神様に仕える手相 (神秘十字) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

山川日出子 「私の初めてのご面会は女学生のころです。おばさんにつれられて、四国の大洲から参拝にきたときのことです。そのとき聖師さまは、『手を見せい』とおっしゃられ、私の手相をみてくださいました。そして、『お前はここ(感情線と頭脳線の間)に十の字があるから、神さんのご用をせなあかんで』とおっしゃられました。そのときの事が今でも強く印象に残っております。」

 

(「おほもと」昭和53年8月号 『座談会 ああ瑞霊真如聖師さま』より)

 

*感情線と頭脳線の間の十字とは、手相学で言う「神秘十字」のことで、山川日出子さんは、戦後、出口王仁三郎聖師のもとで、みろくの世の国魂、「耀盌」の御用をされたお二人のうちの一人です。ただし、神様の御用をされる方はみな神秘十字の手相を持っているというわけではなく、これまでこの相はなかったのに、五十歳を過ぎて突然両手に神秘十字が出現したという方もいらっしゃいます。

 

*「透明なゆりかご」や「お別れホスピタル」などの作品で知られる漫画家の沖田×華さんも、両手にこの神秘十字の相をお持ちです。過去に不思議な臨死体験もされており、もしかしたら何らかの使命をお持ちの方なのかもしれません。

 

 “火星丘(AとB)の中央、頭脳線と感情線の間だけに、短い運命線が存在し、それと同じくらいの強さの横線が横切っていて、十字架形になっているもの(E)を神秘十字架と呼んでいる。この相をもつ人は、狂信者といいたいような信仰家によく見られるが、火星平原(C)も深い場合が多いのだ。

 これは、私の独断といわれるかもしれないが、狂信的になる場合は、運命なり健康なりのどこかに、潜在的な病根が存在するのかもしれない。医者や薬ではどうにもならないその災いの根を絶とうとして、こういう人はふつうの人間の想像もできない信仰の強さを持つのかと私は思ったことがあった。

(高木彬光「占い推理帳 手相篇」(文芸春秋社)より)

 

 “運命学を活用する唯一の道は、心をすなおに澄み切らせることにすぎない。自我や妄執などを去り、人間本然の予知本能、無言の啓示に心耳を澄ますことなのだ。

 これは、人間が神仏の前に、静かに額突くときの心境にも似ている。だから、宗教ともこの意味で相通ずるものだといえるし、どのような宗教とも共存しうるといえる。

 そういう話を、三上さんという知り合いの計理士にしていたら、彼は膝をのり出した。

「先生、私は戦争中に海軍の航空隊で、水上偵察機をのりまわしていたんですが、海軍では航空隊の採用にあたって、最後に手相を調べたのを御存じですか?」

「知りませんねえ」

 私もこれは初耳だった。

「もちろん、科学的検査はその前にどれだけやられるかわかりません。たとえば、床屋の椅子みたいなものに坐らされて、ぐるぐるこまのようにふりまわされ、その後で白い直線の上を歩かされるんです。線から離れてとんでもない方角へ歩いて行けば落第、線の上をまっすぐ歩いて行くような人間は、鈍感すぎるから落第、酔っぱらいのように、よろよろしながらその線を中心に左右を歩いて行ける人間が合格ということになるんですね。とにかくそういう検査を何十回かくり返されて、最後が手相だったんです。名前は忘れましたが、当時有名な占いの先生だったらしく、

『お前は死なんな』

とぽつりといったものです」

「それで危ういところへ行かなかったんですか」

「とんでもない。九州から沖縄へ偵察に行ったときには、三度撃ち落されましたよ。北海道では特攻隊、終戦のときには樺太です。もっとも最後は飛行機で逃げ帰りましたがね」

「三度墜落、特攻一度で、よく命がありましたねえ」

と私はうなってしまった。”

 

(高木彬光「占い人生論」(東洋書院)より)

 

*高木彬光先生は数々の推理小説で有名な方ですが、占いにも相当の知識をお持ちで、刑務所の囚人や裏社会の人達にも取材され、かなり現場での経験を積まれた方でもあります(男女がお互いの名前を刺青で彫ると逆に別れることになる、とか)。この「占い人生論」では、ご自身がある易者の予言の通りに命が助かる体験をされたことなど、占いの凄さだけでなく、その限界、インチキな占い師のことなども詳しく書かれており、読み物としても面白い内容です。なお、高木先生は出口聖師と同じく「源義経=成吉思汗説」を主張され、「成吉思汗の秘密」という本を書いておられます。

 

*キリスト教徒の中には、占いを否定する方もいらっしゃるようですが、「旧約聖書」の『箴言書』3章16節には「その右手には長寿あり、その左手には富と名誉あり」とあり、また『ヨブ記』の37章7節には「神は人の手に印象を置き給えり。それはこれによりすべての人々にその職分を知らしめんが為なり」とあります。これらは明らかに手相のことを述べたものですし、戦前のキリスト教社会運動家で世界的に有名な賀川豊彦師は、友人である平竹辰牧師の「人相知識」に序文を書かれ、人相手相の研究が実際に有益なものであることを認めておられます。もちろん、人相や手相はいわば参考であって、あくまでも「主なる神」への信仰が第一であることは言うまでもありません。

 


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