ゆうべの就寝前、突如劇的に腹が減り、冷蔵庫内にキープしておいた
グリコのカフェオレ、500mlのんを飲み干して布団に潜りこんだら、胃袋( ´Д`)苦し…。
明け方まで眠れなかったのですが、今日はイズコのプールも休館日。
珍しくヒマだったので、来月の日本泳法研究会@鹿児島に向け、事前学習を行う。
尚、校長先生から拝借した資料を眺めていて、マーカーを引く直前に
借り物であることを思い出し、慌てて必要なトコをコピーして昨日返却。
昔からある、地域に根差した游方というか、ソコが起源でいまに至るわけではなく、
ドコソコから游げるヒトをスカウトしてきて、その地域で広まった…なんてのが多いようで、
神統流に限らず、そういう発祥地域と普及・啓蒙地域が異なるのも面白い。
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話は突然、昨日「游士の資格審査を受けたい」と言った彼女の話になるのですが、
彼女は「私は運動神経がないから…」ということを何遍も校長先生に訴えてました。
校長先生曰く、「ココにいる皆(ワタクシを除く)、運動神経がねっけ、
日本泳法に移ってきたんねっかて。運動神経あったら、まだ競技水泳しったろ?」と。
その話から、運動神経云々は幼児期の指導・働きかけが影響することを
こどもの発達だったか、その辺の講義でチョロッとやったことを思い出しました。
ワタクシの場合、先天性両足股関節臼蓋形成不全でございますから、
踵をついてしゃがむことが機能的に出来ません。
そういうのはお目こぼし願うとして、身体の構造というか骨組みというか、
筋肉のつきかたってのは、大体どのヒトも同じような構成になっているのではないか、
という意味合いにおいて、基本的に一律“ヒト”という生き物は、
特別なナニカを求めない限りは、出来ない動きはないと思っております。
特別なナニカというのは、訓練が必要とか生来よりある俊敏さとか、そういうの、ね?
それをベースにして考えて、運動神経の有無というのは幼児期に形成されると。
それは肉体的な形成という意味合いではなく、周りの大人の働きかけ次第であると。
例えば、幼児さんに「でんぐり返しをしてご覧?」と言ったとする。
スムーズにでんぐり返れないコに対し、「運動神経がないんだね」と言うと
そのコは自分に運動神経がないと思いこんでしまって三つ子の魂を地で行くように。
一方で、スムーズにでんぐり返れなくても「上手なコの動きをよくみて真似してみたら?」
「両手をついてオヘソを見ながらやってごらん?」と“運動神経”に触れずに、
具体的な助言をする方が、比較的すんなりでんぐり返れるようになるのだとか。
運動神経がない、と自己申告しておられる方の多くは前者のように、
割と周囲の大人たちにアッサリ見限られている傾向にある、と聞いた気がする。
そんな話を思い出して「運動神経がない」というのは、手厳しいかもしれないけれど、
ワタクシの中では出来ない理由のひとつとしてカテゴライズされているところがあります。
幼少期から「あんたは母親に似て運動神経がないんだ」と言われ続けて幾星霜...( = =) トオイメ
だけれども、やってる人・出来てる人が存在しているということは、
全く同じじゃないにせよ、トロかったり下手だったりするけれど、
お目こぼし対象以外のことなら、見るに堪えない也に出来ないこともないだろう。
そんなスタンスでいるワタクシにとって、運動神経の有無はアダルトになってからでも
修正できなくはないのではないか、と思うのですが如何なものでしょかね。。
あ。だからといって寝たきりのヒトが突然むっくり起き上がる、なんてことは先ずなくて、
あくまでも日常生活に適度な運動を取り入れている方に限った話ではありますけども。