関東大震災の予言 〔山田次郎吉先生〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・関東大震災の予言  〔山田次郎吉先生(1863~1930)〕

 

 “山田先生は、一徳斎と号し、鹿島神伝直心影流の第十五代の承継者であって、剣道の達人として知られ、東京商科大学、東京帝大、東京帝大農学部、府立三中等において剣道師範をされた。しかし、先生は単なる武弁者ではなくて、剣道史実の学的研究者としても貴重な業績を残され、その「日本剣道史」「正続剣道集義」「鹿島上伝直心影流」等の大著は当時、天覧・台覧の栄誉に浴したのであった。……”

 

 “……地震の生起は、今日の進んだ科学によっても、これを何年も前に精確に予知することはできないようである。いわんや、地震による被害の程度を予知することは、今日の科学には全く不可能事である。

 ところが、山田先生は大正十二年九月の関東大震災を、その数年前に予知され、地震の生起が大正十二年頃であること、及び、死者が十万に達することを予言されたのであった。

 この予言は、当時雑誌「新時代」によって発表された。即ち、大正八年一月発行の「新時代」誌(第三巻第一号一五三頁)には、『剣客山田一徳斎』の表題で先生の紹介記事が載せられたが、その記事は先生のこの予言にも触れている。

 それには「……斯かる時弊を超脱して高く自から守り、真に古剣道の妙諦を体得せる人に山田一徳斎なる奇骨がある。彼は今、上野御徒町に住み、僅かに高商と府立第三中学とに剣道の指南役を受け持つに止まり、決して売名を計らず、名門に媚び富豪に阿る市井の諸剣客の道を敢えて踏まないが、彼の超俗の気概は既に多くの帰依者を持っている。……」と、先生の人となりを称揚し、進んで先生の予言について「彼は神秘を信ずる。否、神秘を行ない得ると信じている。大正七年の世界的流行感冒は彼がその春、夙に予言したことである。彼は同時に食塩の欠乏をも予言したが、之も現実となりて現れている。更に、序でに此処に最近彼が吐いた予言の一つを後の世の為に記しておかう。

 『大正十三年迄に、此帝都に一大天災、恐らくは大地震があって、市民の中、十万人位は死滅する』

というのだ。しかし是等は何ういうものであろうか、兎に角、戒心すべき予言である。」とあって、これは先生の予言を證する有力な文献であるが、この他にもこの予言の書かれた手紙が幾通か残っている。

 その一通は、先生が大正八年中に、当時北アメリカ在住の令息鍵吉氏に宛てて出したものであって、その手紙に大正十二年九月に東京に大震災の起こること、東京の三分の二が焼失すること、死者が十万に達することなどの予言が書き添えられてあった。

 しかし当時この予言は日本におけると同様アメリカにおいても、あまり注意されなかったようであるが、関東大震災の報道がアメリカに伝わるや、先生の予言が想起されて、ロスアンゼルスの日本人会の新聞は、その大正十二年九月九日発行(第三百六十九号)の紙上に「……今回の大震災を年代から何から、遭難者の数や災厭が地震であることまで予言した人がある。西アダム街は四百二十一番地の広壮なる宅に山田鍵吉という東京人が居る。(中略)この山田君の厳父が予言したのだ。(中略)この古武士山田一徳斎は稀代の予言者であって……」と書いた。

 先生のこの予言の内容は、不幸にもすべて実現したことは人びとの知るところであるが、この予言をされた先生が、その地震に対して如何に処置されたか、また、震災に際して如何に行動されたか、は興味深いことであり、そして先生の真面目を、この大震災を通じて如何に観ることができて、それは、この倫理道徳の見失われて多くの人びとが不幸に沈淪する今日にあっては、たしかに、少なくとも一服の気つけ薬ではあろうが、ここではそれを割愛して、次の、これもまた素晴らしい予言に移ることにする。

 

 先生は時折、東京商大の剣道部員を集めて訓話をされた。それは、剣の道は単なる技の道ではなくて、精神の道、『たましい』の道でもあるからである。古来、『剣禅一味』ということが言われているが、先生は常に、不動心を説かれた。いかなる狂瀾怒濤が攻め来るとも、大盤石の如くして、心身共に動かざること泰山の如しというようになり、常に水面の平静なるが如くでなければ、一朝事ある際に役に立たぬと言われていた。

 大正の終わりから、昭和の初めにかけてのことであるが、先生はその剣道部員を集めての訓話の折に、屡々、次のような予言を加えて、我国の次の世代を担うべき若人達に警告を与えて覚悟を促された。即ち、

 「昭和の『昭』は、日偏に刀と口の二字を配す。この時代は戦争続き、遂には世界を相手にして戦うの愚をなし、今より二十年を経て、朝鮮、台湾、満洲等を失い、本土(本州・北海道・九州・四国)のみとなる時代を迎えんとしている。諸君は、心を定めて、在学時代に心身を鍛練して不動心を養い、困難を乗り切って、新日本建設に役立つ準備と覚悟をもって進まれんことを切望する。」と。

 これはまた、何という大膽率直な予言であろう。しかもこれが、内證のコソコソ話ではなくて、高等の教育を受けつつある多くの青年の前で堂々と話されたということは、先生の確信の程を示すものであると共に、またそのことが、先生の凡庸を高く超えていられたことを物語るものでもある。

 この予言は、一般的な記録にこそ残されてはいないが、いつも剣道部員四、五十名を前にして話されたのであるから、多くの生き證人のある確かな事実である。

 この予言には、この予言を信じていた一人の発言によって、甚大な損害を免れたばかりでなく、莫大な利益を収めたという、予言活用の興味ある後日物語があるのであるが、残念ながらそのことは、いろいろの支障があって発表を省略しなければならない。(未完)”

 

(「心霊研究」1955年11月号 大西英隆『驚くべき予言』より)

 

 

*私が最初にこの山田次郎吉先生のことを知ったのは、甲野善紀著「表の体育・裏の体育」(壮神社)に載っていた「昇汞水事件」を読んででした。山田先生の驚異的な、超人的ともいえる生命力に驚いたのですが、あれこれ調べてみると、先生のご著書の中に「古代養生論」という、「黄帝内経」など何冊かの東洋医学の古典を纏めたものがありましたので、おそらく山田先生は仙道の煉丹術、丹田呼吸のようなことを実践しておられたのだと思います。

 

*私は、大災害が何時どこで起こるのかを気にするよりも、神仏を信じ、日々正しく生きることを心掛けてさえいれば、あとは神仏が良いようにして下さると思っております。ですが、ここで紹介させていただいた話のように、人々を災害に備えさせるため、山田先生のような高徳な人物から事前にかなり正確な予言が発せられることも実際にあるようです。とはいえ、このような正しい予言に接することができるのも、やはり神仏の導きによってであろうと思います。

 

*「昭和の『昭』は、日偏に刀と口の二字を配す。この時代は戦争続き、遂には世界を相手にして戦うの愚をなし、……」とありますが、ならば「令和」はどうなのかというと、『令』という漢字の成り立ちは、『神によって与えられた神聖なる権威の前に大勢の人々が自らひざまずいて、神の言葉に敬虔に聞き従う様子』です。まさにミロクの世の到来に相応しい年号だと思います。

 

*それにしても、ウクライナ戦争の今後の行方や中国による台湾侵攻の脅威とともに、最近日本全国で多発する地震のことが気になります。出口ナオ開祖の「お筆先」には、戦争や天災は『金神のわたる橋』と出ていますが、平成の時代は鎮まっておられた艮の金神様、坤の金神様が、ミロクの世に向かうために再び橋を渡り始められたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 


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