出口聖師と書道 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・出口聖師と書道

 

 “戦後、芸術という言葉が流行したために、古来からの‶真の美‶を追求することを怠り、ただ奇狂に走り、何が何だかわからないものを芸術だと称し、展覧会を見ても、われわれ老人には理解しがたいものが、だんだん増えてゆくような気がします。古典も古筆も習わない若い人達が、前衛書道といって書いているものには見るに耐えないものが多くなってきております。

 かつて聖師さまは『芸術は宗教の母なり』と申されましたが、この大宇宙を創造されたことこそ、‶神の芸術‶であり、世界を救済する宗教も、その大芸術から生まれたものであります。われわれが追及し、勉強する書道も、宗教と同様に、この神の大芸術に基づいたものでなければなりません。

 霊界物語第一巻が発行されたとき、聖師さまが、まだ学生であった私のために、

 

  矢さけびの沢ぎのこゑを静めつつ弘むる道のいち次郎きかな

 

  瑞月憑虚空照破萬界暗

 

と、お歌と詩を、霊界物語の表紙裏に書いてくださいました。それまでの私は、聖師さまのお作品は、神霊界等の写真版を見ただけで、真筆を見るのは初めてでした。丸やかな中にも厳しい書体に感激しました。その後、亀岡の高天閣にご面会にあがりました時に、聖師さまがお習字をしておられる姿を、時々お見かけいたしました。聖師さまは、『書は王羲之が一番よいのじゃ。わしも王羲之の書を練習して、何か書き物をするときも間違いのないように、こうして調べて習っているのだ』と教えてくださいました。

 今日、書道をいくらかでも心掛けるようになって、その当時のことが懐かしく、聖師さまでさえも何か物を書くときには、ていねいに古典を調べて、お習いになっておられたことに、深く頭の垂れる思いがします。”

 

      (「おほもと」昭和56年1月号 矢沢弘雲『書道と私の体験』より)

 

 

 “御作品として聖師の書画が残っているのは、大正五、六年ごろのものからである。昨年十一月の東京における御作品展、さらに十二月徳島における御作品展に展示した、十枚の襖一杯に描かれた雄大な松の絵には、大正八年に描くと署名してあるが、数少ないこの時代の作品中、構想の壮大さ、筆力の豪放さ、壮年期における聖師の気魄に感動がこみ上げてくる。

 この時代、或いはもう少しさかのぼるかも知れぬが、聖師のすさまじきまでの芸術修練のさまを聞いたことがあった。大阪に古い信仰をつづけていられた内藤正照夫人の話であるが、或る日訪ねて来られた聖師は、夫人に半紙一〆を買って来るよう頼まれた。夫人はいぶかりながら頼まれるままに買ってくると、聖師はそれを抱えて二階へ上がり、夜おそくまで、書きものでもしていられるような気配があった。翌朝、内藤夫人が二階へ上がると、おどろいたことに、八畳と六畳の二階の部屋は一杯に紙で埋まっている。見るとみな、すみ黒々と習字をした紙である。夫人は驚くやら呆れるやら、もったいない阿呆なことをする人だ、とボヤキながら風呂場で燃やしてしまった。いま考えるともったいないことをして、私こそ阿呆なことをしましたと、夫人はいつも述懐しておられた。

 この事実は、聖師の芸術を理解するうえにおいて大事な鍵である。これは多くの聖師の教え子たちが、聖師の御作品は人間的努力なくして、神智、神覚によって生み出されると、簡単に割り切っているが、世の多くの芸術家と変わりなく、人間的努力の蓄積によって大成されたことを知るべきである。”

 

         (「神の國」昭和27年2月号 出口虎雄『孤高の寂寥』より)

 

 

・濁音(濁点)の書き方

 

 “聖師は、濁音について次のように教えられた。

 「開祖さまがお筆先を書かれる様子を見ていると、濁音すなわち「が」とか「ざ」とかの字を書かれるとき、その濁点である「 ゛」を右上の点を先にして、次に左下を後に書かれるのである。しかし学校で教え、また一般の人々が実行しているのは、左下を先に、右上を後にしているので「点々は左下を先に打つのが正しいのですよ」とご注意申し上げたことがあった。すると開祖さまは「そうですかなあ……でも神さまが、こう書かされるので仕方がありませぬ」と言われて、その後もそういう書き方を続けられた。しかし、そう言われて、深く考えてみると、開祖さまが言われたことが正しかったということが判ってきた」と。

 そして、聖師は次のような話をされた。濁音は単音が重なるときに用いられる言葉であって、たとえば父の父が爺(ぢぢ)になり、母の母が婆(ばば)になり、単語が複合する場合、神々(かみがみ)、人々(ひとびと)、木々(きぎ)、草々(くさぐさ)となるのであるから「 ゛」を右上から先に書くのが正しいことになるのである。そして「 ゛」の二つの点は横にならべるのでなくて、「こ」の字型に少しでも右が上になるのがよいようである。(ただし横左書の場合は違うかも知れんが。)

 また大本では「言霊」を「ことたま」と発音しているが、他の教団などでは「ことだま」と発音する向きもある。どちらが正しいかと言うことは出来ないが、「ことたま」は言の葉を総称するものであり、「ことだま」は「多くの」「様々な」という意味が含まれているもので、また「言の葉」と「言葉」も厳格に区分すれば、その意義が変わってくるようである。”

 

        (「おほもと」昭和52年12月号 葦原萬象『如是我聞』より)