奇跡のイコン 「イヴィロンの生神女」 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「扉のノートルダム(イヴィロンの生神女)」のイコン

 

 “イコンは、それをとおして人々が具体的に神聖なものを感知し得る貴重な窓だった。人々はイコンに接吻して難病を癒やされたり、イコンを手にもって火の上を渡ったり、時にまるで呪術の道具のようにイコンを拝してきた。各種祝日には相応するイコンが行列の先頭を飾り、家庭ではイコンが祭壇の中心をなした。典礼とイコンと福音とは一体だった。

 そんなイコンのうち、マリアのイコンが、一九八〇年代に次々と不思議な現象を起こすようになった。イコンに祈って願いが聞き入れられるという次元以前の、物理的な現象だ。この現象が劇的でジャーナリスティックであったために、イコンは西側世界でも一気にメジャーなものになってしまった。その始まりは、「扉のノートルダム」という有名なイコンである。

 イコンは、本来はそれ自体が聖なるものではなく、ヴァーチャルなもので、聖の世界をとらえるアンテナのようなものだと考えられている。だからどんどん複製することが可能である。強いて言えば、効験あらたかであるとして昔から伝わっている図柄を踏襲することに意味がある。写真術が発明されてからは、有名イコンの写真を板に貼ることも多い。

 「扉のノートルダム(Portaitissa=扉の番人、門番)」とよばれているイコンは、昔ニカイアのある未亡人が持っていたと言われる。八世紀から九世紀にかけてのイコノクラスト(偶像破壊運動)の時期には、切りつけられてマリアは頬から血を流した。未亡人はイコンを破壊から守るために海に投げた。それが一〇〇四年にギリシャのアトス山の修道院の岸に流れ着いたという。ガブリエルという修道士がイコンを教会の中に入れたが、翌日、入り口の扉の上に置かれていた。不審に思ってもう一度教会の中に安置したが、次の朝も扉の上にもどっていた。これが一週間もつづいたので、結局イコンを扉の上に残し、そこに祭壇を作ってしまうことにした。

 それ以来、このイコンは「扉のノートルダム」と呼ばれるようになった。イコノクラストで切りつけられた時の傷と血の染みを右頬に残す複製は、ロシアでも人気を博した。「扉」とは天の門であり、「私は羊(たち)の門である」「私は門である。私を通って入る者は救われ、また出入りし牧草にありつくであろう」(ヨハネ一〇-七、九)というイエスの言葉を象徴していた。聖母の頭と両肩には星が輝き、褐色の肌を持ち、左手に抱えたイエスの方を見るともなく見ながら沈潜している、深い瞳が印象的なイコンだ。

 一九二〇年ごろ、アトス山修道院のネクタリウスという修道士が、このイコンを複製しようと考えた。複製はカナダのモントリオールでイコン作製の指導をしているロシア人修道士の手に渡り、彼の死後、一九八一年七月、その弟子でカトリックのホセ・ムノスの手に入った。一一月二一日、マリア奉献の祝日の早朝、ホセは良い香りに目が覚めた。香りはイコンから発していた。マリアの両手とイエスの両手、それにマリアの右肩の星から五筋の油が流れていた。

 奇跡の油をだすイコンの噂は正教社会の間でたちまち広がり、オーストラリアの司教や亡命中のロシア大司教も見にやってきた。ロシア正教は奇跡を認定すると言い、イコンは北アメリカ中のロシア正教会に巡回された。人々が聖母の賛歌を歌うと、油はますます豊かに流れた。病人に油の塗布がほどこされ、奇跡の治癒が続出した。

 イコンからあふれた油は決して染みにならなかった。イコンを二時間運んだ車はその後二ヶ月間も芳香を残していた。イコンの複製が印刷されたが、複製も同じ油、香りを放った。聖職者に祝別されなくとも、祈らずとも、それは起こった。今日このイコンの複製はカトリック教会や各種修道会にも行きわたって、あちこちで香油を振りまきつづけているという。”

 

(竹下節子「聖母マリア 〈異端〉から〈女王〉へ」(講談社選書メチエ)より)

 

*この奇跡のイコンは、「扉のノートルダム」よりはむしろ正教会での名称である「イヴィロンの生神女」の方が有名で、Wikipediaにも説明が載っています。上に載せた写真は、もちろん印刷されたものですが、私が三十数年前にアトス山を訪れたとき、このイコンのオリジナルがあるイヴィロン修道院で、修道士の方から頂いたものです。

 

*もちろん、聖母は奇跡を行なわれる方ではなく、神に奇跡を起こしてくださるよう取次ぎをなされる方なのですが、いったい聖母の取次ぎによって神が奇跡を行なわれるのは何故なのか、重要なのは奇跡そのものよりも、その意味することの方であるのは言うまでもありません。

 

*マルタ・ロバンによると、「最後の時、聖母マリアが介入される」ということですが、そのためには、人々の回心や祈り、償いなどの果たすべき条件があります。ガラバンダルの幻視者の一人、コンチータの友人で、スポークスマンでもあるグレイ・ハドソン氏は、「四人の教皇の死と次の教皇のモスクワ訪問」が、『時の終わり』の時代に突入したしるし、と言っておられますが、昨年12月31日の大晦日に崩御されたベネディクト十六世が、その四人目の教皇でした。果たして現在の教皇フランチェスコは在任中にモスクワを訪問されるのか、まだはっきりしませんが、聖パードレ・ピオ(ピオ神父)がガラバンダルの聖母の御出現を受けた少女達に語られた、

 『祈り、祈りなさい、世は滅びの始まりにあり、あなたたちを信じず、あなたたちと白い婦人との対話も信じないからです…… 彼らはいずれ信じるでしょうが、その時はすでに手遅れです』(「ガラバンダルの聖母」のHPより)

の言葉が気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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