産土神をないがしろにして他の神に祈った話 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “むかし前(さき)の大和守藤原重澄といふ人があった。若かった時、兵衛尉(ひょうゑのじゃう)といふ官職に任ぜられん事を望んで、賀茂の大神に祈願を捧げながら、御社の土屋などいふものを造って差し上げなどして厳重(おごそか)に崇敬してゐた。そして自分で(キット神感によって正しく願ひは叶へらるるであらう)と思ってゐた。

 ところが其の後除目(ぢもく)といって、毎年諸々の官人を沙汰せらるる日に、いくたびも漏れて一向に任官もしないので、重澄は心に不思議に思って、其の祈祷の師であった者に深く申し入れて、或時の除目の夜、常よりも殊に念入りに祈請さしたところ‥‥‥

 稲荷の大神から御使にまゐられた神があり、此方からも取次の神が出会はれて、其の御使の旨を聞くと、彼の御使の申されるには

 『重澄の所望はことさらに任ぜられるべきでない。彼は我が膝元にて生まれ、我が氏子でありながら、我を忘れたるものである』

 と、いはれるのを、取次の神は大神に申し入れられる様子で、度々御問答があった。最後に稲荷の御使神が、

 『然らば今一度なされずに思ひ知らせて後、この次の除目に重澄の願ひどおりにしてやって頂きたい』

 と申されて御使の神はお帰りになった‥‥‥

 と見たのである。祈祷師は驚いて、急いで重澄の許にゆき、事の顛末を語って互ひに怪しんで居たところ、果たして其の夜の除目には外れたのであった。

 重澄は此の夢想が実際かどうかを知らうと、氏神たる稲荷の神社に詣でて、氏神の御蔭を忘れ奉ったことを御詫び申し上げて、次の度の除目には申し出ることもしなかったのに、相違なく任官されたといふことである。

 これを以って考へれば、他の神に祈願するにしても、必ず氏神の御護りに洩れるときは叶はぬ旨(こと)が知られると、心ある人は言ひあつたさうである。”

 

             (山口起業撰「口語 神判記実」(八幡書店)より)

 

*出口聖師は「神は順序である」と繰り返し語られ、まず主神を第一にすべきであるとともに、各人の産土神をも大切にせねばならないことを教えられています。スピリチュアルがブームになり、あちこちの神社へ参拝に行くことを趣味とされる方も多いようですが、天地の親神様や自分の産土神社を無視して、いくら他の神社で祈ろうとも、願いが聞き届けられるとは思えません。むしろ、産土神様に対して御無礼になるだけだと思います。もし、何かの目的があって他の神社に参拝に行かれるときは、あらかじめ自分の産土神様にお取次をお願いしておいてから、そこへ参拝に行かれるのが良いと思います。