どうやら終わってしまった。
何がって・・・追い求めること。探し続けること。

湧き出る意欲が消えてしまった。

 

いったい自分はどうなってしまうのか?この先何が起こるのか?
いきなりスピリチュアルな道に放り出された後は、一人きりで、手探りで、
その先にあるものだけを捜し求めてきた。
「いったいどこへ向かっているのか、その先に何があるのか」
「自己がなくなるということはどういうことなのか?」

想像していたこととはまるで違っていた。

 

何ひとつ変わらない普通の生活が続くだけ。
記憶も思考もある。
ただ一瞬前のことさえ忘れてしまうという、連続性のない思考。
感情はある。
ただ、哀しい、嬉しいはあるのだが、それはただその一瞬だけの心の動きでしかない。
それは個人的な感情とは呼べない。

 

なにか劇的な瞬間があってそのような状態になったということもない。
ただなんとなく「あれ?よく考えてみれば以前と違う」というゆるやかな気づき。
いつからそうなのかもわからない。

 

何ひとつ変わらない、しかし全てが変わっている。
もちろん世の中は分離して見える。
しかし、実はそうではない一つのものであるということが理由なくわかる。
なんと、そんなことは誰だって知っていること、子どもの頃から慣れ親しんだ感覚、
ただ、今はそこに直接理解がある。

 

みんなドラマチックで特別な体験など期待してはいけない。
そんなことはたぶん起こりはしない。
それでは全くお門違いなものを追いかけていることになるだろう。

 

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そして今、普通過ぎるほど普通の生活。
テレビを見て、ドラマを見て、単純に笑っている。
お金が足りなくなれば、1日バイトで工場の単純作業に行ったりもする。
良い人になろうとか、良い生活レベルを手に入れようとか、全然考えない。
寿命が来るまで自力で動けるよう、歩いたり、バランスの良い食事を取る事には意識を向けている。
パワースポットも、あれこれの不思議なことも、全然興味が無い。

 

驚きなのは、スッと頭に浮かぶ思考、それと同時に身体が動くこと。
例えば、毎朝6時前後にパッと目が覚め、すぐに起き上がって「朝の散歩」に出かける。
以前なら確実にあった、目覚めてから起き上がるまでのもう少し、もう少しという時間がない。
あらゆるところに個人的な選択という迷いがなく、「○○する」と思ったから○○という行動をするだけ。

 

嘘みたいに単純な生き方。
動物的ではあるが、これまでの人間としての経験があるので世間と普通にやっていける。


これがようやくたどり着いた「どうなる」の答え。

そして今「書く」と思ったから文章を書き、
「ブログに載せる」と思ったから記事をupしてみる。


途中の密度の濃い時間はすっ飛ばしてしまったが、

これでたぶん最終回!

 

 

「久しぶりにブログを見たら最近記事を書いてないみたいですね、元気でやってますか?」
そんな内容のメールをいただきました。

出来事としてはあまり書くほどのことが起こっておりません。
春にお店を始めましたが、現在はそれまでの生活とあまり変わらないのんびりした日常です。
最初は集客とか繁盛とか、まあ普通程度に意欲を持ってやっていましたが、気持ちがぐるっと一巡してのんびり元の気分のまま。
まあ外的な要素としては特別書くような出来事もなく平凡な日々です。

ただ内面的な要素としては大きく変容は進んでいるようです。
そのことに関しては、いろんな理由で記事にすることをやめています。

理由という中に、自分がどう思われるとかそういうことは一切どうでもよいことです。
読んだ人、参考にしようと思った人にどういう影響を与えるだろう、知るべきタイミングが人によって違うだろう、そんな理由です。
そもそも必要のない人には目に留まらないはずなので、私が心配する必要もないのかもしれませんが。

「今書いた方がいいな」と思えないので、気持ちに従っています。

しかし今の自分の状態は、あまりにもたくさんのことを忘れてしまいます。
そこで自分のPCに思いついた順にメモとして残すことにしました。
起こった出来事も、なんとなく感じている事も、順不同の備忘録です。
書いた日付だけ残しています。2015.11.29から始まりました。


どうしてもその後のプロセスというのが知りたい、自分の事として必要だから。
もしそう思っている方がいらっしゃれば、カフェの方に立ち寄ってみてください。
個人的に聞かれればお話しすることはできます。
私が「知りたい」と思っていた頃、情報はとにかく少なく、それくらいの行動はいとわず必死でした。

結局、乗り越えた後に解説となるようなものに都度出会いました。

久しぶりに「魂の闇夜」という言葉を検索してみた。
5年ほど前、初めてそれを知ったときにはほとんどなんの情報もなかったのに、今や結構な数がヒットするようになっていた。
そんなところをいろいろ見ていくうちに「バーナデット・ロバーツ」という人の本に行き当たった。
闇夜のその後が書かれているらしい。
さっそく手に入れ読んでみると、私の知ろうとしていた部分の更に先の内容に行き当たってしまった。
ちょっと待って・・・まったく予想外の内容。
他に数冊の本が書かれているようで更に購入。
後に手に入れた方が、一つ前の段階を書いた内容だった。

2冊を読んで全体像を把握すると、自分のこれまでの体験がそのプロセス通りに進んでいたことに気付く。
そしてこれから起こるであろう事も。

人生プログラムの中に「この辺りまで行こうよ」というのが決まっているのか?
それともたまたま動いていたらここまで来た!この先もご自由に・・・ということなのか?

これまでも探し続けていた謎は、一つの体験が終わるごとに解説となるような物が与えられた。
今もおおよその一区切りの段階が来て、これまでの流れが把握できるような事を知らされたのだろう。
そして次のヒントを少しだけ垣間見た。

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今、内面はいたって平穏が支配している。
他人と関わる時にたまに棘を指されるような事も起こったりするが、それも一瞬「棘」と感じるだけで単なる出来事として消えていく。

外から見た現実的な生活環境は、相変わらずの低空飛行。
この低空飛行を脱しようとあれこれもがき続けて来たのだが、実は最近その気が一切なくなってしまった。
なぜ?と、説明が難しいが、気持ち?衝動?が抜け落ちてしまったとしか言いようがない。
自分の頭の中では靄のない状態で見渡せているが、文章でここに表現するのは今の段階ではいろんな意味で難しい。


半月ほど前、「お店繁盛妄想天国?作戦」

「誰もこなかったらどうしよう?」という思い込みを発見・・・
さらにその奥に
「誰か来たらどうしよう?」

そんな深い意識が隠されているのを発見したわけなんですが、
最近ちょっとした出来事があり、もしかしてこれはお試しか!なんて久々に考えたのです。

Cafeのお客さんはボチボチというレベルで来られます。
あまり人が重なって大忙しなんてことはありません。
まあ、これまでと変わらない生活というか、ぼや~んとしてのんびり過ごしている事が多いのです。
そこへ毎日連続で来られるお客さんがいました。
その方、変容プロセスの5~6辺り、どうしようもなく行き詰って全てが八方塞がりです。
私から見れば、これまでの生活を全て変えるタイミングに見えるのですが、
「でも、でも、でも、でも・・・」にしがみついています。
それだけなら本人の自由ですから仕方ないのですが、尖ったエネルギーを撒き散らすので近くにいるだけでたまったものではありません。
「一度立ち止まってゆっくりした方がいいんじゃない」
こんな一言を言っただけなんですが、激怒してしまいました。
「自分には生活がある!これまでだってこうして来た、うんぬんかんぬん・・・」
それはご自由に!と思うのですが、人に八つ当たりしないで欲しい。
それなのに依然毎日やって来て、愚痴を撒き散らし、また何かの一言で決定的に激怒。
前回同様たいした事を言った覚えはないのですが。

勝手に自分の状況を毎日報告にやってきて、客商売!しかたないから「ふんふん」適当に答えているだけなんだけど。
「きっと距離が近すぎたんだ!人が苦しんでいる時にそんな言い方はない」と言ってプリプリ帰っていきました。
近すぎたって、、、こっちは「友達」でもなんでもないただのお茶のみにくる「お客様」と思っている。
それより「本気でなんとかしたいと思っていないなら、無料のカウンセラーみたいに利用するのはやめていただきたい」と
「来ないで欲しい!」と明らかに思っていた。

「来なかったらどうしよう」でも「来たらどうしよう」でもなく

「来ないでほしい」が今回感じた事。

選択権が私にある?
「来て欲しい」「来ないで欲しい」どちらもありで、それは時と場合によるだけ。
「来なかったら」とか「来たら」は人任せで自分にはコントロール不可な感じ。

人の行動に振り回されるのを怖れていただけかな。
自分のことを自分で決定してよいと思っていなかったんだね!



1ヶ月ほど前、本気の引き寄せという記事で「ファッションにイメージ化を使う」実験をすると書きました。
結果、引き寄せ効果はすぐに現れました。

・様々な物をいただきました。
・物々交換も起こりました。
・購入するためのお金も意外な所から入って来ました。

で!今日ふと思ったのですが、「もう満足しちゃった」
たぶん満たされなかった気持ちだけ解決したかったんではないでしょうか。

そんな事よりも「得た」ものが・・・

この1ヶ月で気付いたことは「欲」ってこんな感じで心の中に忍びこんで来るものだった・・・ということ。
あれもこれも、このチャンスを逃すと、なんていう欲の連鎖を久しぶりに感じたのです。
その間は、常に頭の中がざわついています。休みなく動き続けているというか。
よく考えたらここ数年そういった頭の動きから遠ざかっていました。
あらためて気が付いたのは、いつの間にか静けさの中に居る事の方に慣れていたということ。

結果今の自分が好むのは、使いやすい、気持ちが良い、など実用的で不足分が無ければそれでいいということ。
「すごく変」とか「すごく不足している」のでなければなんでもいいということ。
AとBはどちらが好き?というのは判断できるけど、たくさんの中からこういう物なんていう好みとかこだわりが「無い」ことに気が付いて、「そうだったのか」という結論になったんです。

エゴから遠ざかった精神状態を身に付けていた、こちらの認識を得たことの方が大きかった気がします。