手相に表れた未来 〔東久邇宮稔彦王〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “神は人の掌理にその人一生の命運の秘密を示唆していると、旧約聖書の或る箇所に記されているが、東洋の観相学がその人の面貌を観じて、人一代の運勢予言をたてる。これを推究して一国の運命もその国の最高指導者の掌理や、面貌に既に表示せられているといふ神秘現象は、心霊主義の上からも、まことに深く研究に値するものであろうと信ずる。

 元皇族東久邇氏の終戦日記を最近の「週刊讀賣」で読んだが、その中にまことに感慨の深いものを発見したのである。

 最初に同氏の挨拶のコトバがある。それによると、『この手記は終戦直前八月九日から、私が内閣総理をやめた十月九日まで約二ヵ月間のことを記録して置いたもので、当時ノート・ブックなどもなかなか入手できず、やっと手に入れた粗末な大学ノート三冊に暇をみて書いたもので、私としては後世の歴史家のために、なるべく正確に記録して置こうとしたものであるが、当時の混乱した世相を私が多忙であったため、多生まちがって判断したところもあるにちがいないが、生々しい事実をありのままに発表した方がいいと思う。終戦十周年を迎えて、日本の再建と世界の平和の実現を希望してやまない。』と述べられている。つまりこの記録には虚飾虚言は無く赤裸々にすべてを良心のゆるす限りにさらけ出したと申されているわけである。この尊い良心的な記録ともいふべきものの中から、私の発見したものといふのは、驚異といふか、又はある種の深い悟りといふか、余人と全く異なった或る点への凝視であった。それは昭和二十年八月十七日金曜日の日記中の東久邇氏の感慨深いコトバの中に含まれていた現象への全的興味である。

 次に載録する。……

 

 八月十七日(金)晴

 午前二時組閣本部を出て、麻布の住友家に帰る。灯火管制中なので、どこにも灯火は見えない。赤坂離宮から溜池を経て、霊南坂までは全部戦災にかかって、焼け野が原となっている。霊南坂から、市兵衛町の住友家までは戦災にかかっていないが、光が外にもれないようにしているので、往来はどこも暗く、空の星ばかりが輝いている。

 午前三時に寝たが、なかなか寝られない。私はふと今から二十四、五年も前、フランス留学中パリで友人のすすめで当時パリで有名だった老婆の易者に手相をみてもらったことを思い出した。私は「日本の画家である」と身分をかくしたところ、老婆は「それはウソだ」と私の手相をみていった。それから「あなたは将来、日本の総理大臣になる」と断言したので、私は一笑に付して「私は日本のプリンスで、しかも軍人である。日本では皇族や軍人は政治をやることを禁じられているから、総理大臣などにはなれない」といったが、老婆の易者は、彼女の予言を引っ込めない「いや、今に日本には大革命か大動乱が起こる。その時に必ず、あなたは総理大臣になる」

といい張った。

 きょうまでこんな話は全く忘れていたが、いま、現実に内閣組閣の大命を拝して、今さらながら、あの老婆の予言がまざまざと当たったので、薄気味悪く感じた。私は迷信は大嫌いだったが、占いも、バカにならぬと思った。

×

 元プリンス東久邇氏の手記中より、筆者は以上の記録を拾い取って、これを心霊研究の俎板に移して一応これに自分流の感慨を洩してみたい。勿論愚痴にすぎぬことだが……

 『いや、今に日本には大革命か大動乱が起こる、』――何といふおそるべき予言であったことであろう。遠く日本を隔ててパリの片隅に、貧しい生活をしている外国人の一老婆によって、「廿四、五年も前に」既に隆々たる日本帝国の君主制がやがて変更されることや(民主国家になった)、大動乱に等しい原子爆弾やB29の全国一斉爆撃が霊言的に予告されていたといふことである。『私は迷信は大きらいだがうらないもばかにならぬと思った』と軽く述べられているこの元皇族氏に、神秘主義への敬虔さがやや低調の様にうかがわれる。幾年間の大切な外国生活の中に、来たるべき第二維新に対処せんとする、思想的勉強は怠っていられたのでなかったかと想像する。美しいパリ女性への勉強は噂されたが、もっと、氏をしてこの方面への知識探求をもすすめて置いて貰ったら、勿論、敗戦はまぬがれぬ宿命とするも、広島や長崎の罪のない庶民の惨状を未然に救って、聖断信受による大陸放棄の引き上げを早く敢行して、犠牲を少なくした講和がすすめられていたことと思ふ。(八・一五記)

 

附記 

 霊格者として有名だった石原莞爾将軍が、躍起となって打倒東条内閣を叫び、東久邇内閣による軍の建替、重慶の蒋介石との戦争停止、和平交渉を構想したのは、彼が山形県鶴岡に予備役となって思想結社東亜連盟を指揮していた敗戦三年前のことである。しきりに霊界からの危険信号を受けて、その戦争の結末に有らん限りの智能をしぼって心身を痛め悩ましていたのであった。

 

(「心霊研究」1995-9 №103 田中平助『心靈余滴』)

 

〔東久邇宮稔彦王〕

 

*キリスト教徒の中には、占いを否定する方もいらっしゃるようですが、田中平助氏が冒頭に書いておられるように、「旧約聖書」『箴言書』316には「その右手には長寿あり、その左手には富と名誉あり」とあり、また『ヨブ記』の377には「神は人の手に印象を置き給えり。それはこれによりすべての人々にその職分を知らしめんが為なり」とあります。これらは明らかに手相のことを述べたものだと思いますし、戦前のキリスト教社会運動家で世界的に有名な賀川豊彦師は、友人である平竹辰牧師が出版された「人相知識」に序文を書かれ、人相手相の研究が実際に有益なものであることを認めておられます。ちなみに、東久邇宮稔彦王は首相になられた直後、賀川豊彦師を官邸に招いて終戦処理について意見を求められており、有名な『一億総懺悔』のラジオ放送は、賀川師の提案によるものです。

 

 

・海軍の占い師

 

 “運命学を活用する唯一の道は、心をすなおに澄み切らせることにすぎない。自我や妄執などを去り、人間本然の予知本能、無言の啓示に心耳を澄ますことなのだ。

 これは、人間が神仏の前に、静かに額突くときの心境にも似ている。だから、宗教ともこの意味で相通ずるものだといえるし、どのような宗教とも共存しうるといえる。

 そういう話を、三上さんという知り合いの計理士にしていたら、彼は膝をのり出した。

 「先生、私は戦争中に海軍の航空隊で、水上偵察機をのりまわしていたんですが、海軍では航空隊の採用にあたって、最後に手相を調べたのを御存じですか?」

 「知りませんねえ」

 私もこれは初耳だった。

 「もちろん、科学的検査はその前にどれだけやられるかわかりません。たとえば、床屋の椅子みたいなものに坐らされて、ぐるぐるこまのようにふりまわされ、その後で白い直線の上を歩かされるんです。線から離れてとんでもない方角へ歩いて行けば落第、線の上をまっすぐ歩いて行くような人間は、鈍感すぎるから落第、酔っぱらいのように、よろよろしながらその線を中心に左右を歩いて行ける人間が合格ということになるんですね。とにかくそういう検査を何十回かくり返されて、最後が手相だったんです。名前は忘れましたが、当時有名な占いの先生だったらしく、

 『お前は死なんな』

とぽつりといったものです」

 「それで危ういところへ行かなかったんですか」

 「とんでもない。九州から沖縄へ偵察に行ったときには、三度撃ち落されましたよ。北海道では特攻隊、終戦のときには樺太です。もっとも最後は飛行機で逃げ帰りましたがね」

 「三度墜落、特攻一度で、よく命がありましたねえ」

と私はうなってしまった。”

 

(高木彬光「占い人生論」(東洋書院)より)

 

*この海軍でパイロットの適性を判断していたという占い師は、水野義人という方です。ネットで検索すると彼についての記事が結構沢山出てきますが、訓練中の特攻隊員の顔の死相がなくなったことから終戦を予知したとか、興味深い話が数多くあります。

 

*おそらく、プーチンやゼレンスキー、習近平などの各国の指導者の手や顔の相から、今後の世界情勢を判断する事もできるはずですが、占い師の方々の中で、そのようなことをされている方はいないのでしょうか?

 

*もしかしたら将来のミロクの世への移行についても、既に誰かの手相に表れているのかもしれません。

 

・易について  〔出口王仁三郎聖師〕

 

 “易は当たることもあれば当たらぬこともある。要は、易をたてる人の徳の有無によるのである、徳の高い人がたてれば、きっと本当のことが出て来るのである。(昭和二年四月)”

 

(出口王仁三郎述・加藤明子編「如是我聞 水鏡」より)

 

*占いの精度を上げるには、どうやら徳を積むことが何よりも重要なようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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