“父母両親の精神行動至正至直なる時に受胎せし生児は至正至直の人となり、放逸邪慳なる時に宿りたる生児はまた放逸邪慳の性質を持って生れ、悪逆無道の行動をとりたる時受胎したる子は、悪逆無道の精神を持って生まるるものである。”
(「海潮」昭和25年1月25日 『瑞言録』より)
問 ―― 胎教を世の中では漸くやかましく口にしだしましたが、実際必要なものでせうか。
答 ―― 必要やとも、妊娠したら直ぐ妊婦の室は綺麗にして綺麗な絵を掛けて置くと綺麗な児ができる。鬼とか、おかしな絵をその室に貼って置くと、そんなような児ができる。妊娠中に妊婦が火事を見ると本当にアザができる。だから妊娠中には火事を見るなと云うのや。酒を呑むと酒呑みの児ができるし、果実ばかり食べると果物好きの児ができるし亦猿みたような細長い顔の子ができるもんや。そして米をやつと食べておくと丸々とした肥えた子ができる。
問 ―― 私は聖師様の書かれた観音様をいつも見てゐました。
答 ―― 観音さんばかり見てゐると観音さんみた様な顔になる。何しろ妊娠の時くらい感じの強くなる時はない。胎教は一番肝心である。聖人の教え等を聞かすのはよい。悲哀なことを聞くとそんな子ができる。
問 ―― では、妊婦は物語(「霊界物語」)等を沢山拝読するといいですネ。
答 ―― それはいいとも。
(「出口聖師座談会集」『愛児の為めに(昭和七年三月十五日夜)』より)
・エドガー・ケイシー
“覚えておきなさい。人は、瞑想したり、祈ったり、求めることで、偉大な魂をこの世に招き入れるための環境を作り出しているということを。
なぜなら、妊娠期間には、生まれ来る子供に対して責任を持つ人たちの態度や、子育ての務めを引き受けようとする人たちの姿勢が、彼ら自身にとって、また他の人たちやこの世界にとってすら祝福となり得る偉大な魂を招き入れるかもしれないからだ。
昔からいわれているように、この世に子供をもたらす人々はまことに祝福された人々である。(540-7)”
“子供は何歳くらいから教えたり、しつけを始めるべきだろうか。
妊娠の何か月も前からだ。
その影響力は完全なる賜物の与え主に全く属するものである。(5752-2)”
“ある人たちが述べているように、ハイアラーキー(霊的階層組織)は地球での経験を通して魂が進化向上することを忘れているわけではない。それゆえ、そのような(ハイアラーキーの干渉による)霊的進化が稀だというわけではない。しかし、より自然な霊的成長は、そのような魂をゆだねられた人たちの交流や祈り、献身を通して行われるものである。
なぜなら、これまでも述べてきたように、生まれる機会を求めている実体の側に、ある種の選択があるからだ。この物質世界、物質性の中にあっては、しばしば自らの霊的意義を否定するような仕方で躾けられたり、教え込まれている。
魂がこの世に入ってくるのは霊的成長のためではないだろうか?
ただ単に物や心や肉体の充足のために生まれてくるのだろうか?
道であり、我らの手本であるキリストにあっては、これらの体と心と霊の側面は常に一つのものとして捉えられる。イエスの母は充分にこれらのことを心にとどめ、思いめぐらされたのである。
これが全ての親に対する戒めでないとしたら、他にどのような意味があるだろうか?
成長過程にある子供の感情から発せられる言動についてよくよく熟慮せよ。聖書にあるように、彼らを進ませるべき道に躾けよ。そうすれば大人になって道から外れることはないだろう。(1521-2)”
(レイチェル・ランネルズ「エドガー・ケイシーが示す愛と結婚の法則」たま出版より)
*結局、出口王仁三郎聖師もエドガー・ケイシーも同じようなことを言っているわけですが、要するに、受胎の時の両親、特に母親の意識が霊界に感応し、新たに生まれてくる子に受肉する魂が決まる、ということです。もし、天使や天人のような高いレベルの魂に自分の子として生まれて来てもらいたいのであれば、両親は常に意識を神に向け、祈りや瞑想、隣人への奉仕など、霊的な生活を送るべく心掛ける必要があります。とはいえ、たとえ配偶者に対してであってもあれこれ強制すべきではありませんし、そもそも結婚自体にそれほど関心を持っていない方々もいらっしゃいます。あまり難しく考えなくとも、たとえばケイシーは、ある結婚したカップルに対して、「天使たちが訪問したいと願うような素晴らしい家庭を築きなさい」と言っています。まずは家族が互いに深い愛情で結び付いているような、愛と平安に満ちた家庭が求められているようです。
*ただ、ケイシーのリーディングの中には、偉大な魂が俗物の両親、たとえばギャンブル好き、もしくは飲酒癖のある両親のもとに生まれたというケースも複数あります。何らかのカルマによって、あるいはその魂にとって必要な試練なのかもしれませんが、そのようなことも実際に少なからずあるようです。また、たとえその子供が高貴な魂の持ち主であったとしても、必ずしも学業の成績が良いわけでもなく、さらに、高い魂ほど、地上の環境に中々適応できなくて苦しむ傾向があるように見受けられます。