短冊を通じての宇宙との共振 (野口整体) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “今年(平成元年)も恒例の「七夕祭」が七月六日、本部道場で行われた。

 庭には、焼トリ、おでん、トウモロコシ、焼きソバ、タコ焼き等々の模擬店が並び、三階には、会員有志の心のこもった手料理の数々が華やかに並ぶ。子供達が輪投げなどのゲームに興じている二階には、緑の葉も涼しげな二本の竹が立てられ、その枝には色とりどりに、それぞれの願い事を託した短冊が次々と吊されていった。

 今年の裕之先生のお話は、ご自身の研究テーマである「感応」について。「子供の書いた願いごとを読むと、多くが親の願いだと思われることが多い。これは親の願いが子供に感応して、あたかも子供自身の願いとなったのではないかと思われる」と話され、また「乳児のお腹が空いてくると、母親のお乳が張ってくるといった、母親と乳児との間にある感応は一生続くものであり、その感応を通して子供の成長を見ていけば、楽しい家庭が築かれることと思います」と結ばれた。

 裕之先生のこの「感応」というお話を聴いているうちに、ふと野口晴哉先生の七夕でのお話が想い起こされた。

 ――人間の心の要求というものは、要求が起こると、宇宙のどこかで、それに同調して要求を実現させようとする働きが起こるのか、そういう共振に同調して心に要求が起こるのか、ともかく人間の心は非常に感応しやすいものですと。――

 私は、短冊に願いごとを託すという極めて、日本的な発想が、整体協会の年中行事の一つとして長年続いてきた理由が分かったような気がした。

 

 心配していた雨も降らず、芝生の庭でのスイカ割りに爆笑し、花火の美しさに見とれているうちに、閉会の八時半を過ぎていた。当日の参加者は三百九十余名であった。”

 

(「月刊全生」平成元年9月号 黒崎信貴『七夕祭』)

 

*明後日は七夕ですが、毎年この時期は全国の整体協会で、七夕祭、あるいは七夕活元会が行われます。各自が活元運動のあと、短冊に願いを書いて竹に吊すのですが、日が経つにつれて実際に願望が成就していくのを目の当たりにするのは驚異であり、特に子供達に宇宙との繋がり、共振を意識させるよい機会でもあります。「自分の心の中にある要求を端的に短い言葉で解かりやすく、さっと出して、それを書く、書いたら忘れる」のがコツだそうです。家庭でも簡単にできますので、ぜひ試してみてはいかがでしょうか。

 

*願望は声に出して唱えるだけでなく、野口晴哉先生は「願い事が実現するように、七夕様までの空気を揺すぶるのです」と言われたそうで、七夕の短冊を実際に揺すぶって空気を揺らすということにも意味があるようです。そういえば天津祝詞には「天の斑駒(ふちこま)の耳振立(みみふりたて)て聞食(きこしめ)せ」とあり、また「天の数歌」は最後に「布留部由良(ふるべゆら)」と唱えて由良加之奉(ゆらかしたてまつ)ります。神社の祭典では常に大幣(おおぬさ)を振りますし太鼓を叩いたり鈴を鳴らしたり、キリスト教でも正教会では聖体礼儀の間中乳香の入った香炉を振ります。仏教でも「大般若経転読法要」などでは折りたたまれた経典をアコーディオンのように拡げることを繰り返します。個人ではなく集団で、さらに専門の行者や聖職者の方々によって、祈りの空間が「揺すぶられる」ことで、祈りは増幅され、宇宙との共振がさらに倍加するのかもしれません。

 

*おそらく長年にわたって続いてきた伝統行事や制度というものは、それが宇宙と共振するものであるがゆえに行われ続けているのだと思います。たとえ悪しき伝統であっても、無理矢理強制的に廃止しようとして宇宙との繋がりを絶ってしまっては物事がうまくいくはずはありません。あくまでも言向(ことむけ)け和(やわ)されねばなりません。伝統を軽視し安易に否定する人々、暴力的な手段で現状を変化させようと考える人々は、宇宙と同調・感応することのできない連中であり、彼らの主張に振りまわされてはなりません。

 

・「回想の野口晴哉」

 

 “それはまさに

 念ずれば現ず

 我が思う如く、我が事成る也

であった。

 

 この言葉をそのころの語録で読んだ私は、或る日、先生に訊いた。

 「『念ずれば現ず』なら、人を呪うことでも実現するのか」と。

 すると先生は、

 「それもまた、自分に返ってくるさ」

 と、いともあっさりと答えた。

 確かに、天に吐きかけた唾は、自分の顔にかかる。人を呪っている人の人相は悪い。その逆に人の幸せを願い、愉気している人々の人相はどこか美しい。

 そうすると、自己の世界はいつのまにか、自分自身がつくっているのかもしれない。

 

 ある人が先生に訴えた。

 「講習会にどうしても行きたいけれども、姑が意地悪するから行けない」と。

 すると先生が言った。

 「ほんとうに行く気があるなら、姑のせいにしないで、先ず『行く』と心に決めなさい、事態は自然に拓ける」と。

 その人は、明るい顔をして講演会に来た。

 「どういうわけか、姑が機嫌よく出してくれた。先生の仰る通りでした」

 

 「最初に意欲がある。空想がある。理由は理屈はあとからつけるものだ」

 と先生は言う。

 だから『念じた通りになる訳はない』と思っている人は、そう思っていることが実現しているに過ぎないのだろう。人間は自己の可能性をいつのまにか限界しているのかもしれない。

 とは言っても、私自身、やはり先生の『念ずれば現ず』が、不思議で不思議でしょうがなかった。

 これは、戦後の下落合道場のことであるが、

 「僕が、例えば羊羹を食べたいと思うと、誰かが必ずもってくる」と先生が言った。ほんとうにいつもその通りになるので、弟子のMさんが口惜しがり、

 「ここの道場は男より、ばあさんの方が多いですね」と言った。その人は柔道六段の捻れ型だったので、先生も急に捻れたのだろう。

 「それなら、今日の夕方、道場に坐っていろ。男ばかり集まる」と言った。

 夕方、私はまさかと思って道場を覗いてみた。何と、黒々と男ばかりがズラリと並んでいる。階段を上がってくる人も男、男、女は一人もいないのだ。

 私は唖然として、Mさんと顔を見合わせた。

 「奥さま、ほんとうに男ばかりですなァ」

 堂々たる体軀のMさんが、負けたと思ったのか、気弱そうな小声で囁いた。

 夜になって、先生が言った。

 「人間には、意識を通さないで、直接、感じ合う心がある。だから僕が思念すると、何処かで、誰かが感応して、集ってくるんだよ」(P52~P55)

 

 “「修業なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか。自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。

 人間はもっと自由な筈なんだ。だから僕のやって来たことは、人を金縛りにすることではない。すでに金縛りになっているものを、どうやって解くかということだ。暗示からの解放だよ」”(P46)

 

(野口昭子「回想の野口晴哉 朴歯の下駄」(筑摩書房)より)

 

・グルジェフ・ワークを通じて理解したこと (P・D・ウスペンスキー)

 

 ”私の内部のどこか非常に深いところで、暴力の不可能性という秘教の原理を、つまり何を獲得するためであろうと暴力的手段は無益であるということを理解した。いかなることにおいてであろうと、暴力的な手段や方法は必ず否定的な結果、つまり目指す結果とは裏腹の結果を生み出すということを疑いようもなくはっきりと理解し、この感じは後になっても完全に消えることはなかった。私のたどりついたものは外見的にはトルストイの無抵抗のようなものだったが、実際には無抵抗では全くなかった。というのも、私はそれに倫理的観点からではなく実際的な観点からたどり着いたのであり、何が良い何が悪いといった見地からではなく実際的、便宜的見地からたどりついたからである。”

 

 (P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて グルジェフの神秘宇宙論」(平河出版社)より)

(G・I・グルジェフ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキング