未来からの干渉 (量子の世界) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・反粒子は「過去」に向かう

 

 “多くの物理法則は時間を逆行させてもなりたちます(72~73ページ)。実はそれだけではなく、時間を逆行しているとみなせる粒子もあります。それが「反粒子」です。

 反粒子は、(正)粒子とペアになる粒子で、質量や寿命などの性質は粒子と同じですが、電荷は反対です。たとえばマイナスの電荷をもつ電子の反粒子は「陽電子」で、質量は電子と同じですが、プラスの電子をもちます。陽電子の存在は、イギリスの物理学者ポール・ディラック(1902~1984)が1928年に発表した理論から予想され、1932年に実際に発見されました。

 プラスの電荷をもつ陽電子は、電場や磁場の中で電子と逆向きの力を受けます。たとえば、上向きの磁場の中で電子は反時計まわりの円をえがくのに対し、陽電子は時計まわりの円をえがきます。

陽電子はこの性質によって発見されました。宇宙線(宇宙から飛来した粒子)をとらえる実験において、磁場の中で電子と逆まわりの円をえがいたことから、プラスの電荷をもつことがわかったのです。

 陽電子以降、さまざまな反粒子がみつかりました。ただし、反粒子に「陽電子」のような特別な名前がつけられることは例外的で、普通は「反陽子」「反ミュー粒子」のように、たんに「反」をつけてよびます。

 

 1949年、アメリカの物理学者リチャード・ファインマン(1918~1988)は、陽電子は「時間を逆行する電子」だとみなせることを示しました。動いている陽電子は、時間を逆行しながら逆向きに動いている電子だとみなしても、数学的に矛盾はないというのです。いったい、どういうことでしょうか?

 下のイラストを見てみましょう。左側では「対生成」によって電子Aと陽電子ができたのち、電子Bと陽電子が「対消滅」をおこしています。対生成とは、高いエネルギーをもつ光子から、粒子と反粒子が生成する現象のことです。また逆に粒子と反粒子が衝突して消滅し、高いエネルギーをもつ光子が発生するという現象が対消滅です。

 一方、左ページ右側のイラストは、陽電子を「時間を逆行する電子」とみて、左側のイラストをえがき直したものです。このように考えても数学的には矛盾がないといいます。

 こうした考えは、電子などのふるまいを説明する「量子電磁気学」の基礎となりました。その功績などにより、ファインマンは1965年、朝永振一郎(1906~1979)やジュリアン・シュウィンガー(1918~1994)とともにノーベル物理学賞を受賞しました。”

(「Newton」2021年10月号 松浦壮監修『時間の謎』より)

 

 

“量子波動は、ある場所から他の場所へと動くので、その運動には時間がかかる。たとえば、静かな池へ石を投げたときに発生する波と同様、ある場所から出発して空間を伝播してゆく波を想像すれば良い。その波動は、拡がってゆく一つの円と考えることができる。その円は、時間が経つにつれて、ますます拡がってゆく。

 この例では、石を投げて生じた複素共投の関係にある波動は、池の周辺から発生したものと考えることができる。その共投波動は元の波動とくらべ、一つだけ大事な相違点がある。つまり複素共投の波動は時間を逆向きに進むということだ。共投波動は、元の波動が池の周辺に到達した瞬間に池の周辺から出発する。それは最初の波の源に向かってたえず収縮してゆく円のように見える。そしてその波は、一寸前に池の中へ落とした元の石へと崩壊する。

 共投波動は、時間的に逆行するので、元の波動と同じ空間を逆方向に進んでゆく。したがって、それは元の波動と相互作用を行う。二つの波動が相互作用を行うと、それぞれの波形は掛け合わされて一つとなる。普通の時間の立場から見ると、複素波動は元の波動を変調する(強度や周波数などを変える)のである。”(P365~P366)

 

 “もしもクレーマーの解釈を本気で採用するなら、量子的事件に対して、新しい時間像が開ける。すべての観測は、受信という事件をもとめて未来に向かって伝播する波動の出発であると共に、過去の観測という事件からその観測に向かって伝播してくる波動の受信でもある。

 いいかえれば、すべての観測は、未来に向かう波動と、過去に向かう波動との両方を送り出しているのである。そのとき、通常の時間における二つの事件は互いに連結している。あるいは相関があるといってよい。ただし、それらの事件の間の『取引』は必要な物理常数を保存し、必要な境界条件をみたしていることはもちろんである。

 クレーマーは強調する。『取引』による像は一つの解釈にすぎない。その意味では、他のいろいろな解釈よりもすぐれたものであることを証明する、何か新しい実験的証拠が現われるとは期待していない。クレーマー教授は、これは学生に量子力学を教えるときのわかり易くて直感的な方法の一つだと述べている。またこれは、時間が単に過去から未来へ進行すると固執する限り、全く説明困難なパラドックスをも説明することにも役に立つ。”(P370~P371)

 

(F・A・ウルフ「量子の謎をとく」(講談社ブルーバックス)より)

 

*この本の著者であるフレッド・アラン・ウルフ氏は、Amazonの著者略歴には、『科学的な考え方と精神的な考え方を結びつける先駆的な研究によって、科学者と精神的リーダーの両方から重んじられている意識の分野で重要な先駆者の一人。理論物理学でカリフォルニア大学ロサンジェルス校から理学博士号の称号を取得。サンディエゴ州立大学、ロンドン大学、パリ大学、ベルリンのハーン・マイトナー核物理学研究所、エルサレムのヘブライ大学で教鞭をとった。また、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア学者協議会のメンバーであり、ナショナル・ブック賞を受賞』とありますが、ユダヤ神秘主義、カバラーの研究家としても知られている方です。また、文中でその理論の一部を紹介させていただいたジョン・G・クレーマー氏は、ワシントン大学の物理学の教授であると共にSF作家でもあり、代表作には「重力の影」(ハヤカワ文庫SF)があります。

 

*予知や予言というのは、こちらの意識を未来に向かわせる、つまり未来に行こうとするものではなく、この現在の場において、未来からやって来ているものと意識を同調させることで可能になるのだと思います。意味のある偶然=共時性(シンクロニシティ)についても、この量子の不思議な性質が関わっているようです。

 

*我々には自由意志による選択が可能であり、よって未来は現在と『合わせ鏡』のように相互に干渉し合いながら変化し続けているはずです。文中に、「共投波動は、時間的に逆行するので、元の波動と同じ空間を逆方向に進んでゆく。したがって、それは元の波動と相互作用を行う。二つの波動が相互作用を行うと、それぞれの波形は掛け合わされて一つとなる」とあるように、この二つの波動が一つとなるところで現象が確定し、それが「現在」として経験されるのだと思います。

 

*我々には自由意志による選択が可能であるとはいえ、能力には限界があり、そしてこの「未来からやってくるもの」は、私たち一人一人を含む万物に作用し続けています。結局、我々はお釈迦様の手の平から一歩も外に出れなかった孫悟空と同じで、いわゆる予定調和の中にいるのであって、ウスペンスキーが言っていた「我々は時間に閉じこめられている」というのは、まさにその通りです。

 

*中世イスラム最大の思想家であったイヴン・ルシェド(アヴェロエス)は、『神は宇宙を創造すると共に時間をも創造した』と言っていますが、宇宙と時間が共に存在するものであるならば、この宇宙の外に身を置くことのできる存在は、時間を超越して、この世界の経綸に携わることができるということになります。聖書の中のイエスの言葉、「私はすでに世に勝っている」「先のものは後になり、後のものは先になる」には、これまでとは違った新しい解釈ができそうです。いずれにせよ「神の経綸」は何があろうとも成就するのであって、それに参加するのか抵抗するのかの選択が、我々に求められているような気がします。

 

 宇宙の外に身を置いて       五十六億七千万歳

 年遡(さかのぼ)り霊界の     奇しき神代の物語

 赤道直下に雪が降り       太平洋の真中に

 縦が二千と七百浬         横が三千一百浬

 黄泉(よもつ)の島や竜宮城   訳のわからぬことばかり

 羽根の生えたる人間や      角の生えたる人が出る

 夢か現(うつつ)か誠か嘘か    嘘ぢやあるまい誠ぢやなかろ

 ホンにわからぬ物語   

 

         (「霊界物語」第九巻 霊主体従 申の巻 『総説歌』より)

 

*三脈法や、易やタロットなどの占いは、この「未来からやって来るもの」と同調・感応するための手段であって、さらにこの量子の性質、現在の我々の行為と未来からの作用が相互に影響を与え合い、未来は変化し続けているということから考えると、すべてを完璧に予言することは不可能であるということも理解できます。

 

*ルドルフ・シュタイナーは、「自殺以外の人の死は、事故死も含めてすべて六日前から始まる」と言っており、野口晴哉先生も「人の死は四日前からわかる。鳩尾に硬結ができる」と言われています。病死だけでなく事故死にも前兆があるというのは、未来からの干渉があることを考えれば納得できます。ここで重要なのは、自殺には前兆がない、つまり自殺を前提とする未来からの働きかけなどないと言うことです。これは要するに、誰であろうとも、何があろうとも、自殺は決して運命づけられているものではなく、自殺を回避できている未来が確実に存在しているということを意味します。そして、エドガー・ケイシーのリーディングでは、誰であれ、霊的な方面に目を向けて生き方を改めるならば、必ず物質的な援助も与えられると述べられています。

あなたが他者との関係において霊的生き方を適用するならば、必要なものは与えられる。なぜなら、神がすべての自然に衣を着せ給うのではないのか?銀と金も神のものではないのか?そうであるなら、そのように行動せよ!”

 そしてそのために、「出エジプト記19章5節」、「申命記30章全体」、さらに「ヨハネ福音書の14章、15章、16章、17章」を読んで、それを自分の人生に当てはめて考え、実行するよう勧めています。いずれにせよ、まずは自分を超えた「無限なる存在」、簡単に言えば「神仏」に意識を向けなければ、あるいは向けさせなければなりません。

 

 “主は何度も繰り返しこう言われた。「私を試して見よ――私が汝に祝福を注がないかどうか、試して見よ」と。それを行え。”(3538-1)

 

*あと、次のラマヌジャンのエピソードから考えると、聖地巡礼など、旅行することも良いようです。

・シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)のエピソード

 

 “彼の心の内奥で数学的なものと形而上学的なものとが手に手をとって緊密に結びついていたことを物語る逸話は数多い。例えば、パシャイアパ大学生の頃、病を患っている子どもの両親に向かって、子どもを『方違へ』させるように警告したという話が伝えられている。彼の説明では「人間の死はある空間と時間との結節点でのみ起こるものだから」。また、流血で赤く染まったスクリーンに一本の指で楕円積分を描いている夢をみたこともあった。”

 

(ロバート・カニ―ゲル「夭折の数学者ラマヌジャン 無限の天才」(工作舎)より)

 

 

 

 

 

 

 

 


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