神社参拝の心得 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “正式に神社参拝をする時は、必ず神饌料を捧呈すべきものであるが、ほんの一寸したお宮へ、通りすがりに参拝するにしてもお賽銭を五銭以上お供へすべきものである。プラツトホームの入場料でも五銭取るでは無いか、御神苑内に入れて頂くのだから、それ以上差上るのは当然の事である。又お祭りを当て込んで境内で店を開いて居る商品は値切らないで、たとへ些しのものでも買うてやるがよい。さうすると神様がお喜びになる。古来代々の天子様が地方を御巡視遊ばさるる事を行幸と申して居るが、それはお出ましになる地方が沢山の頂きものをして喜び勇み、心から幸福を感ずるからの事である。山川も寄りて仕ふる聖天子が行幸遊ばさるる時は、魚も獣も皆その徳を慕ふて寄つて来る為め、海には漁猟が多くて漁師が喜び、山には獲物が多くなつて猟師が喜ぶのである。その如く神様も、其境内に集まる人達に福を与へておやりなさりたいのであるから、其神意を体して、買物をしてやるのである。かういふ所で使ふ金は決して無駄費ひではない、結構に御神徳を頂くのである。”

 

(出口王仁三郎述・加藤明子編「如是我聞 水鏡」より)

 

*今の時代であれば、お賽銭の最低金額は百円であろうと思います。尚、賽銭箱へお賽銭を投げ込んだり、正式参拝のときに納める玉串料の封筒の名前を連名にするのは神様に対して非礼であるとされます。

 

・「惜しいお金」

 

 “聖師様が大正十四年春、京都の北野天神に御参拝になった時にお伴をした時の話でありますが、社頭の桧の札に麗々しく書かれた寄付を読んで、「惜しいお金やなァ」と申されますので、「浄財をあげるのに惜しいはずはないでしょう」と申しますと

  「こう書いて人が賞賛してくれたものは、神様に何にもなっていないがなあ。こう書かずに御用が出来ておれば、神様の方に届いているが、こうしたら何にもなっていないから、惜しいお金だ」

と教えられました。(上村清彦氏拝聴)”

 

(木庭次守編「新月のかけ 出口王仁三郎玉言集 霊界物語啓示の世界」より)

 

 

*今日は大晦日ですが、出口王仁三郎聖師は、大晦日の晩には「霊界物語 第七十五巻」の祝詞を奏上するようにと言われています。「天界の永遠の無事」を祈る祝詞であり、素晴らしい内容です。来年が皆さんにとって良い年でありますように。

 

・大晦日の神事

 

 “王仁が霊界物語を読ませるのを楽しみにしてゐると思ってゐるのか、年越しには七十五巻の太元顕津男(おほもとあきつを)の神の祝詞を読んで過ごさねばならないのだ。(昭和十七年十二月三十一日午後十一時五十五分までかかった由)”

 

 (木庭次守編「新月のかけ 出口王仁三郎玉言集 霊界物語啓示の世界」より)

 

(「神の國」2017年2月号より)

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング