ルドルフ・シュタイナーの「祈りの言葉」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……人間の地上化、硬化のプロセスは、宇宙のなかの地球の生成のプロセスとも照応して進行しました。熱だけの状態だった土星紀、月紀、太陽紀を地球は経て、現在のような岩石と緑のある地球となったのです。R・シュタイナーが霊視したこの壮大な宇宙と地球、人間の肉体と意識の変遷のヴィジョンは「神秘学概論」(イザラ書房、人智学出版社)に書かれています。

 R・シュタイナーが活動しはじめた十九世紀から二十世紀の初頭にかけてよりダーウィン、ヘッケルの進化論がさかんとなり始め、人間の祖先は猿であり生物界の「系統樹」のなかで、進化の頂点として考えることがすっかり定着しています。R・シュタイナーはこの生物進化論を否定するものではないのですが、もう一つの流れ、意識の変遷も考えねばならないというのです。いわば霊的進化論ともいうことができるでしょうか。

 この二つの流れについて、生命の発祥、動物界、人間生成の脱動物化などについては、医学博士ワルター・ビューラーの名著が「人智学の死生観-人智学から見た人間の本質、その死と運命-」(水声社刊)として訳出されています。

 R・シュタイナーが没してより七十年経過していますが、私たちの意識と生活の物質化、機械化はさらに進みひずみは教育問題等更に暗くなってきています。

 この霊界との断絶、霊界の沈黙が極限に達しようとするなかで、R・シュタイナーはいろいろの分野、建築、医学、教育、農業、社会問題、宗教、芸術などに、霊学の光をあたえる講義と提案をし、人間自身変容し、修行する方法を示し、多くの弟子たちに折りにふれて祈りの詩、マントラとしてあたえつづけました。

 私が一九五八年の秋、ミュンヘン大学に留学した時期には、まだ直接ルドルフ・シュタイナーの謦咳に接し、直接教えを乞うた弟子たちが何人もいました。詩人のクリスチャン・モルゲン・シュテルン夫人、文芸家アルベルト・シュテッフェン、シュタイナー学校の教師アルベルト・グロッセ、画家のマルガレータ・ポロシン、オイリュトミーのエルゼ・クリンク女史、ゲーテ館のガラス窓をつくったA・ツルゲーネフ女史、そしてチュービンゲン大学神学生だった時に「大学の没落」と題する講演を行なって大学を中退し、ルドルフ・シュタイナーのもとに走り、やがてキリスト者共同体をはじめたゴッドフリート・フーゼマンなどがまだ健在でした。ヒトラーにすべての活動を禁止され、多くの人智学者が投獄され、または地下にもぐっておられた方々が、やっと自由になり、シュタイナー学校やオイリュトミー学校、人智学協会の建設の途上で熱気がありました。

 幸せにも多くの素晴らしい人智学の友人にも出会うことが許され、私の生涯を通じて、今でも親交がつづいている友人がおりますが、私はそれらの方々から折にふれて手書きの祈りの詩をいただきました。まったく普通の生活者である私に生活の折にふれて困難にぶつかった時優しく手渡してくれたのです。思いもかけぬ困難にぶつかって呆然と力を落としてうなだれていた私に話しかけ、シュタイナーの祈りをいただいたこともありました。不思議にも繰り返し、その言葉を唱え、瞑想していくと、直面していた困難をのり越えることができるのでした。

 たとえば子どもが登校拒否となったとき、または家庭の問題、夫婦の問題がおきたとき、会社の同僚との人間関係のもつれのときなど応用したらよいと思われる祈りの詩をひとつ書きましょう。

 

 自らの内面に働きかけよ

 外に向かって、働きかけよ

 さばくなかれ

 ひたすらに、耳を傾けよ

 いぶかしく思うな

 ひたすらに、観よ

 まるごと、すべてを愛せよ。

 

 外での体験は

 自らの内面を豊かにする

 さけるなかれ

 ひたすらに探せ

 警告するなかれ

 ひたすらに耐えよ

 それに到達するまで、

 

 自らの内面で、やすらぎを

 外をひたすら愛せ

 言うなかれ

 ひたすら悩め

 たずねるなかれ

 ひたすら、待て

 おまえに、あたわるまで。

 

            ルドルフ・シュタイナー

 

 物質主義が極限に達し、神や仏の存在が不確実というよりも無になる霊界との断絶は、人間関係の断絶をももたらします。他者が見えなくなるのです。R・シュタイナーは、現在のこの地球紀の使命と役割は人間の自我の確立と愛であると言います。自我が確固たるものとなっても個と個の主張だけでは、どうにもなりません。他者の絶対的認識と尊重、それには徹底した寛容と許し、愛が肝要です。何故ならそれぞれ人間のもつ自我は精神性であり霊的存在なのですから。どんなに対立しどんなに外的に遠い距離にあっても人間の自我は深いところで同じ霊的存在なのです。他者の意志を徹底して認めるとき、その他者は自ら、私の意志に添ってくれるようになるのです。学校に行きたくない子どもをいくら強制しても無駄です。しかし、その不登校の意志を認め、まったく自由にしてあげるとき、自分で何とか学校に行ってみようと努力しはじめる時がくるのです。

 人はどうしようもなく、無力感におそわれ、何にも手がつけられなくなることがあります。そんなときあれこれ考えることをやめ次の詩を集中して唱えると力がわいてきます。

 

 無敵なる勝利の霊よ!

 力失い臆せる

 私の心を、あなたの焔で、つつんで下さい。

 私の利己心を、やきつくして下さい。

 そして、同情の心をともして下さい。

 人類の命の流れの源泉である無私の心を

 力強くひろがらせて下さい。

 

              ルドルフ・シュタイナー

 

 人間は肉体と心(魂)の存在でありますが、霊(精神)の存在でもあると考えるのがR・シュタイナーです。心は嬉しかったり悲しかったり、たえず共感と反感のあいだをゆれ動いて、確固としていません。R・シュタイナーの主著「神智学」(イザラ書房)の冒頭はゲーテの言葉から始まっています。

 ――人間は自分の周囲に対象を認めると、それをすぐに自分自身との関係において考察する。そしてそれは当然である。なぜなら対象が自分の気にいるか否か、自分を惹きつけるか否か、有用か有害かということに人間の運命がかかっているのだから。物を観察し、判断する際のこのまったく自然なやり方は、どうしてもそうしてしまうくらいにまで容易なやり方のように思われている。けれども人間はそうすることで無数の誤謬にさらされており、その誤謬がしばしば自分を赤面させ、自分の人生を辛いものにしているのである。――

 精神の動きがない限り、感情はどこまでもますます強くひろがっていきます。感情の雲でまわりが見えなくもなるのです。

 

 

 “……シュタイナー幼稚園とシュタイナー学校のためにR・シュタイナーはそれぞれの発達段階にあわせて祈りの言葉を与えています。私の幼稚園ではもう十年以上この祈りを唱えていますが、子どもたちは大好きです。この祈りの言葉が入ってからシュタイナー幼稚園の輝きが出てきました。どんなに外形がシュタイナー教育であっても、祈りが入らない限り生き生きとしてこないのは不思議です。言葉には言霊があり、人間の魂を形成する力があるのだなあといつも感じています。

 

      幼な児のためのお祈り

 

 私の頭も、私の足も、神様の姿です。

 私は心にも両手にも、神様の働きを感じます。

 私が口に開いて話すとき、私は神様の意志に従います。

 

 どんなものの中にもお母様やお父様や

 すべての愛する人の中にも動物や草花や

 木や石の中にも神様の姿が見えます。

 

 だからこわいものは何もありません。

 私のまわりには

 愛だけがあるのです。

 

 幼児たちは、まだ古代人の意識状態にあります。現代人の意識ではないのです。まわりと同化し、一体となり、すべての神を見るアニミズムともいえましょう。まわりを信頼しながら夢みつつ、好きな遊びに没頭して幼児期を過ごすとき、はじめて、健全な肉体と魂の成育が可能なのです。

食事の前にも、お祈りをします。

 

       食前の祈り

 

 土が食物を育て、日がそれを実らせました。

 太陽と大地のめぐみを

 決して忘れません。

 パンは穀物からできました。

 穀物は、光から、生まれました。

 光は、神様の顔から、輝くのです。

 

 神様の光よ

 大地の実りよ

 私の心を、光で

 明るくして下さい。

 

 R・シュタイナーは幼児期に感謝の気持を教えねばならないと説いています。シュタイナーの幼児用の基本の気分は畏敬と感謝です。

 「神智学」と並ぶ大切な書に「如何にして超感覚的世界の認識を獲得するか」(イザラ書房)がありますが、そのなかで魂の基本として真理と認識への畏敬・礼賛の感情が出発点であり、どんなに不可欠であるかが述べられています。幼児が畏敬と恥じらいの目で尊敬する大人を見ることのできる環境をつくることは、私たち大人の緊急の課題でありましょう”

 

(季刊「AZ」35号 1995春『澁澤龍彦&シュタイナー』 高橋弘子『シュタイナーの祈りとマントラ』より)

 

*シュタイナーによる「祈りの言葉」を纏めた本で、日本語に訳されたものが「瞑想と祈りの言葉」(イザラ書房)として出版されています。Amazonでも購入できます。

 

・介護者の為の祈り  〔ルドルフ・シュタイナー〕

  輝く明るさの中
  心の中に
  人間のもつ
  人を助ける意味が宿る

  あたためる力の中
  心の中で
  人間のもつ
  人を助ける力が働く

  それ故に、魂の全き意志を
  心のあたたかさと
  心の光の中で
  担わせてください

  それ故に、私たちは
  救済を
  救いを求める人々にもたらします
  神の恵みの意味によって

            ルドルフ・シュタイナー


          (小林直生「死ぬことと生きること」涼風書林より)

 

*シュタイナーの最晩年(1924~1925年)、彼の主治医であったイタ・ヴェークマンは看護師養成学校の設立を計画していました。この祈りはその時に、シュタイナーから看護師たちに与えられたものです。職業的看護師のみならず、家庭で老人や病人の介護を行っておられる方々にとっても、力となってくれる祈りだと思います。既に絶版となっているのが残念ですが、日本人としてはじめてキリスト者共同体の司祭となられた小林直生師のこの本「死ぬことと生きること」の中には、他にもシュタイナーによる『病気の際に念ずる言葉』『「死者への祈り」などが載せられています。

 

*祈りの言葉、アフォーメーションの重要性については、エドガー・ケイシーやパラマハンサ・ヨガナンダ師も説いておられます。パラマハンサ・ヨガナンダ師が弟子たちに教えられたアフォーメーション集として、「科学的な癒しのアフォーメーション」(SRF)という本もあります。この中には『癒し全般に用いるアフォーメーション』や、『物質的成功を得るためのアフォーメーション』、『霊的成功を得るためのアフォーメーション』などが載せられています。

 

*ちなみに、「霊界物語」の第61巻と62巻は「讃美歌集」となっており、他にも「霊界物語」の中の『宣伝歌』を纏めた「宣伝歌集」というのも出版されておりますが、これらは日本語で朗誦、暗誦できる『祈りの言葉』です。数ある「宣伝歌」の中には、第48巻の『祝詞くずしの宣伝歌』というのもあります。「天津祝詞」や「神言(大祓)」がそのまま歌としてうたえるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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