霊界物語と霊眼 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “こんなこともありましたわ。真剣に霊界物語を拝読さしていただいている頃でしたが、読んでいるページに、その場の光景が現われて見えるんでもなけりゃ、聞えるんでもない、あれどういうんでしょうね。読んでいて邪魔にならんですわ。ちょっとも。たとえば、十八巻のお玉の方のところを拝読していると、弥仙山の下に廃品回収業の家があって、雨縁があるのまで、ページの中に現れるというのか、とにかく見えるんですね。あまり不思議でかなわんから、聖師さまにお尋ねしたんですよ、そしたら「うん、そりゃお前、ほんのこれだけじゃが」(指の爪先を出して)っておっしゃって「ワシはな、そんな風に、世界中のことがパーッとひと目に見えるんじゃ。そんで、霊界物語もペラペラしゃべれるんじゃ」「そんなら、ここから私が見ていると、ああ、あそこから自動車が来た、ああ、あそこで子供が遊びよるって、こういうふうなもんでございますね」「そらあお前、家のかげになったらもうわからんじゃないか、ワシのはそうじゃないんだ」っておっしゃってでした。世界がもう一目で見えるんじゃそうです。その中に過去、現在、未来のことが分かるように一目で見えるんだろうと思います。”

 

   (「神の国」昭和31年2月号 塩月テル子『世界をひと目でお見通し』より)

 

 

・言霊神劇 (霊感者には音読している場面が映像で見える)

 

 “霊界物語はなるべく声を出して読んだ方がよい。霊眼の開けた人には、物語を声を出して読んでいると、多くの霊が聞きに集まってくるのが見えるそうである。また物語を読んでいる人の口から、声に応じて、強い霊の光が噴霧器のように飛び出しているのが見えるそうである。とにかく、声を出して読むと、目と口と耳に、文字や言葉の刺激が加わるために、記憶が一そうはっきりすることは確かである。また、皮膚全体からその雰囲気を感じることができるのである。

 周囲の状況から、声を出して読むことができない人は、声を出さないで唇を動かすようにしてもよい。要するに、文字だけを見て速く読んでしまわないで、普通に我々が話をする位の速度で、ゆっくり読むのである。読むというよりも、その人物の気持ちになりきって、話をするという気持ちである。すなわち、はじめは努力が必要であるが、慣れると、読む言葉に応じてテレビのように、脳裡に物語の劇が上演されるようになるのである。これを「読む劇」というのである。物語の場合には「言霊劇」と言った方がよいかもしれない。この「言霊劇」がちょっとでも見えるようになると、もう物語が面白くてしかたがなくなる。俗悪な世間の小説やテレビ小説などは、読んだり見たりすることが馬鹿らしくなるのである。この「言霊劇」を見ていると、心が朗らかに温められ、清められて、ゆったりとしいた気分にひたることができるのである。そして、物語の拝読が無常の楽しみになるのである。”

 

(「霊界物語の栞」第2号 浅井昇『拝読は読む劇』より)

 

・「霊界物語」を口述中の出口聖師

 

 “また聖師は口述中、真夏であっても、寒い場面の話になると、部屋にコタツを入れ、火鉢を入れて『おい、寒いから布団をかけてくれ』とおっしゃいます。また反対に寒い季節でも、暑い国の場面になると『あつい暑い』と言って汗をタラタラ流され、『火鉢やコタツをのけろ』とおっしゃるわけです。聖師は精霊がそういう場所に行っておられるので暑くてたまらんのでしょうが、生身の私たちは寒くてたまらんわけです。こんなことはよくありました。

 口述中の聖師は時間、空間を超越しておられますから、朝から夕方までぶっ続けで口述ということがあります。私たち筆録の者は腹がへってたまりません。ついにガマンしきれず、もうぼつぼつ食事にしましょうと申し上げると、『なにをいうか、こんなにおいしい食物や果物がでてくるのだから、お前たちも腹がいっぱいになるだろう』というわけです。聖師は想念の世界を縦横無尽に駆けまわられ、おいしい食物をいただかれるのでしょうが、私たちはたまりません。こんなこともよくありました。

 それから最奥天国の場面になると、『神さんの光は大きいやろう』とおっしゃいます。私にはサッパリわかりません。『お前にはあれが見えんか、お前は天国にはまだ入れんなァ、もっとやちまたで修行せんといかんな』とおっしゃる。私はヤンチャですから、私はやちまたで結構です、とへらず口をたたいたものでした。また宣伝使がたくさん出てくる場面では、「たくさんの宣伝使がおるが、お前が一番かわいそうじゃのう」なんでですかと聞くと、『一番最後まで残って地獄まで行っていなければならんからだ』とおっしゃるんですね。そして『神様の使命を帯びたら、地獄を天国にしなくてはならん。お前が適任じゃ』とおっしゃる。”

 

(「おほもと」昭和52年2月号 大国美都雄『聖師と霊界物語』より)

 

 

・拝読による神人感応

 

 “私は、朝から晩まで物語を読んで、一体何を得たんやろうと考えてみたことがあった。当時照明館の御神前で、大きな声で一生懸命拝読していた。聖師さまが来ちゃったらしいが、気がつかなかった、面白くて……。あとで聖師さまが、

「大国、あの状態になったら神さまと相応するわい。そこまでいったらわからんでもいいわい。天国はその状態だ。その状態を体験し、それをつみ重ねていったら最高に行けるぞ。神の意志想念と人間のそれが一致するという状態になり、人間の世界を忘れてしまう。そこにはじめて救いがある。それを一生懸命やったらいいぞ」

 と言われた。”

 

(「愛善苑」昭和46年8月号 大国以都雄『聖師の血と肉霊界物語』より

 

 

・「霊界物語」を真剣に拝読した者は、額から霊光を発する

 

 “霊界物語は単なる人為の書物ではなく、真の神が出口聖師に聖霊をみたして述べられた、神伝直受の教典であります。

 霊界物語の神秘について先輩の故成瀬言彦先生から昭和四十五年頃に、次のように伺いました。

 先生が四国へ派遣されていた昭和初期の頃、大本の徳島分所で、五、六十人の信徒に、霊界物語拝読のすすめを内容とした講演をされた時に、話終わって壇を降りると、分所長が礼を述べに来て「徳島の信徒は、皆、熱心な方ばかりで、物語拝読も皆さんがなさっていると確信いたしております」と付け加えられました。

 先生は、そうですかと言って再び昇壇して、皆に、

 「今、分所長から、お聞きの通りのお言葉がありました。しかし、私の見るところ、皆さまの中で拝読なさっている方は三人しかいない。今から私がその三人を当てます」と言って指し示したそうです。

 そのあと言をついで「今示した三人以外に読んだことのある人は、遠慮なく手を挙げてください」というと、皆下を向いて、答える人はなかったそうです。

 先生はさらに、その三人が、それぞれ何巻まで読んだかを言い当て、皆を驚かせたそうです。

 「真の神に祈り、心を込めて物語を拝読すれば、一巻を読み終えると額から蛍火のような霊光が、十五、六巻では懐中電灯のように、月の光を強くしたような霊光が出ている。さらに三十五巻以上ともなれば、さながらヘッドライトの如く強烈な霊光が発しているもので、自分はその顔を見ただけで、何巻の拝読をしているかがわかる」

と話しておられました。”

 

          (「人類愛善新聞」昭和63年1月号 松平隆基『万民救済の神書』)

 

 

*「霊界物語」を音読していて、何かのヴィジョンや不思議な夢を見たとかいう方は何人もいらっしゃいますし、特にそのような体験がなくとも『内容がよくわからないし、いくらなんでもこんなものが『世界を救済する神書』だなんて大袈裟すぎるしバカバカしいとも思うが、なぜか読むのをやめられない……』という人がいれば、その方は因縁のミタマかもしれません。主神に祈り、日々「霊界物語」を音読することで「『霊界物語』の霊界」と同調し、そこから内流として様々な情報が意識の中に流れ込んで来ますし、現実の世界においても、自分の周囲に何らかの変化が起こってくるのが感じられると思います(そのときはわからなくても、後になって気がつかれると思います)。「『霊界物語』の霊界」は時空を超えて「ミロクの世」ともつながっておりますので、物語はミロクの世実現のための装置でもあります。ただし、発動させるためには必ず音読して言霊が発せられねばなりません。

 

*以前、日本エドガーケイシーセンターの光田会長に聞いた話ですが、エドガー・ケイシーは、かつてある大学の研究室でESPカードによる超能力テストを受けたことがあります。しかし、どういうわけかその時はカードの図柄をまったく的中させることができず、散々な結果に終わったということでした。後日、リーディング中のケイシーにその理由を尋ねると、返ってきた答は『カードを当てることによって、いったい誰が救われるのか?』というもので、要するに『人類への奉仕』、『誰かを助けてあげたいという想い』が彼の霊能が発現するための条件だったのでした。おそらく、ケイシーに限らず高次元の力とは本来はそういうものでしょうし、出口王仁三郎聖師は『霊界物語を音読する者は御神業に参加しているのだ』と言われましたが、この「霊界物語」の拝読を含め、霊的な行というものはすべて、単に自分自身の霊性の向上のためだけでなく、人類への奉仕、あるいは主神への捧げものとして行なうべきものだと思います。

*最近ネット上で、「霊界物語は膨大な量でとても読み切れないので、あらすじを読んで大体のストーリーがわかればそれでよい」と主張する人がいるのを目にしたのですが、出口聖師ご自身が、物語のダイジェスト版をつくる者達がいかに愚かであるかを霊界物語の中で書いておられます。別に全巻読まなくても、出口聖師は『これは救いの書だから一冊でも読めば救われる』と言われていますので、一巻だけでも全部音読されるなら、それで神縁が結ばれるはずです。それから、聖師は晩年に数多くの耀盌(ようわん)をつくられましたが、芸術的にも評価の高い耀盌は、玉(ぎょく)であり、これで水を飲めば病気も治るといわれる神器であり、さらにミロクの世の御神体でもあるのですが、聖師は信徒達に対して、真に求めるべきは有形の宝ではなく無形の宝であると、霊界物語を拝読することがいかに重要であるかを繰り返し説かれたとも聞いております(霊界物語には、宝玉のほとんどは邪神の手に渡って使いものにならなくなると書いてあります)。聖師はご昇天の約一年前からほぼ寝た切りの状態になられ、側近であった方々の証言によると、常に皆が霊界物語を拝読しているかどうか、拝読が広まりつつあるかを気にしておられ、『悪魔が物語の拝読を妨害しようとする』とも言われました。あらすじや漫画を読めばそれで良いとか、○○神示さえ読んでおれば良いとか、耀盌の水を飲めば物語を読まなくとても良いとか言っている連中は、あれこれ理由をつけて何とかして物語の音読をさせまいとしているようにしか私には思えません。彼らはかつて聖師が霊界物語を出されることに反対した連中と同じく、瑞霊の御神業を妨害する者達だと思います。

 

 

・「霊界物語」に反対した教団幹部

 

 “第二次大本事件当時、ある幹部役員が昇天の際、二代さまはその人の魂が、突然に割れた大地の中に落ち込んでゆく夢を見られたそうです。熱心に御用された方だったのに……と思われていましたら、五十日祭も終わったころ、ようやく衣冠束帯で上がって来られたとのこと。聖師さまにお聞きなさると、「その通りや。わしに『霊界物語をもう出すことを止めてください』と云って反対したんだ。わしに反対したものは、例外なく一たんは中有界か地獄界に落ちねばならぬ」と言われたとか。”

 

        (「綾の機」13号『聖師さまのお示しに学ぶ②』より)

 

*やはりミタマの因縁というものはあるでしょうし、出口聖師によると「霊界物語はミタマ相応にわかる」ということですので、「霊界物語は自分には合わない」という人がいるのは仕方ありません。さらにどの宗教にもそれぞれの聖典があり、決して他の宗教の信徒の方までもが「霊界物語」を読まなければならないというわけでもありません。しかし、仏教でも『正法(しょうぼう)を誹謗する罪』というのがありますが、キリスト教であろうとイスラムであろうと、意図的に聖典を誹謗する者は、いずれ相応の報いを受けなければならなくなるであろうと思います。

 

 

・「読んでさえおけばそれでよい」

 

 “(聖師さまは)「『霊界物語』を読まない人は、なんぼ肉体はわしの側にいても魂は遠い所に離れているのと同じだ。また、その反対に、物語を読む人は、肉体は遠くに離れていても、魂はわしの側にいるのと同じだ」と、お示し下さいました。”

 

 “聖師さまはしばらくしてから真面目なお顔をなさり、

 「もうわしの言うことは全部「霊界物語」と「神霊界」に言い尽くしてある。神典として残してある。だから、わしが恋しくなったら物語を読め。」

とおっしゃいました。そこで私は、

 「読んでも、片っぱしから忘れてしまいますので……」と申し上げました。すると、

 「忘れてもかまへん。読んでさえおけば、それが血となり肉となって、まさかの時にご内流となってでてくるのだから、読んでさえおけばそれでよいのだ」

と申され、……” 

 

     (三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」より)

 

 

如意(にょい)宝珠(ほっしゅ)黄金(こがね)(たま)もこの神書(ふみ)に (ひそ)みてありぬ(さぐ)りて()けよ

                           (第61巻讃美歌)

 

この(ふみ)をおとぎ(ばなし)(わら)(ひと) (みづ)御霊(みたま)(あし)もともみず

                           (第1巻余白歌)

 

この神書(しんしょ)もしなかりせば()(うえ)に 弥勒(みろく)(かみ)()(ひら)けざらまし

                           (第49巻余白歌)

 

かんながら(さち)はひまして()(ひと)に さとらせ(たま)へこれの神書(みふみ)

                           (第54巻余白歌)

 

()(なか)一切(いっさい)万事(ばんじ)この霊界()物語()に 誠心(まごころ)こめてしるしおきたり

最初(さいしょ)にはおとぎ(ばなし)(そし)りたる 人もゑらぎて物語(ものがたり)()

                           (「神の國」昭和8年2月号)

 

 

*「霊界物語」第一巻 出口瑞月述 天声社、大正14年 国立国会図書館 (他の巻も大半が閲覧可能)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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