みんなのママであるりえママさんから回って来ました。
彼女はプレイヤーとかなり仲が良く、みんなから信頼されてるマネージャーです。
そんな彼女、実は一緒にご飯を食べに行った時はみんなが普通のカツ丼を頼む中1人だけ特別カツ丼を注文したり、回るお寿司を食べに行った時に割り勘にするとなった瞬間、一番高いお皿をプレイヤーの倍頼むような可愛げがあります。
その可愛げが選手に好かれる理由かもしれませんね。
改めまして4年DF有光遼太と申します。
まず初めに、日頃より中央大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして監督、ヘッドコーチ、社会人TRの皆様に厚く御礼申し上げます。
ファイナル4、学生日本一、自分たちが目指していた目標にもう二度と挑戦できないこの状況で、外の気温もかなり過ごしやすくなり、後輩たちは来年のことを話すようになって、もう自分達の終わりを告げられているようで最近かなり寂しい気持ちでいっぱいです。
私は色々と物事を深く考えすぎる傾向があり、ラストブログで何を書こうかとすごく悩みましたが、単純に今思っている気持ちと自分が大事にしてきた想いを書きたいと思います。国語があまり得意ではなく拙い文章になると思いますがよろしくお願いします。
まだまだ引退したくない私ですが、少しラクロス人生について振り返りながら自分の今までの想いを書こうと思います。
1年生の時はラクロスが楽しかった思い出しかない。点をとってみんなが喜んでくれる。正直とても気持ちが良かった。
2年生に上がると、ATとしてTOPチームに呼ばれることが多くなり、少しピリついた日々を送るようになった。
31期の先輩方からありがたいご指導を受け、夜は次の日が来るのが怖くて眠れず3時に眠りにつき、朝の6:40に腹痛に襲われる日々は今となってはいい思い出だ。
3年生になるとポジションがATからSSDMになった。試合に出たいその一心でポジションを変えた。望んでいた形ではなかったけれど、リーグ戦に出て、チームの力になれたことは嬉しかった。
ここまでは割と順調にラクロス人生を歩めたと自分の中では思ってた。
しかし、4年生になると色んなことが大きく変わった。
1つ目はロングに転向したこと、2つ目はチームの副主将になったこと、3つ目はクリアリーダーを任されたことだ。
自分にとってはとても大きな変化だった。正直3年生までチームのことを思ってラクロスをしたことがない。全部自分のためだった。そのため、いざ副主将としてチームのために動こうとしても何をしたらいいのかわからない。
今まで触れたことのないロングの扱いに苦戦する毎日。クリアなんて、はるとが言ってたことをそのままやってただけで、正直何もわかっていなかった。しかしそれを言い訳にして何もやろうとしなかった自分がいた。
新チームが始まって数ヶ月経った頃にゴリから「しんどいのはわかるけどLINEに反応してほしい」とLINEが来た。この時ほんとに申し訳ないと思った。ゴリは色んな業務を1人でこなしていて、しんどそうな姿を見て見ぬ振りしていた。当事者意識のかけらもなかった。本来であれば自分もチームのために行動して、一緒にチームを作るべきだったと気づかされた。練習メニューを作るようになったのはその時からだった。少しでもチームの力にになろうとした。けれど自分はマネージャーと連携して色んな業務を行うほどのマルチタスクを得意としていないことは高校生の時からぼんやりと自覚していた。
そんな思いの中、自分にできることを探した。
それは練習を作ることだ。プレーの中でのミス、怠惰なプレーに対して指摘をし、時にはチームを鼓舞することだ。これは誰でもできることだが、多くの人がやりたがらないことである。みんな楽しくラクロスしたいし、人に指摘なんてしたくないから。でも強いチームにとってこの役割は必要だと思った。だから自分がその役割を担うことにした。それは副主将として自分が唯一できることと思った。ラクロスの知識や技術が乏しい自分ができることと言えば、練習に対する姿勢や態度、基本的なプレーについての指摘だけだったが、そこがラクロスというスポーツにおいて一番大切な部分だと思った。
今日は言いすぎたなーと思い、家に帰って反省する日々が続いたが言い続けた。それは支えてくれるスタッフ、プレイヤーを断念した選手、ボックスメンバーに選ばれなかった選手...多くの人の代表である自分たちが不甲斐ないプレーをして試合に負けることはあってはならないことだと思ったからだ。練習でどれだけ嫌な顔をされてもいい、それでこのチームが試合で勝つことができるなら。その一心でこの1年間取り組んできた。
そんな想いを胸に日本一を目指し挑んだリーグ戦の結果は1勝2敗1分。完全にやってしまった。とても不甲斐ない。獨協戦前に戻らせてくれと願い何回目を閉じたことでしょうか。
自分たちに残された道は試合に勝って引退をする、負けて入れ替え戦に進む、この2つしかない。うん、すごい残酷。引退しないために勝ち続けたいと思ってた自分からしたらほんとに悲しい現状だ。
このラストブログで東大戦勝って引退しようなんてほんとは書きたくない。けど自分たちに残された道はそれしかない、だから書きたくないけど書くことにする。
みんなで勝って引退しよう。自分たちの気持ちを見せよう。1部の舞台を後輩たちに残して、思いを託そう。
#51有光 遼太
最後にお世話になった人たちにメッセージを残そうと思う。
33期のみんな
毎朝うるさいと言われているが、テンションが高かったのは練習に行けばみんなに会えるからです。一人暮らしで寂しく過ごす自分にとって、みんなとの時間はとても楽しかった。みんなのおかげで大学生活が楽しかった。みんなとラクロスができてよかった。ほんとにありがとう。
両親へ
いつもお金を吸い取ってしまってすいません。
おかげさまで良い仲間にも恵まれ、高すぎる学費分に見合ってるかは分かりませんが、充実した大学生活を送れました。社会人になってお金が貯まればお父さんの行きたがっていた北海道旅行をプレゼントしようと思うのでしばらく待っててください。長い学生生活を支えてくれてありがとうございました。まだまだ頑張ります。
しょうたさん
家が近いことからよく壁あてに誘ってもらえるようになって、毎日壁あてに行く習慣がついたのはしょうたさんのおかげです。2年生の時にはよく話を聞いてくれてとても助かりました。ありがとうございました。また焼肉連れてってください!
天野さん
1年生の頃から僕たちにラクロスを教えていただきありがとうございました。ひと足先に選手を引退し、学生コーチを引き受けることの覚悟や辛さを4年生になって知りました。僕たちにラクロスを教えることを選んでくれたこと、ほんとに感謝しています。ありがとうございました。
たまにグランドに来てくださって僕たちの顔を見に来るあたり、相当僕たちのことが好きなんだなと思います。いつでも話し相手になりますよ!
なおすけ
たまに何を言ってるかほんとにわからない時があったけど、ロングについて1から教えてくれてありがとう。なおすけのおかげでディフェンスが楽しかった。なおすけのラクロスに向き合う姿勢に何回もいい刺激をもらってました。ありがとう。
感謝の気持ちはここまでにして、次のラストブログは塚田くんです。
塚田くんといい慣れてないのでゴリと呼ばせていただきます。
ゴリはみんなが知らない部分でチームのために選手たちのために動いてくれていました。ありがとうございました。
僕は副主将として役に立ちましたか?笑 その答えをいつか聞いてみたいものです。
いつも明るくチームを鼓舞し続け、うまくチームをまとめ上げるゴリにも色々考えることや、行き詰まることがあったのかなと思っています。そんな塚田ゴリくんのラストブログ楽しみにしてます。