のある夜、僕は突如としてショートヘアの方がいい、という価値観へシフトした。たった一晩でだ。
14年間(知能を持ってからだいたい2年間)あたためてきたロングヘア信奉は一晩で崩壊した。まるで巨大帝国が予期しなかった敵に打ち倒されるように。
当時(生まれついた環境から女性慣れしていたが)当然、恋人もいなかった僕は、ガールとベッドにインした際のあれやこれやを机上で想定し、ベッドの上で髪の毛を踏む可能性についてを危惧するに至った。
これはたとえば建築作業現場で、雨天下の足場に鉄板が敷かれているときゴムの長靴の摩擦係数がどのように転倒の危険に影響するかを予測することに等しい。
たまたまそれが、ベッドの上の想定であり、雨天に関係なく人間の関係であり、災害の規模が「髪を踏まれる」程度のことなだけである。
しかしながら、ありとあらゆる災害の可能性を網羅し、その危険性を低減させることは、間違った姿勢ではない。
未経験だからといって嗤えるだろうか。起きてからの対策では手遅れになる災害だってこの宇宙には存在している。
未然に防ぐためのシミュレートはいつだって必要で、そのためには「おそらくないであろう」危険についても想定を広げてゆくことが、予防のセオリィではないだろうか。
そして僕は「ロングヘアは腕枕その他諸々に前後する男女の密接な状況下において、髪を踏みつける可能性がショートヘアのそれより高い」という理由により、ロングヘアがショートヘアに劣るという結論を導いた。
どれほどそれがいわゆるフェミニンで、あるいは魅力的に思えて、もしくは個人的嗜好に合っていても。
そのようなわけで、僕は初めて恋人ができる数年前に、急遽、ロングヘア信奉からショートヘア信奉に鞍替えした。
そしてそれは最初の恋人の家が美容室であったため、洗髪の手伝いをして確固たるものになる。
ロングヘアで得をするのは、それで得をすると勘違いしている人間と、そこに幻想を抱いている人間、そして美容師をはじめとしたヘアケア業界だけである。
自然災害に遭ったら、とりあえずみんな坊主にしてもいいんじゃないかな。
僕は時々、すごく斬新に合理を導き出す。
キャットタワーを作りながらその記憶が突如甦り、僕は思った。
「やっぱ14歳のオレ、天才だわ」
僕は今、彼の背中を必死に追ってなお、もう追いつけないかもしれないと感じている。
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:Memory:Poison:Tool:
// —— >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:暗闇エトランジェ:ひとになったゆめをみる:
//EOF
210414
春だ。日差しだ。発熱だ。
春が来た。
僕の大嫌いな、生命の躍動する、春だ。
「けい○ん!」とある「○」に、貴方なら何を当てはめるだろう。
「お」と答えたあなたはアニメ好きだ。しかもちょっと古い(笑)。
「ふ」と答えた貴方は、農業ボーイ/園芸ガールに違いない。
「けいふん」すなわち鶏の糞だ。これが安い。
15kgで120円ほどだ。1kgで8円ほどである。
100gではなく、1,000gで8円だ。これは安い。
ただし農業/園芸に興味のない人には、何の役にも立たない。
>>>
咳の止まない身体をジャンプスーツに押し込めて、タオルやゴーグルや防塵マスクで頭部を保護し、長靴を履いて出かける先は、玄関から十数歩の納屋である。
「屋外用薪ストーブ」から昨日の灰を掻き出して、新たな薪を組み上げる。
組み上げる、というのは、ただ放り込んで火を付ければ燃えるものではないからだ。そこにはセオリィがあり、順序があり、摂理がある。
抜いたいわゆる雑草はもちろん、下ろした枝も、幹から切り倒した一部の庭木も放置して乾燥させている。だから燃料は潤沢だ。
ストーブの炎が安定したら、先ほど集めた灰を庭の穴に埋める。
そうだ。抽象的、概念的な「裏庭の穴」を僕は持っている。これは固有の能力と呼んでも構わないのだが、こっちはちがう。具象の、現実的な、庭の穴である。
そこには切り倒された木の切り株があり、その根を掘り起こ(そうとして途中で飽きて放り出)している跡があり、そして畑として利用すべく土を掘り返されているエリアがある。
すなわちこれ開墾行為。
畑として用意された土壌を、畑として使うことの利便を僕は知らない。
そこは放置された植樹の残る庭の花壇であり、木の根が巡り、石が放置され、土は硬く、木々の一部は手入れがされなかったため病虫害に冒されている。
2月の頃に、裏庭のお稲荷様の両脇を固める木の一方を、ほぼ丸裸にした。
枝が混んで虫が湧き、病に罹っていたためだ。
二股になった ── あるいは人工的にそうさせた ── 幹を、上部で人工的に一本に継いでいるため、その股の部分が影になる。
ここに虫が付きやすく、継ぎ方が悪かったのか、その後の手入れが悪かったのか、部分的に樹皮が剥げて、むき出しになった幹が部分的に枯死したり、虚ができてそこに虫が住み着いたりしている。
定期的に枝が下ろされていれば、通気と日差しと鳥によって、虫は減るのだが、長らく放置されていたそれは、もはや祟られた木にさえ見えた。
その大量の枝を下ろしてひと月ほどで、他の木に、その虫たちが寄生しているのを確認し、次々枝を下ろすことになった。
2年ほど前から気にかけていた椿の木の一本は、病に冒されてるのか寿命なのか、生育が非常に悪いので、根元から切り倒した。
株が小さかったうちはよいのだろうけれど、もはや庭に育った木の多くはひとつひとつが大きくなり、過密になって手を入れにくい部分もある。
ために部分的に間引くように手を入れている。
>>>
耕運機が欲しいのだ。
しかしこの数ヶ月、僕は自由になるお金に乏しい。
昨年に基礎と屋根に補強修繕を入れた代金を、分割で払い続けている。
毎月およそ300k円。春先は確定申告などもあって、出費が多かった。
無職であると言っているが、収入ありきで生活しているので、出費が多いと遊ぶお金はなくなる。
ために耕運機は買えず、鍬で耕しているわけである。
ちなみに耕運機はおよそ80k円前後でエンジン式のものが買える。
最近、TVゲームに面白みを感じなくなったのは、庭での作業の方が、危険も恐怖も大きいからだと気づいた。
木を切るにも、風向きや刃の入れ方に注意し、幹を倒すときは倒れる方向まで考える必要がある。
数々の虫たちは、虫嫌いの僕にとって、ほとんどは恐怖の対象だ。
しかし恐怖を感じるシステムにもいい加減ほころびが生じているらしく、その恐怖ごと、虫を眺めていたりする。
子供の頃から、恐怖に対して僕は悲鳴を上げたり逃げたりすることがない。
ただぼうっと、恐怖し続ける。
>>>
子供の頃といえば、友達と川に遊びに行ったことがある。
子供には少々深くて、広い川だった。
友達の1人が流されてしまったのだけれど、僕は呆然とそれを眺めていたため、あとで別の友達にたしなめられた。
(最終的に、流された友達は、同行していた友達によって助けられた。)
僕は子供の頃から、瞬発力に欠けるようだ。
頭の回転もそうだし、身体の反応も、感情も、短時間の変化に、素早く対応することができない。
たとえば皮膚を擦り剥く。
かなり激しい痛みを感じるのだけれど、僕は呆然としてしまう。
どうすればいいのか、瞬時には分からない。
だからじいっと、その痛みを痛む。
あふれる血や、ざらざらと荒れ傷ついた表皮を呆然と眺めて、対処法をぼんやり考える。
水でよく流してから石けんで綺麗に洗うと、すぐに痛みが引き、治りも早く化膿しないことを、ある時期から僕は覚えた。
だから恐怖も同様、僕はぼうっと恐怖し続ける。
悲鳴を上げることは少ないし、まして瞬発的に逃げ出したり、立ち向かったりはできない。そんな気力はないし、身体に反応させることもできない。
それは知らない人からすると、ちょっとした豪気に見えるのかもしれない。
しかし事実は異なる。
僕は虫ひとつにも、激しく恐怖している。
そして悲鳴を上げることもできず、ただただ身体を硬直させて、恐怖している。
まるでこの心も身体も、たまたま与えられた使い慣れない道具のように。
>>>
庭を開墾していて思うのだ。
枝を下ろし、幹を切り、根を鍬でたたき切りながら思うのだ。
いわゆる雑草たちを抜き、その根元で慌てふためく微細な昆虫を眺めて思うのだ。
人間のエゴは、こうもはた迷惑なものなのかと。
もちろん枝の剪定をすることで、木は枝が過密になることがなくなり、より生育しやすいようになる。
いわゆる雑草たちを取り除けば、代わりに自生している名前も知らない可憐な花を咲かせる草(まぁ、名前を知らない時点で雑草といえば雑草だ)がそこに居着く。
木がなくなり、土を耕し、土壌環境を整備すれば、作物も含め、新しい生態系がそこに生まれる。
しかしそれは結局、僕のエゴの発露ではある。
自分が生きるためという言い訳のもとに、どれくらい育てて、どれくらい殺すのだろうかと、そのひとつひとつ、昔からこの先までを考えると途方に暮れる。
僕ひとりでそうなのに、この世界にはたくさんの人間がいて、オーバーフロウする。
もちろん、草木や昆虫にもエゴがある。
だからそうしたエゴの一つ一つを気に病んだり、その数の多さに圧倒されている場合ではないのだろう。
自分のエゴを、脇目も振らず発露するのが本来のありようなのだろう。
エゴとはすなわち、生きる力のことではないか。
まぁ、それが僕にはかなり乏しいのだろうけれど。
乏しいからこそ、眩しいほど発露されているそれらに、僕は目眩する。
春が来た。
僕の大嫌いな、生命が躍動する、春だ。
鶏糞やら、卵殻粉末やら、草木の灰やらを、庭の土に混ぜるため、鍬を振るいながら思う。
危険も恐怖も大きく、カタチとして得られるものは決して多くはない。
(昨年など、ブロッコリィとニンニクは全滅し、ナスはひと株不成りで、トマトの生育は悪く、パプリカは枯れ、オクラも聞いていたほどは成らなかった)
ゲームは勝ちが約束されていて、だから、安心できる箱庭だった。
ヴァーチャルから少し離れる気になったのは、もう、何もかもがどうでもよくなったからなのかもしれない。
3週間目が終わった。
日曜が起算日なので分かりやすい。
1週目は体温が38.5〜39.5。
2週目は37.5〜38.0、突発的に39.0。
3週目になって36.5〜37.0の微熱になった。
僕の身体は38℃くらいから、平衡感覚が狂い、筋肉が力を出しにくくなるため、歩行や運転をするのは危険になる。
通常、消化器系の機能も低下するので、1〜2週は液体食が主流だったが、3週目からやたらと食欲が出てきたので、基礎体力を取り戻すための簡単な運動を屋内でしつつ、玄米と高タンパク食を摂る。
庭仕事も再開した。
県のコロナ相談センターには1週目で電話をしたが、2週目は外出間際に高熱になったりして寝たきりで、結局病院には行けなかった。
3週目の水曜、ようやく医者に掛かる。
PCR検査は、町医者なりに厳重な対応だった。ちなみに検査結果は陰性。
すでに回復期であるからと、けっこう投げやりな対応をされる。
遡って2週目の週末、TUが市販のPCR検査キットを買って持ってきてくれる。
かなり距離を取りながら、逃げるように(半分演技だ)帰っていった。
その結果は3週目の金曜の夜にメールで届いたのだが「リスク高」とある。
1週目はインフルエンザのような腰部の筋肉の痛みや、気管支炎、肺炎のような横隔膜や喉の奥に痛みを感じたが、もともと喉が弱く、簡単な風邪でも喉の奥から絞り出すような重い咳が出るので咳そのものは自覚的所見としてアテにしていない。
消化器系にダメージがなかったのは幸いだが、とても珍しいといえる。
高熱時、消化機能がひどく低下して、嘔吐や下痢になるのがこの身体では通例だ。
今回は3週目から(それまでの消費カロリィを取り戻すように)炭水化物を主食としたかなりの量の食事を要求されている。
(ごはんを炊くのも久しぶりだし、普段、ほとんど食欲を感覚しないので、これにも驚いた)
体温は今朝の段階でも36.8。
もはやこれが平熱ではないのか。
(咳が出るし喉に違和感があるので、たぶん違う)
買い物や見舞いや通院介助を申し出た妹を徹底して拒否し、TUと預けた猫を返しに来た友人にそれぞれ数分、会ったくらいか。
3週目からは買い物にも出かけた。
実は陽性だったとなれば「陽性たちが胸を刺激」することのないように、生活を改めなければならないだろう。
もっとも、自宅にいるのが僕には1番の隔離状態であるが。
4週目、再度別の病院で検査を受ける必要があるだろう。
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2週間寝ていて、気がついたことがある。
他人の具合が悪くても、とりあえず自分の用件ばかり話したり伝えてくる人間がいる。
そう言う人間は、合間で思い出したようにこちらの具合を訊ねてくるが、それは心配としてはかなり下品に感じる。
またTUのように、自分にできることを勝手に考えて、自身でリスクマネジメントして援助してくれる人もいるし、妹のように「頼まれたら何でもする」というスタンスの人もいる。
こうした人たちは、品がどうこうというより、とても心強く、ありがたいものだと感じる。
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僕はブログなどでは饒舌だろう(僕が沈黙していると、そもそも更新されないわけだ)が、実生活ではほとんど何も語らない。
たとえば僕が叔母に何をされたから死後も憎んでいるかなんて話は、ほとんど誰も知らない。
見せていないし、説明する必要も感じない。
誰かにとって(あるいは世間一般にとって)何らかの意味や価値があって、一方、自分にとっての意味や価値が異なることなんていくらでもある。
僕は自分の価値観をとてもひいきにするイキモノである。
だから僕以外の誰でも、同じように自分の価値観を大事にひいきしているし、したいだろうと考える。
するとよほどの意味がない限り、僕に固有の価値観を基準にした反論なんて、効果をなさないと結論できる。
その固有の価値観は、僕が持っていて、判断の根拠にして、行動するときにだけ意味や価値を発揮する。
僕の価値観が、読者にミーム汚染を起こすことも考えて、だからなるべく目立たないようにはしているし、たとえ気持ちは嬉しくても、僕の意見や感覚に賛同してくれた人に安易に同意して一意的な場を作りたくないと考え、思ってもいないアンチテーゼをしたりしてコミュニケーションがギクシャクしたりしてしまう。
ブログやそのコメントでもこの有様だから、実生活での僕が、ほぼほぼ独りで生活できるのも道理というものだろう。
他人が不要だとは(今でこそ)思っていないが、関わる人間が多いことが有利だと個人的に感じるのは、綱引きと、公園の清掃ぐらいだろうか。
綱引きの場合は対戦相手も「関わる人間」な訳で、やはりそういうのはいない方がいい。面倒だ。
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身体が大きいので偉丈夫に錯覚されがちだけれど、やはりこの身体はとても弱い。
他の同世代の男性は、まだまだこれから! という熱意があるし、基礎的な体力や抵抗力が違うと子供の頃から感じてきた。
数年前も、突然の発熱ののち、消化器系が2ヶ月ほども使えない時期があった(あのときも原因不明のまま、医者に行くことすらできなかった)が、肉体的な生命力が、そもそも、弱いのだろう。
筋肉も、多少は発達しているが、僕の身体は昔から同程度の体格の人より遥かに出力が低い。
やはり子供の頃からケガをして、とんでもなく痛く感じる上、なかなか治らない体質のため、無意識にいつも力をセーブしているのだ。
これが筋トレをしても筋肉が付かなかった原因だろう。僕はこの身体で、うまく力を使う術を知らないまま死ぬことになるが、それが摂理だろう。
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ケガについては、肌や骨が子供の頃に比べれば頑丈になったから耐性がついたが、もともと低い免疫力は下がり続けている。
今回もしも陽性であったなら、既往症が血管や血液に作用するのだから、何らかの重篤な症状が突然訪れることもあるだろう。
もっとも、それとて子供の頃から予期してきたことだ。
仕損じていることを、早く完了させたいものだと、心から思うが、やはり他人が関わっていて滞っているわけで……。
<最近ヒマだから、世界を滅ぼそうと思うんだ>
















