こんにちはニコニコ

 
ご訪問ありがとうございます。
 
 
 
気持ちのまま書いてみようと思います。
 
 
私は
妹1人、弟1人、と3人兄弟の
1番上として生まれました。
 
 
そして
父母、祖父母の
7人家族で賑やかに
田舎暮らしをして育ちました。
 
 
そんな私の
幼少時代のエピソードは
少し苦い思い出。
 
 
 
 
それは、
私が『左利き』と言うことです。
 
 
 
 
 
 
えっ??
 
 
と思うかもしれませんが、
 
 
私が子供の頃は、
今のように左利きを頻繁には
見ることはなかったです。
 
 
 
と言うよりも、
みな右利きに矯正されるのが
当たり前でした。
 
 
 
私が物心ついた時には、
なんでも左で、
 
 
お箸を使う手も
ハサミを使う手も
字を書く手も
 
 
全部【ひだり】でした。
 
 
 
 
 
なんでも左のため、
祖母にはよく
 
 
「左で持つんじゃなくて、
右でこうやってもってごらん!
みっともないよ」
 
 
と言われ
矯正するなら今のうち。
 
 
今ならまだ
小さいんだから
今のうちならなおせる。
 
 
 
祖母は、
日本人はなんでも【右でやるもの】
と言う考えでした。
 
 
 
 
母はそうではなく、
私を矯正させようとはせずに
好きなようにやればいい。
 
 
そんな風に思っている人
だったので、
 
 
私はさっぱりなんで
左がダメなのか。
 
 
なんで右じゃないと
ダメなのか最初は分からなかった。
 
 
 
 
 
image
 
 
 
 
ただ、幼稚園の頃
ふと思ったことを覚えています。
 
 
 
なんで私だけこんなに
紙を切るのが下手なんだろう?
 
 
 
ハサミの刃が反対で
手をいれる部分の大きさも逆で
 
 
とにかく左利きが
右利き用のハサミを使うのは
難しかった。
 
 
 
なんで他のことは
みんなとそんな変わらずできるのに
私だけこんなにできないんだろう?
 
 
みんなと同じように
やっているのにできないの?
 
 
それがすごく悔しかった。
 
 
 
ひとり刃を入れて切る度に
できるギザギザの紙を見ると
落ち込んでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんで
私だけできないの?
 
 
 
 
色々とハサミの持ち方を変えて
みたり、試行錯誤した。
 
 
それでも
 
 
利き手でない手だからか
上手くいかないかった。
 
 
 
 
このままではイヤ
何とかしたい!!
 
 
 
あの当時、
クラスの女の子でピアノを習う子も多く、
幼稚園にピアノ教室が来ていたので
 
 
「お母さん、
右手をもっと使えるようになりたいから
ピアノ習わせて!」
 
 
 
そうお願いをして、
ピアノを習い始めました。
 
 
 
 
 
習い始めた当初は
楽しくやっていたが、
 
 
ピアノの主旋律は右手
伴奏は左手
 
 
難しくなればなるほど、
右手を細やかに
早く動かさなくてはならない
 
左の音は右手よりも
小さくなくてはならない
 
 
右利きであれば【当たり前】
できる事が
 
左利きの私にとっては
それが難しく、
苦痛になっていった。
 
 
 
なんで私だけ
左利きなんだろう?
 
 
なんで右利きで
生まれてこなかったんだろう?
 
 
右利きだったら
こんな苦痛に思うことも
何もなく過ごせたのに。。。。
 
 
 
学校での
 
そろばんの時間
そろばんは右から左に位を上げて行くので
左では次の位が見えずらくなりとてもやりづらかった

 

 
習字の時間
習字の筆は日本語をきれいに書くためには最適で、
日本語の文字自体が右利き仕様になっている為、
左利きでも習字は左では書けず、
右で書かなくてはならず辛かった

 

 

この時間も大嫌いだった。
 
 
 
どちらも
右でやるのが前提で
作られたものだから
 
 
左でやろうとしても
できない。
 
 
先生も右利き。
 
左利きの
このできない
気持ちは分かってもらえなかった。
 
 
 
計算だって負けずに
早く解けるのに
 
なんでこそこそどこかで
計算した答えだけを
そろばん上で弾いて
 
あたかもそろばんでやったように
見せてるんだろう・・・
 
 
 
習字だって
真っ直ぐに力を入れて
書けないから
 
筆字はいつもくねくねで
自分の右の使えなさが
自分の情けなさと同じように
見えて辛かった。
 
 
 
 
 
 
 
もうなんで
左利りきを差別するような
クラスなんてなくなればいいのに!
 
 

 

 

そんな風に口に出したとしても
右利きの人にそんな気持ち
分からないだろう。
 
 
そう思っていたからか、
ずっと自分の心の中に
そっとしまい、
 
 
できるだけ不自由なく
右が使えるように
練習した。
 
 
 
 
 
 
最初は
左利きコンプレックスでしたが、
 
それと向き合いながら
暮らしているうちに
左利きで良かったなと
今では思っています。
 
 
 
当たり前のことが
当たり前にできないのが
 
日常にあったからこそ
感じれることも沢山あった!
 
 
そしてできる幅も
広がったと思います。
 
 
こんな風に思えるようになったのも
必死にもがいた時間が
あったからかもしれない。
 

 

 

それではまたバイバイ
 

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◆自己紹介シリーズ◆

 

次回はこちら

幼少時代の私~妹コンプレックス

 

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