「一人でも多く知らしてくだされよ」  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・出口ナオ開祖の言葉

 

 “大正六年の暮れに、綾部へ参拝した時、開祖さまはお一人で私のご面会をお受け下さいました。その時、開祖さまは、「おやすさん、人間の体は着物のごとく、破れたら継ぎ、破れたら継いでいって、継ぎがきかなくなった時には、一度着替えてこないけません。わしが死ねば直日のおなかにこそっと入る」ということをおっしゃいました。そして「この神さまは明治三十年で世の切り替え、立替えをして、それから立直しをされるというおぼしめしであったが、親が子を思うごとく、まだか、まだかと延ばし延ばしにしてこられたが、いよいよもう延ばせんようになった。で、この先は、まあ、じっとよう見ておれ。立替えの最中に立直しがある。両方いっしょになる」とお話になりました。

 その時は、いつになく開祖さまからいろいろなお話をうけたまわりました。

 「この先は、人の目につく信仰でないとあかん。『あれが大本の信者か、ああ変っておる』と人に目をつけられるような信仰でないとあかん。

 それから信者以外の人に、どんな人にでも、世が変るということだけは、一人でも多く言うといてやりなさい。それを聞いた人が『そんなバカな』といえば、その人は因縁の薄い人やでそれでよろしい。言えるだけ人に世が変るということだけはいうといてやりなさい。

 「この先は、わがことを願うでない。おわびをして、それから『万事よろしゅう』といえばそれでよい。それから、その次は立替えを大難を小難にというおわびを十分すれば、それでよろしい」

など、たくさんのお話がありました。”

 

(「おほもと」昭和62年11月号 梅田やす『ご開祖さまにお仕えして』より)

 

*出口王仁三郎聖師は、「大本が天理教などの他の宗教と違うのは、ここが『経綸の宗教』だというところだ」と言われました。さらに「お筆先」には、「今の世に出ておる神や仏に、この経綸(しぐみ)を知るものはなし」ともあります。これは別に他が間違っているとか優劣があるとかいうのではなく、各宗教には、それぞれの使命・役割があるということを言われたものです。そして、艮の金神様の経綸には因縁のミタマが御用をするということになっていますが、誰がその因縁のミタマなのかは分かりませんし、当の本人も気づいていないことが多いということです。また、その因縁は「よい因縁にきまりてはおらぬ」とも。とにかく、誰が因縁のミタマであろうがなかろうが、出口ナオ開祖は、すべての人に「世が変る」つまり「立替え立直しがある」ということを知らせるようにといわれました。もちろん、あくまでも『宣伝』であって『信者づくり』ではなく、決して押しつけがましい真似はすべきではありませんが、スペインのガラバンダルにご出現になられた聖母マリアも、「全世界にこのメッセージを知らせなさい」と言われています。さらに「お筆先」では『かいしん』が、ガラバンダルでは『ゆるしの秘蹟』の重要性が強調されていますが、審判の中にも必ず『赦し』があります。ただし「お筆先」には『信心せねば神は助けようにも助けられぬ』『マサカのときになっての信心は間に合わぬ』ともあり、救済の御業は神と人との相互作用で、人間の側の応答が神力発現の条件です。おそらく神さまは守護の力を行使するために、様々な宗教を通じて、今のうちに一人でも多くの方と結縁されることを望んでおられるのだと思います。

 

*それにしても、一昨日の安倍元首相の銃による暗殺はあまりにもショックで、打ちのめされました。私は一度だけ、安倍晋三氏にお会いして握手したことがあるのですが、赤ん坊のような非常に柔らかい手をしておられたのが印象的でした。北朝鮮拉致問題に早くから取り組まれ、2008年の時点で当時の胡錦濤国家主席の来日時にウイグル人に対する人権問題を直接提起され、民主党政権時代に損なわれた日米関係を修復し、より強固なものにしてトランプ大統領と親密な関係を築き、そしてロシアのプーチンをも牽制できる唯一人の日本の政治家であった彼の死は、日本にとって計り知れない損失をもたらすことになると思います。最近では「核シェアリング」に言及しておられましたが、これは現時点では核保有国からの軍事侵略に対する唯一の現実的な抑止力ですし、将来の全世界の軍備縮小のためには、いったん相手と同等の軍事力を所有して始めて交渉を始めることが可能となります。戦後、売国政治家がのさばる中で、彼のような人物が首相になられたのは、何かしらの因縁があってのことで、彼の活動が日本の国魂、民族霊とも深く結びついていたのは明らかでした。政治家として、「清」だけでなく「濁」をも併せ呑まなければならなかったのは仕方がありませんが、それにしてもなぜこのようなことになってしまったのか。犯人は某国のカルト教団の日本人信者だということですが(カルト信者は自分の頭で考え、判断することなどできませんし、そのカルトが銃の所持を奨励しているのであれば他にも銃や爆弾を自作・所持している信徒が日本国内にいるはずです)、なぜ守護の力がはたらかなかったのか、安倍元首相の死にはどのような意味があるのかを一昨日から考え続けています。以前ラスプーチンとロシアのことを書きましたが、殺生石の封印も解け地上に悪の勢力が増大しつつある今、もしかして彼の死は皇室と日本を守るために必要な犠牲だったのではないか、死後に霊界で何らかの使命を果たすために、あえて彼は魂の深いところで殉教者となることを選択されたのではないかという気がしてなりません。いずれにせよ霊的な次元においても、とてつもなく重大な出来事が起こっていることは確かであり、新型コロナウィルスの世界的な流行、ロシアによるウクライナの軍事侵略など、もはやカウントダウンが始まっているのでしょうし、開祖様が言われたように、一人でも多くの方に『立替え立て直しがある』ということを知らせなければならない時が来たのだと思います。

 

・G・I・グルジェフ 「あらゆる人に‥‥」(アメリカでのムーブメンツの公演の後で)

 

 “公演後、私はグルジェフに言いました。「観客席を見渡しましたら、半分は関心がなさそうで、眠っているようでした。なぜこういう人たちに見せるのですか?関心のある少数の人だけに見せた方がよいのではありませんか?」するとやや怒りさえ混じえて彼はこう答えたのです。「そんなことを判断できるのか?今日眠っているように見える人たちの内面に、二十年後に何かが目醒めるかもしれない。今あんなにも熱心な様子の連中が、十日のうちに忘れるかもしれない。あらゆる人に聞かせなければならない。結果は、時が来ればわかる。」

 

 (トーマス・ド・ハートマン/オルガ・ド・ハートマン「グルジェフと共に」めるくまーる社より)

 

 

・熊野権現の神勅  一遍上人

 

 一遍上人(時宗の宗祖、平安時代末期~鎌倉時代)は、“南無阿弥陀仏”の六字の名号を刷った札を人々にわかち与えながら旅を続けていましたが、紀州の熊野権現へ参る途中、ある僧侶から、「疑っているわけではないが、まだ信心の心が起こっていないのに、起こったとしてその札を受け取ることはできない」と言われ、その念仏札を突き返されてしまいます。狼狽した上人は、「信心が起こっていなくても、とにかく受け取ってください」と、無理やりその僧にお札を受け取らせるのですが、この出来事によって、果たして自分の行っていることは、間違っていたのではないかと悩むようになり、答えを求めて熊野権現(仏教においては阿弥陀如来と同体とされています)の本宮に参籠し、神勅を請います。上人の夢に現れた神のお告げはこうでした。「融通念仏すゝむる聖、いかに念仏をばあしくすゝめらるゝぞ。御房のすゝめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。阿弥陀仏の十劫正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と必定するところ也。信、不信をえらばず、浄、不浄をきらはず、その札をくばるべし。(あなたの考えは間違っている。あなたの勧めによって、すべての人が極楽浄土に往生できるのではない。すべての人が往生できるのは、すでに十劫という遠い昔に、阿弥陀仏が法蔵菩薩といっていたとき正しい悟りを得て、南無阿弥陀仏と唱えることによって、極楽往生できると決定しているのだ。従って、信心があろうとなかろうと、心が清らかであろうとなかろうと、誰かれの区別なく、念仏札を配って結縁せよ。)」

 

 (参考:栗田勇著「一遍上人」(新潮文庫)、河合隼雄著「明恵 夢を生きる」(講談社+α文庫))

 

 

・ガルバナム香が意味すること  (ユダヤ教)

 

 “私は、自分の多くの罪のせいで神から遠い。それはそうだ。でも、もしそうなら、私なくして完全な祈祷はあり得ない。タルムードは教えている。イスラエルの罪人を含まないあらゆる祈祷は、本当の祈祷ではないと。

 祈りは香を捧げるようなことだ。ところで、トーラーは、香料はガルバナム(ヘブライ語でヘルベナ)を含むように要求している(出エジプト記30・34)ガルバナムはそれ自体、悪臭を放つにもかかわらず。

 だから、私が自分自身を罪人だと考えていても、私はあらゆる礼拝に必須の成分なのだ。私なくして、完全な祈祷はあり得ない。

 罪人なる私は、神に祈るためになお一層自分自身を強めねばならない。そして神の憐れみによって神が私の祈りを受け入れてくださることに信頼せねばならない。私はこの祈祷を完成させる者―― 香の中のガルバナムである。

 ちょうど悪臭を放つガルバナムが芳ばしい香の不可欠の成分であるように、同じく私の汚れた祈りも全イスラエルの祈祷の重要な成分である。私の祈りがなければ、すべての礼拝は不完全である、ちょうどガルバナムの無い香がそうであるように

 

(ラビ・ナフマン / ラビ・ナタン「ラビ・ナフマンの瞑想禄」ミルトスより)

 

 

・「大本神諭」より

 

 “綾部の大本は、よい因縁と悪き因縁とあるから、大本へ来ておる身魂は、よい因縁にきまりてはおらぬぞよ。筆先の因縁のわかる身魂で、われに改心でけたなら、この方は善の道へ引き寄して、善の道はこういうやり方であるから、この辛抱いたす身魂でありたなら、悪でも善へたちかえるように経綸(しぐみ)がしてあるぞよ。”(明治三十八年旧三月二十日)

 

 “艮の金神国常立尊出口の守(かみ)と現れて、二度目の天の岩戸開きを致すに就ては、昔の世の元から拵らへてある、因縁の身魂を此の大本へ引き寄して、それぞれに御用を申しつけるぞよ。今度の御用は因縁無くては勤まらんぞよ。”(明治三十八年旧四月十六日)

 

 “仕組がわからんと申して気をゆるめたら、さきでつらいことがでけてはならんから、わからんうちに勉強のでける人は十分しておくがよいぞよ。”(明治三十八年旧九月二十日)

 

 

・御神業に奉仕する者

 

 “(天恩郷・国魂宝座造営時)昭和二年七月のはじめ(聖師さまが)、「いよいよ国魂石にかかる。よい奉仕者を選抜してくれ」といわれたので、「サァ」、いよいよ、これで一安心」と、選抜者の名簿を持って行くと、「これは、どういうようにして選抜したか」と問われた。「私がこれならと思いまして」と答えると、「霊界物語を熱心に拝読している者のうちから選び直せ」と命じられた。筆者は、「ハッ」とした。なるほど、月の大神の前に築く宝座だ。霊界物語で意志想念が神界に相応する度の高い者でなくては、宝座を築く奉仕者としての資格はないと覚り、さらに選抜しなおした。肝心な時の御用には、霊界物語によって想念が練れたものでなくてはならぬと、かねがね聞いていたことを思い出した。”

 

(『おほもと』昭和四十五年十二月号 大国美都雄『天恩郷建設の神秘』より)

 

 

 “月宮殿の国魂石のときは、非常にやかましかった。地方からチョット奉仕に見えた人でも、下の方で石を上げるのは、信者であればよかったけど、いよいよ上にすえるという時には、霊界物語を読んでいない者には、許されなかった。”

 

(『愛善苑』昭和四十六年八月号 大国美都雄『聖師の血と肉霊界物語』より)

 

 

 “聖師さまは「大事な神業に奉仕する人は第一に物語を拝読すること」と常に申されました。”

 

(「霊界物語の栞」第16号 木庭次守『物語拝読は音読』より)

 

 

・霊的な 「 しるし 」

 

 “霊界物語は単なる人為の書物ではなく、真の神が出口聖師に聖霊をみたして述べられた、神伝直受の教典であります。

 霊界物語の神秘について先輩の故成瀬言彦先生から昭和四十五年頃に、次のように伺いました。

 先生が四国へ派遣されていた昭和初期の頃、大本の徳島分所で、五、六十人の信徒に、霊界物語拝読のすすめを内容とした講演をされた時に、話終わって壇を降りると、分所長が礼を述べに来て「徳島の信徒は、皆、熱心な方ばかりで、物語拝読も皆さんがなさっていると確信いたしております」と付け加えられました。

 先生は、そうですかと言って再び昇壇して、皆に、

 「今、分所長から、お聞きの通りのお言葉がありました。しかし、私の見るところ、皆さまの中で拝読なさっている方は三人しかいない。今から私がその三人を当てます」と言って指し示したそうです。

 そのあと言をついで「今示した三人以外に読んだことのある人は、遠慮なく手を挙げてください」というと、皆下を向いて、答える人はなかったそうです。

 先生はさらに、その三人が、それぞれ何巻まで読んだかを言い当て、皆を驚かせたそうです。

 「真の神に祈り、心を込めて物語を拝読すれば、一巻を読み終えると額から蛍火のような霊光が、十五、六巻では懐中電灯のように、月の光を強くしたような霊光が出ている。さらに三十五巻以上ともなれば、さながらヘッドライトの如く強烈な霊光が発しているもので、自分はその顔を見ただけで、何巻の拝読をしているかがわかる」と話しておられました。”

 

(「人類愛善新聞」昭和63年1月号 松平隆基『万民救済の神書』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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