こんにちはニコニコ

ご訪問ありがとうございます。
 
 
 
【自己紹介フェーズ1-⑤】
中学時代に家の増築をした時の
エピソードを交えて
私の【家族】と【家】に対する価値観の元
お伝えしたいなと思います。
 
 
多分、私のこの価値観、
人とかなり違いますニヤニヤ
 
 
 
私は、3人兄弟で1番上。
両親と父方の祖父母と
同じ家で住んでいました。
 
 
祖父母は兄弟が10名前後ずつおり、
地元同士の結婚だったので、
家の近くには親戚がわんさかニヤニヤ
 
 
学校に行けば
『〇〇と親戚なんでしょ?』
と言うように
 
都会では考えられないけれど
田舎あるあるを
そのまま現実にしたような家でした。
 
 
 
 
毎日誰か家にやって来る。
誰だか分からないほど
色んな人がやって来る。
 
 
その度に挨拶をし、
話にもお邪魔していた。
 
 
そんな人の出入りが多い
家で生まれ育った。
 
 
 
 
くわえて、
父の兄弟は父以外
全員女の3姉妹ニヤニヤ

 

 

皆仲が良く、
どこかプールへ行くと言う時も
伯母が連れて行ってくれたり、
 
 
夏は恒例のように
父の兄弟家族全員で旅行へ
行ったりと

 

 

どんな時でも
誰かがそばにいて
誰かが子どもを見てくれる
 
 
そんな中で育ちましたニヤニヤ
 
 
 
私の子育ての考え方もここから
来ている気がします。
 
いつでも周りの大人の温かい視線が
注がれる中、
 
 
好きなことをして
時には怒られ
 
 
 
ずっと今もその状態が続いていて
 
私が帰省する度に会いに来てくれ
昔話をしながら
今度は私の子ども達を見てくれていますデレデレ
 
 
 
 
本当にありがたい限りです。
 
 
 
 
 
 
前置きが長くなりましたね
滝汗滝汗滝汗
 
 
 
増築の話に入りましょう!
 
 
 
一緒に住んでいた祖父は
自営業で林業を営んでいました。
 
 
山の木や神社や寺院など
銘木と言われる太い木を切り倒す仕事。
 
 
 
家にはその切って来た木が
何本ある分からない程山になって
庭に置いてありました。
 
 
 
そんな仕事をしていたので、
元々住んでいた家も
祖父が切った木で造った家でした。
 
 
この家を建てた大工も
祖父の娘(=伯母)が嫁いだ先が
大工と言うこともあり
建ててもらった家でした。
 
 
 
 
 
増築しようとなった時も
 
 
 
祖父の木を使い、
伯父に建ててもらう
 
 
 
 
これは前提(=当たり前)の事でした。
 
 
この頃の私にとっては、
 
自らが切った木を材料として
知っている人(=親戚)に
家を建ててもらうという事は
 
当たり前の事であり、
なんら特別な事ではないと思っていました。
 
 
 
私の親戚中や周りの家は
祖父が切った木を使ったり、
伯父が家を建てたり、
 
 
そうでなくても、
皆日本の伝統的な木造家屋ばかり。
 
 
白い壁のお家に憧れはありつつも
我が家の家は絶対そんな造りの家には
ならないんだろうな〜
と思っていました。
 
 
 
 
実際に、
その前提通りの家となりましたウインクキラキラ
 
 
 
 
折角 増築するんだから、
折角 祖父の木を使うんだから、
家族みんなで木の皮剥こうと
母が言い出しました。
 
 
 
えっポーンポーン
 
 
1本丸々皮を削いだ木を
そのまま柱にするの????
 
 
 
 
突拍子も無い事を
母は言い、
そのままその流れでやりました。
 
 
 
 
皆総出で、
檜(ヒノキ)の丸太を横にして
本当に木の皮を削ぎましたよニヤニヤ
 
 
当たり前ですが、
木の皮は茶色です。
 
 
 
その皮をドンドンめくって
1本剥き終わるのに半日。
 
 
しかも
2本も剥いたので
重労働でした。
 
 
その分、
家族みんなで成し遂げた達成感や
生の檜の香りでの癒しは
最高でした。
 
 
 
 
 
家造りの大工のお仕事も
パパっと建つ家とは違く、
 
 
基礎を固める為に、
半年以上寝かし
 
 
それから
ようやく建てて行く過程は
ゆっくりで
 
早くに部屋が欲しいのに
待たなければならないのが
もどかしくて、仕方がなかった。
 
 
 
 
 
それでも、
建前をして盛大に餅やお菓子や
お金を撒いてお祝いをしたり
 
 

これは従兄弟のお家の時のもの
 
 
棟梁の伯父だけでなく、
左官屋さんやら瓦屋さんなど
色んな専門家の人が来て
 
 
1つ1つのものを丁寧にじっくりと
時間をかけて
作り上げて行く過程や
 
何人もの人達の力や協力があってこそ
出来上がるすごさを
間近で見て学ぶ事が沢山ありました。
 
 
 
 
人が住む家と言うものは
ただ発注をして終わるものではなく、
 
1つ1つの材料にも想い入れがあり、
作った人の気持ちが伝わってくる
そんな空間だと思い育ちました。
 
 
 
木がここまで木材として
使えるようになるまで
長い年月をかけて育ったこと
 
 
木の持ち主のご先祖様が
末裔の事を想い
木を植えそれを長い年月守ってきたこと
 
 
そんな木の持ち主と
祖父が年月をかけ交渉をし
木を切らせてもらったこと
 
 
切ってからも木材として
使えるようになるまで
何年も寝かし、準備されてきたこと
 
 
そしてその木を使って
その木が最大限使えるよう
家を建てられる技術のある人がいること
 
 
それらのご縁の上で
成り立っている
 
 
 
大人になり、
これが希なことで
実現しようと思っても
そう簡単にできるものであることが
分かってきました。
 
 
 
 
 
それでも
一生その家で過ごしたいと思える
私の家の理想像はここにある気がします。
 
 
 
 
 

それではまたバイバイ

 

 

 

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◆自己紹介シリーズ◆

 

次回はこちら

中学卒業〜初の海外旅行で感じたものとは〜

 

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