・一人の戦死者も出さなかった部隊
“第二次大戦中、ウィットゼイという大佐が率いるイギリスのある連隊は、五年の間に何度となく戦闘に出ながら、ひとりの死者も出さなかった。
まさに奇跡としかいいようのない事実である。
この驚くべき記録は、連帯の将校、下士官、兵士の全員が、聖書の中の「詩篇」第九一章の言葉を暗記し、それを唱えることで成し遂げられたといわれている。
神を信じて祈り続け、自分たちはいつも神の加護を受けていると強く思いこんでいたという。「信じる者は救われる」ということであろうか。”
(「開運・厄除け 面白すぎる雑学知識」青春出版社より)
・天の派遣した援護隊
“1977年ニュージャージー州ナットリー。新米警官スティーブ・ロジャースは、フィルとパートナーを組むことになった。フィルは年上で優れた判断力を備えているだけでなく、信仰心を率直に出すキリスト教徒でもあった。直情型でときには反抗的ですらあるスティーブにとって、フィルは格好のお手本だった。
毎日、勤務に出る前に、二人は祈ったり聖書の一節を読んだりしていた。よく暗誦するのは、神の加護を約束し、危険にさらされたときには天使を遣わすと書かれた詩篇九一だった。
ナットリーの町は、日々手に負えなくなりつつある大問題を抱えていた。繁華街にティーン・エイジャーが溢れるほどたむろし、酒を飲み、ドラッグをやり、建物などを壊したりしていた。警察は、そういった子供達の溜まり場を知っていたが、集会に手入れをしても、ほとんどがうまく逃げ出してしまって捕まらない。明らかに、秘密の隠れ家がある・・・”
“・・・小道をたどっていくと、巧妙に隠された洞窟があった。中には、ドラッグのカプセルや酒類、ポルノ雑誌、マリワナが散乱していた。若者たちが警察の目を逃れて隠れていたのはここだった。今晩、この洞窟の手入れをやろう。二人はそう決めた。
勤務に着く前に応援の警官を要請したが、自分たちだけで行ってくるように言われてしまった。たった二人だけで、あれだけ大勢の血気盛んな若者どもをどうやって捕まえろと言うんだ?二人は再び詩篇九一を読み、祈った。それから、すでに線路際に集まっていた一団をとらえに出かけた。・・・”
”・・・明らかに人数で勝ち目がないことを知りながらも、二人は隠された小道を見つけ、大胆に洞窟へ踏み込んだ。「動くな!」スティーブが怒鳴った。洞窟の中の誰も微動だにしない。スティーブは少年たちにざっと目を走らせた。少なくとも十二人はいる。やった、ミスター・ビッグも捕まえたぞ!
フィルがミスター・ビッグに近づき、手に持っている包みを渡すように言った。若者はおとなしくドラッグのカプセルの包みをよこした。スティーブは他の証拠品を集め、被疑者の権利を読み上げた。それから、洞窟の地面が見えなくなるほど大勢の若者を見まわした。たった二人の警官の前にあっけなく屈したことに驚いていた。なぜ誰一人向かってこようともしないんだろう?
警察のバンが止まった。二人はとらえた若者たちを洞窟の外へ連行した。そのときに、スティーブはミスター・ビッグのほうへ向いて尋ねた。「きみや他の子供たちは、なぜ、ぼくらが入ってきたときに、刃向かおうとしなかったんだね」
「あんた、おれのこと頭おかしいと思ってんの?」ミスター・ビッグが聞き返した。「制服のおまわりが二〇人はいただろ、刃向かったり、逃げたりするほうがどうかしてるぜ」
「二〇人?いや、ぼくら二人しかいなかったよ」
「へえ?」ミスター・ビッグはとらえられた他の若者の方に声をかけた。「なあ、ベリンダ、洞窟に入ってきたおまわりは何人だった?」ベリンダは肩をすくめた「さあ、少なくとも二〇人はいたね」
フィルと一緒に心をこめて暗誦していたことばを思い出したのはそのときだった。「夜、脅かすものをおそれることはない・・・主はあなたのために御使いに命じて・・・」・・・”
(J・W・アンダーソン「天使の奇跡 ほんとうにあった37の出会い」祥伝社より)
〔詩篇第九一章〕
1 いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。
(日本聖書協会発行「旧約聖書」より)
*神の恩寵は、神と人との相互的な反応であるがゆえに、人間の側の神への信仰が条件とされます。そして、神は全能であると信じる者には、神はそのまま全能者として力を振るわれ、いくら口で祈りの言葉を唱えても「神さまでもこんなことはできないだろう……」という疑いをもっていては、神さまの方でも力を発揮することができないのだそうです。
*出口王仁三郎聖師は、信徒たちに「天津祝詞」、あるいは「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」を常に唱えるように言われました(緊急のときは、「かんたま」だけでもよい)。実際にその言霊が作用するのだそうです。