行き詰まった状況を打開する方法 (野口整体) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “ふと祖父(野口晴哉)のことを思った。祖父が滝の前で気合をかけると、周りの人は一瞬滝の音が止ったかのような錯覚を起こしたらしい。一体どんな気合だったのだろう。祖父は「私のやっていることは全て気合だ」と言っていたそうだ。まだ十代の頃、声が出なかった祖父は御岳山の綾広の滝の前で気合をかけ、声を取り戻した。三年間通ったと聞いている。私もその滝に吉田君らと何度か行ったことがある。小さい滝だが、何かとても神聖な雰囲気のある滝だ。今でこそケーブルカーで登り、四十分程歩けば滝に着くのだが、祖父は夜中に青梅から歩いて御岳山に登り、滝に行って気合をかけたそうだ。もしかしたら祖父はその三年間に綾広の滝の前で、自分の技術や思想の下地をつくったのではないだろうか。「全ては気合だ」という言葉のうしろに私はそれを感じるのである。

 しかし本当の気合とはエーイと声を出すことではないのである。祖父の言う気合は生命に対する礼であり、自分自身の心の統一という意味であると私は思っている。しかし私はこの三年間、エーイと声を出す気合をかけ続けてきて、このことが分かってきたのである。だから、声を出すことも大変大事なのである。懐手をして気取っていても整体のことは何もわからない。

 私は今まであらゆることを気合で乗り越えてきた。というか私には気合しかなかった。それだけ私は弱かったのかもしれない。だから今でも何か起きたり、自分が追い込まれたりすると、無意識にさっと気合をかけている。もうそれが癖になってしまっているのかもしれない。いまだに私には気合しかないと思っているし、私がそう思っているから、人にもそう教えてしまう。

 「何かあったら、お腹に息をウームと吸い込んで、大丈夫、と声に出して言いなさい。そうすると自分のいる世界がパッと変わるんです」

と真剣な顔をして言ってしまう。自分がいつもそうしているからだ。本当に追い込まれている人や、深刻な問題をかかえている人程、それを言うとその人の中に入っていく。他の人は大抵「この人何を言ってんだろう」という顔をしている。しかし、私はそれが迷信でもおまじないでもなく、実際にそうなるということを体験で知っているから、ついそう教えてしまうのである。気合とはそういうものなのである。

 

(「月刊全生」平成13年9月号 野口晴胤『塩川の滝』より)

 

*「下腹に深く息を吸い込んで『ウーム、大丈夫』と唱えなさい」、というのはもともと野口晴哉先生の言われていたことですが、晴胤先生の言われるように、これをやると実際に自分の周囲の気が変わります。解決困難な問題を抱え込んでしまって、もはや打つ手が何もないというときは、まず最初に自分を取り巻いている重た苦しい気を吹き飛ばしてしまうのが良いのです。背筋を伸ばして顎を引き、舌を上顎につけて鳩尾を緩め(鳩尾が虚でないと丹田が実になりません)、静かに深く息をすれば、それだけで任脈督脈に気が廻りますし、天地と感応できれば必ず事態は良い方向へと動き出します。あとはこれに「笑い」が加われば完璧だと思います。

 

*「とんち」で知られる一休宗純禅師について、次のような話が伝わっています。一休禅師は、死の間際に弟子たちに三つの巻物を与え、「この先、本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と言い遺されていました。数年後に寺に大問題が発生して存亡の危機とまでになって、ついにその巻物を開くことになったのですが、巻物の中には「大丈夫」「心配するな」「何とかなる」の三語しか書かれていませんでした。皆は呆然としてしまいますが、誰となく笑い出し、すると不思議に妙案が浮かんで、何とか危機を乗り越えることができたのでした。「顕幽一致」「霊体不二」の原理からすると、暗く重たい気が消え去り、明るい晴れやかな気の中に身を置くことができれば、自然と運が開けていくのは当然でもあります。

 

・笑いの力  (ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」) 

 

 *ネタバレがあります

 “……観念したホルヘはウィリアムに本を差し出します。革手袋をはめて読み始めるウィリアム。ページの端に毒が塗ってあること、すなわち、ページをめくるために指を舐めると毒がまわって死ぬこと、この本を手にした者は皆それが原因で死んだことを見抜いていたからです。彼はホルヘが施療院から持ち出し、塗ったものでした。本には、ベンチョが証言し、また目録にも記載があったように、まずアラビア語の写本があり、次にシリア語の写本があり、三つ目にギリシャ語の『キュプリアーヌスの饗宴』の注釈が綴じられていました。そして四つ目が、『書き出しを欠いた書物で、娘の乱交や娼婦の情事について記したもの』、すなわち、アリストテレスが『詩学』の第一部で悲劇について語ったのち喜劇について書いた第二部でした。

 ウィリアムは、ここでアリストテレスが笑いを「いわば有徳の力として、認識的価値さえ備えうるもの」とみなしていると解釈します。笑いは、「機知に富んだ謎や予想を超えた隠喩を介して、事物をあるがままと異なるかたちで、まるで欺こうとでもするかのように、わたしたちにつたえることによって、実際には、わたしたちが事物をもっとよく見るように仕向け、なるほど、確かにそのとおり、知らずにいたのは自分のほうだ、と言わざるをえないようにする」と、その効能を説くのでした。

 喜劇についての本がほかにもあるなかで、なぜこの一巻だけを隠し通そうとしたのかを問うウィリアムに、ホルヘは「なぜなら、あの哲学者の手になるものゆえ」と答えます。アリストテレスの哲学思想はキリスト教世界にとって基盤となるものであり、それゆえにとびきり危険な影響力をもっており、そのアリストテレスの喜劇論が流布すれば、ついには神のイメージが転覆を免れられず、人々は笑いによって神への畏怖を忘れてしまう、とホルヘは嘆きながら述べます。そして、「この書物は、間違えば、平信徒たちのことばには何かしらか智慧がふくまれているという考えを是認しかねないものだ。それは食い止めねばならぬ。…〈中略〉… ホルヘがアドソからランプを奪い、床に積まれた本の山に投げました。たちまち火の手が上がります。ホルヘはそこにアリストテレスの本も投げ入れます。燃え盛る炎はやがて建物全体にまわり、長きにわたって世界中から集められてきた膨大な本は、巨大な迷宮とともにすべて失われてしまいました。

 ホルヘが隠しつづけてきたもの、それはアリストテレスが喜劇について記した書物でした。ホルヘはなぜそれを隠したのか。ここでは笑いと真実の関係をめぐる議論というものが中心にあると考えられます。これはエーコという作家、そして哲学者にとって生涯にわたり中心的なテーマでもありました。つまり、真実とはどこにあるのか、どこから来るのか、という問いがエーコにとって生涯変わることのない問いであり、その問いをめぐって理論書がかかれ、小説が書かれ、エッセイが書かれてきた。そして真実と笑いの関係の考察を小説において最初に実践したのが、この『薔薇の名前』という作品でした。

 焼け落ちた図書館から脱出したあとのウィリアムに、エーコはこう言わせています。

 

 「ホルヘがアリストテレスの『詩学』第二部を怖れたのは、もしかしたら、その説くところがあらゆる真理の貌を歪め、ほんとうにわたしたちがみずからの幻影に成り果てかねない点にあったのかもしれない。おそらく人びとを愛する者の務めは、真理を笑わせ、真理が笑うよう仕向けることにある。なぜなら唯一の真理とは、わたしたちみずからが真理に対する不健全な情熱から解放される術を学ぶことであるからだ」

 

(「NHK 100分de名著『ウンベルト・エーコ 薔薇の名前』」和田忠彦)

 

 

・獄中の出口王仁三郎聖師 (出口すみ子二代苑主の証言)

 

 “(第二次大本事件中)刑務所の中で聖師さんは、退屈で退屈でなんにも遊ぶ道具もなし、ふっと見るとチンポがあったのでそれを玩具(おもちゃ)にしていた、と言っていましたが、先生はあんな人やから面白い話がたんとあります。息苦しく行き詰まった世の中だというが、何にもなけりゃチンポでも玩具になるのやから、物は考えようやな。聖師さんは三ツ児と同じで、体裁が悪いとか、こんなことをすると人が馬鹿にしないやろうかとか、そんな事など全然考えない人でした。キンタマの袋を両手でひろげて、金扇だといって人前であおいでみたり、虫やな。子供でもやたらにチンポをいじって遊んでいるときがあるが、あれと同じことです。これも刑務所の中での話やが、お尻をまくってチンポやキンタマをブランブラン振って、電燈の光で壁にその影を映して遊んでいたそうです。それが面白うて面白うて、キャアキャア言うて喜んでいたと言ってました。看守が咎めると、「俺が勝手に楽しんで喜んでいるのに、やかましゅう吐(ぬ)かすな」と大声でどなったので、皆が「どうした、どうした」と言って出てきたそうです。部長もきて、「どうしました?」と聞くと、先生は、「こ奴は俺のすることを直ぐグズグズ吐かしやがる。俺の気に入らんことばかり言うから大嫌いや」と言うと、部長は、「分かっとります、分かっとります」と言って翌日その看守を替えてしまったそうですが、とにかくそのキンタマふりの遊びが一番楽しかったと言っていました。”

 

(「神の国」昭和25年9月号「鎖夏放言」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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