能楽  (みろくの世の舞い) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……開祖さまは、神さまに誘導されて、よくお能の真似をされたのでございます。これは形においては真似のようなものでありましょうが、その精神面、神業面の世界におきましては、堂々たる大神能をお舞いになっておられたのでございます。そうして、二代さまにおのこしになった言葉として、「あのなあ、おすみや、みろくの世になったらなあ、皆んなこうして舞うのやで」というお言葉をおうかがいしております。

 かつて、愛善苑発足まもないころ、農園で中山茗水先生を中心に皆なでお謡いをうたったり、お仕舞を舞ったり、鼓をうったりさしていただいたことがございました。その当時、ある人が鼓の稽古をしておりましたところ、その近くにおられた某氏が二代さまのところへ行かれまして、「こういうご時世に、ああして遊惰に遊んでもらっては困る」というふうなことを言いに行かれたことがございますが、二代さまが、「あのなあ○○はん、大本はなあ、一つの型の出るところやでなあ」と言っておさとしになったこともございました。”

 

   (「おほもと」昭和35年7月号 出口直日『能「猩々」の初舞台をふんで』より)

 

 

・「能楽の精神」   中野岩太(茗水)

 

 “能楽は日本人固有の芸術である。即ち日本人の精神そのものの芸術的発露が能楽そのものであって、吾等がうけたる天地自然の活能を如実に顕現する至芸である。その間一点の邪念と狡智との存在を許さない。されば吾人が自然と合一したる境地に達したるとき、ここに始めて真の能楽の発顕を見るのであって、常に邪欲の巷にその生を求めつつある吾人が人間の純真に帰するとき、即ち能楽の演出となるのである。しかも能楽は日本の特技である。真理に国境なく人間の純真亦然りとするも、日本人が日本人の純真に到達し、神人合一の芸術境に入ること即ち能楽の真生命であって、日本人の真精神の発露にその根底を置くことが能楽の能楽たる所以である。されば能楽の修練は自然にして無技巧なる純真の追及にして、真剣、緊張、懸命の努力ここに始めてその一道の直路を認め得るのである。能楽は品位と純真とを骨子とする。品位あり純真にして幽玄を極め至美の発露となるのである。品位は人間としての修練すなわち神人合一の境地に達する各人進歩の程度を表わすもので、真に神人合一の境地に達したるときここに最もその完全なる品位の発露となり、尊崇の念、随喜の涙悠然として起こることを禁ずる能わざるのである。純真にして始めて曲の意味の諷唱演出が行われるのであって、人情の徹底的理解すなわち人間の純真に立脚して、曲の人物と同化したるとき、始めて万人を動かすのである。人情の至美、人間の人間らしさは単なる技巧や物真似の企て及ぶところでない。されば能楽を嗜む者第一は先づ己の邪念を去ることである。邪慾は凡ての下品の因であり、人間堕落の根源である。神人合一境に入るべき能楽の修行に第一の敵たる邪慾小智に捉わるる限り、到底能の片鱗だも触知することあたわざるは自然の理である。

 然らば如何にして邪慾の念を去り、神人合一の境に入るべきか、曰く他にあらず。臍下丹田に精神を集中し頭脳の小智に活動の余地を与えず、無念無想無我の境地に立ちて技巧に走らず、純情の動くに任せてこれを演出することである。素朴、枯淡、無技巧は能楽の本能であって、そこに真の能楽の深遠不可思議なる神人の道、人物の至美が表現せらるゝのである。(以下略)”

 

         (「おほもと」昭和32年10月号 『茗水翁の言葉』より)

 

*出口聖師も能を舞われ、モンゴルへ行かれた時には、持参した荷物の中に「西王母」の衣装があったことが知られています。道教の西王母は坤(ひつじさる)の金神様と同一神であり、聖師様はエルサレムでこの衣装を纏い、救世主としての宣言を行うつもりだったそうです。