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// TimeLine:2021-04-25
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TITLE:
木枝の剪定をしていて考えたこと。
SUBTITLE:
~ Wooden chip, Weaken ship. ~
Written by BlueCat
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6週目。微熱は引かず。
別の病院での検査は、数日前やんわりと断られた。しばし途方に暮れる。
もう一度、検査を受けるまで(そして陰性と診断されるまで)は誰にも会わないと心に決めているので、困るのではある。
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今年に入ってから、木の剪定をずいぶんした。
長い間、手入れをされていなかった木のほとんどは、虫がついていて、場合によっては枝葉が病害に冒されている。
ひとまず枝を下ろして経過を観察し、回復しない場合は幹を切り倒そうと考えている。
また寿命を迎えつつある木もあるようなので、それについても切り倒す決定をした。
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樹木というのは基本的に、上へ、外へと枝を伸ばす。
今更当たり前のことをと思うかもしれない。僕もアタマではそう思っていた。
しかし実際に剪定をしていると、想像と現実はずいぶん異なることに気がつく。
まず幹がある。
幹から直接伸びる枝は、幹が中心となるので必ず外向きになる。そしてだいたい上向きである。
問題は、この枝から分かれる枝である。
これらが、内側に ── 幹に向かって ── 伸びることが往々にある。枝の下から生えて上に向かうものもある。
これらはだいたい、枝が混む原因となる。
なぜといって内側に伸びた枝は、必ず他の枝とぶつかり、日陰の部分で陽の光を求めて迷走する。
下に向かった枝は、上に向かううちに元の枝や他の枝と密になり、隙間に虫が湧いたりする。
枝が伸びる上ではランダムに生えて伸びるより他ないのだけれど、間違った方向に伸びる枝は結果的に、木の幹そのものの健康を害し、全体の益を損なうものになる。
これらは人間の、あるいは組織の性質に似てはいないだろうか。
そもそも組織というのは外へ、上へ向かうべくして構成されるものだろう。
ところが内へ向かう者がある。中心に近づこうとするのは決して間違ってはいないだろうけれど、そもそもオマエは幹ではない。
幹でもなければ、主枝でもない、末端が遮二無二集権された中央を目指すのは、はっきり言って他の迷惑である。
枝の主な仕事は、外に向かって、葉を開いて陽を受け、花を開いて実を作ることである。内に向かってそれをされても困るのだ。
下に向かう枝も同様。
どうして下に生えるかというと、その方が上に行きやすかったり、枝の仕事をするのに都合のよい場所が見つかる場合があるからだ。極めて稀だけれどそういう状況もある。
だから自然発生的に、枝は幹の方角にも、地面の方角にも、枝を伸ばす。
つまり下に向かった枝は、上に向かう目的のため下に向かうという手段を与えられている。
だいたいこいつらがひねくれる。文字通りにひねくれるのだ。
他の枝に絡みついたり、行く手を阻害したりする。そっと自分の居場所を見つけてささやかに役目を果たそうとはしない。
ごくごく末端の、ごくごく細い小枝の場合にのみ、下向きであることが全体の益になる。
たとえば組織でも、それなりに出世してそれなりに能力のある人間が、どういうわけかねじくれた動機で、下に向けることで上に向かうような力の使い方をすると、やはりその組織の関係は歪む。
そういうやつを見かけたことがない人は幸いである。
では上向きだったらすべて良いかというと、どうやらそうでもない。
主枝から直接真上に伸びる枝がある。
だいたいこれらの枝は、その上に伸びている主枝に当たる。
幹に近ければ近いほど、内側が混むので致命的であり、上にいる主枝に阻まれてたいした仕事をするわけでもない。ただただ事態を悪化させるだけの存在だ。
あるいは格別、発達が良くて強く太く育ってしまった場合、上にある他の枝を阻害するようになる。
外に伸びている枝が阻害されるので、結果的に全体の益にはならない。
外に向かって伸びている小枝は、確かに上を目指しているかもしれないが、そもそも主枝から真上に伸びるようなショートカットの仕事はしていない。
主枝から真上に伸びる枝は、上昇志向の意識高い系のフリをして自分の無能をラクに上げ底し、結果的に組織の働きを阻害する猪口才な人間のように観察される。
基本的に集団というのは、外へ上へと向かうものだろう。
もちろんこれは概念的な定義であり、実際の集団が外と上を目指していると、ドンキーコングのようなことになってしまう気がする。気のせいだろうけれど。
個々人はどうだろう。
やはり同じように、上と外を目指すものではないだろうか。
もちろん、下と内に指向する要素も必要ではある。しかし、主体は上と外だと思える。
── 重ね重ね、概念なので、そこに重力(つまりは上下)や空間(内外)は存在しないのだけれど。
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僕自身は、かなり下向きで内向きな人間である。
性格も下向きで内向きの傾向が強いし、そういう人間は ── あるいは僕だけかもしれないが ── 組織でも同様に内向きで下を指向する。
掘削作業に向くのかもしれないが、あいにく身体が弱いため、そういう仕事を経験する機会には恵まれなかった。
幸い接客や営業をさせると、能力を発揮した(個人的な意見を述べるなら、コミュニケーション能力を適切に発揮できるなら、誰でもできると思う)。
僕は、末端にいるときちんと動作できたのである(それでも身体をよく壊すが)。
事ほど左様、僕は組織の中では、せいぜい小枝タイプなのだろうと想像する。
大きな組織の、ましてその中心にあって、雑多な枝葉を組成して制御するなんて、考えるだけでぐったりする。
小さな組織であれば主枝くらいの役目を果たせそうだ(実際、果たしたと思う)が、僕より有能な者はいくらでもいると当時から思っていた。
あるいは樹木ならば根のような、つまりは目立たない仕事をするのに向いていただろう。
実際、僕は人目につかず、自分の目論見を完成させるのが得意だった。
悪事によらず、善事によらず、誰かに見せるために仕事をしなかったので、目的を設定することも手段を選ぶことも自分の能力に合わせて最適化した。
そもそも仕事を提供するお客様に対して適切(あるいはそれ以上)の満足を誘導(あるいは提供)できれば、それは成功なのだから。
組織がオープンになろうとして、言葉面ばかりの透明化を図ろうとすればするほど、個人的には仕事がつまらなくなった。
仕事をするための、あるいは仕事をしていることを確認してもらったり共有したり公表したり「見える化」するための、余計な作業が無意味に思えて大嫌いだからだ。
そもそも組織というのは、オープンな存在ではない。
木はオープンか。そんなことはあるまい。風通しがいいことと、開放されていることはイコールではない。
木は透明か。そんなことはあるまい。不透明で影を落とす存在だからこそ、陽を受け育つのではないのか。
さらにいえば、見えない根を深く張り、局所的なアンバランスに対応できるだけの芯を維持するのが組織というものだろう。
オープンになって骨格が脆弱になり、透明になって存在が希薄化し、私利私欲と過剰な自意識を持つ分子が根を張ることを忘れ倒壊させるのだとすれば、魅力的な組織は本当に減ったのかもしれない。
それでも人は、社会的な指向をもったイキモノで、集団を形成するはずだ。
その設計を、遺伝子を、いつも最適化できるならば、全体で共有できるなら、それが重要なのではないかと思う。
切り分けられて接合されて、虫が湧いて病に罹って、枝をほとんど落とされた裏庭の木。
人の欲にカタチを与えると、だいたい醜くなるのだろうか。
そんなはずはあるまい。カタチを与えて醜くなるのは、その欲が、そもそも醜かっただけだ。欲の全てが醜いとは限らない。
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そういえば僕の尊敬する経営者は、どういうわけか植物を育てている人が多かった。
あるいは彼らも、言葉にするでもなくそんな概念に遊んだのだろうか。
切り落とした枝を運びながら、そんなことを思う。
集団という集団から隔絶されたような場所に僕は自分を運んだので、集団の特性を分析することにもはや意味はないのだけれど。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:BlueCat:工場長:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
:Algorithm:Diary:Ecology:Form:Kidding:Life:Link:Mechanics:Recollect:
[Module]
:Condencer:Convertor:Reactor:Transistor:
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[Cat-Ego-Lies]
:家庭菜園ティストの狂気:夢見の猫の額の奥に:
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