共に副将を務める抜田君とご近所さんの大けいより回ってきました。今年度副将兼フィジカルリーダーの加藤智也と申します。
はじめに、日頃より中央大学学友会体育連盟ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、御父母の皆様、OB・OGの皆様、学内外関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
私はラストブログというコンテンツがとても好きで、お気に入りの先輩方のブログは常にモチベーション維持の1つとして読んでいました。
ただ、好きが故に下級生の頃から散々人のブログに好き勝手言ってきたため、自分のブログを書くハードルが高くなりすぎているような気もしますが...
まあそれはさておき、何を書こうか迷いましたが、4年間の振り返りをつらつらと書こうと思います。意識しないと変にかっこつけた文章を書いてしまう節があるので等身大の言葉で表現できるよう意識したいと思います。振り返ると私のラクロス人生は何度も壁にぶち当たっては挫折することの連続だったように思います。読みにくいかもしれませんが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
【ラクロスを知り、楽しさと挫折を知った1年生】
大学入学後、すぐに軽音楽サークルに入った。
高校では野球をやっていましたが、高校野球最後の試合によって強いトラウマを植え付けられてしまい、大学ではもう野球を続けるつもりはありませんでした。何ならスポーツはもういいかなとすら思っていました。
サークルではすぐに仲のいい友達もできたし、ベースも買ってやる気は十分でした。
ただ何かが物足りなかった。大学生活中、この環境が中高6年間の野球部生活で体育会に染まっている自分を満足させてくれるとは思えなかった。
そんなもやもやを抱えた5月の頭ごろ、高校の先輩に誘われてラクロス部の体験会に行った。
そこには高校時代に野球部で触れていた、本気でスポーツをする仲間としか作ることのできない「空気」があったのを肌で感じました。サークルでは絶対に味わえない経験がこの環境にはあるとなんの根拠もなく確信したのを覚えています。入部を決断するまで時間を要しましたが、慈英と一瀬君のいろんな後押し(雑)もあり入部を決意しました。
毎日の練習は本当に楽しかった。
シュートを打てばみんなが速いとほめてくれるし、点を取れば何にも代えがたい喜びを感じることができた。ラグビー場に行けば同期の誰かしらがアフターをしていて授業を切りまくってシュート練習をしたのがとても懐かしいです。
しかし、そんな楽しいラクロスライフは2か月も持たないまま終わることになります。
左鎖骨骨折
一般フィールドに救急車が入ってきたのは史上初めてなのではないでしょうか。
サマーは間に合わないといわれ、とにかく絶望したのを覚えています。
この時はとにかく早くラクロスがしたい!の一心でリハビリをすると同時に、日に日に上達していく同期に焦っていました。今のフィジカルリーダーという立場でカミングアウトするのはあまりよくないかもしれませんが、実際は医者からサマー出場の許可は下りていませんでした。それだけ焦っていたのです。今考えると本当に危険で浅はかな行動だったと思います。
何とかサマーには出場しましたが結果は0得点。悔しかったですが、その後の関東ユースの選考会に「シュートが速い」という理由だけで呼ばれただけなのに慢心している自分もいました。
同期は、上級生のBチームに呼ばれる人もいて、いつか自分も呼ばれるだろうなんて考えている間にウィンターの出場時間もほとんどないまま終えてしまいます。呼ばれなくて当然なのです。このサマーからウィンターまでの期間は特に何も努力していないのに自分は周りよりも上手いと勘違いをしていました。もちろんユースの選考も落ち、ラクロス人生で初めての挫折を覚えました。
【常に自分と向き合い、悔しさを燃料として練習に励んだ2年生】
ウィンターが終わってからは何か変えなければ一生TOPチームに上がれないと考え、とにかく自主練の量を増やしました。私のインスタグラムの過去の投稿を漁れば出てくると思いますが、クロスワークドリル、壁当て、ダッジ練を毎日とにかく繰り返し行っていました。
そして何か新しい武器を身につけなければ、と模索して筋トレを必死で取り組み始めたのもこの時期です。3人組での剛千代さんと歩さんとのトレーニングは本当にきつかったですが、確実に身体はでかくなりました。今自分がフィジカルリーダーを務めることができているのは紛れもなく剛千代さん(歩さんも?)のおかげです。ありがとうございました。
この期間の努力量は誰にも負けていない自信があります。ただ、同期の俊介や滉士郎、慈英はAチームでどんどん評価されていき、一方の私はどれだけ試合で点を取ってアピールしてもAチームに上げてもらうどころか協会登録はBigBanditsにするよう言われる状況でした。このことを伝えられた時はいくら努力して結果を残しても評価すらしてもらえない現実に心が何度も折れかけていました。何度か辞めたいと嘆いたこともあります。
しかし、心が完全に折れることはありませんでした。負けず嫌いでプライドの高い私は「絶対に見返してやる」という復讐心にも似たような思いで日々練習に取り組みました。
そして自分の第一の武器であったシュートをどうしたら生かせるか、それだけを考えて試行錯誤を行い、夏ごろにはBチームのゴーリー相手にはリストレより下では大体のシュートが入るようになりました。この1年間は挫折と負けん気で自分のプレースタイルを確立させることができた期間だったと思います。
【結果を出すことの喜びと怪我との向き合い方を改めて思い知った3年生】
シーズン当初はとにかく先輩にアピールして気に入ってもらうために行動していました。パスメニュー、シュート練習、1on1すべてのポイントで増岡さんや凡さんの近くでプレーし、必ずコミュニケーションを取って質問攻めにしました。周囲からはイヤらしいと思われる行動でも一切気にせず、TOPチームに這い上がるためだけに考えつくことはすべて実行しました。
そんな不器用なアピールが実ったのか年明けのカテゴリー分けではTOPチーム帯同を勝ち取ることができました。そのまま迎えた春リーグでは3得点。それ以降の練習試合でも平均1得点は取っていたと思います。ウィンターから続けてきた努力が実を結び始めて、1年生の時以上にラクロスを楽しめていた期間だったかもしれません。凡さんに「今年のリーグ戦でチーム得点王を目指してほしい」と言われたときは本気で目指そうと思ったのと同時に、認めてもらえたような気がして嬉しかったのを覚えています。
しかし、そんな歓喜も束の間、今度は右鎖骨を骨折。
まさか鎖骨骨折を両肩コンプリートするとは思ってもいませんでした。また始まるユニバースに通ってのリハビリの日々。TOPチームの練習を見るのも辛くて1か月の休部をさせてもらいましたが、なんでこんなに自分は怪我をしてしまうのだろうかと自己嫌悪に陥っていました。
ただ、そんなリハビリの日々の中で、社会人トレーナーの植村さんに「強くなって復帰しよう」という言葉をかけてもらいました。その一言が当時の自分には大きな支えとなり、ただ元に戻るのではなく、以前よりも強くなって戻ることを目標に前を向くことができました。さらに、先輩方が私をBチームに落とさず、TOPチームの一員として居続けさせてくれたことも、何よりの励みでした。もしあの時チームから離れていたら、今の自分はなかったと思います。
復帰後はEMOの右45という限られた出番ではありましたが、試合に出場することができました。鎖骨を折る前の自分では考えられなかったほど、試合の一瞬一瞬がかけがえのないものに感じられ、グラウンドに立てる喜びを心の底から噛みしめました。怪我によって奪われた時間は大きかったですが、それ以上に支えてもらえるありがたさを実感できた期間だったと思います。
【副将としての立ち振る舞いと自分の実力不足に悩み続けた4年】
ラクロス人生で一番濃く、悩んだ1年間でした。
新チーム発足時のミーティングではまさか自分が副将とフィジカルリーダーを兼任すると思ってもいませんでしたが、推薦されたからにはどちらの役職も全うし、慈英を支えて日本一の組織を作り上げると意気込んでいました。それと同時にコーチ陣との面談の場では自分がチームのエースとして得点源になるとも宣言しました。
しかし、現実はそう上手くいかず新チームが発足してからは問題続きでした。
上級生の絶えない遅刻や問題行動、自分よりも実力のある後輩に対して強く発言できない幹部陣、一向に勝てない春リーグetc...
それに加えて自分自身の実力不足を改めて実感させられました。中大のエースになると宣言したものの、現実はそう甘くありませんでした。パスミスやキャッチミスを繰り返し、自己嫌悪の負のループに陥っていきました。次第にプレーに自信を持てなくなり、一種のイップスのような状態に。副将でありながら、チーム全体よりも自分のことばかりに囚われ、仲間に何の影響も及ぼせない人間になっていくのを感じていました。
そして、春リーグ最終戦の日体戦。新子さんからBチーム降格を告げられ、その場で何も考えられなくなり、気づけば人目もはばからず号泣していました。その後は体調も崩し、鬱っぽくなる日々。中立戦でも、ラストプレーの大事な場面で自分のパスミスが原因で負けてしまいました。その瞬間、「もうオフェンスは実力的にもメンタル的にも続けられない」と悟りました。
そんな私に与えられた道は、SSDMへの転向でした。オフェンスへの未練はありましたが、藁にもすがる思いで挑戦を決めました。1年生の夏以来ほとんど経験のないポジションでしたが、とにかくできること、特にグラボやクリアに全力を注ぎました。その中で少しずつ自信を取り戻していけたのは、私にとって大きな転機でした。
副将としての自分に何ができるのかも、常に考え続けました。行きついた答えは「凡事徹底」。誰にでもできることを、誰よりもやり続けること。そしてこれは今のチームに一番足りていないことでもあると思いました。当たり前すぎて恥ずかしいかもしれませんが、常に声を出して盛り上げ、仲間に指摘の声を送り続けること。それこそが、実力が伴っていない自分が副将として存在する意味だと考えている。
そして迎えたリーグ戦。気づけば結果は3敗1分。日本一という目標に到達するといことは叶わなくなってしまいました。ただ、それでもまだ私たち34期に残されているものがあります。それは「1部の舞台で何を起こせるか」ということです。日本一の夢は途絶えても、中央大学として1部に挑み続けることの価値は決して小さくありません。明日の一戦は、そのことを証明できる最後のチャンスであり、34期の存在意義を示す舞台だと思っています。全力を出し切れば絶対に勝てると自分は信じています。
まだまだ書き足りないですが、長くなると玉井君が途中で読むのを止めてしまうそうなのであと少し、後輩へのメッセージと感謝のコーナーへ移ろうと思います。
後輩たちへ(特に35期)
みんなは本当にラクロスが上手いと思います。目の前のプレーに全力で取り組み、負けん気が強いところも大きな武器です。
ただ一方で、凡事徹底の部分は大きく欠落している人が多いと感じます。そして、それが自分のことだなと自覚している人もいるはずです。
アップやダウン、ボール探し、荷物をきれいに並べるなど、正直これらは直接ラクロスのプレーに関係ないと思っている人も多いでしょう。
しかし、強いチームを見てください。必ず規律があり、やるべきところでしっかり声を出し、当たり前のことを徹底しています。そうした「一見ラクロスに関係ないように見える部分」が、試合の場面での集中力や雰囲気づくりにつながり、最終的に勝敗を分ける大きな要素になるのです。今シーズン、私はこのことを最後の最後まで徹底させることができなかった責任があると思っていますが、新チームではこういう細かなことまで徹底できるようになってほしいです。凡事徹底は、才能やセンスとは関係なく、誰でもできることです。だからこそ、そこに本気で取り組めるかどうかがチームの強さを決定づけます。35期のみんなには、ぜひ自分の「上手さ」に加えて、そうした当たり前を大切にしてほしいと思っています。
両親へ
いつもそばで支えてくれてありがとう。
学生の間、ずっとスポーツに打ち込んでこられたのも2人の支えがあったからです。感謝してもしきれません。社会人になったらたくさん恩返しさせてください。
高橋さん
ラクロス以前の人としての大切な部分を学ばせていただきました。本当に感謝しています。
「凡事徹底」「視座を変えて物事を考える」この2つの言葉は私の今後の人生の中でも大切にしていきたいと思います。
新子さん
日体戦後、号泣する私に向けて「一旦Bに落とすけど、智也が積み上げてきたことは知ってるから」と言っていただいたことがあの時、ただ一つの救いでした。
あの言葉があるから今ラクロスができているといっても過言ではないです。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
植村さんへ
入部早々骨折をしてから怪我がちだった私は植村さんなしではラクロスできていません。4年間ずっとお世話になりました。
今シーズンは特にフィジカル部門として何度も相談させていただき、チームを引っ張るフィジカルリーダーとしての考え方を学ばせていただきました。明日は試合中、お世話にならないように頑張ります。
小澤先輩へ
ラクロス部に誘っていただきありがとうございます。
10番を譲っていただいたのにも関わらずOFとしてリーグ戦で戦う姿を見せられず本当に申し訳ないと思っています。あと1戦ですが、10番がDFで活躍する姿を見せられるように頑張ります。
一瀬君へ
出会ってから10年になりますね、高島君の次に腐れ縁です。
君はおそらくその場のノリでラクロス部の入部を決めたのだと思いますが、そのおかげで自分も今ラクロス部にいます。
そして❝ラクロスのプレー中は❞本当に頼りになるなとDFになってからは実感しております。そして君の素直で朗らかな性格に助けられた部分もあるので感謝しています。ありがとう。
ただ、君に何回イライラさせられたかわかりません。もう少し常識を学んでから社会人になってほしいと思います。
俊ちゃんへ
何度も約束を破ってはドタキャンしてきて本当にひどいと思っています。勘弁してください。
OF時代は一番のライバルだと思っていましたが、君はどう思っていたんでしょうか。おそらく君は「眼中にありませんでした」とか言うのかもしれませんが、ずっと僕を意識していたことを知ってるよ!
今度はドタキャンせずに焼肉行こうね~
桃子へ
今シーズンは特にフィジカルのことで一緒に悩んで話すことも多かったね。
いつもニコニコしていますが、その裏でとてつもない仕事量をこなしているのを尊敬しています。
そして文句の多いプレイヤーに対して物怖じせずにはっきり物申す姿は頼りになりました!フィジカル飲み、楽しみにしています。
こうしろうへ
早くバイクの免許取って下さい。また二郎食べに行きましょう。
たまひへ
まさか同じポジションをやるとは思ってもいませんでした。
いつも適当なダルがらみに反応してくれてとてもうれしいのですが、最近面倒だと思っていませんか????
いつもニコニコたまちゃんですが東大戦の後、一人で泣いている姿を見て実は熱い男なんだと僕は知っています。
小野君へ
上手すぎるので明日も期待しています。
ただ、時間にルーズすぎるところと練習でEMOになると怪我抜けするのは直しましょう。
カズへ
同じ副将として頑張ってきましたね。
気づいたらスタッフのもとへ行っているところをよく見ますが、彼女がいないのが本当に不思議です。顔はいいのに...話がつまらn...おっと、危ない。
明日はマジカルグラボでチームを勝利に導いてください、頼むよ!
たつるへ
今日も言いましたが、真に口が悪いのは君だと思っています。
でも、中大のゴールは安心して任せられます。明日もよろしく!
大雅へ
来シーズン、キャプテンやるかはわからないけど、大雅なら必ず日本一を達成できるチームを作れるよ。35期をまとめるのは大変だと思うけど、時には人を頼って、いろんな意見を聞きながら、疲れない程度にがんばれ!
困ったらいくらでも相談乗るので今度こそ飲みに行こう。
綾小路へ
口が達者で生意気な後輩だと思いますが、常に自分の意見を言えるのは綾小路の良いところ。ラクロスが好きなのが伝わってくるし来年は世代ナンバー1ロングになることを期待しています。
智忠へ
OF時代に1on1で何度心を折られたかわからない(笑)
ラクロスに関してはもう言うことないけどしっかりダウンはするように!
晄生へ
いつも騒がしいのでもう少し静かになったら落ち着きが出てくると思います。
ファミ会やりましょう。
たけるへ
何度体にシュートを当てたかわからないけど、そのたび「大丈夫っす」と言ってくれた優しい漢。来年以降の中大のゴールは安心して任せられると思ってる。頑張れ!
しゅんぽへ
2年生とは思えないくらい上手い!これからの中大DFを引っ張て行くのは確実に君なのでいつまでもへなへなしてないでビシっと威厳を持った人になれるよう、頑張ってください。
翔洋へ
圧倒的な身体能力は本当にうらやましい。将来はフィジカルリーダーになってほしいな。
2年生とは思えないくらい上手いと思っているので自信をもって頼ることができます。
来年以降SSDMやっているかはわからないけど頑張れ!
旭へ
今年で急速な成長を見せてくれて、メンターとしてとてもうれしいです。
堅実なDFの裏で実はおふざけな一面があるところはかわいいです(笑)
翔洋との絡みはほどほどに、これからも頑張れ!
さて、次のブログは主将の慈英君です。
私が紹介するまでもないくらいのスーパースターでありますが、最後に個人的なメッセージを送らせていただきます。
慈英へ
君のマシンガン勧誘LINEがなければ私は今頃軽音楽サークルでベースを弾いていたことでしょう。ラクロス部に誘ってくれたことを本気で感謝しています。
おそらく性格も考え方も真逆なタイプなので部活で出会わなければ一生仲良くなることもなかったかもしれません。
今シーズン、副将として君を支えるどころか君に支えられた部分が多かったように思います。主将として多方面の意見を汲み取り、チームを仕切っていく姿は本当に尊敬しています。
そしてこの1年間、特に厳しく君にはああだこうだ言った気がします。もう少し筋トレは頑張ってほしかったものです。それと怒ると破壊神になる癖は直してね。
あんまり一緒に飲みに行く機会もありませんが引退したらたまには飲みにでも行きましょう。
彼の波乱のラクロス人生から綴られるブログは後世に残る偉大なものとなることでしょう。乞うご期待!