“つげの木で造るのが本当である。つげの木の切り口は切り立ての血の出ないときの人の膚と同じであるから身代わりの意味である。丸判が本当である。鉱物や動物や水晶で造るのは邪道であって、燃えあがるもの(植物)で造るのが本当であるから、木で造るのが正しいのである。実印は長さ二寸三分直径は六分か七分である。小印は二寸一分で直径が四分か五分である。(昭和十年以前)”
(木庭次守編「出口王仁三郎玉言集 新月のかけ」より)
・不思議なハンコ屋 山本印店
“ハンコには、「押すことであなたの代わりをしますよ」という「肩代わり」や「身代わり」の意味合いがあります。そして、本人に代わって働くものゆえに、ある種の力が生じると考えられています。
その力とは、「責任」を伴う力です。すなわち、ハンコを一度押すと、その印影は押した人の代わりに責任という役目を背負って永遠に存在し続けるということです。
実印でも、銀行印でも、認め印でも、種類に限らず、ハンコは「責任をとらなくてはいけない」ものです。それゆえに、ハンコはさまざまなトラブルや問題を引き起こす原因ともなり得るので、慎重に、かつていねいに扱われなければなりません。”(P58~P59)
“さらに、僕はハンコをツゲの木で作るというところにもこだわりを持っています。象牙や水牛の角といった材料には、生きた動物がかかわっているために、それらの材料を使ったハンコには、野心的なものや打算的なものを込めることができるように思います。それはそれでよいのでしょうが、僕はあくまでも、呼吸をしている植物であるツゲの木を使っています。そして、その呼吸が妨げられないように、ハンコを保管するための袋は、布製の巾着にしています。”(P60)
“ハンコには、手相と同じような印相というものがあると知ったのは、ハンコ屋に丁稚として働き始めたころですから、もう半世紀以上も前のことになります。
僕は、十代の終わりから学んだ印相学をベースとして、数多くのお客さんが持って来るさまざまなハンコを長年見続けるうちに、独自の見方ができるようになりました。
そもそも印相とは、ハンコ上に現れた傷や印(しるし)などが意味を持つという考え方です。大まかにいうと、ハンコの文字が彫ってある面と側面にはご本人のことが、文字と反対側にある頭の面にはご先祖である仏の世界が現われます。
たとえば、ハンコの胴体の中ほどにスーッと白い横線が入っていたら「本人の腰が悪い」ことの現れだったりします。また、頭の面に白い点が入っていると、亡くなった親御さんの思いがそういう形で現れていたりします。
ただし、印相はマニュアル化することができません。ハンコに傷などの現象が現れていたとしても、その意味するところを、ハッキリと「これ」と断定して説明はできないのです。あくまでも、僕個人の感覚で感じ取っているわけです。
ハンコに同じような傷がついていても、いやな感じがするときもあれば、何も感じないときもあります。いやな感じがするのは、その人のマイナス部分が現れているときが多いようです。
また、「ハンコが欠けていると金運が悪くなる」とよくいわれますが、これも一概にはいえません。現実に、ハンコが欠けているのに何十億というお金を稼ぎ出す人がいらっしゃいます。逆もまたしかりです。ハンコの欠け方一つとっても、当てはまる場合と当てはまらない場合があるのです。ですから、断定すると、すべてがこじつけになってしまいます。
また、ハンコをこだわりなく、気にせず使っている人、または根本的に占いそのものを信じていない人は、ハンコに左右されることがないので、印相が通用しないことがあります。”(P70~72)
(山本桃仙「不思議なハンコ屋 山本印店物語」(マキノ出版)より)
*この山本印店の店主でありハンコ職人であられる山本桃仙先生は、過去に何度も臨死体験をされており、さらに不思議な力を持っておられることで知られています。ご本人は常に、ハンコには運勢を変える力などなく、運が開いてきたとしたら、それは自分自身の努力のたまものであると言っておられますが、やはり、この方の作られるハンコには何らかの力が込められているように思われます。また、特に先祖供養や家庭が円満であることの大切さ、さらには子供を持つことがいかに素晴らしいことであるかなどを強調しておられるようです。亀岡天恩郷にも小安石のような子宝祈願の霊石がありますが、多額の費用がかかる不妊治療よりも、山本先生にハンコを作って頂く方が効果がありそうな気がします。
*現在、ハンコ廃止論議が話題になっており、これから脱ハンコ化の流れはますます加速していくように思われます。事務手続きの簡素化には賛成ですが、ハンコは我が国に古くから伝わる文化でもあるということも、もっと強調されるべきだと思います。
・メジュゴリエの聖母マリア (幻視者の一人、ミリアーナとの質疑応答)
“ある日、群衆の中の一人の男が尋ねた。
「ミリアーナ、子どもたちをもつことを拒否する若い既婚の女性に対して、あなたは何と言うのですか?」
「赤ちゃんをもつことは地上で最も美しいことです!」
ミリアーナは直ちに答えた。その言葉に拍手の波が起こった。
その男は満足したようだった。彼は正しく、今や彼はその証拠も得たことをその若い女性に知らせたであろう。それでも、彼はそれ以上の答えを求めた。
「もしこの女性が未来が非常に暗く、またそのような世界の中へ子どもたちをもたらすことは危険であるからと怯えたとしたらどうですか?」
「彼女が恐れる理由はありません。彼女はその子どもたちを神とマリアに委ねるべきです。ゴスパ(注:「貴婦人」を意味。聖母マリアのこと)は、私たちが自分の子どもの幸福を決定するのではないと言っておられます。『神を自分の父として、私を自分の母として、そして教会を自分の家として受け入れる人々は恐れる理由がありません』と聖母はおっしゃっています。
「しかし、このごろでは、多くの両親が子どもを持つことを恐れている……」
「ゴスパは言っておられます。『子どもを持つことを恐れてはいけません。むしろ、子どもを持たないことを恐れなさい!あなたたちは子どもを多くもてばもつほど良いのです。』」
巡礼者たちは互いにぶつぶつ言い始めた。彼らは聖母からそのような強い言葉を予期していなかったし、それは今日の社会において言われていることとは正反対であった。
「しかし、ミリアーナ、秘密についてはどうなのですか?私たちはそれらのうちのあるものは困難を告知しているということを知っています。」
「秘密を恐れてはいけません。あなたの子どもたちをゴスパに委ねなさい。そうすれば、あなたたちは秘密によって恐れることは何もありません。私がすでに二人の子どもを持ち、もっとたくさん持ちたいと希望しているのを、あなたはなぜだと思いますか?」
彼女の議論と証しは夜の閃光のように輝いた。それはこの千年期の終わりに書店に侵入したあらゆる「最後の審判の日」に関する本よりも強い、反駁できないものだった。
グループがくぼみや岩でいっぱいの小さな道を通って去って行く間に、私は子どもたちに関して、もう少し詳しいことをミリアーナに尋ねた。
「あなたが今言ったことは西欧世界にとっては爆弾のようなものだわ。それは強力な権威筋が長い間私たちに押し付け、メディアによって毎日私たちの意識の中へ叩き込んできたすべての考え、つまり、子どもは家族を弱らせる重荷である、という考えに反するでしょう。」
「聖母の声は人間が墓を掘る声を超えて聞かなければならないのよ。」
「明日来て!」
翌日、彼女の居間に座っている間に私は会話のノートをとった。ミリアーナは彼女自身の意見をゴスパが彼女に委託したものと決して混同しない。彼女は一言一言、彼女が前日に行ったことを私に繰り返した。
「ミリアーナ、ゴスパは結婚するようにあなたにお求めになったの?」
「いいえ、私は決定を下す自由をもっていたわ。私の心の中の神のご意志に耳を傾けるように教えられたのよ。聖母はいつも、『祈りなさい。そうすればあなたは何をすべきかを、心の中で知るでしょう。』と言われる。でも、私は心の中に修道女になる望みを感じたことはない。マルコと私は子どもの頃から知り合いで、級友だったの。ゴスパは、私には結婚以外の他の道を示されなかったわ。」
「ミリアーナ、六人の幻視者のうちの五人が結婚しているわね。これは今の時代に聖母が家庭の方を好まれている一つのしるしだと思う?」
「いいえ、決してそうではないわ。ゴスパは両方の使命が教会の内部には必要である、司祭や修道者たちが家庭なしには生きることができないように、家庭は司祭たち(そして修道者たち)がいないと生きることができないと言っておられる。幻視者たちは模倣されるべき模範ではないわ。」
「昨日、あなたは聖母からのとても強い主張を伝えたわね。例えば、『子どもをもつことを恐れてはいけません。むしろ、子どもをもたないことを恐れなさい!子どもたちを多くもてばもつほど良いのです』と。」
「ええ、聖母はそうおっしゃったわ。そして聖母はなぜそう言われたか、その理由をご存じだわ。私も知っているわ。でもこれ以上はあなたに言うことはできない……。」
「おお、あなたは知っているのね!」
ミリアーナはうなずいた。そして強い信仰告白の確信をもってほほえみながら付け加えた。
「秘密が明らかにされるとき、人々はなぜ多くの子どもをもつことが重要なのか、その理由を理解するわ。私たちは皆、マリアの汚れなき御心の勝利を待っているのよ!」
私の心は喜びで弾んだ。なぜなら、私はその理由を知らないけれども、ミリアーナはファチマをメジュゴリエに結びつける神秘的な関係を確証したからである。私は彼女を見た。そしてミリアーナがこの世で彼女の目でこの勝利を見るであろうと確信した。おそらく、彼女もまた、その勝利がどのように来るのかを知ったのだ。
「もし私が、あなたがたった今言ったことを正しく理解しているとすれば、何かとても美しいことが、ゴスパが望んでおられる小さな子どもたちに起こるのでしょう?」
「あなたが自分自身について話していなければいいのだけれど。聖母はこれを結婚したカップルのために言われたのよ!」
それは私たちの会話が終りに来たということ、そして彼女はもう付け加えることは何もないということを私に知らせる彼女なりの上手でユーモラスな仕方であった。彼女は子どもたちの食事の準備をしなければならない。私は、また会うときを楽しみにして彼女のもとを去った。”
(シスター・エマヌエル「メジュゴリエの証言者たち」ドン・ボスコ社より)
*欧米の環境活動家や狂信的なリベラルの中には、ティーンエイジャー(特に女性)に、今のような地球環境が悪化し続けている状況では、子どもを生み育てるべきではない、などと説く連中がいるようです。確かに環境問題は重要ですが、このように極端な反出生主義の考えは、悪魔アーリマンからもたらされるものです。