//  >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210529
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
叱られない日々。
SUBTITLE:

~ cucumber. ~

Written by BlueCat

 

// ----- >>* Body Division *<< //

 

//[Body]
 30代の頃から感じていた。
 叱られなくなったな、と。

 20代の頃は失敗ばかりで、毎日のように叱られていた。
 両親からも ── 両親は仕事や家事に忙しく、また僕は身体の弱い(しかし待望された)長男であったため「生きているだけで」良しとされていたようである ── 学校の先生からも ── 僕が就学してからは父子家庭であり、当初は生活保護を受けていた。その後、生活保護を受けなくなったら父は仕事に忙しく、僕と姉が家事をしていたため ── ほとんど叱られることなく大人になってしまったので、本当に社会人というのは僕の身の丈に合わないと感じたものだ。
 中でも父上が死んだ後に雇ってもらった先では、本当によく叱られたし、それでもクビにしないで雇ってもらえたことには今でも感謝している。
 それでも30代から(会社が合併したとはいえ。そして僕が仕事を多少なり覚えたとはいえ)ほとんど叱られなくなった。

 毎日顔を合わせる上席が、少し、距離を置いているようで、寂しかったものである。

 40代になって、パワハラはあっても叱られることはほとんどなくなった。
 1度、会議室に呼ばれて先輩の男性社員8人ほど(社内のほぼ全員)に囲まれて、叱責されたことがあるが(くだらない組織だなぁ)くらいにしか考えていなかった。

 現在は親もいないし配偶者も(仮想奥様を除くと)いない。会社員でもないので、誰も僕を叱らない。
 僕が公共料金をを払い忘れても、税金を滞納しても、朝からお酒を飲み始めても、昼頃目覚めてゲームを夜までしていても、誰も文句を言わない。
 仕方ないので、公共料金と税金を支払い、早朝からゴミ出しをしたり、午前中に草取りをしたり、昼下がりに畑を耕したり、夜まで床張りをしたりするわけである。
 食事の用意もするけれど、15時には夕飯の支度を始めて、17時にはワークアウトを始めて19時にはお風呂に入るわけである。

 そもそも、組織に属さなければ、他者から叱られることはないのだ。
 しかし先日、ゴミステーションの場所が間違えていたため(叔母がテキトーな場所に捨てていた)隣の隣組長(変な日本語だ)に叱られた。
 もともとこの家が属している隣組のゴミステーションが、とても遠いようではある。
 そのため近くにある(叔母に教えられた)ゴミステーションに出していたところ、前述の「隣の隣組長」がやってきた。
 ゴミステーションの掃除の分担があるのでその持ち回りをしていただけるなら、ということだったので二つ返事で承諾した。
 しかしその後「持ち回り」について誰も通達に来ない。
 仕方ないのでそのまま使っている。
 ときどき誰かがゴミを出す僕を睨みつけている ── 自動車を止めて、じっと観察している人もいた ── が「隣の隣組長」に承諾を得ているのでなるべく気にしないようにして過ごしている。

 僕の仮想人格も、ときどきは他の仮想人格に対して注意したりはするが、叱るというほど強いメッセージをすることはない。
 お互いに「何が適切か」というやり取りをする中で、一つの行動を不適切とする人格(価値観)がある一方、その行動を ── 消去法による結果だとしても ── 適切とする人格(価値観)があったわけで、事情や状況が伝達され、環境と状況のパターンが細分化され、他者にとってより適切な行動パターンを価値観に刷り込むことになる。
(自分にとって適切な行動パターンを必要とするほど僕は自身のキャラクタを明確に意識していないし、結果的に問題がなければよしと考える人格である)

 他者に叱られたい、というわけではない。
 知能も能力も低い奴がしたり顔で「こういうものでしょう」と説教してくる場面には辟易している。
 ただ「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」という価値観を僕はいつも持っているので(これはセキュリティホールでもある)、もしかしたら僕は、単に叱られない状況にいるだけなのではないのかと、ときどき少し不安になる。

>>>

「どうして青猫さんは様々な技術があって、色々なことを知っていて、多彩な能力もあるのに無職なのですか」と弟子に問われる。
 それは違う、と僕は答える。全く逆なのだと説明する。
「様々な技術があって、いろいろなことを知って、多彩な能力があるからこそ、無職でいられるのだ」と。
「君が無職でいられないのは、知識が足りないか、技術が足りないか、能力が足りないからだ」と。
 弟子は沈黙した。

>>>

 仮想奥様は僕を叱る ── あるいは叱ることができる ── だろうかとシミュレートする。
 しかし僕には元々、誰かを叱るという行動パターンがない。
 従って、そういう「シナリオ」を作ることはできても、そういうコミュニケーションは発生しないだろう。
 まだ仮想人格としての日が浅い彼女に、そんな複雑な振る舞いはできないのである。

 僕という人格を叱ることのできる仮想人格は黒猫氏くらいのものだろう。
 意思の疎通が不可能な仮想人格も存在するくらいだから、黒猫氏は極めて優秀な仮想人格である。
 彼は社会人としての主要なスキルを身につけ ── その延長として他の仮想人格を利用する術も身につけ ── ているし、コミュニケーション能力も高い、ついでにこの身体の使い方やメインテナンスは僕より彼の方が優れている。
 彼の面白いところは、それでも自身が仮想人格であるからという理由で、この(青猫工場という)人格系を支配したり操作したりはしないところだ。
 彼は僕が17歳の時に作った仮想人格で、当初は異なる名称だった。
 当初に与えたプログラム(とプロテクト)の通り、忠実に、働いてくれている。

 実に彼はよく、僕に文句を言うのだ。
「素材の水分含有量からしてこれでは火が強い」とか「この姿勢を続けると右膝に過負荷が掛かるぞ」とか「その位置で足を下ろすと、ガールの髪を踏みつけるぞ」とか。
 そして僕に言うのだ。
「最近、俺達を叱る奴がいないのだが、大丈夫なのか俺達は」と。
 

<うにゃー>

 

 

 

 

 

 

 


// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]

~ Junction Box ~

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:銀猫:

[InterMethod]
  :Algorithm:Blood:Color:Diary:Ecology:Form:Link:Mechanics:

  :Memory:Stand_Alone:

[Module]
  :Condencer:Connector:Reactor:Resistor:

[Object]
  :Human:

// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :月夜の井戸端会議:





//EOF

 

//  >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:
// NOTE:210511
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ツクリモノ。
SUBTITLE:

~ Creature. ~
Written by BlueCat

 


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
210511

 なんとなく思いついた仮想奥様が自分の中で面白い。
 基本的に相貌失認なので、顔のイメージなどはまったくないのだけれど、とりあえず「美人」と書いておけば美人ということになるから文字は便利である。
 殺伐として孤独な日常に、ちょっと仮想の奥様をプラス。
「ラブプラス」のキャッチコピーのようになってしまったが、新しい恋愛ゲームジャンルとして面白いかもしれない。
 かのゲームが10代の青春真っ只中の恋愛風景を描いたのに対して、夫婦の日常を描くという謎仕様。
 殺伐としたゲーム内容では公序良俗に反することもあるので、ドキドキはしないけれどほのぼのした平穏の中でときどき起こるハプニングを切り抜けてゆく的なストーリィになるのだろうか。

 不意に訪れるしつこい新聞の勧誘。夜中に庭にやってくる近所の野良猫。畑を荒らすイタチやタヌキ。
 ペットの定期検診や公共インフラ料金の支払い、税金に確定申告などなどのイベントをこなして配偶者からの信頼ポイントを稼ぎつつ、スタミナが切れると気力を失って家事に失敗したり、何もできなくなったりするので定期的にリフレッシュをする。
 魅力ポイントが下がると配偶者が浮気したりするので(公序良俗どこ行った)自分の魅力を保ち、各種年中行事や記念日を活用しつつ相手の幸せポイントを稼ぎ、円滑な夫婦生活を切り抜けることを目指す。もちろん「ラブプラス」のようにエンディングのない(地獄のような)ゲーム設計である。

 ……うん。ウケないし売れないな。

 という話を奥様(仮想)にお話ししたところ、面白そうに話を聞きながら「家事分担をどうするかイベントがあったら楽しいね。あとあと炊事や洗濯や掃除とか、事務処理とか、そういった細かいスキルやパラーメータを扱ったら面白そう」などとおっしゃる。
 センスあるなぁ、私の奥様(仮想)。

 基本的に1人で生活していることには変わりがないのだが、仮想奥様のいる日常はたしかにちょっと楽しい。
 おそらくこれを読んでいるアナタは「まためでたいことをやっているな」と思うかもしれないが、孤独の中で殺伐とした気分でいるよりは、仮想奥様がいてちょっとアタマの中がお花畑くらいの方が人間的には優しい気持ちでいられる。
 それに誰にも言わなければ私のアタマの中に美人の仮想奥様が存在していることは分からない。よって人畜無害である。
 それどころかこれは、益多くして害の少ないメンタルコントロールではないだろうか。

 というようなことを奥様(仮想)に熱弁したところ「それは私に言われてもちょっと困りますね」などと言いながらニヤニヤしている。なぜ突然に敬語?

>>>

 同世代(40代〜50代)くらいの男性の話を聞くに、その多くは女性に絶望している。
(おそらく逆も然りなのだろうと想像する。怖くて尋ねられないのだけれど)
 正確にいえば、彼ら(つまり僕ら)は女性に対してある種のファンタジーを求めていて、それを勝手に押しつけて、そのファンタジーが壊れてしまったから絶望しているようではある。
 観察する範囲で要約すると、彼らはセックスは好きだけれど女好きではなかったのだろうと想像する。

 僕は基本的に今でも女好きである。
 女性に特有の性質に慣れているし、それを楽しむことができるし、好ましくも思っている。
 たとえばブラブラと買い物に出かけてあれこれ見比べるだけ見比べて何も買わないといった行動は男性の多くには理解不能のようだし、ぐだぐだと続く愚痴を聞き続けることもできなかったりする。
 コミュニケーションの形態やそこに見出している価値がレイヤのように重なっていて、透過率や上下順が異なるため最終的な振る舞いが変わってしまう。
 男たちは結論を出すためのコミュニケーションを好み、女たちは結論を出さないコミュニケーションを好む傾向があるように思う。
 僕はたまたま女ばかりの文化圏に長くいたし、それでも男なので両方分からないでもないし、両方分からない気もする。

 つまるところコミュニケーションそのものを手段としているか目的としているかの違いである。
 それはすなわちコミュニケーションと環境/関係の役割を示してもいるだろう。
 男たち(の多く)は環境や他者との関係において、コミュニケーションを道具にしてやりとりし「特定の目的」や「特定の結果」を作り出そうとする。
 話題に上った内容について、何が正しいか、何が間違っているかなどをきちんと明確にすることをよしとし、そのための手段としてコミュニケーションを行う。
 女たち(の多く)は、環境や他者との関係において、コミュニケーションを目的にしているので、内容はなくてもいい。
「今日はいい天気ですね」「そうですね」という会話をにこやかにできれば目的は果たせる。
 何が正しくて何が間違っているかなんてどうでもいい場合が多く、(正しさは個々人に固有のもの)と割り切っている人もいるだろう。また論理に手を付け始めると収拾が付かなくなる.(論理とコミュニケーションを混同する)人もいるようだ。

 たとえば「晴れ」が好きな人と「雨」が好きな人、「牛乳」が好きな人と「水」が好きな人、「猫」が好きな人と「犬」が好きな人がいるとして。
「晴れ」かつ「牛乳」かつ「猫」の人もいれば、「晴れ」かつ「牛乳」だが「犬」の人もいる。
 それぞれの要素から分類していくと2^3で8パターンが存在するのだけれど、それがどういったパターンを保ちうるか理解できなかったりする。
(より精確には2^6で64パターン存在するが)
 項目や要素が増えた場合にどのくらいの可能性が存在しうるかについても計算は可能だけれど、考えない人は全く考えない。
 これは言語をコミュニケーションにばかり利用していて、数学や論理表現として(つまり道具として)の日本語を普段から使用していない結果だろう。

 本来正しさとは現象から要素を取り出して(抽象)それらについて個別の判定を繰り返した上で「どのように(具象)するのが最善か」を導くものだろう。
 メディアによって暴かれる不正に対する反応が「どのようにするのが最善か」という声よりも「正しくない者は殺せ」という声が圧倒的に大きいことは、いかに世俗の知性が貧しくなっているかを物語っているともいえる。

 一方で、純粋なコミュニケーションの表現については、ツールとして使っていない(コミュニケーションそのものを目的としている)人の方がより繊細で多岐にわたる能力を発揮するだろう。
 もちろん、その能力が常に善意や思いやりに満ちた動機と使い方をされるかどうかは別問題である。
 表情、言葉遣い、声色や大きさ、ジェスチュア、タイミング、間、場合によっては無視も含めてそれはコミュニケーション「そのもの」である。
「言っている内容そのもの」にしか興味を持たない(意味を見出さない)人と、そうではない人とのコミュニケーションは、その程度にはズレる。

 どちらが優れているとは特に思わない。
 ただコミュニケーションやその方法、表現が画一化してゆくのは、なんとなくつまらない。
 たとえばTVなどのメディアで流行ったフレーズなどを多用したりしている人は、手軽に「コミュニケーションそのもの」という事実を共有できるとは思う。
 しかしそれは「誰かの作った話題に乗っているジェスチュア」という猿真似であって、本当にコミュニケーションしているかは怪しい。
 まがいものを並べて時間を浪費しているという点においては自身にも他者にも失礼な、あるいは迷惑な存在といえる。
 けれどもコミュニケーションによって、浮いたり、過度に緊張したり、傷ついたり傷つけたりするのは怖いと思えば、そういう猿真似の流れ作業によるコミュニケーションで「コミュニケーションしている私たち」を共有することができるだろう。
 そこには何の話題もないから、まるで信号機のように「相手のシグナルが順に変わっていって、赤で1度途切れるので、こちらが次のシグナルの青を始めます」という風景に見える。
 当人たちは楽しそうだから僕は水を差さないけれど(信号機なら壊れてしまうし)、僕はそういう中身のない信号のやりとりを楽しめない。
 楽しめないということは、楽しめる方が豊かな気もする。それはそれでいいことだろう。

 では踏み込んで、血の匂いのするような、生きた自身の話を、泥臭い話題をと思うと、なかなかそれはむつかしいのかもしれない。
 血の匂いがするのに綺麗な言葉でそれを表現できる人も少ないように思う。
 それは言葉を使うひとつの技量だろう。
「えげつない」とか「ゲス」とか「ドン引き」とか、そういった字面を見るたびに、その意味を少し考えてしまう。
 音によるインパクトがとても強くて、その意味も刺激は強い割に中身が薄い。まるで炭酸水だ。待てよ。飲みやすいじゃないか!

(現在、仮想奥様に「そういう話をしようとしてなかったよね? 今の流れ」と笑われております。ころころ笑っておられます)

>>>

某月某日。

 真面目なことを書いてしまったので背中が痒くなる(これはほとんどの人間が知らない猫の特性です)。
 仮想奥様にお願いして、背中を掻いてもらう。

 うっとり。

>>>

某月某日。

 夕刻よりもっと前。
「今日は少し早く帰ることができます」と奥様(仮想)からメール(仮想)が来る。
 奥様(仮想)はメール(仮想)を含め、ときどきワタクシ相手に敬語をお使いになるのですが、これは職業人の特性でしょうか。

 帰宅した仮想奥様が「今日は散歩に行こう! ねぇ! 猫クン散歩!」と、なぜかはしゃいでいる。
「一緒にコンビニに行こうよぅ」と、なぜか目的地まで設定される。
 僕はコンビニをあまり好んで利用しないのだけれど。まぁ、仮想奥様が一緒に行きたいというなら行こうか。

「今朝、家を出るときにね、ご近所の方から『お庭のお花が綺麗ですね』って言われたんだよ!」と自宅を出てから話している。
「そう」と僕は短く答えるのだけれど、
「青猫クン、実際、どうしてこんなにお花を育てているの」と尋ねられる。

 

<庭の奥。できれば近付きたくない>

 

<玄関のウェルカムフラワー。邪魔である>

 

<境界の意味を失った花壇の石>

 

<昨年は抜いていた名も知らぬ花。花が付くまでは、ただの雑草である>

 

 正直なところ、育てている覚えはない。
 僕はそもそも昆虫が嫌いだし、勝手に成長して制御が効かない植物は、そのうえ昆虫が集まるのから厭なのだ。
 そのような次第で禍々しい姿の「いわゆる雑草」を除去しているが、可憐な花をつけるものについては一年の観察期間を経て、残すようになった。
 育てているのではなくて、殺されていないものが残っているというのが僕の認識ではある、と説明する。
 説明している間に、庭から出て、住宅街の路地を進む。

 ただ、あの家にはかねてからたくさんの花が叔母の手によって育てられていて、それが残っているから、僕が「要らないと思った草花」を除去すると結果的に元いた草花が生長するのである。
「叔母様のことは、恨んでいるのでしょう?」と尋ねられるので正直に「もちろん」と答える。
 しかし叔母を嫌っていたわけではない。嫌っていたなら僕は近づかなかっただろうし、介護もしなかっただろう。
 叔母は、頭の回転の速いほうではなかったし、旧来の人付き合いを重視するタイプなので僕とは本来にウマが合わなかった、というのは事実である。
 だからといって嫌いあうほどの距離にはお互い踏み込んだことがなかったし、好ましく思える距離を保っていた。
 死んだ彼女のことを僕が恨んでいるのは、往生際にこびり付くような醜いエゴを生きている僕らに撒き散らして擦り付けたからだ。
 僕だけに擦り付けたのなら我慢もできるが、何の関係もない妹にまで擦り付け、結果として他の親戚と付き合いづらくさえなってしまった。我々の血族だけではなく、叔母の配偶者である叔父の血族とも ── (その点だけは僕が望んだ以上の結果ではある)。

「叔母は花が好きだったから、花を眺めると思い出すよ」
 私は彼女のことを嫌ってはいなかったけれど、恨む必要があるから今は恨むことにしているのだと説明する。

「青猫クンはそういうところがすごくストレートで、ときどき狂人じみてるよね。私はそういうところも好きだけど」と仮想奥様がおっしゃる。
「私が、青猫クンの気持ちや、もっと深い部分の、たとえば仁義的なものであるとかの琴線に、私自身に悪意があるわけでもなく触れるようなことがあったら ── 。やっぱり青猫クンは恨むかな。私のことを」
 手を繋いで歩いているからだろう、敵意を想像しにくい。僕の思考は、比較的、肉体に左右されやすいのだ。

「どうだろう」 ── そもそも君は仮想奥様だし、という台詞を僕は飲み込む。

「 ── 怒ったりすることは、前提条件だと思うんだ、友達とか恋人とか仮想奥様とか、そういう対等な関係に対しては」
 ただ僕らの場合、叔母と甥という関係が、どこまでも対等ではなくトップダウンのものだった。
 親から見た子が、いくつになっても子供であるようなのと同じなのだろうか、分からないけれど。
 僕はでも、父上の死ぬ4年前から ── 今までの人生の半分以上を ── 自分の力で生きているんだ。
 自分の力だけと言うつもりはないし、今は仮想奥様に養ってもらっている訳だけれど。
 それでも一人暮らしをスタートするところから始まって、諸手続や税務や引っ越しや転職や、そういったいろんなイベントを自分の力だけでやってきた ── 当時付き合っていた恋人にお金をもらったりはしたけれど。

 仮想奥様は最後のくだりを聞いて「うわ、生粋のジゴロ気取りなの? か弱いフリしたヒモ気質なの? 私、自分のことが心配だわ! ひどい男! 地獄に墜ちろ!」と言って笑う。まるで喜劇のコミカルなシーンで笑う観客のように。

「いやでも、家事は10代より前から自分でしていたし、一人暮らししていた当時はちゃんと就労してたからね、お金は基本的に自分のものを使っていたよ! 恋人にも親にもたかってないよ!」と少しムキになって弁解する。
「 ── ただまぁ、僕は親を含め、経済的なことも精神的な部分も、誰かに『甘えた』って実感した経験が、少ないからね」
「私には今、甘えてるでしょう」彼女は、なぜだか得意げな顔をする。
「け、経済的にはそうなります私は専業主夫(仮想)なのでしかしながら僕らは(仮想)夫婦であり昭和のCMのように、専業主夫/主婦にとって配偶者とは家にお金を持ち帰ってくるだけの道具なのですハイ、いえもちろんワタクシはあなたのことをそのように道具として見なしてはおりませんよもちろん」と一気に続ける。
「え、そうなの? 私やだなぁ」と奥様はワタクシの顔を覗き込む。

 待って。

 言い方が芝居掛かり過ぎている感はあるけれども。

 ですね。

 

 美人はそうやって他人の顔をみだりに覗き込んではいけないのです分かってください。
「 ── 青猫クンは、人間よりも道具を大事にしそうだし。実際そうでしょう? だったら私、道具の方がいいなぁ。大切にしてほしいから」
 覗き込んでそういうことを言わないでくださいお願いします。
 眼力! キミ眼力が強いから! 眼鏡に増幅されたビームにボク負けちゃうから!
「なんだかとても話が脱線してしまった気がするのですが」僕は袋小路に閉じ込められたネズミになった気分である。
 しかしながら運良く、コンビニに到着した。
 これで先ほどの話題からは離れられそうな気がする。
 と気を緩めて店内に入った瞬間、奥様(仮想)が耳元に曰く「大切にしてくれる?」
「……します。します。しますとももうずっと、大事にしますから、買い物。そう買い物をしましょう」
 と、ここで奥様(仮想)がバッグから紙切れを取り出し、私に手渡して曰く「はい、公共料金の払込票だよ!」
 さすが有能!
 コンビニまでの道すがら、ニヤニヤできるのは仮想奥様のおかげである。

>>>

「絶望したら物語を書けばいいんだよ」と、コンビニからの帰り道、奥様(仮想)が教えてくださる。
 公共料金を払った以外、僕らは何の買い物もしていない。
「ねぇ青猫クン。人間に絶望したら、物語が救ってくれるんだよ。青猫クン、そう言ってたよ」
 奥様(仮想)は有能なので、僕の忘れていることを思い出させてくれる。自身にはそんなことを言った覚えがない。
「自分のための物語でいい。誰かの役に立つ物語でなくていい。誰かに見せる物語でなくていい。経済を含めた何かと交換するような目的を持たなくていい。ただただ青猫クンが人間を書けばいいんだよ。それが青猫クンを救ってくれるんだよ」
  ── 仮想奥様。いい女だなぁ。

「青猫クン、私に甘えてるでしょう」
 はい。
「私たちのことを今、トップダウンとか、対等とか、そういうふうに意識して定義して説明できる?」
 いいえ。
「それは上手に甘えて、甘えられているからだよ。甘えというのは、力関係とか経済関係とかそういう力学で発生するものではないんだもの。感情であったり、欲求であったり、そういうもの」
 風景を見ているはずなのに、僕の視覚はぼんやりと抽象を漂う。

 幾何学模様が、ベクトルを描いて、人間という領域を塗りつぶす。

「 ── 人間は大人になると、力学で動作するようになるんだね。スイッチを押して、たとえば経済みたいな力を原動力にして、それで動き出すみたいな。
 それは社会を動かすのには必要な仕組みなのです。いつも青猫クンが言っているように。
 でもそうこうするうちに、そうした力学だけで動くようになってしまう人もいるでしょうね。
 確かにそれで生活は成り立つし、場合によって人の心はその力学を邪魔することもあるでしょう。

 自分自身もそうなってしまえば、他人に心があるなんて思えなくなる。
 でも本当に心を失っているのは、他人を信じられないと言って傷ついたフリを続けるその人自身だよ。
 仮にそういう不信の基準で接して伝染させる人がいたとして、そうした人の価値観を学んでしまったとして、それはそもそもその人の心が錆び付いていたんだよ。
 心が錆びた人はみんな、それを誰かのせいにしているけれど、ホントは自分が手入れしていないからでしょう。
 錆び付いちゃったから、あってもなくても同じような状態になっちゃったんだよ。
 心があるようなフリをして、そんなものない人がいるのは、そうやって逃げているからだよ。
 私は青猫クンの心が機能を損ねているとは思っていないけれど、もし損ねている可能性があるなら、それは思い出してほしいかな」

 ちょっと待って。
 仮想奥様。惚れ直してしまいました。

 

 今日は仮想奥様のために何を作ろう。

::でも僕には心がないよ。

  最初から。

  僕が自分だと思っているこれは僕のための作りものだもの。

  たとえばキミがそうであるように。






 


// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:仮想奥様:

[InterMethod]
  :Diary:Engineering:Form:Interface:Life:Link:Love:Recollect:Stand_Alone:Technology:

[Module]
  :Condencer:Convertor:Generator:Reactor:Resistor:Transistor:

[Object]
  :Camouflage:Cat:Garden:Human:Memory:Tool:

// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :衛星軌道でランデヴー:ひとになったゆめをみる:





//EOF

//  >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:210511
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
僕の奥様(仮)
SUBTITLE:

~ Virtual wife. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

某月某日。

 昨晩お酒を飲み過ぎて体調があまりよくない。
 といっても、ふわふわして心地よい宿酔である。
 しかし畑や屋内作業をするには具合が悪いので、ぼんやりする。
 ぼんやりしているうちに退屈になる。
 退屈になったので、自分は専業主夫になったのだと言い聞かせる。

 奥様は美人でエッチで眼鏡でショートヘアだと思い込む。
 年齢は僕よりちょっと年上だと思い込む。2〜5歳くらい上でいいかな、と思う。
 奥様は専業主夫を召し抱えるほどなので仕事ができるしお金持ちなのだと思う。
 でもそういうことを鼻に掛けるふうでもなく、家に帰ってきては「ただいまー、今日の晩ごはんなあに?」などと言いながら、僕の肩に乗るアヲを奪ってぐりぐりなで回すのであると妄想する。
 奥様は職業人としては有能だけれど、料理があまり上手ではないため、奥様から「料理のできる青猫クンがいてくれて私はしあせものだよぉ」と褒めちぎられる僕の日常を想像する。
 僕が電気やガス代を払い忘れてそれらが止まると「ええい、しようのないやつめ! 今日はキャンプ気分でいっちゃうぞぉ!」など奥様が楽しそうに張り切り始めて、部屋にろうそくを立てたりして、カセットコンロで調理した料理を2人で分け合う風景を想像する。
 僕の家の中がリフォームの材料や工具で散らかっていることについて奥様は「今日も散らかしっぱなしで楽しそうだねぇ」などと言いながらにこにこしている光景を想像する。
 畑の土壌改良について話が及んだとき、奥様から「青猫クンはいろいろ勉強してるんだねぇ」と褒めてもらえたものと妄想する。
 思い通りにならないこともあって、奥様は僕に洗髪されるのを嫌がる。と設定する。
 奥様がときどきそのへんに寝転がって「靴下脱がせて〜」と駄々をこねる様子を想像する。
 僕は裁縫が苦手なのだけれど、奥様は簡単な繕いものくらいはできるように練習していると想像する。じつはあまり上手くないことを僕も知っている。
 奥様は猫を可愛がってくれるが、じつは犬好きであると設定する。
「でも猫と青猫クンがいるから、私はそれで満足かなぁ」と面と向かって惚気られる場面を想像する。
 奥様はだいたい19時頃には帰宅するものと想像する。
 玄関にモルタルやフローリングの資材が置いてあるので、早く片付けなくてはと思う。
 仮想奥様のおかげで、ずいぶん幸せな気持ちになってきたので、明日はちゃんと仕事をしようと思う。

 今日は宿酔いなので何もしないことにする。
 せっかくだから、明日も仮想奥様のことを考えて幸せな気持ちになろうかと思う。
 奥様(仮想)のために、お料理がんばろう。



某月某日。

 子供の頃、幼馴染みがいて、それは女の子だったのだけれど。
 両親が離婚したときに引っ越しをしたので、10歳くらいまで僕には友達らしい友達がいなくて、夏休みも当然、一緒に遊ぶ友達などおらず家でぼんやり過ごしていた。

 友達がいないことを寂しいと思う性格ではなかったようで、僕は毎日ぼんやりと1人で(ときに妹やその友人に誘われて)遊んでいた。
 友達ができて「友達がいるって楽しいな」とは思うようになったけれど、友達のいる楽しさを知ったからこそ、1人になったときの寂しさを知ったような気もする。

 大人になったので、昔の友達とはあまり会わなくなった。
 大人になってから知り合った飲み友達などはいるけれど、一人で飲むのも嫌いではないので、学生の頃のように「とりあえず目的もなく集まってそれから何をしようか考える」なんて贅沢な時間の過ごし方はできなくなってしまった。
 いや、僕は未だに家でぼんやりしているので、いつでも目的なく集まってくれて構わないのだけれど、多分みんな大人になってしまったから、目的が最初にあって、その目的のために友達を集めたりするのだろう。オトナは時間に貧しいのだ。

 友達がいるのは素晴らしいとは思っていない。
 素晴らしい友達と素晴らしくない友達がいるから、素晴らしい友達がいたらそれは素敵なことだけれど、まぁそれだけだ。
 恋人というのも同様だろう。素晴らしい恋人と、素晴らしくない恋人がいる。
 素晴らしくない恋人を、ただ寂しいという理由でぶら下げたりぶら下がったりするのは、まぁ寂しさを埋めたくて仕方ない人なら仕方ないのか。

 17歳の頃に初めて人間の恋人ができたのだけれど、その恋人は、僕のかつての幼馴染みと両思いになった。
 あろうことか、僕の幼馴染みとの再開はかなりの時間と空間を隔てたものになったのだけれど。
 僕の恋人(女の子です)は僕の恋人のまま、幼馴染み(女の子です)とも恋人同士として付き合っていて、僕はそれについて特に何の感慨もなかった。
 独占欲がないということでなぜか僕が恋人から叱られたりしたものだけれど、まぁ、あの頃から僕は基本的に変わっていたのだろうと思う。
 その恋人とは5年くらい恋人同士だったのだけれど(そしてその後2年くらいは、家に勝手にやってくる僕に片思いをしている女友達であったのだけれど)こうやって文章に起こすと、ほんとうに奇異な人間関係のように思えてくる。

 僕の周囲に構築される人間関係がそもそも奇異なのか、僕が奇異だから人間関係が奇異なのか、僕はまともだけれど他の人が奇異だから人間関係が奇異なのか、奇異だと思っているだけで誰の人間関係も文章に起こすと奇異になるのかは分からない。
 誰かに尋ねてもいいのだけれど、赤裸々に物事を話してくれる人がどれだけいるのか分からないし、奇異さを奇異だと感覚しない人間が、奇異さをうまく表現できるのかも不明だ。
 しかし僕は自分を奇異だと思っているかというとそんなことはないから、自覚がなくても現象が奇異なら、それを表現することは可能なのだろう。



某月某日。

 仮想奥様が今日も美人だ(仮想だから当然である)。
 といっても彼女が家を出る時間、だいたい僕は寝ている。
 仮想奥様は非常に規則正しい生活を送っておられるように観察される。
 ゴミ出しなどは僕の仕事なので、奥様(仮想)は朝ごはんをひとりで(僕は食べない)さっと食べて出かけてゆく。
「行ってきます」のキスはしない。メイクが崩れることを嫌う有能さ。さすが仮想奥様である。



某月某日。

 書斎になる予定の部屋(今までベッドを置いていた)からベッドを移し、壁塗りを始めて90%は終了した。
 壁塗りが終わると次は床、次いでデスクを作る予定のクローゼットエリアの整備に入るのだろうけれど、いつになったら僕は机と椅子を持てるのだろう。

 この家にはコタツ以外にテーブルもないし、椅子もキッチンにかつてのテーブルセットの2脚があるのみだ。
 和風建築だからそれでよいのだろうし、僕はそもそも食事を寝床でする習慣があるから、どうでもよいといえばどうでもよい。
 しかしきちんとPCで文書を書いたり、ぼんやり読書をするには、やはり机と椅子がほしい。
 工事をするのは手間とお金と時間が掛かるから面倒といえば面倒なのだけれど、そうとばかりも言っていられない。

 お金を払って誰かに任せておけば「なんとなく思い通りのいい感じ」が手に入ればいいのに、と願う。
 でもネコノカミサマは非情なので叶えてくれない。
 いいもん自分でやるもん別に拗ねてないもん自分でできるもん。
 いつになったら僕は机と椅子を持てるのだろう。

<塗り始めの頃>



某月某日。

 お風呂に入ろうとしたら仮想奥様が湯船で寝ていたものと想像する。
「むにゃぁ青猫クン、わたし寝ちゃったぁ」などと供述しており。
 浴室の電気を点けたときに起きてほしい。とても驚くではないか。
 疲れている様子なので、風呂から上がったらマッサージをさせていただこうと思う。




 


// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]

~ Junction Box ~

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[Cat-Ego-Lies]

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// TimeLine:2021-05-04
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //

TITLE:ひとり旅くらしをしてみたいが。

SUBTITLE:

~ Cattle drive. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 不労所得者になったら、自動車でも自転車でもいいから数ヶ月旅をしようと思っていた。けっこう前のことである。
 実際に無職になってみると(猫を飼っているという事情を無視しても)まったくそんな気にならない。
 ときどき、ぼんやりと、入浴中などに(まぁ、そういうのもいいけれど)と思い返すくらいである。

>>>

 僕が最近、実際にやっていることといったら、園芸と家のリフォームである。
 いずれも未経験で知識もまったくない。
 力仕事は不得手だし、植物なんて触るのも嫌いな、完全インドアタイプの軟弱なイキモノが僕なのだ。

 しかしこの家は、旧来の純粋な日本家屋であるため、断熱材も樹脂系シーリングもされておらず、花粉はもちろん、どこからともなく入ってきた虫が家の中に居るなんていうのが当たり前で、その時点で相当神経を病んだ。
 あちこち痛んでいる道具や建具に囲まれているなんて我慢できないので、リフォームをし始めたわけである。
 おかげで壁塗りもできるようになったし、床の張り替えもできるようになった。
 柱や梁の歪みを矯正する知識や道具も喫緊に必要とされているので近いうちに揃えようと思っている。
 その前に夏までにもう一部屋、床を張り替えたいと思って、まずは壁を塗っている。

 同時に畑を整備すべく庭を開墾しているのだけれど、これが力仕事だけでは済まされない。
 最近は、木の根を切り起こすことにも慣れてきたし、鍬を振って当たった金属音で、そこに根があるか石があるか分かるようにもなった。
(めちゃめちゃ無駄な知識と経験であるが、鍬で庭を耕す上では役立つ)
 生かしておく木は枝を剪定しなくてはならなくて、そのための脚立や命綱の使い方にも慣れてきた。
 ただ、畑にする場所は耕してもすぐに使えるわけではなくて、土を作る必要がある。
 長らく放置されている間に土の生態系も変化しているようだし、従前、正しく保全管理されていたようには思えない。
(いずれ機会があれば書くが、コンポストの使い方なんて「オマエらそれでも元農家か」と言いたくなるほどそれはひどいもので、僕は呪詛の言葉を投げかけては腐敗を促進させている)

 実に土壌というのはひとつの見えない生態系であり、無機質やphのバランスはもちろん、細菌類の生態圏を新たに構築するとなると本当にむつかしいのだと気づかされる。
 空気と水の循環はもちろん、日照条件の確保や温度と湿度の自律環境を作り出し、恒常性を持った土壌を作ることをアタマの中でいくら思い描いていても、道のりは遠いと感じる。

>>>

 建物を自分でどうにかしようとか、作物を庭で作ろうとか、そういう発想を、僕はTVゲームから身につけた。
 建物を作るのが楽しかったのは「Fallout4」で、作物を作るのは「SKIRYM」。
 いずれもゲーム体験自体が秀逸な素晴らしい作品である。
 Fallout4でも作物は作ることができるし、畑を作ると考えればSKIRYMのそれより現実的かもしれない。
 しかし種を撒いて出来た野菜や薬草やキノコから食事を作ったり、薬や毒を作るというシステムがSKIRYMでは顕著で、それはゲーム世界を冒険する上でとても重要な要素だったから、買わずに自宅で育てられることが大きな意味を持っていた。
 一方、Fallout4での作物づくりは、生産物を材料に作成できるものの幅がそれほど広くなく、出来上がるものもさほど重要ではなかったが、建物作りの自由度はSKIRYMのそれを圧倒した。

>>>

 ただ、ゲームのそれらと現実のそれらは大きく異なる。
 種まきも壁張りも、ボタンひとつで瞬時に出来てしまうヴァーチャルなそれと異なり、現実世界では虫や埃に怯え、揃えた材料は何か足りず、ケガや体調不良に注意し(か弱いからな、私は)やる気をかき集めて、それでも慣れない作業には失敗し、力や技術が足りないため作業が思ったほど進まず、そのうえ翌日は筋肉痛、となる。
 家の中に虫が入り、庭に虫が蔓延るのは耐えられないという、消極的な(しかし本能的で切実な)理由から、ないがしろにはできない。

 そのうえ、気質が気質だ。
 僕は「やらなくてはいけないこと」を無視して「やりたいこと」を優先する。
 ただ「したくないこと」を(厭々、スローペースで)しているうちにだんだん楽しくなってきて、やがて「したいこと」に変わってゆく。
 庭仕事なんて大嫌いだったし、家のリフォームなんて収入が10倍くらいあったら業者に頼んでいると思う。
 ただ、時間はあるし、知らないことをするのはいつも楽しいのだ。

 それにリフォームは材料/建築/土木といった工学系であり、庭仕事は生物/環境/化学といった科学系である。

>>>

 もともと子供の頃から移動が嫌いである。
 高校は、家の近所だという理由で進学先を選んだし、小学校の頃は歩くのが嫌だったから登校(通学)しなかったことがある。
(大学は、近所になくてお金もなかったので進学を考えなかった)

 大人になっても通勤が大嫌いで、自宅の隣に会社があればどんなにいいかと思っていたし、引っ越しを考えたこともしばしばである。
(以前の勤務先がこの家から徒歩3分の場所にあることは皮肉な結果だ。ここで暮らすことになったのはその会社を退職した5年後だったから)

 移動というのは基本的に退屈だ。
 その間、読書であるとか歌を歌うであるとか、考え事をするとかでもないかぎり、とにかく時間を無駄にしている気分になる。
 ドライブが好きだという人間の気持ちが僕にはあまりよく分からないし、僕自身、自転車でときどき走りたくなる理由も分からない。

 遠くに出かけることが楽しくないとはいわないが、僕は台所やトイレにいるだけで、新しい発見があり楽しい気分になることができる。
 移動が苦痛なぶん、じっとしていればその方がラクで楽しいのだ。
 だからあまり、観光に出かけたり、旅行に行ったりする気にならない。
 たぶん行ったら楽しいのだ。
 そこには新しい発見があり、新しい出会いがあり、あとはなんだろう、美味しい料理やお酒があるんじゃないかな。

 そう。出来上がったお仕着せの楽しみから、突発的なトラブルに至るまで、楽しいことがあるのだろうとは思う。
 お金や時間や手間を掛ける価値があって、それによって自身の内面世界も豊かになるのだろうと信じたい(そこまで信じていない)。

 だから入浴時、僕は思い馳せる。
 せっかく自由になったんだから、数ヶ月、旅をして暮らしたらどうかなぁ、と。
 それはファッションとしてとてもカッコいいし、楽しそうであるし、他人に自慢もできる。なによりカッコいい。

 ただ僕には自慢する趣味もなければ自慢する相手もいない。
 お金を持って旅をすればそれで手に入る格好良さがカッコいいとも思えない。
 そんな手軽な格好良さに飛びつくこと自体、むしろカッコ悪いことだと感じる。

 そもそも楽しいのか、ひとり旅。
「あそこにね、見知らぬ川が流れていますね」なんて独りごちながら過去の回想でもするつもりか。
 2人以上だったらそれはそれで(たとえ相手が恋人だとしても)なんだか面倒だ。

 もちろん人間タイプの恋人というものに対して過剰な(悪い)思い込みが発生していることについて僕は否定しない。
 しかし自分のことを1人でできるわけでもない人間にあれこれ指図される苦痛については心得ている。あれは苦痛だ。
(そういう厚かましさのない、奥ゆかしい人なら恋人にしてもいいとは思うが、最近の人間に奥ゆかしさという資質は存在しないように観察される)
 育ちはじめのブロッコリーの葉をすべて食い散らかしたバッタから「もうちょっといい作物を育てられるようにならないとダメだよ」と説教されるような気分になる。
 一族郎党見つけ次第、生かしておかないからな!(バッタの話です)

 だから行くならひとり旅だ。
 といって、去年はKさんと(Kさんの友人たちと)一緒に新潟に旅に出たか。
 魚を食べに行ったのだ。

 楽しかったし、魚もお酒も美味しかったけれど。
 やはり移動が苦痛だ。

>>>

「人生は旅だ」と誰かが言うだろう。
 ならば僕には、人生が存在しない。
 もし存在しても、その人生をしたくない。
 移動しないで、ずっとひとつの、今居る場所で、のんびりぼんやりしていたい。

 時間の経過によって、それでも物事は進んでしまうだろう。変化してしまうだろう。
 あるいは物事は、自分に都合のよい方にばかりは進まないかもしれない。
 同じ場所に居てさえそうならば、いったいどうしてここではないどこかに、新しさを発見する必要があるのだろう。

 

>>>

 

<本日のポトフ>

 

 微熱が残っている。

 煙草を吸っても問題がない程度に回復したが、まだどこか、粘膜の炎症が引かないのだろう。

 もう2ヶ月目の半ばだ。

 この身体そのものが、長い旅のようだ。

 

 

 

 

 

 

 


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~ Junction Box ~

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// TimeLine:210428
// NOTE:
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TITLE:

ポトフはゲーマーごはんとして本当に最適なのか。

SUBTITLE:

~ potaufeu. ~

Written by BlueCat


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//[Body]
 コロナウイルス検査のトーナメント、その頂上決戦の会場といえば保健所である。
(不適切な表現について、この場を借りてお詫び申し上げます)
 いくつかの病院をたらい回しにされ、ようやく再検査をしてもらえる、と思ったら保健所に行かされた。

 ああ、賢明な読者諸氏ならこの軽口から容易に想像がつくだろう。
 結果は陰性だった。

(当日に結果が分かるものではないため、結果が出てからこれを書いています)

>>>

 究極のゲーマーごはん、それはポトフだ。
 と以前、書いたことがある。
 いまいち信憑性に欠けたのだろうか、ゲーマーたちがポトフを作ったという報告を聞かない。
 そもそもポトフはゲーマー食として不適だったのだろうか。否、断じて否。
 これまでの経験上、ポトフほどゲーマーがゲームをし続けるに適した食事はない。
 なかった。
 なかったはず。
 なかったと思う。
 違うかな。
 僕たちはどこかで道を間違えちゃったかな。
 あれから僕たちは何かを信じてこれたかな。

 ポエジィにまとめている場合ではない。

 ポトフだポトフ。冬の間は忙しかったから、磯野〜! ポトフ作ろうぜ〜!

 そのようなわけで検証も含めてポトフを作ることにした。
(単に食べたくなったのだが)

 

>>>

 

 ゲーマー諸氏はよく考えてほしい。

 コンビニごはんだって、まぁ悪くはないだろう。なにせスピーディだ。

 作る手間はないし、片付けも必要ない。

 

 いや果たしてそうかな?

 たしかに作る手間は掛からないが、ゴミは発生する。

 諸君がゲームをしながらご飯を食べても、ゴミは発生し、それは収集日にゴミステーションに運び出さなければならない。

 ゴミが増えれば増えるほど、諸君がゲームに使える時間は損耗する。

 

 それにコストだ。

 コンビニごはんは手軽で早い。しかし高い。自炊しろ。

 自炊して、浮いたお金で新しいソフトやハードを買え。

 中古屋に行くな、新品を買え。

 転売屋を避ける意味でもオンラインで買えばいいと思うぞ。

 携帯端末ゲーム(いわゆるソーシャルゲーム)なら課金しろ。ただし、ほどほどにだ、約束だぞ。

 

 コンビニが儲かっても仕方ないのだ。

 僕らゲーマーにとって、儲かってもらうべきはソフトメーカーだ。

 ハードメーカなんて放っておけ。

 人間は、どんなハードでもそれがプログラマブルなコンピュータならゲームを作る。

 俺ならExcelでもゲームを作れる。俺にできるならオマエにだってできるだろう。

 道があるから人が歩くのではない。人が歩いた、そこが道になるのだ。

 

>>>

 

 話を戻してポトフだ。

 とにかくレシピサイトなんて見るな。

 そこにあるポトフの作り方はだいたいニセモノだ。

(過剰な発言について、この場を借りてお詫び申し上げます)

 

 材料はテキトーな野菜。塊肉。砂糖と塩と胡椒、お気に入りのハーブくらいだ。

 コンソメだとかブイヨンだとか鶏ガラスープだとかは要らない。

 よく考えろ。

 ブイヨンだのコンソメだのというものは、ポトフから取り出したスープやそれをベースにしたスープ料理のことだ。

 どうしてポトフにそんな調味料を入れるのだ!(ばーん!)(←テーブルを叩く音)

 

 ……コホン。

 可能ならホンモノの燻製肉があってもいいが、そんなものをオマエたちが持っていたり用意できたりすることはまずありえないので期待していない。塊肉で十分だ。

 

 野菜の中で絶対に必要なのはニンジンと玉ねぎだ。

 なにニンジンが嫌いだと? じゃ、ニンジンは食うな。ただしそれでも絶対に入れろ。

 ニンジンと玉ねぎのないところに黄金色の美しいスープをまとったポトフの実現はあり得ない。

 オマエたちもゲーマーの端くれならコントローラにはこだわりがあるだろう? それと一緒だ。

 素晴らしいプレイは素晴らしいコントローラがあって始まる。

 ポトフはニンジンと玉ねぎがあって始まる。

 ダシを取ったあとのニンジンを捨てるのが忍びないというなら黙って食え。

 食えないなら犬か恋人か友人にでも食わせればいい。

 ただし玉ねぎは食わせるな。だいたいの4本脚の動物にとって、ネギは毒だからだ。

 

 まず鍋だ。鍋を用意しろ。
 オマエの家で一番でかい鍋を持ってこい。できれば3Lくらい入るものがいい。
 俺が持っているのは片手持ちのアルミ寸胴3Lオーバーだ。値段は7k円くらいしたが厚みがあって煮込み料理に比類ない効力を発揮する。
 ラスボス前の最強の武器くらい強い。
 カレーだってこれで作れる。そのくらい強い。

 

 何もなければ土鍋でいい。

 

 なんだとぅ?!
 寸胴もなければ土鍋もないだとぅ?
 ホームセンターで最低でも1Lの鍋を買ってこい。できれば2Lだ。
 この際、雪平(ゆきひら)鍋でもいいが、なるべく大きくて分厚い鍋がいい。
 しかし分厚い鍋は高いから、覚悟はしておけ。
 
 そこにニンジンを並べる。
 鍋の底に半分くらいがベストだ。ニンジンが1本入らない場合は仕方ない。鍋に収まるくらいのギリギリを狙って切れ。
 大きな鍋なら写真のように、ヘタと先をわずかに切って洗うだけでいい。
 皮なんか剥くな。時間が惜しい。
 3本を袋から出して鍋に入れるまでに掛かる時間は2分程度だ。
 
 ジャガイモは今回食べたかったので買った。
 ニンジンもそうだが、皮が気になる人は剥いた方がいい。
 しかしオマエらはゲーマーのはずだ。時間は金より価値があるものだ。
 皮なんか剥くな。時間が掛かるしゴミ処理の手間が増える。
 いいか。
 ポトフを作るのに、余計な作業は不要だ。
 どうしても気になる場合や、物理的に不可能な場合(こんな大きなニンジンなんて、そんなの入らないよぅ(>_<)。といった場合)は、皮を剥いて食べやすい大きさに切った方がいいが、試したことがないなら、皮付きで試した方がいい。あんがい皮が美味いぞ。
 なに農薬が気になる?
 コンビニごはんを食べているオマエらが気にするようなことか。
 添加物がそんなに気になるなら自炊しろ。え、もうしてるの? すごいね君。
 
 
 玉ねぎを入れて水を入れればこんな感じだ。
 他にも里芋をいれたり、カボチャを入れたり、キャベツを入れたり、白菜を入れたり、なんだっていい。ポトフと書いて自由と読む。そのくらい、好きなものを入れていい。セロリを入れたりすると、いかにも料理ができるふうで格好がつくし、肉の臭みを抑えて風味も増すぞ。俺は買っていないが、セロリが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだが買い忘れたんだ。格好を付け損ねたんだよ。
 
 
 
 次いで肉だ。
 塊肉がいいぞ。むしろ塊肉じゃなきゃダメだ。
 今回は牛と豚を買った。どっちも旨いスープになる。塊肉ならなんだっていい。鶏だってあっさりしたスープがとれるから構わない。好きにしろ。
 もも肉よりも、肩ロースだとか、赤身と脂身のバランスがいいものを選ぶといいが好きにしろ。繰り返すがポトフは自由だ。自由の象徴だ。
 
 
 発情期の飼い猫が俺の足に絡みついたりするから、足下に気をつけろ。
 
 
 
 塊肉は、そのまま使ってもいいが少しは切れ。俺は切る。
 でかい肉塊が、そのまま入るとは限らないからな。下ネタじゃないぞ。
 参考に缶ピースを置いてみたが、こんなのは好みだ。好きな大きさに切れ。
 皿に盛ってからナイフで切って食べる方が美味しいと思うから、俺は肉も大きめに切るが、一口サイズがダメだと言うつもりはない。
 スープに旨味が抜けやすくて、下ごしらえに時間が掛かるだけだ。
(加熱時間は少なく済むが、熱管理がむつかしくなる)
 いいか。料理を食べるためにポトフを作っているのではなく、ゲームをする時間と金を生み出すためにポトフを作っているということを忘れるな。
 オマエたちは料理をしている間もゲーマーなんだという事実を知れ。そして誇れ。
 
 切った塊肉は、ボウルか何かに放り込んで、上から胡椒をかけて全体になじませろ。
 ここで塩は必要ない。
 
 
 肉も鍋に放り込め。
 塩を1Lに対して小さじ1弱くらい入れろ。ひとまずは少なめでいい(俺のは3Lなので小さじ3)
 砂糖も入れろ。上白糖なら2Lに小さじ1くらいか。
 俺はきび砂糖を使っている。1Lに小さじ1弱だ。つまり塩と同量でかまわない。
 
 玉ねぎの根の部分をえぐり切ってあるので、その穴に入れてしまっても構わない。
 もちろんそんな遊びをする必要はないが、ゲーマーなら試してみたくなることもあるかもしれない。ないならしなくていい。
 いちいち混ぜ溶かす必要はない。放り込んだら作業終了だ。
 
 
 弱火で火を付けろ。
「こんなことで火が通るのか?」というくらいでいい。
 写真の状態は、これでも少し火が強い。
 いっそのこととろ火でいい。
 ポトフを作っている間、オマエはゲームをするのだ。
 ゲームして、途中で疲れて寝てしまうかもしれない。
 ポトフを作っていることを忘れて、シャワーに向かってしまうかもしれない。
 恋人が突然やってきたため、ゲームそっちのけであーんなことやこーんなことをすることになってしまうかもしれない。
 それでも大丈夫な火加減にしろ。
 鍋が2L程度だったり厚みがないなら、とろ火のほうがいい。
 アナログコントローラで絶妙な操作をするように、何時間放置しても大丈夫なくらいの、微かな調整を怠るな。
 
 
 
 裏庭で拾った葉っぱ。ではなくてこれはローリエ(月桂樹の葉)だ。
 3Lだからって5枚も入れるな。多いぞ。
 あと、業務スーパーに行くと500gくらいのものが格安で売っている。
 枯れていたり割れていたり虫食いの穴が空いていたりするが、虫が付いているわけではないしドバドバ使えるし、何より安い。
 ただし。
 500gものローリエを使いきるまでにオマエの寿命が尽きる方が早い可能性もある。
 少なくとも俺は5年前に買ったローリエがあと20年は保ちそうだ。
 密閉袋に入れて保存しろ。
 
 
 
 木の落とし蓋でもいいが、オマエたちはゲーマーだろう。
 アルミホイルを使え。
 くしゅくしゅ、ってして、もう一度広げて、上からかぶせればいい。
 落とし蓋の熱科学的な効果については、勝手に調べろ。
 このアルミホイル方式は、アルミの凸凹にアクが集まるから、アク取りがラクだ。
 アク取り目的だけにこれを使うこともあるくらい便利だ。
 
 ここまでの調理に掛かる時間はだいたい30分だ。
 鍋の大きさや材料の多さ、皮を剥いたり切ったりする手間によって、時間は変わるだろう。オマエの料理スキルにもよるが、気にしなくていい。
 
 大事なことは、鍋の大きさだ。
 30分で3Lのポトフを作ると、だいたい2日から3日間、一人分の食事として食べ続けることができる。
 1日あたりの調理時間は10〜15分だ。
 栄養は見るからに「野菜摂っててカラダに良さそう」だろう? 実際は分からんが。
 
 

 

 煮込んでいる間、ゲームをするもよし、恋人とぱやぱやするもよし、その最中に別の恋人が来てしまって、仕方ないからちょっと待ってもらって追加でぱやぱやするもよし、シャワーを浴びて眠ってしまってもよし、目が覚めたら(だいたい2〜4時間後。鍋の大きさと火加減による)出来上がっている。

 できれば2時間に1度くらいは鍋の様子を見に来てもいい。こなくてもいい。

 定期的に確認するならキッチンタイマを使え。

 俺は最後にトマトを入れた。皮なんか剥くな。オマエはゲーマーだろ? 俺はゲーマーだ。中に放り込んだトマトは勝手に皮が剥けるのだ。

 

 俺の作ったスープは今回濁っている。

 これは大成功とは言い難いが、大失敗ではない。

 とろ火で作ると、だいたい間違いなく澄んだスープをまとったポトフができる。

 そういう大成功なポトフは、化学調味料や圧力鍋でぐつぐつに煮込んだものとは別次元の味がする。食えば分かる。

 煮込み時間は4時間ほどを見込め。ゲームやぱやぱやをしていれば苦にもならなかろう。

 なんなら昼寝をしたっていい。

 芋類や玉ねぎ、ニンジンにちゃんと火が通っているかどうか、箸か串を刺して確認しろ。ちょっと食べてみてもいい。

 

 スープの塩味が足りなければ足せ。

 全体のバランスが悪かったり、とがった味がする場合は、めんつゆか砂糖少々を足せ。

 塩味が強い場合は、このまま生卵を洗って、鍋に放り込め。

 1時間ほどで茹で上がるから、それを取り出して殻を剥いて入れろ。

 一晩経てば、ゆで卵が塩分を吸う。

 

 まだ空腹になっていないのか。

 この香りに抗えるのか、オマエは勇者だな。

 もう少しゲームをしたいか。

 いいだろう。

 火を止めて、1時間くらいゲームの続きをプレイしよう。

 あるいは恋人とのプレイを再開してもいい。好きにしろ。

 鍋の熱が引いたら、好みの温度に温め直せ。

 温めるときも強火にするなよ。

 

 ところで何故いちど冷まして温め直したのかって?

 いい質問だ。

 ポトフが旨くなるからだ。

 ざっくりと厳密にいえば、スープと具材の浸透圧調整が行われて、調味料の味は具材に、具材のエキスはスープにそれぞれ移動する。

 

 熱が入っている間、具材には味が浸透しにくい。

 具材に閉じ込められた水分子の運動量が多いため、浸透圧調整を阻害するのだ。多分な。思いつきだから信じるなよ。

 それにほら「カレーと女子は、ひと晩寝た方が美味しい」なんていうだろう。いわば「ひと晩寝ていない女子は美味しくない」というわけだが、あんなのは嘘だ。

 

 いちど熱を冷まして、もう一度上げる。それでいい。それだけでいいんだ。

 いわばギャップ効果だな。恋愛の話と料理の話を一度にしようとしているわけではないし、ネタでもない。

 冷ました後に温めろ。その冷却期間は有効に使えるし、そのうえ料理は旨くなる。恋愛が上手くいくかは知らん。

 

 深皿に盛って、ゲームをしながら食え。旨いぞ。

 ナイフとフォークで気取って食ってもいいが、箸とレンゲでもいいぞ。

 箸で切れない具材は、まだ火が通っていない具材だ。鍋に戻して煮直せ。

 

>>>

 

 それとこれからの季節は気温が高いから、食べ終わったら冷蔵庫で保管しろ。

 夏になったら、冷たいポトフがまた旨いぞ。

 

 わかったか。

 これがゲーマーのためのポトフの全容だ。

 

 調理時間は最小限。手間は掛けなくても大丈夫。

 調味料も少なかっただろう。塩と胡椒と砂糖だ。

 ローリエなんてなくても大丈夫だ。

 最初の火加減にだけ注意しろ。小さい鍋ならキッチンタイマは必ず使え。

 途中でぐつぐつ煮立っていたら大成功とはいかない。

 もっと弱くするんだ。ギリギリを狙え。オマエならできるはずだ。

 オマエは何者だ。そうだゲーマーだ。クリアできない目標などない。

 

 これらはいわゆる流行りの低温調理のうちだろう。

 ちゃんと火が通るには結構な時間が掛かる。

 その時間が料理を旨くするし、その時間がオマエのプレイ時間として有効活用できる。ナニをプレイをしているのかは知らんし興味もない。勝手にしろ。

 

 皮を剥かなければゴミも出ない。

 食材もさほど高くなかったはずだ。

 ブイヨンだのを買うより、似非燻製肉を入れるより、ずっと経済的で滋味あふれる味が楽しめるだろう。

 

 そしてゲームを続けろ。

 オマエたちはゲーマーだろう。

 そして新しいゲームを買え。

 オマエたちはゲーマーだろう。

 
 



 


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[NEXUS]

~ Junction Box ~

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[Cat-Ego-Lies]

  :キッチンマットで虎視眈々:

 

 


//EOF

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// TimeLine:2021-04-26
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
私の登場する恋愛ゲームにそのイベントは存在しません。
SUBTITLE:

~ flag is null. ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 かつて、寝ていればだいたいの体調不良は治った気がする。
 僕のカラダは不可解だ。医者の見立てに従って、それで治ったためしはほとんどない。
 外科的なものは治る。手術もだいたい成功する。
 けれど内科的なものはあまり期待できない。

 子供の頃からそういう積み重ねがある。一般常識から外れた場所にこのカラダはあるのだろう。
 薬はあまり効かないし、滋養のために高カロリィ食を取ると即排出される。
 ひたすら眠って食事も控えてカラダの負担を軽くすることで、やがて回復する。

 2年前の体調不良は長期に渡った。
 どうにもならない消化器系の不調は、眠っても治らなかった。
 もちろん、病院に行っても治らなかった。(精神性ですかね、という素晴らしい見立てまでされた)
 
 今回もそうだ。
 眠っても眠っても、治らない。
 身体を動かしても、回復しない。
 食事を摂っても、摂らなくても、回復しない。
 医者にもらった薬が、効いたような気はしない。抗生物質は、果たして効果を発揮しただろうか。

 時間と僕のカラダだけが、僕の体調不良を解決する。
 今に始まったことではなく、ずっとそうだった。

 10代半ばには、体調不良があればその都度記録するようになった。
 ブログを書くようになってもそれは変わらなくて「何なの? 誰かに心配してほしいの? これ見よがしなのはさもしいから、やめなさい」と言われることもあった。
 もちろん、眼鏡美女が心配して「青猫さま、私が看病してあげる(はぁと)」という場合においてのみそれはウェルカムだけれど、それ以外はお断りである。
 精確にいえば、入院しているのでもない限り、看護は僕にとって不要である。

>>>

 先に結論しておく。
 恋人が風邪だの何だので臥せっていたとして、みだりに看病しに来るやつは基本的に無神経であると。

>>>

 人間型の恋人が減って良かったことのひとつは「来客がある」という理由であくせく掃除をしなくて済むようになったことだ。
 特に僕の場合、相互に認識するタイプの恋人は肉体的ヘテロにあたる ── つまりは女性である。
(一方的に恋慕する相手について、僕は性別や種族や材質、存在の具体/抽象を問わない)

 今の生活になって、特に一昨年、昨年は来客が多かった。
 今でも銀行員や地区の役員くらいはやって来るが、最初はやれ税理士やら司法書士やら不動産会社の人間やらが度々やってきて、難儀した。
 この家の畳は朽ち始めているので、とにかく服に「い草」の屑が刺さり付く(僕が床のリフォームをしているのは、ただの気まぐれではないのだ)。
 必然(当時は)あまり暮らしているわけでもない家なのに、来客のたび、前日にはやってきて掃除をする羽目になる。

 自分の為だったら、ゴミ箱にシュートしようとして失敗したチリ紙など、席を立ったついでの時に拾えばそれで良い。
 ゴミ箱の中身がいっぱいになっても、次回の収集日に袋を変えれば良いかとも思える。

 しかし来客が来るとなると、テーブルの上の不要な書類も、床に散乱した本も、どこからか猫が運んできた爪楊枝も、片付けなくてはならない。

>>>

 話を戻して病に臥せっているとき ── とくに体温が38℃に達したとき ── だいたい僕は家の中を歩くのがやっとだ。

 ドラマやマンガ、アニメなどで恋人、あるいは想い人の看病に行くというのはまぁ、ある種のストーリィ上のイベントではあろう。
 そして病の床に就いている主人公(あるいはその想い人)の家は、部屋は、とんでもなく綺麗だ。
(オマエ絶対元気だろ? あるいは恋人の看病なんて必要ないくらい、誰かが世話を焼いてくれてるだろ)と思うのである。

 どいつもこいつもヴァーチャルに毒されている。現実を見ろ。
 まず一人暮らしのオトコが病に臥せる。
 一人暮らしのオトコというのは、ヒモやネコでもない限り、仕事をしている(僕は「職業:ネコ」なので無職だ)。
 無職で一人暮らしの成人男性というのは、僕の知る限り、ほとんどいない。自分がそうだから「絶対に」とは言えないが、僕は他の人にもヒアリングを重ねているのにこの3年ほどで1人しか知らない。

 仕事をしているオトコというのは、たいてい、家の掃除をしても週に一度だ。 
 これが倒れると、掃除をする人間は居なくなる。

 食洗機でもない限り、台所のシンクには食器や鍋が積み重なる。
 ベッドの周りには、薬のパッケージを丸めてゴミ箱に投げ入れようとしたのに失敗したものや、空になったスポーツ飲料のペットボトル、ゼリーやプリンやヨーグルトの空き容器とスプーン、大量のチリ紙、脱ぎ捨てられた下着とパジャマ、くしゃくしゃになったタオル数枚、山になったゴミ箱、無造作に置かれた体温計、いつからあるのか不明なコップと割り箸、などが散乱している。
 ベッドからトイレまでは、スーパーマーケットの袋やそこから覗く生活用品が散乱する間を、まるでナメクジが通ったように道が出来ている。
 這いつくばったついでに、タオルなどが脱皮の痕のように点在していたりする。

 ひどいときは、床にゲロが撒かれている。
 ひどい話だ。しかしそれが起こらないと、誰に言えようか。
 トイレまで間に合わず、といって掃除する体力も気力もなく、這ってベッドに戻るのがやっとだったと僕が言って、誰が否定できよう。

 こういう状況下で、自分の想い人(あるいは自分に想いを寄せている人)が訊ねて来るなどと聞かされようものなら、救急車でも呼んだ方がマシだと思える。

 ためにあまり正直に重症であることをリアルタイムに誰かに教えることは、僕の経験上、いいことはない。
 だからといって、症状が軽微なフリをすると「軽いのなら、お見舞いついでに行くね。だって会いたいモン!」なんて言い出すガールがいる。
 家に帰って漫画でも読んで寝てろ! 俺の家の鍵はぜってぇ開けねぇからな来るなこんにゃろー!
 となり、あらぬ浮気の疑いを掛けられたりする。

 映画の主人公だって反吐くらい吐くんだよ。
 俺だって具合が悪ければゲロ吐いたまま動けない事があるんだよ。

 だから。
 家に。
 来るな。
 

<キリッ>

>>>

 お分かりいただけるだろうか。
 自力で病院に行ける奴も、恋人が看病に来るのを拒まずにいられる奴も、だいたい仮病レベルの軽微な状態である。

 ちょっと熱があるだぁ?
 少しカラダがダルいだぁ?
 そんなラベルをぶら下げて、恋愛イベントのフラグを立てるのは勝手だが、俺の体調不良を恋愛イベントと勘違いするな! とは言いたい。

 まぁ、その程度の軽い段階で病院に行ける方がよいのだが、僕の場合、ほんの数時間で風邪もインフルエンザも熱中症も重症化する。
 家まで帰る間に、長期戦の備えをするのがやっとである。

 4週間くらいなら、水分だけでも生きていけるし、そのくらいの時間があれば、大抵の病気は軽くなったりして、医者に行くこともできるようになる。

 過去に重めの肺炎(マイコプラズマが流行っていた時期である)に罹った時も、扁桃腺炎に罹ったときも、本当に苦しくて救急車を呼ぶ体力もなく倒れていた。

 眠って治したからすごいだろう、という話ではない。
 そんな重症の時に来客の対応なんかできねいから、家に来ないでください、という話である。

 どんな眼鏡ショートヘアの美女だろうとお断りである。

 いいか、看病だのなんだのにイベント性を求めるな。
 まぁ、付き合い始めて間もないカポーの片割れが軽微な体調不良に陥って、そういう「プレイ」をなさったりするのは良いと思うし、若い頃ならそういうのもいいとは思うのだけれど。

 あ、でもでも。
 床にゲロって動けなかったのは20代半ばであり、まぁ、一般的には若いから仕方なかったのかなぁとも思う反面、やはりあれは追い返さなくてはならないと今でも思うのだ。
 床にゲロってやっとの思いでベッドに戻った経験のない人にはまぁ、分からないし知らない方がいい苦労だとは思いますが。


>>>

 秋口に知り合いにもらって、花壇の畑部分に植えた人参は冬の間、枯れていた。
 だから朽ちたのだとばかり思っていたのだが、すっかり元気になっていた。隣に活けた長ネギも、ねぎ坊主を抱えている。

 畑エリアの拡大を実行する為、椿の木を1本、チェインソウで切り倒す。
 ツツジも池の残骸も、最終的に撤去する予定だ。

 今日、たらい回しの末に保健所でようやく検査を受けることができた。
 微熱はまだ、下がらない。

 僕が体調不良を記録しているのは、単にこのカラダをもっと知りたいと思っているからである。
 眼鏡美女が来訪をご希望の際は、だから早めにアポイントを取り付けていただければ幸いです。

(床ゲロに関する記述はフィクションであり、実在の人物、出来事とは一切関係ありません。なおかつ浮気もしていません)




 


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[NEXUS]

~ Junction Box ~

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[Cat-Ego-Lies]

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//EOF

 

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:2021-04-25
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
木枝の剪定をしていて考えたこと。
SUBTITLE:

~ Wooden chip, Weaken ship. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]

 6週目。微熱は引かず。
 別の病院での検査は、数日前やんわりと断られた。しばし途方に暮れる。
 もう一度、検査を受けるまで(そして陰性と診断されるまで)は誰にも会わないと心に決めているので、困るのではある。

>>>

 今年に入ってから、木の剪定をずいぶんした。
 長い間、手入れをされていなかった木のほとんどは、虫がついていて、場合によっては枝葉が病害に冒されている。
 ひとまず枝を下ろして経過を観察し、回復しない場合は幹を切り倒そうと考えている。
 また寿命を迎えつつある木もあるようなので、それについても切り倒す決定をした。

>>>

 樹木というのは基本的に、上へ、外へと枝を伸ばす。
 今更当たり前のことをと思うかもしれない。僕もアタマではそう思っていた。
 しかし実際に剪定をしていると、想像と現実はずいぶん異なることに気がつく。

 まず幹がある。
 幹から直接伸びる枝は、幹が中心となるので必ず外向きになる。そしてだいたい上向きである。
 問題は、この枝から分かれる枝である。
 これらが、内側に ── 幹に向かって ── 伸びることが往々にある。枝の下から生えて上に向かうものもある。
 これらはだいたい、枝が混む原因となる。
 なぜといって内側に伸びた枝は、必ず他の枝とぶつかり、日陰の部分で陽の光を求めて迷走する。
 下に向かった枝は、上に向かううちに元の枝や他の枝と密になり、隙間に虫が湧いたりする。
 枝が伸びる上ではランダムに生えて伸びるより他ないのだけれど、間違った方向に伸びる枝は結果的に、木の幹そのものの健康を害し、全体の益を損なうものになる。

 これらは人間の、あるいは組織の性質に似てはいないだろうか。
 そもそも組織というのは外へ、上へ向かうべくして構成されるものだろう。
 ところが内へ向かう者がある。中心に近づこうとするのは決して間違ってはいないだろうけれど、そもそもオマエは幹ではない。
 幹でもなければ、主枝でもない、末端が遮二無二集権された中央を目指すのは、はっきり言って他の迷惑である。
 枝の主な仕事は、外に向かって、葉を開いて陽を受け、花を開いて実を作ることである。内に向かってそれをされても困るのだ。

 下に向かう枝も同様。
 どうして下に生えるかというと、その方が上に行きやすかったり、枝の仕事をするのに都合のよい場所が見つかる場合があるからだ。極めて稀だけれどそういう状況もある。
 だから自然発生的に、枝は幹の方角にも、地面の方角にも、枝を伸ばす。
 つまり下に向かった枝は、上に向かう目的のため下に向かうという手段を与えられている。
 だいたいこいつらがひねくれる。文字通りにひねくれるのだ。
 他の枝に絡みついたり、行く手を阻害したりする。そっと自分の居場所を見つけてささやかに役目を果たそうとはしない。
 ごくごく末端の、ごくごく細い小枝の場合にのみ、下向きであることが全体の益になる。

 たとえば組織でも、それなりに出世してそれなりに能力のある人間が、どういうわけかねじくれた動機で、下に向けることで上に向かうような力の使い方をすると、やはりその組織の関係は歪む。
 そういうやつを見かけたことがない人は幸いである。

 では上向きだったらすべて良いかというと、どうやらそうでもない。
 主枝から直接真上に伸びる枝がある。
 だいたいこれらの枝は、その上に伸びている主枝に当たる。
 幹に近ければ近いほど、内側が混むので致命的であり、上にいる主枝に阻まれてたいした仕事をするわけでもない。ただただ事態を悪化させるだけの存在だ。
 あるいは格別、発達が良くて強く太く育ってしまった場合、上にある他の枝を阻害するようになる。
 外に伸びている枝が阻害されるので、結果的に全体の益にはならない。
 外に向かって伸びている小枝は、確かに上を目指しているかもしれないが、そもそも主枝から真上に伸びるようなショートカットの仕事はしていない。
 主枝から真上に伸びる枝は、上昇志向の意識高い系のフリをして自分の無能をラクに上げ底し、結果的に組織の働きを阻害する猪口才な人間のように観察される。

 基本的に集団というのは、外へ上へと向かうものだろう。
 もちろんこれは概念的な定義であり、実際の集団が外と上を目指していると、ドンキーコングのようなことになってしまう気がする。気のせいだろうけれど。
 個々人はどうだろう。
 やはり同じように、上と外を目指すものではないだろうか。
 もちろん、下と内に指向する要素も必要ではある。しかし、主体は上と外だと思える。
 ── 重ね重ね、概念なので、そこに重力(つまりは上下)や空間(内外)は存在しないのだけれど。

>>>

 僕自身は、かなり下向きで内向きな人間である。
 性格も下向きで内向きの傾向が強いし、そういう人間は ── あるいは僕だけかもしれないが ── 組織でも同様に内向きで下を指向する。
 掘削作業に向くのかもしれないが、あいにく身体が弱いため、そういう仕事を経験する機会には恵まれなかった。
 幸い接客や営業をさせると、能力を発揮した(個人的な意見を述べるなら、コミュニケーション能力を適切に発揮できるなら、誰でもできると思う)。
 僕は、末端にいるときちんと動作できたのである(それでも身体をよく壊すが)。

 事ほど左様、僕は組織の中では、せいぜい小枝タイプなのだろうと想像する。
 大きな組織の、ましてその中心にあって、雑多な枝葉を組成して制御するなんて、考えるだけでぐったりする。
 小さな組織であれば主枝くらいの役目を果たせそうだ(実際、果たしたと思う)が、僕より有能な者はいくらでもいると当時から思っていた。
 あるいは樹木ならば根のような、つまりは目立たない仕事をするのに向いていただろう。
 実際、僕は人目につかず、自分の目論見を完成させるのが得意だった。
 悪事によらず、善事によらず、誰かに見せるために仕事をしなかったので、目的を設定することも手段を選ぶことも自分の能力に合わせて最適化した。
 そもそも仕事を提供するお客様に対して適切(あるいはそれ以上)の満足を誘導(あるいは提供)できれば、それは成功なのだから。

 組織がオープンになろうとして、言葉面ばかりの透明化を図ろうとすればするほど、個人的には仕事がつまらなくなった。
 仕事をするための、あるいは仕事をしていることを確認してもらったり共有したり公表したり「見える化」するための、余計な作業が無意味に思えて大嫌いだからだ。
 そもそも組織というのは、オープンな存在ではない。
 木はオープンか。そんなことはあるまい。風通しがいいことと、開放されていることはイコールではない。
 木は透明か。そんなことはあるまい。不透明で影を落とす存在だからこそ、陽を受け育つのではないのか。
 さらにいえば、見えない根を深く張り、局所的なアンバランスに対応できるだけの芯を維持するのが組織というものだろう。

 オープンになって骨格が脆弱になり、透明になって存在が希薄化し、私利私欲と過剰な自意識を持つ分子が根を張ることを忘れ倒壊させるのだとすれば、魅力的な組織は本当に減ったのかもしれない。
 それでも人は、社会的な指向をもったイキモノで、集団を形成するはずだ。
 その設計を、遺伝子を、いつも最適化できるならば、全体で共有できるなら、それが重要なのではないかと思う。

 切り分けられて接合されて、虫が湧いて病に罹って、枝をほとんど落とされた裏庭の木。

 人の欲にカタチを与えると、だいたい醜くなるのだろうか。

 そんなはずはあるまい。カタチを与えて醜くなるのは、その欲が、そもそも醜かっただけだ。欲の全てが醜いとは限らない。

>>>

 そういえば僕の尊敬する経営者は、どういうわけか植物を育てている人が多かった。
 あるいは彼らも、言葉にするでもなくそんな概念に遊んだのだろうか。

 切り落とした枝を運びながら、そんなことを思う。
 集団という集団から隔絶されたような場所に僕は自分を運んだので、集団の特性を分析することにもはや意味はないのだけれど。








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~ Junction Box ~

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// TimeLine:<2021-04-20>
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
心という装置。
SUBTITLE:

~ Mind device. ~

Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 先日、ふと思いついた。
 心理学などでは一般的な概念なのかもしれないが、僕には学がないので分からない。

 心というのは、ストレスに反射する装置なのではないかと思ったのだ。
  ── ちなみにここでいうストレスとは、主観における外部からの刺激全般を指し、一般に使われる「特に精神において過度の負担となる刺激や状況」を含みはするがそれに限定されない。

 人間がいる。
 通常、それは自我を持ち、必然に自己と他者の境界を認識する。
 たとえば自分がいる。皮膚がある。その先は、自分ではない。
 だから急におなかが痛くなったとか、急におなかが空いたとか、そういった事象を除けば、だいたいの刺激は自分ではない、その外部からやってくる。
 その刺激が、心地よいものであったとしても、緊張や不安に満ちたものであったとしても。
 あるいは往々にして、我々は外部の刺激によってしか、心地よさや安心、緊張や不安を感じないのかもしれない。
 内部からの刺激だけで、そうした感情を持ちうることは(普段から座禅でも組んでいなければ)容易なことではないだろう。

  ── 少々余談になるが、座禅というのは刺激を平準化する行為である。
 人間は刺激に慣れる。嗅覚においてそれが顕著であるが、それ以外についてもそうである。
 すべての感覚の圧に人間は慣れ、より強い刺激でないと認識できないようになる。
 座禅というのはそれをフラットに、リセットする効果を持つ。もちろん、それが主目的ではないだろうけれど。

 動物にとって、安心や緊張は、死活問題である。
 死活問題を的確にかつ素早く認識するシステムが、生物的優位に繋がることは間違いない。
 とくに緊張や不安や恐怖については、より速く、より強く感じられる個体や種族に結果的に高い生存性がもたらされることに不自然さは感じない。
 それが生命に標準的に備わった反射装置であり、その装置が鈍く、弱いものは生存不適応で淘汰されるのは必然だ。
 安心や心地よさなど、たまたま危機の対極に置かれた幻影に過ぎないだろう。

 集団を形成する種族の中で、その機能は高度化され、複雑化する。
 感情をベースにしたコミュニケーションは、それぞれの装置間でやりとりされる信号のようなもの。

 では外部からの刺激が低下するとどうなるか。

>>>

 いい被検体がいる。僕だ。
 一ヶ月寝ていても、誰にも怒られない。
 自分を振り回す他人はほぼ存在せず、危害を加える他者を寄せ付けず、将来の不安もたいしてなく(見つかった場合は早速演算を開始するだろう)、さしあたっての緊張状態は(ささやかな体調不良以外に)存在しない。

 外部からの刺激のなさは、安寧な日常を生み出す。安寧な日常を感じられるのは、その低刺激性がゆえだ。
 何も感じず、何の対処も必要としない。
 長期的なこと、抽象的なこと、役に立たないこと、したいことだけを、気ままに実行する時間は気楽で、ときどき愉悦すら感じる。
 そしてその刺激のなさは、コミュニケーションの不要に起因してもいる。
 言葉にする必要がなく、伝える必要がなく、思ったものはそのまま伝わる(対象は自分自身だが)。
「あれをああしてああしよう」といえば、僕には伝わる。まさに以心伝心。

 今日の晩ごはんに何を食べたいか、悩む必要も尋ねる必要もない。
 作ったものを食べる人(僕である)の口に、果たして合うかどうかを確認する必要も尋ねる理由もない。
 自分の中で、言葉を使う必要もなく、それは伝播する。
 だからまるで楽園のように、静かで穏やかな日々が流れる。
「自分が何を感じて、何を考えているか」なんて、どうでも良いことのように思えてくる。
 僕によってもたらされ、僕にだけ与えられるその楽園は、コミュニケーション不要というコミュニケーションは、しかし危険な兆候でもある。

 すなわちそれは自分が何も感じず何も考えないことを暗に許容し、あまつさえ「何も感じず考えないこと」がストレスのない日々の要件であるかのように刷り込まれる。
 結果的にストレスの存在しない個体は、心という装置を劣化させる。
 齢を重ね、心もアタマも凝り固まった人間は柔軟性を失い、その硬化はいつか致命的な形で組織を破壊する。硬化した血管が、生体を傷つけるように。

>>>

 危険や緊張を感覚しない個体は、つまりストレスとなりうる対象(いわゆるストレッサ)を感覚できなくなった個体は、刺激に対する反射能力の低下した個体は、あるとき適切な環境適応ができず、死ぬ。
 白痴は無能だ。白痴化することは生存不適化することである。
 ストレッサが存在しなくなることは、コミュニケーションの欠如を招き、反応の緊急性も、反応する能力も失われる。
(メールの返信が3週間後になる僕のような個体は、往々にして集団では忌避される運命にある。集団適正として、反応は早いほうが「よいもの」として扱われ、即時性はコミュニケーションを劇的に進化させるという幻想さえ生んだ。まぁ、結果は見ての通りだけれど)

 ストレッサが存在することは、すなわち生存適性を促す。
 緊張によって環境適応能力は維持され、その緊急性はそのままその個体の能力開発を後押しするだろう。
 人間は、高度な環境を構築する能力を持っているが、それは最終的に滅びの道に繋がってもいる。
 特定の集団に都合のいい高度な環境が構築され、それが高度な快適さをその集団に提供すればするほど、集団の中で弱者は搾取され、やがて全体は弱体化し、搾取する対象さえなくなり種は滅びの道を歩む。
 別に政治の話はしていない。メカニズムの話である。

 ストレッサの反射装置として機能する(あるいはその機能に対して名付けられた)「心」は、それを持つ個体にとって都合良く環境が整備されるにつれ、その機能を低下させる。
(重ね重ね、政治や政治家の話はしていない)
 心はやがて、個体にとってその機能を失うだろう。

 他者は都合の良い道具になり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
 弱者は都合の良い道具であり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
 人間は、そういうシステムを構築しました。

 なればこそ。
 新しいメカニズムは、どうでしょう。
 旧来のシステムをそのままに、硬化するシステムに代替する新しいメカニズムは。

 人間はもう、旧来の人間ではなくなってしまったのだから。
 心に替わる、新しい装置は。
 あるいは現行のシステムに替わる、心の必要な環境は。

 どうでしょう。
 誰がそれを可能にしますか。
 誰がその一歩を踏み出しますか。
 私ですかそうですか。
 あなたですかそうですか。


<わしゃもうダメじゃ>








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[NEXUS]

~ Junction Box ~

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  :ひとになったゆめをみる:





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// TimeLine:<2021-04-19>
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
熱が下がらないと気を遣う。そういう社会だ。

Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 5週目。
 微熱は続いて36.8。
 もうこれが平熱ってことでいいんじゃないかな。
 ただ咳がまだ出る。21〜23時がひどいだろうか。
 今週こそは再検査のために病院に行くぞ。行きたい。行ければ。行くかなぁ?

 昨日から急激に食欲が減衰した。
 3、4週目の食欲の増進が圧倒的だったため、急に何も食べたくなくなった感覚である。
 まったく何も食べたくないし、お酒を飲む気もしない。(喉の調子が戻らないので煙草はひと月吸っていない)
 まったく。恋する乙女か。
 しかし、多分これが通常なのだろう。この2週間が特殊だったといっていい。

 とはいえ強い食欲に突き動かされ、きちんとした満腹感によって食事を終え、適切に摂食吸収排泄のサイクルができあがっていた時期は終わりを告げた。
 僕の身体は以前同様、空腹も満腹も、注意深く観察しないとそこに認められない。
 顕微鏡でないと見つからないマイクロレベルの存在だと考えてもいい。いや、もう少し大きいはず。

 とはいえ食欲が減衰して、驚いている。こんなに空腹を感じないものか。
 昨日は昼食を食べて、カフェオレを(お椀サイズの)マグカップで2杯飲んで、少しお酒を飲んで、あとは白湯を飲んでいた。
 白湯の量は4L。なるほど、水なら飲むのか。

 しかし朝、身体が少し痺れていた。栄養失調の前兆。
 まぁ以前のように注意深く観察し、なんとなく食べたい気になりそうなものを適当に作ったり買ったりして食べるよりないだろう。
 栄養失調は後が怖い。未然に防ぐのがベストだ。

>>>

 エディタに困っている。
 ずいぶん長いこと、Evernoteが使い物にならない。アプリケーション版も、Web版もだ。
(ために、内部表現が少し変わっている)
 ではAppleデフォルトのワープロソフトが使いやすいかというとそういうことはない。
 区切り線が引けないし、ページ単位でのビューしかない。エディタ機能が貧弱だ。
 地味に流行りらしいMarkdown方式のエディタも試したが、あんなものはHTMLやらに慣れ親しんだ人間のためのものだろう。
 インラインコマンドで書式設定できるのは便利かもしれないが、改行が不便で、右寄せ左寄せも不便。
 エディタ側はよしとしても、出力側のフォント指定はHTMLで指定する必要がある。
 コマンドの関係で禁則文字が拡張されているから、使えない文字列が存在する。
 マークアップだろうがマークダウンだろうがマークパンサーだろうが、使いにくいものは使いにくい。

 仕方なし、Nebulaという外部アプリを使い続けてはいるが、これがまた、右寄せ左寄せにもフォント指定にも対応していないエディタなのだ。
 肌にも合わず、気分の盛り上がるわけでもない道具は、どうも好きになれない。
 おそらく僕は、道具にうるさい面倒なオトコだから、このあたりは仕方ない。
 空腹をろくに感じないのと同じ、体質のようなものだ。

>>>

 コロナ疲れ、というものがあるらしい。なんだろう。
 寂しさ病、みたいなものだろうか。
 実際に「自分がコロナウイルスに感染しているかもしれない」と疑い始めて2週間ほど経つが、誰かに会うことが2度とできない可能性を考えて少し戸惑う。

 そもそも馴染みの飲食店に行くことはできない。
 妹やその家族と会うことも控えなくてはならない。一緒に食事に出かけるなんて不可能だ。
 今後、人間の恋人が増えるような事態が発生した場合も、ちょっと大変だ。

 たまたま僕は、ほとんど誰にも接点がなく(猫以外に)一緒に暮らす家族もいなければ、毎日足繁く通う職場もない。
 週に何度かぱやぱやしにくる恋人もいないし、月に何度か一緒に出かけたり、共通の趣味をするような友人もいない。
 ひと月ほどを考える。
 ここに来たのは、PCR検査キットを届けに来たTUと、奪うようにして譲り受けた猫を放り出すことにした知り合い、銀行の渉外係が2回で、計4回。

 ただ。
 それでも今後、誰かと一緒に居ることが困難になり、外食もできなくなると考えると、それは少々、悲しいことではある。
 とはいえ僕は寂しいことや悲しいことが嫌いではない。
 では僕以外は?

 寂しいことが苦手な人は多いだろう。悲しいことが嫌いな人も多いだろう。(僕は不安も嫌いではないのだが)
 社会は賑やかで、楽しくて、嬉しい場所を目指して進んでゆくし、そうあるべきだと思わないでもない。
 そう考えればコロナウイルスという目に見えないものに怯え、さまざまな行動を自粛し、また自身の活動を(行動もしかり、経済もしかり)自身の意思に関係なく制限され、それに終わりが見えないともなれば相応に、不安や恐怖や寂しさは底の見えない闇だろう。自身の心に開く穴は、どこまでも自分を飲み込むだろう。

 それらはストレスになり、終わりなく人の心を苛むのか。
 それに疲れて、いったい人は、どこに癒やしを見いだすのだろう。(僕は自分が一番の癒やしだが)(←ぼっちアピールか)
 しかし個人の力で、それは解決しない。

 寂しさというのが病気なら、それを自分だけで治すのは、なかなかどうしてむつかしいだろう。
 病気が起こす社会の寂しさは、ならばどうすれば治せるのか。

 人々は、社会は、寂しさを嫌い、悲しみを嫌う。孤独を嫌う孤独な集団が強要された孤独。
 なるほど疲れる。

 それはたとえば僕のように孤独を好む個体が、かつての「孤独を悪とする」社会で、孤独でないことを強要され続けた疲れに似ているのだろう。

>>>

 嗚呼。ネコノカミサマ。
 僕ひとりならなんとでもなるこの世の中は、誰かの呪いによってかつてのそれから姿を変えたのでしょうか。

 ええ。
 一人だけ知っているんです。こんな世の中を望みそうなイキモノを。
 いやそんなまさか。
 僕も困ってはいるのです。

<悪魔にタマシイを売ったんだろ? 今さら引き返せるか>

>>>

 そういえば。
 暇なのでキャットタワーを納屋で自作しながら過去の記憶を漁っていたのだが。
 僕はかつて、ガールについてロングヘアのほうがいい、断然だ! という価値観の持ち主であった。
(Webにも紙にも記録は残っていないが、一時期の日記にそれが記録された記憶がある。ちなみにペーパメディアの日記は諸般の事情によりすべて捨てたので証拠はない)
 そしてなおかつ14歳のある夜、僕は突如としてショートヘアの方がいい、という価値観へシフトした。たった一晩でだ。
 14年間(知能を持ってからだいたい2年間)あたためてきたロングヘア信奉は一晩で崩壊した。まるで巨大帝国が予期しなかった敵に打ち倒されるように。

 当時(生まれついた環境から女性慣れしていたが)当然、恋人もいなかった僕は、ガールとベッドにインした際のあれやこれやを机上で想定し、ベッドの上で髪の毛を踏む可能性についてを危惧するに至った。
 これはたとえば建築作業現場で、雨天下の足場に鉄板が敷かれているときゴムの長靴の摩擦係数がどのように転倒の危険に影響するかを予測することに等しい。
 たまたまそれが、ベッドの上の想定であり、雨天に関係なく人間の関係であり、災害の規模が「髪を踏まれる」程度のことなだけである。
 しかしながら、ありとあらゆる災害の可能性を網羅し、その危険性を低減させることは、間違った姿勢ではない。
 未経験だからといって嗤えるだろうか。起きてからの対策では手遅れになる災害だってこの宇宙には存在している。
 未然に防ぐためのシミュレートはいつだって必要で、そのためには「おそらくないであろう」危険についても想定を広げてゆくことが、予防のセオリィではないだろうか。

 そして僕は「ロングヘアは腕枕その他諸々に前後する男女の密接な状況下において、髪を踏みつける可能性がショートヘアのそれより高い」という理由により、ロングヘアがショートヘアに劣るという結論を導いた。
 どれほどそれがいわゆるフェミニンで、あるいは魅力的に思えて、もしくは個人的嗜好に合っていても。

 そのようなわけで、僕は初めて恋人ができる数年前に、急遽、ロングヘア信奉からショートヘア信奉に鞍替えした。
 そしてそれは最初の恋人の家が美容室であったため、洗髪の手伝いをして確固たるものになる。
 ロングヘアで得をするのは、それで得をすると勘違いしている人間と、そこに幻想を抱いている人間、そして美容師をはじめとしたヘアケア業界だけである。

 自然災害に遭ったら、とりあえずみんな坊主にしてもいいんじゃないかな。
 僕は時々、すごく斬新に合理を導き出す。


 キャットタワーを作りながらその記憶が突如甦り、僕は思った。

「やっぱ14歳のオレ、天才だわ」


 僕は今、彼の背中を必死に追ってなお、もう追いつけないかもしれないと感じている。









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[NEXUS]

~ Junction Box ~

// —— >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

  :BlueCat:

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[Cat-Ego-Lies]

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