言語と脳波 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “クレイグ・トーマス原作の航空スリラー『ファイアフォックス』という作品をご存じだろうか。いや、どちらかと言えば、これは小説としてよりも、クリント・イーストウッド主演の同タイトルの映画のほうでよく知られているかもしれない。

 旧ソ連で開発された最新鋭戦闘機、ミグ-三一(現実のミグ三一とはもちろん別物だ)ファイアフォックスを盗み出す密命を受けたアメリカの退役空軍パイロットが、ソ連国内の地下抵抗組織の援助を受けつつ目的の戦闘機をソ連書記長の目前で奪い、壮絶な空中戦を演じて逃げ去る、というお話である。もっとも、その後開発された続編では、主人公は北極に不時着し、ソ連当局に捕らわれることになっていたが。

 この映画を、飛行機オタクの端くれである私は、当然映画館で見た。かんじんのミグ三一のデザインは、今一つだったが、映画そのものはなかなか見せ場が多くて悪くはなかった。

 ただ、一カ所、映画を見ていた多くの観客が思わず失笑をもらしたシーンがあったのが、その時私の印象に強く残っている。

 映画の終わり近く、主人公が乗り逃げしたファイアフォックスを、二機目の同型機が追撃してきて、北極海上空でドッグファイトが始まる。この時、後ろをとられた主人公は、後方へ向かってミサイルを発射しようとする。

 実はこの戦闘機には、ハイG環境下でもパイロットがすべての必要な操作を完璧にこなせるよう、「思考誘導装置」なるものがついていた。パイロットが頭の中で命令を「ロシア語で考える」と、ヘルメットに内蔵された装置がそれを読み取って機体に伝えるわけである。絶体絶命の窮地に追い詰められた主人公は、ぎりぎりの瞬間にそのことを思い出し、後方ミサイルを発射して、追撃機をやっとのことで撃ち落とすのである。

 この場面で、なぜ観客が笑ったのだろう。

 まあ、このエピソード自体が、無理矢理取ってつけたような、間抜けな印象を与えたことも事実なのだが、それよりも観客は、ロシア語で命令しなければソ連の戦闘機は理解してくれない、というところに何らかのおかしみを感じたのではないだろうか?

 そして、そう考える背景には、思考というものはもっと純粋で抽象的なものである、という認識が存在したのではなかろうか。

 つまり、本人がどこの国の人間であろうと、その母国語には関係なく、ヒトの思考というものは、ヒトに共通のある「思考言語」を介して展開されるのだ、と人々は考えている。だから、その「常識」に照らして、明らかに陳腐と思えるこのエピソードを観客は笑ったのである。

 

 むろん以上は、一般化できない推測の段階にとどまるものであることは言うまでもない。しかし、周囲の何人かの人間にこの話をしたところ、その全員が、ほぼこの推測を認める発言をしたことは事実である。

 だが、私自身は、ロシア語で考えよ、という制約をおかしいとは少しも思わない。それはきわめて筋の通った話ではないか。

 現代心理学の基本テクニックの一つは「内省」である。あなた自身、自分が頭の中でものを考える時、「何語で」考えているかよく振り返ってみてほしい。あなたの具象的な思考はすべて日本語の単語を使い、日本語の文法に則って展開されているはずだ。

 どんなに思考速度が早くとも、あくまでそこで用いられているのは日本語である。私は英語で考える、などと言う人がいたら、それは英会話教室のコマーシャルに毒されているか、本当に英語圏で生まれ育った人だろう。

 実は、これを裏付けるような実験は、すでにあちこちで行なわれている。

一九八五年、米ミズーリ大学医療センターのドナルド・ヨークらのチームは、精密な脳波検出装置を用いて、何十人もの被験者に一定の単語を発音させ、その時の脳の活動状況を調べるという実験を行なった。

 その結果判明したのは、英語をしゃべる人間二〇人の間で、一五の同じ英単語を発音する際に、まったく同じ脳波の分布パターンが現われるという事実だった。この時、わずか一五の単語しか載ってはいないが、世界最初の「脳波辞書」が作られたのである。

 ここで、あくまでも、

脳の中では「発音」によって脳波のパターンが決まる

ということにご注目いただきたい。外から思考の内容を読み取るためには、その内容をはっきりと(脳内で)発音してもらうことが重要なのである。

 もっとも、それでは、命令を口頭で伝える音声入力型コンピューターを作ったほうが早いだろうが、これは、言葉を発声できない重度心身障害者のための福祉機器としては、ひじょうに将来性があるかもしれない。

 

 以上のような内容の記事を、一〇年ばかり前。私はある脳科学の本に書いたことがある。

 すると、それからしばらくして、この本を作った編集プロダクションに一件の問い合わせがあった。

 質問を寄せてきたのは、某大手電気通信企業の横須賀研究所の研究員の方である。何でも、この研究にひじょうに興味があるので、文献の出所を教えてほしい、ということだった。

 私は知っているかぎりのことをお教えし、その件はそのままおしまいになったのだが、それから何年か後、あるテレビ番組のために、脳波から思考内容を読み取る研究についてのリサーチを始めて、驚いた。

 実は、あの時問い合わせを寄せられた研究員氏が、実際に脳波で入力の可能な「脳波ワープロ」の研究を開始し、すでにそれは一定の成果をあげていたのである。その研究のプロモーション・ビデオの冒頭には、ちゃんと「ファイヤーフォックス」の問題のシーンもおさめられていた。

 もしかしたら、そう遠くない将来、頭の中で命令を「言葉にして」考えるだけで、コンピューターも、家電も、車も、すべてコントロールできる時代を迎えることになるのかもしれない。

 が、そうすると、私達はここで一つの根本的な謎に直面することになる。

 人間の思考、あるいは「知能」というものは、言葉によって初めて形を与えられるものなのだろうか?

「始めに言葉ありき」という聖書の言葉はそのまま事実なのだろうか?それとも、明確かつ具象的な言葉が生まれる前から、ヒト(もしくは生き物)はものを考える力があったのだろうか?

 特定の単語を一定の文法に沿って並べる、というシステムがヒトの脳にインプットされる前、そこには思考というものは存在しないのだろうか?”

 

(金子隆一「ダーウィンの憂鬱 ヒトはどこまで進化するのか」(祥伝社)より)

 

*これを読むと、なぜ真言陀羅尼はサンスクリットの原文のままでなければならないのか納得できます。

 

*「霊界物語」についても、なぜ文章を変えてはならないのか、ダイジェスト版をつくるべきでないのか、その理由が明らかになったように思います。更に、出口王仁三郎聖師によれば、「霊界物語」はミロクの世を招来するための「世界経綸の一大神書」でもあります。「ヨハネによる福音」の冒頭に「初めに『ことば』があった」とあるように、創造が言葉=言霊によって為されたものであるならば、神の経綸もまた、言霊から始まるものであるはずです。「霊界物語」を音読することによって、その言霊を現界に響かせ、浸透させねばなりません。

 

・「霊界物語」御口述のときの様子

 

“さて御口述の調子は早い時になると素晴らしく早く、速口の人が話しする程度でして、速記ならでは到底取れないような時もありますが、そういう時はまるで夢中で筆を飛ばします。それでも叶わぬ位早くなって五行、六行位も遅れる時があります。他の筆録者の体験はどうか知りませんが、かかる時私は思わず心の中で『神様助けて下さい』と叫びます。そうすると、原稿用紙の上にちょうどダイヤモンドと同じ光をもった小さな玉がパッパッと出て来ます。自分ではほとんど何を書いたか覚えぬような時でもちゃんと間違わずに書けて居るのに自分ながら驚いたことが幾度あるか分かりません。一番口の速いのは高姫さんで、豆がはじけるようにのべ立てられるのに反して、初稚姫(はつわかひめ)様などはおちついて淑(しと)やかなゆっくりしたお言葉です。だから初稚姫様が物語中に出てこられると、筆録者はホッと一息つきます。

 かくて書き上げたものはすぐ他の人が読みます。それを聞いておられて、違ったところがあれば、そこは違っておると仮名一字の間違いでも厳重に訂正されます。ですから筆録者の方では他人が読んで分かる程度に書かねばならぬのですからかなり苦心致します。だけれども調子は遅いよりむしろ早い方が書きよいので、何か外のことを考える余裕があるとかえって後(おく)れるので、考える余地がない位の速さで、ハーモニーがよく取れた時が一番よいのです。漢字交じり文で書くのですが、全く忘れているような文字でもその時は押し出すように出てきます。かくて口述せらるる方も筆録者も全く忘我の境地に置かれております。

 ツルツルと水の流るるが如くに出て来るのですが、途中で分からないことなどがあっても問いかえす訳にはゆかないので、問いかえすその瞬間ハタリと御口述は止まってしまいます。そしてしばらくは出なくなってしまいますので、どんなにわからぬことがあっても問いかえす訳にはいかず、済んでしまってから、あの処は分かりませんでしたから、もう一度言って頂きたいとお願いすると、王仁(わし)が言うておるのではない神様が申さるるのである、後から聞いても分かるものか、と申される。その上一言でも書き漏らすと取りかえしがつかぬ、神には二言がないからと申される。かくなると人間業では到底できないので、ひたすら神様にお願いしてご神助を仰ぐ外ないのでありました。”

 

(「神の國」昭和8年12月号 加藤明子『をりをり物語』より)

 

 

・出口聖師がお休みのとき、お側で拝読していたときのお話

 

 “…… 拝読を続けておりますと、どうしてもくたびれてきて、所々まちがって拝読してしまいます。すると、『そこは、……であります まる(。)』とか『そこは、……して てん(、)』と、句読点まで間違いを指摘され正されました。当然のことですが、すべてご存知なのです。本を読んでいるのは私の方なのですが、休んでおられる聖師さまに間違いを句読点まで訂正されながら拝読させていただきました。” 

 

(「おほもと」平成7年8月号 中井和子「聖師さまが『あんたなぁー霊界物語を読んどるやろ』と」より)

 

・神人感応

 

 “私は、朝から晩まで物語を読んで、一体何を得たんやろうと考えてみたことがあった。当時照明館の御神前で、大きな声で一生懸命拝読していた。聖師さまが来ちゃったらしいが、気がつかなかった、面白くて……。あとで聖師さまが、

 「大国、あの状態になったら神さまと相応するわい。そこまでいったらわからんでもいいわい。天国はその状態だ。その状態を体験し、それをつみ重ねていったら最高に行けるぞ。神の意志想念と人間のそれが一致するという状態になり、人間の世界を忘れてしまう。そこにはじめて救いがある。それを一生懸命やったらいいぞ」

 と言われた。”

 

(「愛善苑」昭和46年8月号 大国以都雄『聖師の血と肉霊界物語』より)

 

・声による創造  〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “そして、何よりもまず、人間は生殖力に働きかけます。生殖力が今日とは違ったものになるというのは、多くの人々にとって表象しがたいものです。けれども、生殖の仕方は変わるのです。今日の生殖や生殖衝動は将来、他の器官に移行変化します。将来の生殖器官となるように準備されているのが喉頭です。今日、喉頭はただ空気の振動を作り出せるだけ、言葉の中にあるものを空気に伝えられるだけであり、言葉の振動に相応しています。が、やがて、喉頭からは言葉の律動が発せられるだけでなく、言葉は人間や物質に浸透されるようになります。今日、言葉は単に空気の振動となるだけですが、将来、人間はその似姿を言葉のように喉頭から発することになります。人間は人間から発生し、人間は人間を話し、作り出します。話し出されることによって、新しい人間が誕生するようになるのです。

 このことが、現在私たちの周囲にあり、自然科学が説明できないでいる現象に光を投げかけます。生殖衝動は再び無性的なものへと変化し、かつての生殖の機能を担います。男性の人体組織は性的成熟期に喉頭に変化が生じ、声は低くなります。声変わりと、喉が将来、生殖器官になるということとは関連しているのです。神秘学は人生の諸事象を解明し、唯物論的な学問が説明できない現象に光を投げかけます。”

 

 “魂によって体を変化させ得るという観点から考察することによってのみ、人間に変容が可能になります。神秘学的な、霊的な意味において優れた思考を通してのみ、心臓と喉頭の変形は行われるのです。今日人類が思考するものが、将来の人類となるのです。唯物論的な思考をする人は将来、奇怪な存在を作り出し、霊的に思考する人は未来の器官に働きかけ、美しい人体を発生させます。”

  

(ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」平河出版社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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