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// TimeLine:<2021-04-20>
// NOTE:
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TITLE:
心という装置。
SUBTITLE:
~ Mind device. ~
Written by BlueCat
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//[Body]
先日、ふと思いついた。
心理学などでは一般的な概念なのかもしれないが、僕には学がないので分からない。
心というのは、ストレスに反射する装置なのではないかと思ったのだ。
── ちなみにここでいうストレスとは、主観における外部からの刺激全般を指し、一般に使われる「特に精神において過度の負担となる刺激や状況」を含みはするがそれに限定されない。
人間がいる。
通常、それは自我を持ち、必然に自己と他者の境界を認識する。
たとえば自分がいる。皮膚がある。その先は、自分ではない。
だから急におなかが痛くなったとか、急におなかが空いたとか、そういった事象を除けば、だいたいの刺激は自分ではない、その外部からやってくる。
その刺激が、心地よいものであったとしても、緊張や不安に満ちたものであったとしても。
あるいは往々にして、我々は外部の刺激によってしか、心地よさや安心、緊張や不安を感じないのかもしれない。
内部からの刺激だけで、そうした感情を持ちうることは(普段から座禅でも組んでいなければ)容易なことではないだろう。
── 少々余談になるが、座禅というのは刺激を平準化する行為である。
人間は刺激に慣れる。嗅覚においてそれが顕著であるが、それ以外についてもそうである。
すべての感覚の圧に人間は慣れ、より強い刺激でないと認識できないようになる。
座禅というのはそれをフラットに、リセットする効果を持つ。もちろん、それが主目的ではないだろうけれど。
動物にとって、安心や緊張は、死活問題である。
死活問題を的確にかつ素早く認識するシステムが、生物的優位に繋がることは間違いない。
とくに緊張や不安や恐怖については、より速く、より強く感じられる個体や種族に結果的に高い生存性がもたらされることに不自然さは感じない。
それが生命に標準的に備わった反射装置であり、その装置が鈍く、弱いものは生存不適応で淘汰されるのは必然だ。
安心や心地よさなど、たまたま危機の対極に置かれた幻影に過ぎないだろう。
集団を形成する種族の中で、その機能は高度化され、複雑化する。
感情をベースにしたコミュニケーションは、それぞれの装置間でやりとりされる信号のようなもの。
では外部からの刺激が低下するとどうなるか。
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いい被検体がいる。僕だ。
一ヶ月寝ていても、誰にも怒られない。
自分を振り回す他人はほぼ存在せず、危害を加える他者を寄せ付けず、将来の不安もたいしてなく(見つかった場合は早速演算を開始するだろう)、さしあたっての緊張状態は(ささやかな体調不良以外に)存在しない。
外部からの刺激のなさは、安寧な日常を生み出す。安寧な日常を感じられるのは、その低刺激性がゆえだ。
何も感じず、何の対処も必要としない。
長期的なこと、抽象的なこと、役に立たないこと、したいことだけを、気ままに実行する時間は気楽で、ときどき愉悦すら感じる。
そしてその刺激のなさは、コミュニケーションの不要に起因してもいる。
言葉にする必要がなく、伝える必要がなく、思ったものはそのまま伝わる(対象は自分自身だが)。
「あれをああしてああしよう」といえば、僕には伝わる。まさに以心伝心。
今日の晩ごはんに何を食べたいか、悩む必要も尋ねる必要もない。
作ったものを食べる人(僕である)の口に、果たして合うかどうかを確認する必要も尋ねる理由もない。
自分の中で、言葉を使う必要もなく、それは伝播する。
だからまるで楽園のように、静かで穏やかな日々が流れる。
「自分が何を感じて、何を考えているか」なんて、どうでも良いことのように思えてくる。
僕によってもたらされ、僕にだけ与えられるその楽園は、コミュニケーション不要というコミュニケーションは、しかし危険な兆候でもある。
すなわちそれは自分が何も感じず何も考えないことを暗に許容し、あまつさえ「何も感じず考えないこと」がストレスのない日々の要件であるかのように刷り込まれる。
結果的にストレスの存在しない個体は、心という装置を劣化させる。
齢を重ね、心もアタマも凝り固まった人間は柔軟性を失い、その硬化はいつか致命的な形で組織を破壊する。硬化した血管が、生体を傷つけるように。
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危険や緊張を感覚しない個体は、つまりストレスとなりうる対象(いわゆるストレッサ)を感覚できなくなった個体は、刺激に対する反射能力の低下した個体は、あるとき適切な環境適応ができず、死ぬ。
白痴は無能だ。白痴化することは生存不適化することである。
ストレッサが存在しなくなることは、コミュニケーションの欠如を招き、反応の緊急性も、反応する能力も失われる。
(メールの返信が3週間後になる僕のような個体は、往々にして集団では忌避される運命にある。集団適正として、反応は早いほうが「よいもの」として扱われ、即時性はコミュニケーションを劇的に進化させるという幻想さえ生んだ。まぁ、結果は見ての通りだけれど)
ストレッサが存在することは、すなわち生存適性を促す。
緊張によって環境適応能力は維持され、その緊急性はそのままその個体の能力開発を後押しするだろう。
人間は、高度な環境を構築する能力を持っているが、それは最終的に滅びの道に繋がってもいる。
特定の集団に都合のいい高度な環境が構築され、それが高度な快適さをその集団に提供すればするほど、集団の中で弱者は搾取され、やがて全体は弱体化し、搾取する対象さえなくなり種は滅びの道を歩む。
別に政治の話はしていない。メカニズムの話である。
ストレッサの反射装置として機能する(あるいはその機能に対して名付けられた)「心」は、それを持つ個体にとって都合良く環境が整備されるにつれ、その機能を低下させる。
(重ね重ね、政治や政治家の話はしていない)
心はやがて、個体にとってその機能を失うだろう。
他者は都合の良い道具になり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
弱者は都合の良い道具であり、欺瞞というオイルに潤滑され、経済という燃料で駆動する。そこに心は必要ない。
人間は、そういうシステムを構築しました。
なればこそ。
新しいメカニズムは、どうでしょう。
旧来のシステムをそのままに、硬化するシステムに代替する新しいメカニズムは。
人間はもう、旧来の人間ではなくなってしまったのだから。
心に替わる、新しい装置は。
あるいは現行のシステムに替わる、心の必要な環境は。
どうでしょう。
誰がそれを可能にしますか。
誰がその一歩を踏み出しますか。
私ですかそうですか。
あなたですかそうですか。
<わしゃもうダメじゃ>
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:BlueCat:工場長:
[InterMethod]
:Algorithm:Ecology:Engineering:Link:Mechanics:Stand_Alone:
[Module]
:Convertor:Generator:Reactor:
[Object]
:Human:Koban:
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
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