「年号」の重要性 (歴史の中の共時性) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “古代ギリシャには「時」をあらわす二つの言葉があった。クロノスとカイロスである。クロノスはふつうに言う、「時間」「期間」を意味する。これから派生したクロノスジーという言葉は年代記の意味である。これに対してカイロスは、正しい尺度とか、行動のための適切な時期(時と機会)というような意味を示す言葉である。カイロスとは要するに、「時は熟した……」とか「運命の時」とか、歴史の大きな転回の時といった意味をあらわす言葉である。人間は、個人であれ集団であれ、生きてゆく過程でそのような運命の曲がり角に見舞われることがあるものである。「易経」の時間観念は、そういう意味のカイロスの「時」を基本にしている。占うということは、歴史と人生におけるカイロスの「時」を知ることである。

 クロノスの時間は、物質の状態変化を観察することによって測られる。太陽の位置が朝と夕方でどれだけ変ったか、時計の針の示す位置がさっきとどれだけ変わったか、ということを見て、われわれは時間の感覚を量的に認識する。これはベルグソンのいう「空間化された時間」である。これに対してカイロスの「時」は、いわば生命体の成長の過程で訪れる生の変容の時期としての時間帯を意味する。それは本来質的な時間なので、単なる等質的な量として表現することはできない。言いかえれば、カイロスの「時」は外部からの観察だけではわからない時間である。それを知るには、時間の中に――したがって客観的な出来事の中に――生命体としての人間的主体をもちこまなくてはならない。

 中国の歴史記述には二つのやり方がある。編年体と列伝体である。編年体は年表のように、時間の順序に従って事実を記録してゆく普通のやり方である。ただしこの場合、中国人は歴史的因果関係には注意しない。西洋人なら、たとえばある政治的事件が起こった場合、その原因を過去にさかのぼって調べ、そこに一定の因果関係を見出そうとするだろう。したがって歴史学は、政治史・経済史・文化史といったさまざまの分野に別れる。これに対して中国の編年体の歴史では、ある時間帯に起こった注目すべき出来事をすべて一緒に集めて記録する。たとえば、新しい皇帝が即位した、どこかの村で三つ児が生まれた、ある地方に災害が起こった、時節外れの花が咲いた、塩の値段が上がった等々といった雑多な事実は、それらが同じ時間帯に(共時的に)起こったという理由によって、一つにまとめなくてはならない。それらすべての事実は互いに無関係に起こったものではない、と彼らは考えるのである。それらの出来事はホリスティックな全体として、統合された何らかの意味を表現している。それらの事実の背後には、表層に見える因果関係とはちがった超越的な力のはたらきが動いている、と中国人は考えたのである。

 このような独特な歴史把握のしかたを何よりもよく物語っているのは、中国人が発明した年号の習慣である。それは元来、カイロスの「時」が変化した兆候をよみとって、その都度変更されるものであった。

 ここでは時間のもつはたらきと空間の場が発散するはたらきは緊密に結びついている。時間と空間は、宇宙の出来事がその中を流れ、過ぎ去ってゆく空虚な舞台のようなものではない。この空間に起こりつつある無数の出来事の背後には、常にその全体を変容させつつある超越的な「時」の力がはたらきかけている。つまり、時間と空間の中に宇宙があるわけではなくて、時間-空間の作用は宇宙の内部ではたらきつづけているのである。ユングが興味をもったのは、時間の様相と空間の様相をこのように一体不可分なはたらきの関係においてとらえる見方であった。彼はそこに、個人を超えた集団的無意識のはたらきを見出したのである。

 ついでながら、最近訪日したノーベル化学賞の受賞者プリゴジンが、中国の時間観念に対して、非常な関心を寄せているということに注意しておこう。かれのいうところでは、物質現象の観察から得られた現代科学の時間は等質的な量的時間であって、過去も未来も同じ性質と意味しかもたない可逆的時間である。このような時間では、生命体の謎をとくことはできない。科学用語を使っていうと、物質を支配する過程は時間と共にエネルギーを消費し、エントロピー増大の法則に従ってカオス(崩壊と無秩序)に向かおうとするが、生命体はマイナスのエントロピーを食べてエントロピーを質の低い廃棄物として排出し、散逸させることによって、一定のコスモス(秩序、形態)を維持し、また形成してゆく。(このような過程は有機物ばかりでなく、ある種の無機物でも起こる。)その点からいえば、生命体を支配している時間は不可逆的な一方向性をもつ質的時間なのである。プリゴジンはこれを「時間の矢」とよんでいる。生命進化の歴史はこのことを示している、と彼は言う。彼は、このような考え方はもともと中国の時間観念の中に見出されるものだ、と言っている。人間にかかわる諸現象が、このような時間の力に支配されていることは明らかである。生命は、死ねば再びよみがえることはない。ユングの見方はプリゴジンと同じように、自然(宇宙)を一つの生命体としてとらえる見方につながっているように思われる。

 中国人のもうひとつの歴史叙述のやり方は列伝体である。このやり方は、司馬遷の『史記』から始まる中国独特のものである。ここでは、歴史の舞台に登場する人物の群像が、本紀・世家・列伝という三つのランクに分類されている。本紀は、三皇五帝から始まって秦の始皇帝、楚の項羽、漢の高祖などといった、歴史をつくり出す中心に位置した人間の行動に焦点をあてている。世家のランクに入れられるのは、主に呉・魯・越などといった諸侯の家の中心人物たちであるが、孔子のような重要人物はこのランクに入れられている。第三のランクの列伝には、歴史の舞台の周辺部で一定の注目すべき役割を果たした人びとが列挙されている。そこには、政治家・思想家・軍人・医者・良吏・酷吏・学者から遊侠・滑稽・卜者・貨殖、等々といったさまざまな分野の群像が述べられている。歴史はここでは最も強い光を放つ中心をめぐって動く人間群像(つまり諸主体)のマンダラとしてとらえられている武田泰淳描く『史記の世界』の構造である。近代人の眼からみると政治に力点がおかれすぎているように見えるであろうが、歴史を人間が作り出す「時」の力の産物としてみる場合、さしあたり政治的過程がその中心におかれるということは、どの民族でも、また古代でも現代でも変わることはないだろう。政治の力は、われわれの毎日の生活を細部まで支配しているからである。

 ここで歴史家に課せられるのは、そのとき歴史を動かしている諸中心が、一体何を――どういう方向を――指し示しているのか、ということをよみとる仕事である。そしてそのような問いの根拠には、諸中心を認識するものは一体誰なのか、という問題がある。中心に位置する皇帝は天子、つまり超越的な天の意志を受けて地上の空間を支配する特権的地位を与えられた人間的主体である。編年体の歴史は同じ時間帯に空間の各所で興った多様な共時的出来事をホリスティックな統合関係において、「意味のある全体」としてとらえる。そういう見方が可能になる根拠は、そこに世界全体の変容の時期を熟成させる超越的な力がそういう諸中心・諸主体を通じてはたらきかけているからである。その意味において、列伝体の歴史認識は、編年体の歴史が意味のある全体として成り立つ理論的根拠を示しているのである。(以下略)”

 

(「季刊AZ 27号 ユング 現代の神話」(新人物往来社)/ 湯浅泰雄(桜美林大学教授)『ユングは現代思想の動向をどのように見たか』より)

 

 

*誰でも霊的な探求を始めると、意味のある偶然、シンクロニシティをしばしば体験するようになります。華厳経で説かれる「インドラの網」のように、万物は互いに関連し合っているのであって、どのような現象も単なる因果関係、過去から未来に向かう時間の流れの中だけで説明できるわけではありません。普段我々が意識している直線的な時間を超えて、全空間に浸透する力のようなものが存在しており、どうやら「年号(元号)」は、その超越的な力の働きを読み取るための『鍵』となるようです。

 

*本家の中国では「年号」はとうに廃止されてしまい、今やこの「年号」を使用している国は世界中で日本だけです。我々日本人はこの「年号」の意味だけでなく、その霊的な価値についても知っておくべきだと思います。私は「年号(元号)の制度」とは高次の意識状態に到達した人びとによって定められたものだと思います。

 

*今日は「天皇誕生日」ですが、この「年号」というものを意識しつつ世界に目を向けると、「令和」の御代になって起こった数々の出来事、最近のトルコ・シリアの大地震やロシアのウクライナへの軍事侵略、新型コロナウィルスの流行、海底火山の噴火、安倍元首相の暗殺、殺生石が割れたことなど、これらすべてのことには関連があるということになります。もちろん、地震や戦争、疫病の流行などは過去に何度も起こったことなのですが、「昭和」や「平成」に起こったそれらの事件と「令和」に起こった事件とでは、同じような事件でも「時間帯」が異なっているからには質的にも異なっているはずです。もし我々が「易経」を著した古代中国の聖人たちのように天地と感応することができるなら、一見世界各地でバラバラに起こっているとしか思えない様々な出来事について、それらがどのように関連し合っているのかがわかるかもしれません。これまで眼に見えなかったものが見えてくるかもしれません。たとえはっきりとはわからなくても、何らかのヴァイブレーションを感じる人、夢で見る人などもいると思います。H・P・ラヴクラフトの「クトゥルフの呼び声」ではありませんが、これからだんだんと共振する人達が出て来るはずです。

 

・P・D・ウスペンスキーの覚醒の体験  「人間は『時間』に閉じ込められている」  

 

 “‥‥‥「神秘的な」状態においては、ウスペンスキーは「客観的なもの」と「主観的なもの」という区別が意味をもたないことを知った。

 

 ここにおいて私は客観的なものと主観的なものが入れ代わることに気づいた。一方が他方になるのである。このことを口で表現するのはきわめて難しい。主観的なものに対する通常の不信感は消える。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆるイメージはただちに客観化されて、客観的現象の形態と寸分違わない現実的で本物の形式をとる。それと同時に客観的現象もどうしてか消え、すべての現実味を失い、全く主観的な架空のもの、こしらえあげられたものとなり、真の存在感をもたなくなる。

 

 ウスペンスキーはこういう世界を「非常に複雑な数学的関係をもった世界」になぞらえている。

 

 ‥‥‥これは、すべてが結び合わさっており、どんなものもそれだけでは存在せず、と同時に、事物そのもののほかに事物相互の関係が真の存在をもつというか、ことによると「事物」は存在せずに「関係」のみが存在する世界である。”(P67~P68)

 

 “事実上ウスペンスキーは、意識がますます速く流れるように見える強烈な興奮状態にあったのだ。通常は意識は氷河と同じくらいゆっくりした重い流れであるが、神秘的な状態においては氷は溶け、川のような流れになる。

 このことは、一つの言葉を言うたびに追いつくことのできないほどの多くの観念が生じるので文章を完成させることができなかった、というウスペンスキーの言葉からも明らかである。ウスペンスキーは「昨日私は言った‥‥‥」という文章を言おうとする。

 

 「私」という言葉を発音するが早いか、この言葉の意味にまつわる観念がいくつも頭の中に入ってきた。それは哲学的な観念、心理学的な観念、そしてありとあらゆる観念であった。これらはすべてとても重要で新しくまた深遠だったので、「言った」という言葉を発音したとき、自分が口にした言葉の意味が少しも理解できなかった。「私」という言葉にまつわる最初の一連の思考内容をやっとの思いでかなぐり捨て、「言った」という観念に移ったが、ただちにこの言葉にも無限の内容があることを知った。話をするということの意味、思想を言葉で表現することが可能かどうかということ、言うという動詞の過去時制‥‥‥これらの一つ一つが頭に思い浮かぶたびに思考、推測、比較、関連付けが怒濤のように押し寄せてきた。だから、「昨日」という言葉を発音したとき、すでに、なぜこの言葉を口にしたか全く理解できないでいた。けれども、今度はこの言葉がただちに私を過去、現在、未来という時間の問題の深みに引きずり込み、これらの問題とどう取り組んだらいいかという可能性が私の前に開けてきたので、私は思わず息をのんだ。

 

 これもまたすべて全く理の当然である。意識は「溶ける」と、言葉の羅列のような単なる「継起」ではなくなり、「同時展開」となる。つまり鳥観図的な視点をとることができるようになるのである。これは「霊感」と呼ばれている状態と酷似していることは明々白々である。この状態においては作家なり作曲家なりは次々と閃く洞察に遅れをとらないよう最高の速度で書かなくてはならない。

 この比喩から、人間は時間の中に閉じ込められており、ちょうど川に流されるように時間に流されていることが分かる。意味は銀行の広告版のように一瞬閃くが、それを読み取ることは難しい。だが、「心を奪われ」ているときはいつも―― つまり、何らかの意味にすべての注意力を払っているときはいつも―― 時間をゆっくり進ませている。人間はこの「時間をゆっくり進ませる力」をもっているという事実は、人間の状況にまつわるとびぬけて興味深い事柄である。これは、望むならどうにか時間を停め、意味と相対することができるということを暗に示している。普通の人は、自分は時間の奴隷であり、止まることのない川の流れに運ばれるように時間によって運び去られ、ついには人々から忘れられることを当たり前だと思っている。哲学者や神秘家は時間は絶対的なものではないというこの可能性を垣間見ている。人間はもし自分たちの能力を正しく使うことができるようになったら、時間を思いのままにすることができるようになるだろうと神秘家たちは言うのである。

 ウスペンスキーは空間と時間の「非絶対性」を実際に体験した。三十分ほど熱心に訓練をすると、「普通ならとても顔を見分けられないような遠くにいる人の顔を実にはっきりと見ることができるようになった」と言う。空間が「縮ま」ったのである。また別の時には、「実験」をしている真っ最中にモスクワへ行くことにしていることを思い出した。

 

 突如、何の前触れもなしに、イースターにはモスクワへ行くべきでないという忠告を受け取った。なぜ行ったらいけないのか。その答えとして‥‥‥この実験をした日以降一定の順序で事態が推移していくさまが見て取れた。突飛なことは何も生じなかった。けれども、私がはっきりと見てとることができ、実験をした日に存在していた原因は徐々に展開していった。そして、最終的な結果にまで到達すると、イースターの直前に一連の困難を生み出し、そのために結局私はモスクワへ行くことができなくなった。これは単に奇妙な事実だというだけのことだったが、おもしろいのは、未来を予測することができる―― 未来全体が現在の中に含まれている―― という可能性らしきものを見て取ることができたことだった。イースターより前に起こることがすべて、二カ月前に存在していた事柄から直接に生じるのを私は見たのである。

 

 ウスペンスキーの透視は現代の「カオス理論」と真っ向から対立する。「カオス理論」を基礎づける数学規則にしたがうと、二、三日先の自然界の推移(たとえば天候)を予測することは不可能なのである。

 神秘的な状態においては、「連続的」である通常の時間の感覚も消える。あるいは、ウスペンスキーに言わせれば、「通常の時間の感覚とともに、ないしはその中に、いわばもう一つの時間の感覚が現われ、文章中の二つの言葉ならぬ通常の時間の二つの瞬間のあいだに別の長い時間が入って来るのである」言い換えれば、「連続した時間」のある瞬間とある瞬間のあいだに「鳥観図的時間」、がさっと入り、まるで別の次元のように連続した瞬間と「交差」するのである。” (P70~P72)

 

(コリン・ウィルソン「二十世紀の神秘家 ウスペンスキー」(河出書房新社)より)

 

・「列子」は支那の霊界物語

 

 “支那では列子はぜんぜん判っていない。全部霊界のことが書いてあるから、王仁は若い時には随分読んだものである。今は本がないから読めないけれど。列子は支那の霊界物語である。現界から見れば判らぬが霊界から見れば本当である。(此時色紙に三羽烏を書いて頂く)(霊界物語は皆日本の事以下 昭和二十一年三月二十二日 午前九時)”

 

(木庭次守編「出口王仁三郎聖師玉言集 新月のかけ」より)

 

 

 “耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず

 耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳 

 

  (「霊界物語」第一巻第二四章『神世開基(ヨハ子)と神息統合(キリスト)』より)

 

 

・「列子」『老聃(老子)の道を得た亢倉子 ―― 耳目を用いずに視聴する者――』

 

 “陳の国の家老が使者となって魯の国に出かけて行き、個人的に叔孫氏と会った。叔孫氏が「わが魯の国には聖人がおられる」というと、使者の家老は「それは孔子ではありませんか」という。叔孫氏が「いかにも」とこたえると、「どうして孔子が聖人であるとわかるのですか」と彼はききかえす。すると叔孫氏はこたえた。

――わたくしはかつて顔回から聞いたことがあるのですが、孔子という人物は無心の境地で五体が動かせるとか。

 叔孫氏の言葉を聞いて陳の国の家老は言った。

――わが陳の国にも聖人がいます。ご存知ですか。

 叔孫氏が「聖人とは誰のことですか」とききかえすと、陳の国の家老はさらにこたえた。

――老聃の弟子に亢倉子という男がいて、老聃の道をものにしています。耳でものを視、目でものを聴くことができるのです。

 さて、その話を聞いた魯の殿様はたいへん驚き、上席の家老に命じてその男を鄭重に魯の国に招かせた。そして亢倉子が招きに応じてやってくると、魯の殿様は鄭重な言葉で事の真偽を問いただした。すると亢倉子は答えた。

――話を伝えた者がでたらめをいったのです。わたくしは耳目を使わずに視たり聴いたりすることはできますが、耳目のはたらきを取りかえることなどできません。

 魯の殿様が、「これはいよいよもって不思議だ。いったいどのようにするのだ。わたしはどうしてもそれが聞きたい」というと、亢倉子はさらに答えた。

――わたくしは、体は心とぴったり一つになり、心は「気」すなわち宇宙の元気と一つになり、気はさらに「神(しん)」すなわち造化の霊妙なはたらきと一つになり、神はさらに「無」すなわち道と一つになっています。したがって、ちょっとでも何かが存在し、わずかでも響きをたてれば、遠く世界の果ての出来事であろうと近く眼の前の出来事であろうと、わたくしにかかわりをもってくるものは、かならず察知します。とはいえ、それがわたくしの肉体的な感覚器官の知覚することなのか、心や腹などの内臓器官の知覚することなのかも一向に分からず、ただおのずから知るだけなのです。

 亢倉子の言葉を聞いて魯の国の殿様は、すっかり悦び、後日そのことを孔子に話したが、孔子は笑ってばかりいて何も言わなかった。”

 

(「列子Ⅰ」平凡社 東洋文庫533より)

 

*出口王仁三郎聖師は、どうやら古代中国の『列子(列禦寇(れつぎょこう)先生)』に、自分と共通するものを感じておられたようです。

 

 

・「霊界物語」の時間と空間

 

 “「霊界物語の時と場所とが解らぬといふ人が多い。之は誠に尤(もっと)ものことと思ふ。或人はこれは天の霊界神界の事であるといひ、或人は昔の神界の事であるといひ、何れにしても解らない。そこで私は四ヵ月以前に先生(註・王仁三郎)に尋ねてみた。すると先生は神界幽界現界の各界に過去現在未来があって、つまり全部で九界となる。其の中、霊界物語は太古における現象を主として神界幽界との相互の関係を述べたものであると申された。すると霊界物語は有史以前の太古における地球上の人間界に起こりたる事実を主として記したものであるといへる。但し当時の人間は今の人間と全然等しからず故に之を神代と云った。昔の事と今の事を一緒に書いたからとて何も時間空間を超越した訳ではない。つまり今の世は大現在の事であって此の大現在中に過去現在未来がある。吾人が読んだ歴史はこの大現在の過去の事実である。而して其の有史以前に大過去の世があり、其の大過去中に過去と現在と未来とがある。歴史は繰り返す意味に於いて大過去の過去は大現在の過去に映り、大過去の未来は大現在の未来に映る訳である。又同様にして大未来があって之にまた過去現在未来があり、此時が真の立替立直しされたる三千世界の五六七(みろく)の神代とも思はれる。先生が之はよい質問であると、直ちに筆を執って書かれたのが第六篇(註・第六巻)の序文松葉の塵である。」(執筆者・八島別)

 

 王仁三郎の空間観によれば、太陽系天体を小宇宙、小宇宙の無数の集まりを大宇宙という。我々人体もまた一つの小宇宙を型どっている。天祥地瑞(73巻~81巻)は大宇宙の核となる最奥霊国、紫微天界の創造物語であるから、さらに特殊な時間感覚を持たねば理解できない。

 

 かつてこのような時間観を述べた人を、寡聞にして私は知らない。

 王仁三郎にとって、時間は過去から現在・未来へと直線的に流れるばかりでなく、大過去・大現在・大未来の各段階に質的にも超越的飛躍があるのだ。しかも大過去は大現在に、大現在は大未来に投影(単になぞるのではなく、その間に質的にも向上)するという。

 

(出口和明「スサノオと出口王仁三郎」(八幡書店)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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