こんにちはニコニコ

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世界中の人と友達になりたい
chocolatitaです爆笑
 
 
 
アメリカ生活時代第6弾は
祖父の死で働く場について考える
 
 

 
 
 
ここまでの自己紹介はこちらから
 
 私は生まれた時から
両親それに父方の祖父母と
一緒に暮らして育った。
 
 
 
 
高校を卒業するまでの18年間
ずっと一緒に。
 
 
 
私の祖父母は
妹と弟が次々に生まれたのもあり
私のことをよく子守してくれ
 
 
 
祖父が自営業だったのもあり、
融通が利くのか
 
時間があると
一緒に温泉やご飯を食べに
連れて行ってくれ、
 
一緒に取引先のお家まで
連れて行ってもらっていた。
 
 
 
今思い直すと
取引先の方やそのお家を
未だに覚えているのだから
相当可愛がってもらえたんだと
思います照れ
 
 
 
 
そんな祖父だから
 
 
『子育ては女がするもんだ!』
 
 
 
『全部母親が子供を見とけ』
 
 
などと言う
概念はない人でした。
 
 
 
 
 
 
 
みんなが笑って楽しめる
陽気暮らしがいい
 
 
 
 
 
お金を持ってても
お金の使い方を知らない人は
貧乏人と変わらない
 
 
 
 
 
人のためにお金を使える
じいちゃんは金持ちなんだ
 
 
 
 
お金は天からのまわりもの
回すのを惜しむと
人とのご縁もなくなるんだ
 
 
 
と惜しげもなく
人のためにお金を使い
椀飯振舞いをし、
 
 
 
人を集めて
ワイワイやるのが大好きで
 
 
 
その日暮らしをしているように
見えて
 
縁を大事にするからか
仕事も絶えず
とっくに定年の年齢を過ぎた
80を超えても
 
 
毎日外を駆け回っている
祖父だった。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
だから
留学を決めた18歳の時、
まだまだ現役で元気で
丸太を担いで運んだりしていたので
考えもしなかった。
 
 
 
 
 
 
祖父の死を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
祖父が急変したのは
私がアメリカに留学して
短大から四大に編入が決まり
 
 
短大での最後の学期の
期末テストを受けてる最中だった。
 
 
 
突然母親から
国際電話がかかって来て
 
 
 
 
『おじいちゃんがね、
末期の癌が見つかって入院したの。
これから闘病生活が長引くかもしれない。』
 
 
 
 
 
 
 
 
何を言っているのか
全く分からなかった。
 
 
 
 
毎年、年に1度までは
帰っていなかったけれど、
 
 
前回会った時は
今までと変わらず元気で
そこら中を飛び回っていたのに
 
 
 
何が起きたの!?
 
 
 
何を言っているの!?
 
 
 
状況が
全く把握できなかった。
 
 
 
 
 
 
その後、
病室にいた祖父に代わってもらい
電話に出てもらった。
 
 
 
 
もう祖父の元気のハリのある声
とは全く別
 
 
変わり果てて
今にも消えてなくなってしまうような
聞くのがやっとな声で
 
 
 
 
『じいちゃんまだ大丈夫だ』
 
 
 
そんな声かけが
いっぱいいっぱいだった。
 
 
 
 
 
 
 
それを聞き
ようやくその場が
今までと180度も違う状況に
変わったことに
気付いた。
 
 
 
 
 
 
私は何もせず
このままいたら
祖父に会えなくなる
 
 
 
 
 
私が母と一緒に
看病を共にしよう
 
 
 
 
祖母も元気だけれど、
80近い祖母に
負担をかけるわけにはいかないし
 
 
 
 
 
 
私が
休学を取ればいいだけだ!
 
 
 
 
 
 
 
いつだって大学に
入れる資格は
既に取ってあるんだから
 
 
 
 
と、ようやく
念願の留学生活後半:
四大に入り専門の学部の勉強できる
タイミングに来たところだったが
 
 
 
 
 
私が1番融通が利き
身軽に思えたし、
 
 
 
 
何よりこの場で
支えてきてもらった家族に
何も出来ないままなのは
耐えられなかった。
 
 
 
 
それ程
私にとってかけがえのない
おじいちゃん
 
 
 
私が帰るまで待ってて!!!
 
 
 
 
と胸に想い
現実に目の前にあるタスクを調整し
 
 
 
学期末のテストやペーパーワークを
先生に確認し
日程を早め受けさせてもらったり
提出させてもらったり
 
 
 
編入先の大学に
半年の休学届けをお願いし、
必要な書類を作成してもらったり
 
 
日本行きのチケットを
とったり
 
 
 
アパートの手続きまわりを
友達にお願いをし
 
 
 
全て終わらせ
日本へ発つまで
4、5日かかってしまった。
 
 
 
ほぼその間
寝ずに片付けて行ったが
思いのほか時間がかかった。
 
 
 
フライトにも12時間
 
 
 
家族から離れて
海外生活して
初めて
 
 
 
 
会いたい時に
会えない距離を憎んだ
 
 
 
 

 
 
 
 
一刻も早くに会いたい
 
 
 
その想いで
空港からそのまま
病院へ直行
 
 
 
 
 
ギリギリ間に合った
 
 
 
 
 
ただ、
その時見た祖父は
私の知ってる祖父とは
別人のようで
 
 
 
 
お水をかろうじて
飲めるだけ
 
 
 
自分で起き上がる事すら
できなかった。
 
 
 
 
 
 
目の前の現実が
信じられなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
それでも
私が帰ってきたのを
分かってくれ、
 
目を合わせて
微かに微笑んで
声をかけてくれた。
 
 
 
それが最後に聞いた
祖父の声になってしまうとは
その時は思いもしなかったが、
 
 
最後に祖父が
自らの意思で出した声となった。
 
 
 
 
 
 
 
それから私は
一度も家に帰らず病院で看病を
丸一日し祖父は亡くなった。
 
 
 
 
 
皆んなが揃って
祖父の周りを囲んだのを
確認したかのように
 
 
 
最後のお別れを
祖父は今まで見せたことのない
涙を一粒流して
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
私が帰国して
あっと言う間の出来事だった。
 
 
 
 
 
 
その後も
ばたばたと物事は
進んで行ったが、
 
 
誰もその事実を信じられる者は
いなかった。
 
 
 
それくらい衝撃的だったが、
この時、思った事がある。
 
 
 
 
人生いつ何が起きても
おかしくない
 
 
 
 
学生で
独身で
身軽な身だから
海外にいても帰ってこれた
 
 
 
 
これが仕事をしていたら?
 
 
 
 
 
家族がいたらどうだろう?
 
 
 
 
 
 
 
私はそれまで留学後、
どこで働くか
そこまで重要視していなかった。
 
 
 
 
アメリカだろうが、
どこの国だろうが、
世界中どこにいたって関係ない
 
 
 
そんな風に思っていたけれど、
この一件を受け考えが変わった。
 
 
 
 
私の本拠地は
日本
 
 
 
 
世界中のどこでもない
 
 
 
 
生まれ育った日本にしよう
 
 
 
日本が拠点で
働ける会社に勤めよう。
 
 
 
 
 
それがこの時
新たに私の中で生まれた想い。
 
 
 
その1年後の就活でも
その想いはブレなかった。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
それに何より
祖父は亡くなっても
 
 
 
祖父との思い出や
祖父から教えてもらったこと
それらはそのまま残る。
 
 
 
 
 
直接教わらなくとも
活きるものがあったり、
 
 
 
 
本当に色々ある。
 
 
 
そんな風に感じれる
ようになったのも
また年月が過ぎたからかな。
 
 
 
 
 
 
そして私は
また自分の仕事ではないけれど
海外生活を送っている。
 
 
 
 
あれだけ
海外生活をするのを
やめようとしたのに。。。
 
 
 
 
これも何かの
運命かご縁なのか
分からないけれど、
やっぱり色んな国の人達と会える国に
折角住めたので大事にしたいなっ
 
 
 
 
それではまたバイバイ
 
 
 
 

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◆自己紹介シリーズ◆

 

続きは乞うご期待!

 

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