“……少なくとも書においては人からも褒められるし、自分でも密かに自信をもっていた私の、その自信が見事に砕け去る時が来た。
或る日、私は長い唐紙に一番好きな詩を書いていた。
夜半樟亭駅
愁人起望郷
月明何所見
潮水白茫々
その時、先生が、
「誰の詩か」と訊いたので「白楽天」と答えると、
「いい詩だ」と言うが早いか、私をどけて書き始めた。
その奔放自在さ、筆法は全くの自己流、大小さまざまな字を、無雑作に一気に書いてゆくと、終わりがぴったり収まるのが不思議だった。
先生は書き終えると、私の書いたものと並べて壁に張った。その時、同じ詩がこうも違うものかと、はっきり思い知らされたのである。
私は字を書いているのに、先生は詩を書いている。しかも一見不揃いな一字一字が、全体のバランスとリズムの中では渾然と統一されているのだ。私は一字一字、整然と書いているのに、全体として見ると曲って見えるし、はみ出したりしている。それは何故だろう。先生に訊くと、
「気が通っていないからだ。僕は、最初に紙全体に愉気してから書く。このことは大観さんも言っていた」と言った。
横山大観さんは、日暮里時代の愉気の講習会に来ていたという。
「習字でも芸事でも上達する秘訣は、やたらに練習することではない。懸命に練習して、よく出来たと思った時、すぐやめる。そして何日か間をおいて始める。その間(ま)が大事であって、やめた時の状態よりも必ず上達しているもんだよ」
と全く耳新しい練習法を教えてくれた。
しかし、あまりにも個性的で自由自在な先生の書を見てしまった私は、型にはまって個性のない自分の字がだんだん嫌になってきた。
「僕は習わなかったからさ」
と先生はあっさり言うが、一旦習った予楽院と行成卿(学校の手本)の書体から、何とか抜け出そうと、あれこれ工夫しているうちに或る日、ふっと気づいたことがあった。『自由自在なのは書体ではない。囚われない心なんだ』と。
「夜半樟亭駅」の詩を書いたことをきっかけに、先生は漢詩を書くことに興味を持つようになり、逆に私は『それを見る人』になってしまった。
父から貰った硯も墨も筆も、私が使うより、先生が使ってこそ活きるような気がした。先生は「定天山」という支那の穂の短い筆が一旦気にいると、もうそればかり、その大・中・小を終生愛用した。
「墨は、若くて程よく間が抜けている女が、ゆっくり時間をかけて磨ったのが一番いい。墨の色に艶が出る」
というので、私は嬉しくなり、
「じゃあ、私は適任ね」と言うと
「程よくだよ」
と片眼を細くした。”(P57~P60)
“ある日、私は先生に習字の上達法を尋ねた。すると、
「よく書けたと思った時にすぐやめて、間をおくこと。潜在意識が憶えてしまうと、次に書く時は、より進歩している」と。
これも間を活かす練習法なのだろう。
しかし、よく考えてみると、私は三十年間、先生が習字の練習をしている姿をみたことがない。いつも書くときが本番で、紙全体に気を通すや否や、いきなりさっと書き出す。しかもそれがピタッときまるのが不思議であった。
このことは、先生の若き日の随想『能は芸術か』を読んだときに納得できた。
「練習をやめ、ただ一度だけという心を持って虚心に舞う時、能はその人の裡に生きる。その一挙手、一投足を、生涯に於ける只一度の動作として全力を以て行動する時、能は芸術としてその人のものになる。練習するな」
茶道にも「一期一会」という言葉があるが、先生の操法も書も文章も、いや生活の一瞬一瞬が「一期一会」であって、練習とか、下書きとかいうものがなかったことを、この頃になって思うのである。”(P216~P217)
(野口昭子「時計の歌」(全生社)より)
“……凛ちゃんの所作が、「三日の午後まではきちんとしていたのに、今日はどこかおかしい、どうしてかしら」と三代目のおばあちゃまが首をかしげておられた。その時、亜紗は急に昨夜遅く、狛江で凛ちゃんが紙屑籠を臼にして、ものさしを杵にして踊って見せたことを思い出し、そのことをお話すると、
「それだわ、きっと!」
「三日のお稽古で、きちんとできたところで終えて、安心していたのに、そのあと、自分流に勝手に踊ったりすると、くずれてしまうのよ」
ときびしく注意されたという。
私はあの晩、興味本位に凛ちゃんを踊らせたことを申し訳なく思うと同時に、大先生が昔、上達の道について、それと全く同じことを言っていたのを思い出した。
「習字でも、ピアノでも、練習して上手にできたところでやめること。やめることで、次にはその時点から出発できる。それが上達の道だ」と。
このことは練習を必要とするあらゆる技能や運動の世界にも通じることではないだろうか。
練習練習の連続で、くたくたになりまでやって、草臥れてやめる。その繰り返しでは何の進歩もない。もしも教え導く立場だったら、練習をいつ終えるかを見究め、そのあと愉しい空想を導き出せる人が、最もよい師と言えるかもしれない。”(P250~P251)
“……どうしたらバランスよく、美的に書いてゆくことが出来るか、工夫しているうちに、書くことに、だんだん興がのってきた。ねばならぬから、自発性への転換だろうか。
筆がどんどんはかどるうちに、ふと先生の言っていたことを思い出した。
「書の上達は、手習いをいつ止めるか、にかかっている。うまく書けたときに、すぱっと止める。そして二三日間をおく。すると次に書くときは、止めたときよりももっと上手になっている」と。
そこで私も、自分でよく書けたなと思ったときには、そこで一旦打ち切り、また翌日書くということにした。
もしも疲れきるまで書いて、書体が乱れ出してから止めると、潜在意識にその乱れがインプットされて、なかなかそこから抜け出せないという。今の教育は絶え間ない練習と努力の意識教育ばかり……。もし間(ま)の中に、潜在意識の働きを活用するという教育が取り上げられたら、子供達はどんなに幸せか……。
そんなことを考えながら、私は私なりに呼吸で書くことの要領を得て、更に書くことが愉しくなってきた。”(P368~P369)
(野口昭子「見えない糸」(全生社)より)
“……人間というのはやはり気で繋がっている部分というのがあって、そこには一つの気の世界みたいなものが存在しています。大げさに感じるかもしれませんが、そういうつもりで愉気していく。そうしていると何となく違ってくるのです。この間も或る大変上手なピアニストなのですが、その人が弾くと大変音が静かな澄んだ感じがする。その人は活元運動も熱心にやっている。それで、「普段どうやって練習しているのですか」と訊きましたら、「ピアノに一生懸命愉気しています。本番前の三十分、ピアノに気を通しています」と言うのです。そんな馬鹿なと思うけれども、実際に何か気配が違う。ピアノは生きものではないのに、そうやって気を通していると、何か分からないけれども、確かに感応するものがある、違うものがあるのだなと思わざるを得ない。よく世の中で名人と言われる人がいます。同じものを使いながら常人には考えられないようなことができる。しかし、そういう人でもやっていることは基本的には皆と同じで、上手とか下手とか言っても大した違いはない。ちょっとした差しかないのです。けれども、そのちょっとした差は何かというと、気が通っているとか通っていないとかいうことなのです。そういうものが実際にあるとないとで全く違ってくる。私たちの愉気は生きている人、人間に対してやっていますから、生きていないものより遙かに敏感に反応があります。皆さんも気を通すということをお互いに練習し合ってみて下さい。きっと今までと違った世界が開けてきます。”
(「月刊全生」平成13年9月号 野口祐介『愉気のあり方』より)
*上の文章では『三十分、ピアノに気を通して』とありますが、別にそんなに長い間ピアノに手をかざさずとも、「気」は本来時間空間を超越しておりますので、触れた瞬間、あるいはピアノを見た瞬間に、もうそのピアノは気で充たされたと意識できれば、それで大丈夫だと言う方もおられます。
*習字の練習で、上手く書けたらそこで止めるつもりなのに、なかなか上手く書けず、止めるに止められず、焦るばかりで、字もますます乱れてしまい……と泥沼にハマってしまうこともあると思います。これは整体協会の方が言われたのではありませんが、そういった場合は、やはり練習をやめて、残りの練習時間を、「名人の書」を鑑賞したりなどして過ごすのがよいのだそうです。
*これは日本エドガー・ケイシー・センターの光田会長が言っておられた話ですが、あるピアニストが、ピアノの上達方法についてケイシーに質問したことがあります。そしてその答は「あなたの演奏を神に捧げなさい」でした。たとえばコンクールで賞を獲得することを目的としてしまうと、それが上達の上限となってしまいますが、無限なる存在が対象であれば、上達の余地も無限にあるということになり、実際にどんどん上達してゆくのだそうです。考えてみれば、日本の芸能や武道は、本来はどれも神仏に奉納するためのものでした。近年、昔のような名人や達人が現われなくなったのは、戦後すべての分野において、宗教色が薄められてしまったこととも関係があるのかもしれません。ちなみに、エドガー・ケイシーの音楽に関するリーディングを集めた本としては、シャーリー・ラブ・ウィンストン著「エドガー・ケイシー文庫001 音楽療法」(中央アート出版社)があります。
・スサノオは芸術の祖神
“私の流儀は、みずから称して神代派といっているが、神素盞嗚尊を心に念ずるとき、ああした絵が描けるのである。私の絵画展覧会を見た人が『一々描き方がかわっていて、一人の人がかいたとは思えない』と評したと聞くが、まことにそのとおりで、私の想念が応挙にある時、その画風が応挙とあらわれ、月樵を思う時、その筆法が月樵と出てくるので、私の想念しだいで、千種万態の画風が生ずるのであるから、一人の人が描いたと思えぬという評は、私の絵を知るものの言である。一流一派に拘泥する必要はないと思う。
私は近ごろ、山水と漫画との調和を思いたち、筆をとってみたが。あんがいうまくいって、ちょっとおもしろいものが出来た。これはおそらくレコードであろうと思う。
そもそも、芸術の祖神は素戔嗚尊さまであるから、心中この大神を念ずるとき、絵画といわず、陶器といわず、詩歌といわず、あらゆるものに、独創が沸くのである。”
(「出口王仁三郎著作集 第三巻」『絵について』読売新聞社より)