耀盌(ようわん) 〔みろくの世の御神体〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・耀盌(ようわん) 〔みろくの世の御神体〕

 

 “例えば、楽焼をするといわれて、一生懸命に土をこねられ、他のことには目も耳もかさず、一心不乱に制作に取り組んでおられたことがある。出来上がったものは、まだ習作の段階で、人に見せられるものではなかった。

 しかし、それでも信徒らが茶を飲み、また何かを入れて食すると病気が治るというような、一つの霊的現象が生じてきたのである。お茶を飲む茶碗というよりは、霊的な現象のため、神器として尊ばれるようになった。作り方も次第次第に上手になられた。そこで、これは上手だとか、ここは下手だとか評価する者もあったが、聖師は「ワシの茶碗は恰好などで値打ちが決められては困る。これで、湯でも水でも飲んでくれたら、それで霊的に人の病が癒え、精霊が健全になる。そのために、自分は一生懸命心の中で惟神霊幸倍坐世と唱えつつ作っているのだ。判る人には判る。霊的なものを現実の世界の価値で批判されては、神様も苦笑ものだ」といわれていた。

 後に、大本第二次事件後、耀盌を作られたが、これも陶芸関係の人は良いとか悪いとか大変批判した。以都雄に対して聖師は、「大国、ワシの作った茶碗を良いとか悪いとかいうが、ワシはそんなことは吾関せずだ。解る者には解る。後になったら拝むようになるだろう」と笑って話されたことがある。その時以都雄は、「御手代と同じことですよ。あの御手代ができた時、皆、飯杓子にしてしまったのですが、後から聞いて、それは大変だということになって皆が驚いたのです。それと同じことです」と笑って話したことがある。”

 

 “もちろん聖師の生命が永遠のものではないとは思っていたが、それでも相当の長命を保たれて人類救済の使命を果たされるものと信じていた。ところが、保釈出所され、いわゆる楽焼を始められてからは、ほとんど他は何も顧みず、一心に楽焼に精魂を打ち込んでいられた状態を見て、以都雄は少々不安になり、よい機会を見て「教えの方はしばらくお休みですか」と質問した。すると聖師は、「教えは霊界物語に全部示した。あれ以上教えることはない」と言われ、「今は楽焼じゃあ。これもお茶を飲むための楽焼ではない。神器とするのである。後には御神体となるのもあろうし、これにお水を入れて飲めば病気が治り、身体が健康になるという身心浄化の神器のつもりでワシは造っておる。それを茶を飲むためのものと考え、良いの悪いのといろいろ批評する者がある。分からん者は仕方がないから、説明もせず黙って造っているのじゃ。お前は分ってくれるじゃろう」と言って声をあげて笑っておられた。その姿は如何にも無邪気な子供のようであったが、その言われた言葉に以都雄も反省させられた。”

 

            (大国美都雄「真偽二道」より)

 

 

 “楽焼一つ造るのに千回「惟神霊幸倍坐世」と唱へるのである。そうでないと棒でつきさすのだから壊れて了ふのである。(昭和二十年四月十三日)”

 

 “茶わんに魂を込めて百度以上の熱で焼くからエライわい。(楽茶わんを焼く時荘楽方にて、昭和二十年山川日出子氏拝聴)”

 

 “楽焼はみろくの世の御神体だ。これは玉じゃ。(昭和二十年)”

 

            (木庭次守編「新月のかけ」より)

*令和3年1月17日まで、亀岡市の天恩郷内「ギャラリーおほもと」にて、耀碗 47点の特別展示が行なわれています。出口聖師と等身大の「伊都能売観音像」も常設展示されており、多くの方々にご鑑賞いただきたいと思います。(月曜日休館(月曜日が祝日の場合は火曜日))