自殺をくい止める力 (臨死体験と自殺衝動) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “実際には、自殺未遂者で臨死体験を持った者は、二度と自殺を企てないことがわたしたちの研究でわかった。ケネス・リングやディビッド・ローゼンの研究でも同じ結果が出ている。わたしはこの発見の後、臨死体験者がいつか来る死を楽しみに待っているにもかかわらず、なぜ二度と自殺を企てようとしないのか、その理由を探ってみようという気になった。文献を探すと、おもしろい推論はいろいろあったが、具体的なデータはほとんどなかった。そこでわたしは自殺未遂者に、なぜ二度と自殺する気にならなくなったのかを問う聞き取り調査をはじめた。そして臨死体験を持った人と持たなかった人の答えをくらべてみた。二度と自殺する気にならなかった理由は、三つのタイプにまとめることができる。

 ます最初のタイプの理由は、トランスパーソナル効果である。トランスパーソナルとは、自分が、自分よりもはるかに大きな存在の一部であると気がつくことである。自殺未遂体験者は、自分が宇宙と一体であることを感じる。自分が自然の一部であると感じる。そして、自殺を企てるきっかけになった個人的喪失や失敗などは、宇宙的視点あるいはトランスパーソナルな視点からすれば、取るに足らないことだと思うようになるのである。人生は自殺前より意味があるもの、価値があるものに思えてくる。以前より生きている実感を強く持つようになり、他人に対して以前より親近感を覚えるようになるのである。

 第二のタイプの理由は、死が終わりではないということを知った結果、あるいは、なんらかの理由によって、自分は死後の世界から送り返されたのだと信じることからくる効果である。この効果は、トランスパーソナルなものではないが、やはり同じように神秘的な効果である。この効果によって、人は自分自身をより許容するようになる。自殺が問題からの逃げ道にはならないのだということを知るようになる。そして自殺は道徳的に悪いことで、死後に罰を受けるかもしれないと思うようになる。自殺というような恐ろしい、苦しい体験を繰り返すのはもうごめんだと思うようになる。

 第三のタイプの理由は、世俗的な効果である。このタイプには、つぎのような理由が含まれる。自殺未遂後に、未遂者が自分の人生を再評価し、自殺したことを違った目で見るようになる。自殺の原因となった問題が好転するとか、その問題の対処に助けが得られる。悪い自分は罰せられて死んだのだと考え、残った良い自分は生きて行くことが許されると考えるようになる。

 自殺未遂後に自殺衝動がなくなった理由として三番目の世俗的な理由をあげた人は、臨死体験があった人もなかった人も同数いた。第二のタイプの理由をあげた人も同じであった。

 しかし、トランスパーソナル効果だけは、臨死体験をした人としなかった人の間で大きな違いがあった。前者が後者の二倍あったのである。つまり、これが何を意味するかというと、まず自殺未遂それ自体に、自殺衝動を抑える効果があるが、臨死体験はさらに強力にそれを抑える効果があるということである。そして、臨死体験の自殺抑制効果は、もっぱらトランスパーソナル効果を通して働くということである。

 自殺未遂一般が持つ、自殺衝動抑止効果は必ずしも充分なものでないから、かなりの人が、もう一度自殺に走る。しかし、トランスパーソナル効果の抑止効果は非常に強力なので、臨死体験をした人は先ず二度と自殺することがない。自分が自分より大きいものの一部であると感じること、宇宙との合一を体験することには、明らかに人を自殺から引き止める力があるのである。

 この発見は、従来の自殺抑止策の有効性に疑問を投げかける。現在実践されている自殺危険者への自殺防止策は、もっぱら、『現実』に目を向けて、実践的な問題解決能力を身につけさせることに重きをおいている。

 しかし、この研究結果が示唆するのは、そんなことより、自殺危険者にトランスパーソナルなものの見方を身につけさせてやるほうがはるかに自殺防止に役立つということである。トランスパーソナルな視点から世界を大きな構図の下に見ることができるようになれば、それまで自殺衝動原因になっていたようなことがらは、実は、ちっぽけで取るに足らない問題であるということがわかってくるのである。それどころか、それは別の角度から見れば、実は祝福すべきこととして喜ぶべきことであるとさえ見えてくるのである。”

 

(バーバラ・ハリス(立花隆訳)「バーバラ・ハリスの臨死体験」(講談社+α文庫)より)

*ここでは、現実に問題を解決する方法が見出されることと、トランスパーソナル的な視点を身につけることとが別のことのようにも書かれていますが、エドガー・ケイシーは、霊的な方面に目を向けて、生き方を改めるならば、必ず物質的な援助も与えられると言っています(「あなたが他者との関係において霊的生き方を適用するならば、必要なものは与えられる。なぜなら、神がすべての自然に衣を着せ給うのではないのか?銀と金も神のものではないのか?そうであるなら、そのように行動せよ!」)。そしてそのために、「出エジプト記19章5節」、「申命記30章全体」、さらに「ヨハネ福音書の14章、15章、16章、17章」を読んで、それを自分の人生に当てはめて考え、実行するよう勧めています。いずれにせよ、まずはトランスパーソナル、自分を超えた「無限なる存在」に意識を向けることが、自殺衝動を克服するきっかけとなるようです。 

 “主は何度も繰り返しこう言われた。「私を試して見よ――私が汝に祝福を注がないかどうか、試して見よ」と。それを行え。”(3538-1)

 

*易経に、「陰極まれば陽生ず」とあるように、全ての人の運勢には、上昇と下降の二つの波があり、下降した後は、天に定められた寿命が尽きている場合を除いて、必ず上昇に転じます。ただ、上昇するためには、意識的にアクションを起こさなければならず、まずは自分が動かなければなりません。

 

・自殺を阻止した祈り 


 “自殺の遺書を残して家を去ったある青年を救うために、両親の依頼によって緊急にとられたリーディングの中で、ケイシーはキリストが言われたままの「主の祈り」を唱えた。聖書にあるものとは幾分異なるので注意していただきたい。(この祈りの後、青年は自殺を放棄して帰宅した。) 


 「天にいます我らが父よ 御名の崇められんことを 御国の来たらんことを 御心の天になるごとく、地にもなされんことを 明日に備え、体の糧を与えたまえ 我らに罪をなせる者を我らの赦したるとき彼らの罪を忘れ去りたまえ 苦難と誘惑の中にありて我らの導きとなりたまえ 汝の御名によりて、我らを導きの道にひき入れたまえ」” 


(林陽編「ニュー・エイジ №1 July‘83」ACEエドガー・ケイシー協会より)

 

*「主の祈り」は、イエス・キリスト本人が人々に教えられた祈りであり、スウェーデンボルグやシュタイナーなどの神秘家達も、この祈りが発する巨大な力について語っています。

*カトリック教会の文語訳「主の祈り(主祷文)」

 

天にましますわれらの父よ

願わくは御名の尊まれんことを

御国の来たらんことを

御旨(みむね)の天に行わるる如く

地にも行われんことを

われらの日用の糧(かて)を

今日(こんにち)われらに与え給え

われらが人に赦す如く

われらの罪を赦し給え

われらを試みに引き給わざれ

われらを悪より救い給え

アーメン

 

*残念ながら、この文語訳「主の祈り」は、もう20年以上前に日本カトリック司教団によって廃止されてしまい、現在カトリック教会では、意味の異なる口語訳が唱えられています。

 

・エドガー・ケイシー・リーディング

 

 “新しい波動だ。とてもよろしい。ここに生まれた人たちについて、非常に興味深い事実がある。(ここ(オクラホマ州Bokhoma)で生まれた人は)1万人に一人だって、自殺なんてばかなことはしない。土壌に何かあるようだ。その特殊な土を足の指の間に入れて見なさい。あなたは、二度と自殺なんていう考えは起こさないから。5125-1”

 

(光田菜穂子「「美しの宮」からの贈り物」(有)テンプルビューティフルより) 

 

*「波動」ということであれば、たとえば伊勢内宮近くの猿田彦神社など、各地の神社で「清浄な砂」が授与されておりますが、それらの砂にも同じような力があるはずです。うつ病の治療などに役立てられるかもしれません。

 

 “それより二、三年後の事、三十五、六才の奥様風の女性が天恩郷に尋ねてきて、公孫樹のところへ登りたいのですがお許しをいただきたいと申し出て、公孫樹の前でひざまづき長く祈っておられた。日も暮れかかる頃、月照山の方へ降りてこられたのを見て聖師様はおどろき、呼び寄せ面会されました。これより度々尋ねて来られるようになりました。ある時、聖師様は大国さんに、三寸角位の木箱を出されて、「この中に砂がある。いま山科に刑務所が新築中だ、あの奥様が案内してくれるから周囲に撒いて来てくれ」と命じられました。案内されて山科に行くと、その婦人は刑務所新築中の大工工事の総監督の奥さんで、許可を得て砂を撒いてきたそうです。それから幾歳月流れた昭和十年、第二次大本事件で聖師様外五十数名が収容されることになりました。

 大国さんが聖師様の前の房に入れられる時、聖師様は房の中から大きな声で「オリオンの砂は光っている」と独語されたので、大国さんは昔のことが思い起こされたと話されていました。オリオン星座より救世主が降ると聞かされておりますが、聖師様は先々の事をご存知で、その手を打っておかれたのでありましょう。”

 

(「愛善世界」1998年8月号 徳重高嶺『芋大根事件とオリオン星座』より)

 

 

 

 

 

 


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