砂の神業 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “大正十三年に聖師は入蒙され半年ほどでお帰りになり「人類愛善会」を作られた。そして西村光月さんを欧州に派遣された。その出発の直前に出雲参拝があり、西村氏はお供されている。この時聖師からお土をもらわれている。これはあとでわかったことであるが、西村氏は欧州に出発され二年程おられてこちらに帰られた。綾部に帰られてまだ旅装もそのまま、すぐまた出雲にお供された。西村氏が旅館で服を脱いだ時、ポケットから砂包みのようなものが落ちた。橋本庶務課長がこれをみつけて、「これは何だ」ときくと西村氏は「これは欧州に行く時、聖師からお土を撒いてこいといわれ撒いてきたが、その残りだ」といわれた。行きはインド洋、帰りはシベリア鉄道をずっと撒いたという。私がこれを念を入れてきくと、行く先々で毎日撒いたがただ三日間だけ撒かなかった。インド洋で船に酔い、その時だけ撒かなかったという。行く先々で聖師の命令でお土(出雲のお土)の経綸をされた。綾部の宮屋敷の屋敷どりについては先ほどふれたが、京都でも二条城とか鞍馬山を役員がまわった。また新発足後、平和会議で副団長として栄二先生がソ連に行かれた時も(昭和37年)栄二先生はクレムリン宮殿でも撒いて回られた。また南米に行かれた時も撒いて回られたときく。要所要所で神様のご経綸の手がうたれているのである。”

 

(「愛善世界」1993年12月号 徳重高嶺『松雲閣と霊界物語また神定聖地綾部について』より)

 

 

・「オリオンの砂は光っている」

 

 “それより二、三年後の事、三十五、六才の奥様風の女性が天恩郷に尋ねてきて、公孫樹のところへ登りたいのですがお許しをいただきたいと申し出て、公孫樹の前でひざまづき長く祈っておられた。日も暮れかかる頃、月照山の方へ降りてこられたのを見て聖師様はおどろき、呼び寄せ面会されました。これより度々尋ねて来られるようになりました。ある時、聖師様は大国さんに、三寸角位の木箱を出されて、「この中に砂がある。いま山科に刑務所が新築中だ、あの奥様が案内してくれるから周囲に撒いて来てくれ」と命じられました。案内されて山科に行くと、その婦人は刑務所新築中の大工工事の総監督の奥さんで、許可を得て砂を撒いてきたそうです。それから幾歳月流れた昭和十年、第二次大本事件で聖師様外五十数名が収容されることになりました。

 大国さんが聖師様の前の房に入れられる時、聖師様は房の中から大きな声で「オリオンの砂は光っている」と独語されたので、大国さんは昔のことが思い起こされたと話されていました。オリオン星座より救世主が降ると聞かされておりますが、聖師様は先々の事をご存知で、その手を打っておかれたのでありましょう。”

 

    (「愛善世界」1998年8月号 徳重高嶺『芋大根事件とオリオン星座』より)

 

 

・エドガー・ケイシー・リーディング

 

 “新しい波動だ。とてもよろしい。ここに生まれた人たちについて、非常に興味深い事実がある。(ここ(オクラホマ州Bokhoma)で生まれた人は)1万人に一人だって、自殺なんてばかなことはしない。土壌に何かあるようだ。その特殊な土を足の指の間に入れて見なさい。あなたは、二度と自殺なんていう考えは起こさないから。5125-1”

 

    (光田菜穂子「「美しの宮」からの贈り物」(有)テンプルビューティフルより)