パートから社長になった坂本玖実子の「雨のち晴れ」ブログ -56ページ目

パートから社長になった坂本玖実子の「雨のち晴れ」ブログ

株式会社クラスモア 代表取締役 坂本玖実子 公式ブログ

好きなことを仕事にすると決め、
インテリアの勉強を始めたまではよかったが、
もともと求人の少ない業界の上、

年齢が40歳を過ぎていたから
就職先を見つけるのは至難の業だった。


でも、たくさんなくてもいい、自分に合った勤務先が1ヶ所だけあれば
いいんだから大丈夫、きっと見つかると、自分に言い聞かせた。


周りは無理だと言っても「きっと大丈夫!」と自分を信じきれる
この性格、お気楽というか単純というか.....


とにかく信じられることが出来たら必ず道が開かれてきた。


そして、インテリアの仕事も思いがけないところで道が開かれた。


偶然通りかかったIDC大塚家具の店先に
憧れのデザイナーズチェアが展示してあり、気になつて
入ってみたら、素敵な輸入家具がたくさん並んでいた。


『こんなステキな家具に囲まれて仕事をしてみたい!!!』


そんな強い願望が生まれ、いてもたってもいられなくなり、


「あのう、、、この会社は社員を募集していませんか」


と、勇気を出して店員さんに尋ねた。。


正社員は募集していないが、パートのインテリアコーディネーターは
募集しているという情報を得て、すぐに履歴書を送付した。


「資格はまだ取得していませんが、やる気だけは誰にも負けません」
と履歴書に書き、面接までこぎつけ、
週に2日のパート社員として採用された。

(パートとはいえ、採用は10人に1~2人の狭き門だったらしい)


とうとう、私は好きなことを仕事にすることができた。



採用してくれた人事担当者と多くの出会いに心から感謝虹



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生まれて初めての飛び込み営業で苦しみながらも、

成績も上がり、収入も安定してきたある日、

ふと考えた。


「仕事をする時間は1日の大半を占める。

その時間をお金を稼ぐことだけに費やしてしまってはもったいない。

もっと自分が楽しいと思えることを仕事にしたい。」


そう思うにはきっかけがあった。

その頃仲良くしていた友人達は、


カメラマン、撮影監督、ミュージシャン、画家、占い師、

音楽プロディーサー、デザイナー・・・・・・。


主婦の時には縁のなかった職業の人達と

なぜか仲良くなることが多かった。


彼らは皆「天職」に就いているという感じで

仕事に誇りを持ち楽しんでいた。



「私も天職に就きたい!!

私の天職ってなんだろう・・・・」


天職かどうかは分からないが、とにかく自分が一番好きなことを

仕事にしようと、食べていけるかは皆目見当がつかなかったが、

「インテリアの仕事に就く」と決めた。


子供の頃から住宅に関心が高く、インテリア雑誌を見ている時が

至福の時だったからだ。


「もっと堅実な仕事を選んだ方がいい」

と親や姉妹は心配して反対したが、迷いはなかった。


授業料の70万円はローンを組み、

働きながら週末はインテリアスクールに通い始めた。


そして毎日、仕事から戻って家事をやり、夜10時から

空が白々と明るくなるまで勉強をするという生活が始まった。


今から13年前のことだ。


向こう見ずな私に付いて来てくれた娘達に改めて感謝虹





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飛込み営業の仕事を始めて数ヶ月が過ぎた頃、

忘れられない出来事があった。


その日は住居数200戸あまりの大型マンションの前で、

「このマンションのすべてのお宅にセールスをする」

と自分にノルマを課した。


1階の端から、1軒づつインターホンを押していく。


売上成績は上位になっていたが、相変わらずインターホンを前に

心臓がばくばく指が震えてしまう私だった。



冷たく拒絶されるのも怖いが、もし赤ちゃんや病人が寝ていて、

チャイムの音で起こしたら申し訳ないと考えてしまう。


勇気を出してチャイムを押すが、インターホン越しに

断られることが続く。 留守のお宅も多い。


この日は特に成果の上がらない日だった。


1階から2階へ、2階から3階へ、3階から4階へ・・・・

ほとんどのお宅で断わられた。


「もうやだ、止めよう、もう止めよう」

と何度思ったことか・・・


でも決めたからには最後までやろうと鞭打ちながら

9階まで来て、あと残り3軒というところで奇跡が起きた。


「は~い、ちょっとお待ちくださぁい」

と明るい声で

ドアを開けてくれたのは、20代後半の可愛い主婦、

化粧品が大好きで、家にいながら仕事をしたいと言う。


私の本来の仕事は化粧品を売ることだけではなく、

セールスレディを発掘し、教育・管理することだったのだが、

結局その女性はその後にとても優秀なセールスレディに

育ってくれた。


最後まで諦めずにやり通したから、

天がご褒美をくださったのだと感じ、心から嬉しかった。


その経験は私の宝となった。

売上成績が伸びない時、仕事に行き詰った時、

「今は苦しいけれど、この後に大きな幸運が控えているんだ。」

と思えるようになった。
そして実際にその通りの人生を過ごすことができている。



今日の名言


 ◆夜明け前が一番暗い


 ◆成功者は例え不運な事態に見舞われても、

 この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。

 そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。

                        本田宗一郎



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38歳で子持ちバツイチになった時に


理想の仕事をイメージし、毎晩寝る前にそんな仕事が

見つかると念じ続け、そしてその通りの仕事が見つかった。


ことを9月7日のブログ に書いた。


その時イメージしたのは、


・子供が小さいから時間が自由になる仕事

・車を貸与してくれる仕事

・カタカナ職業の仕事 (*^.^*)

・洗練された服装でできる仕事

・月収は手取り30万円以上の仕事

・これを全部叶える仕事


こんな虫のいい夢のような仕事が本当に見つかって、

外資系化粧品会社に入社したまではよかったが、

毎日の仕事は想像を絶する大変なものだった。


白い中型車を貸与され、毎日お洒落をして出かけるのだが、

仕事の大半は飛び込み営業だった。



仕事の内容を知ったときは恐ろしくて身体が震えた。



勇気を出して1軒1軒チャイムを押して行った。
「あのぅ、○○化粧品ですが・・・」
「結構です!!」ガチャッ(インターホンが切れる音)。
次のお宅でも
「あのぅ・・・・○○化粧品の者ですが・・・」
「間に合ってます!!」ガチャッ。

けんもほろろに拒絶されることが続き、

プライドはズタズタ、身も心もボロボロになる毎日だった。


しかし、たまにドアを開けてくれる家もあって、
顔を見て話をすると警戒心がなくなり、ほとんど方が

部屋の中まで通してくださった。



売上より、その方にとってプラスになると思うものだけを

お勧めすると決め、毎日必死で仕事をやりこなした。


そのような毎日を過ごすうちに先輩社員を抜いて

トップクラスの成績を出せるようになっていた。



セールスなんてまったくの未経験、

人づきあいが大の苦手だった私でも、

誠心誠意、相手のためを思って接すれば、

物は売れるということが分かり、自信に繋がっていった。


結婚している時に、夫から
「おまえなんて何もできないんだから、黙ってろ」

と言われて、その言葉に反論できない私だった。


元夫は基本的に真面目な良い人なので、

たまたま虫の居所が悪い時に言ったのだろうが、
その時の悔しさが、その後の私のエネルギーになった。


「私でもやればできる、不可能を可能にできるのだ」と、

とても嬉しく感じたことを覚えている。 



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念ずれば花開く


苦しい時


母がいつも口にしていた


このことばを


わたしも


いつのころからか


となえるようになった


そうしてそのたび


わたしの花が


ふしぎと


ひとつひとつ


ひらいていった


     坂村真民



近所のお寺の掲示板に

今月はこんな詩が書いてある。

この詩は人気が高く、

日本でも外国でも詩碑が建てられているそうだ。


私も幼い頃から母に

「強く願ったことは必ず叶うのよ」

と教えられて

それを信じて生きてきた。

そして本当に叶ってきた。

母のその教えがなかったら今の自分はない。


子供の頃、コンプレックスの塊だったが、

自分の未来は明るいと信じていた。


世間知らずの専業主婦だったが、

38歳で離婚して、幼い娘を二人かかえながら

化粧品の飛び込み営業で人生を再スタートした。


40歳の時、食べていける保証はなかったが、

好きなことを仕事にすると決め、建築士の勉強をしながら

業界最大手のIDC大塚家具にパートで入社した。


パート社員でありながらトップの売上成績を上げ、

46歳で人材育成部門の管理職になった。


そして、53歳で研修会社を起業し、東京港区に

居を構えた。


「強く願ったことは必ず叶う」と信じることができたから

ここまでやってくることができた。

そして今も未来を信じて生きている。


坂村真民さんの詩を読んで

母親のありがたさを改めて感じることができた。


そして、今日4カ月ぶりに母に会いに行った。

痴呆が進み、会うたびに小さくなっていく母、

帰りがけ、「じゃあまたね」と母の手を握ったら、

やせ細っているが温かい手で強く握り締めてきて、

驚くほど嬉しそうな顔をして私を見上げた。

この温もりをあと何回感じることができるのだろう・・・



久々のブログ・・・・

この10日間、脇目も振らずに本の原稿を書いていた。

私ってホントに不器用な人間で、昔からひとつの事に

しか集中できない。



コメント、読者登録、ペタを残してくださった方、

返事が遅くなり本当にごめんなさい。

これに懲りずにまた寄せてください。



大切なことを教えてくれた母と

ブログを読んでくださっている方に改めて感謝虹



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昨日のブログ、本人に無断で書いたから、

気を悪くしていないか少し気になって、

「ブログに書いちゃったから感想聞かせてね」

とメールしておいた。



そしたらこんなメールが届いた。



 窓からこぼれ落ちる日の光を受け黒髪が輝く。

 前を見つめ、すっと伸びた背筋が凛とした彼女の

 佇まいを大人の女に見せていた。


 退屈な授業、この単純に費やしていく時間からの解放、

 僕は彼女を見つめる、

 観察することによって解放されてゆく。


 15の春


 恋だった。




えっ?????

どういうこと? 

私のこと好きだったの????



しばしあっけに取られた。



しばらくしてから嬉しくなった。

でもどうせなら36年前に言って欲しかった^0^



また無断で載せて大丈夫かなと心配しつつ

まあいいかぁ、と載せてしまう私^0^; ごめんね。



15歳の私。 

大人しそうな感じが写真からでも伝わる(よね?)。

白黒の写真、セーラー服、おかっぱ頭、後ろはオルガン・・・

懐かしい。


初恋も初失恋も今になってみれば大事な思い出 感謝虹



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見かけによらず(?)奥手な私、初恋は15歳だった。

相手は高校の同級生で、長身のとても可愛い少年。

でも、3年間片思いだった。


高校3年生の3学期、意を決して彼を映画に誘った。

心臓が口から飛び出そうなほどドキドキしながら電話をかけて、

ふるえながら誘ったのだが・・・・・みごとに振られた。


それが初めての失恋、

思いっきり傷つき、思いっきり落ち込んだ。


失恋を経験してから、感性が変わった。

小説を読んでも、映画を見ても、それまでとは異なる

複雑で深い感動を味わえるようになった。

好きな音楽も変わった。

少し大人になれたのだろう。



今日、その初恋の人と数年ぶりに二人で会った。

数十年の歳月が経っているから、お互いに容姿も環境も

だいぶ変わっているのだが、

不思議なもので、瞳だけは少年少女のままだ。


彼は私のブログを読んでくれていて、

「なんか、違うんじゃないの~? こんな人だったっけ?」

なんて笑いながら言っていた^0^;


高校生時代の私は引っ込み思案、無気力、根暗だったから

ブログのイメージとどうも違うらしい。


私からしてみても、バスケばかりして

勉強をろくにしないやんちゃな少年のイメージがどうしてもつきまとう。


人は最初に相手から受けた印象が後々まで大きく影響する。

心理学でいうところの「初頭効果」だ。
最初に受けた印象はなかなか変わらないものだと可笑しくなった。



他の人には話せないような話もして2~3時間ほど楽しく過ごした。


次に会うときは何年後だろう。


そんな付き合いもまたいい。



楽しかったことも辛かったことも全ての経験に感謝できた夜だった虹



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涼しさの訪れとともに食欲が止まらない、

満腹中枢が壊れたのか・・・・

1週間で3キロも太ってしまった。


自慢じゃないが、

7日前は、体重もスリーサイズも20代の時とほぼ同じだった。

(自慢してるでしょうがっ! ^0^;)


食事を気をつけ、運動(ウォーキング)をし、

自分でも褒めてあげたいほどガンバって体型を維持してきた。


先週末、旅行をした時に日頃口にしないチョコレートなどの

甘いお菓子をドカ食いしてからおかしくなった。


これはまずい!

ここが肥満の分岐点だ。


メタボは名前だけでいい σ(^_^;)


今日からしばらくは徹底的に食事に気をつけよう。
幸い、明日あたり長岡式酵素玄米の道具が届き、美味しくて、

健康とダイエットに最適な酵素玄米生活が始められる。

頑張ろう!!


「もう年だからしょうがないか・・・」

などと、諦めたら最後だ。

いいわけをしていたら、体重は雪だるま式に増えていく。

(雪だるまにはくびれがあるが・・・)


最後に諦めないための名言を二つ


◆私たちの最大の弱点は諦めることにある。

 成功するのに最も確実な方法は、

 常にもう一回だけ試してみることだ。

                《 トーマス・エジソン 》



◆のび太 「僕だけどんどん遅れちゃって・・・」


 ドラえもん 「いいじゃないか、遅れても。最後まで頑張れ!」

                          

                           《 ドラえもん 》



諦めることも諦めないことも選択できる幸せに感謝虹


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その友人は、知性があり常識もわきまえ、

仕事もバリバリにこなす魅力的な人。


たまたまゆっくりと会話する時間が取れた。

日頃はけっして人の悪口を言う人ではないのだが、

時間が経つにつれ他人を批判する話が多くなった。

よせばいいのに私も興味本位で話を聞いてしまった。


話を聞いた後、私の中にネガティブなエネルギーが生まれた。

そして周りの人に対して批判的になっていった。

負のエネルギーは伝染する。


『これはまずい!』

とすぐに気がついたのだが、そのエネルギーは

なかなか消せずしばらく付きまとった。

負のエネルギーは時として正より強力だ。


特にお酒の席ではいったん誰かの悪口が始まると

そんなネガティブな会話が長々と続いてしまうものだ。

悪口は連鎖する。


人間関係で行き詰まったり、ストレスを抱えた時に

誰かに聞いてもらうこと自体は悪くない。

しかし、聞き手の返答によって話の方向は大きく変わる。

ただただ同情したり、同調するだけでは双方にプラスにならない。


悪口の連鎖を止め、問題の根本に気づき、考え方を前向きに

変えさせる会話の仕方がある。


例えばこんな先輩と後輩の会話


後輩「最近、課長に売上のことで注意されることが多くて

    仕事が面白くないんすよ」


先輩「ああ、あの課長しつこいからなぁ」


後輩「そうなんですよ、毎朝皆の前でガミガミしつこく言うなんて

    ひどすぎますよ」


先輩「皆の前で?そりゃあ陰湿だなぁ」


後輩「もう、頭にきて殴ってやりたい衝動にかられるんすよ。」


先輩「殴りたい衝動ねぇ、分かるなぁその気持ち」


後輩「今度言われたら殴ってやりますよ!」


こんな会話の仕方では、後輩はますます課長が嫌いになり

前向きな方向性も見出せない。

かといって、


「課長としたら当然だろう。だいたいお前は甘いんだよ、

悔しいと思ったら、それをバネにもっと頑張ればいいんだよ!」


などと上から目線で言われたら、ますます落ち込むばかり。

やけ酒を飲んで翌日の仕事に支障が出たら、何のために

先輩に聞いて貰ったのか分からなくなる。


後輩にやる気を出させるための、こんな会話の仕方がある。


後輩「最近、課長に売上のことで注意されることが多くて

    仕事が面白くないんすよ」


先輩「仕事が面白くないんだね」


後輩「そうなんすよ、朝起きると気持ちが重いんですよね」


先輩「朝から気持ちが重いのは嫌なものだよね」


後輩「売上げグラフを前にみんなのいる所で言われるんですよ、

   あんなにしつこく言わなくてもいいのに・・・」


先輩「しつこく言われるのが嫌なんだね」


後輩「ええ、同じ言うにも言い方があると思うんですよね」


先輩「どんな言われ方だったらいいと思う?」


後輩「1対1で具体的なアドバイスを加えて言ってくれれば

   ありがたいんですけどね」


先輩「具体的なアドバイスが欲しいんだね」


後輩「課長の営業の仕方を具体的に聞くことができたら

   数字も伸びると思うんですよね。」


先輩「アドバイスを具体的に聞いて、数字を伸ばしたいんだね」


後輩「ええ。今度課長に頼んでみようかな」


これは、コーチングやNLPでも使われる「リピート」

のスキルを取り入れた会話だが、

これなら後輩の方も、自らどうすべきかに気づき、

やる気を取り戻せる。


人は自分の中に答えを持っている。

そして自ら答えに気がついた時にもっともモチベーションが上がる。



噂話や悪口もストレス発散するために時にはいいだろう。

しかし、それだけで終わったらお互いのためにならない。


悪口の連鎖を止め、問題の根本に気づき、

物事に前向きに取り組めるような会話をしていこう。


今後は「悪口を悪口で終わらせない」

そう心に誓った。


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もし・・・・・

自分の子供が、水泳やピアノ、お習字など
何やっても続かなくて、ある日、


「ピアノを辞めてバレエを習いたい」


と言ってきたらどんな言葉を返すだろうか。



「何をやっても長く続かなくて、飽きっぽいわね、

何でも中途半端で、どうせ今度も続かないんでしょう。

こんなことでは何もできない大人になっちゃうわよ!」



こんな風に言われた子供は



『自分はだらしない、中途半端な人間だ』

と自分自身に自信を無くしていくだろう。



そして、

『こんな自分はろくな大人にならない』

と未来の自分にもマイナスのイメージを持ってしまうかもしれない。



でも・・・・・・・



「きみは好奇心が旺盛なんだね、

だから新しいことに興味が湧くんだね。

興味を持ったことにどんどんチャレンジして本当に

好きなことを続けたらいいよ。」



こう言われたら、どんなに嬉しいだろう。



そして好奇心を持つこと、チャレンジしていくことは

いいことなんだと認識し

知的好奇心はさらに伸びていくだろうし、

自分を支持してくれる親に対しても信頼感を持つだろう。



実は、私はどんな事もすぐに飽きてしまう根性のない子供だった。



ピアノも、そろばんも、絵画教室も、習字も、自分から習いたい

と言っておきながら1年も続かなかった。



子供の頃の我が家は母子家庭で、経済的な余裕が

まったくなかったが、母は私が習いたいというものを

必ずさせてくれた。

ピアノを習った時には苦しい家計の中からオルガンも買ってくれた。



そのピアノのおけいこも1年足らずで飽きて止めてしまった。



しかし、母はどんな時も一度も責めたり怒ったりしなかった



子供心に、中途半端で止めてしまうことに後ろめたさがあったから

もし母から

「おまえは飽きっぽくてダメな子だ。もう何も習わせないよ!」



と責められていたら、私の好奇心は委縮してしまったに違いない。





母は出来の悪い私に対して、口癖のように



「久美子はホントは優秀なんだよ」



「大きくなったら美人になるよ」



「大人になったら幸せになるよ」



と言ってくれていた。

私はそれを信じて育った。



50代になった今でも新しいことに挑戦することが大好きだ。

新しい事を始める時に恐怖心より期待感の方が大きい。



そして、自分の未来をいつも明るくイメージできる。



それらは母が私に否定的な言葉を使わずに

プラスの言葉を投げかけ続けてくれたお陰だ。


子育て中の親の言葉は大切だ。


今年83歳の母に改めて感謝虹