半月ほど前、「お店繁盛妄想天国?作戦」

「誰もこなかったらどうしよう?」という思い込みを発見・・・
さらにその奥に
「誰か来たらどうしよう?」

そんな深い意識が隠されているのを発見したわけなんですが、
最近ちょっとした出来事があり、もしかしてこれはお試しか!なんて久々に考えたのです。

Cafeのお客さんはボチボチというレベルで来られます。
あまり人が重なって大忙しなんてことはありません。
まあ、これまでと変わらない生活というか、ぼや~んとしてのんびり過ごしている事が多いのです。
そこへ毎日連続で来られるお客さんがいました。
その方、変容プロセスの5~6辺り、どうしようもなく行き詰って全てが八方塞がりです。
私から見れば、これまでの生活を全て変えるタイミングに見えるのですが、
「でも、でも、でも、でも・・・」にしがみついています。
それだけなら本人の自由ですから仕方ないのですが、尖ったエネルギーを撒き散らすので近くにいるだけでたまったものではありません。
「一度立ち止まってゆっくりした方がいいんじゃない」
こんな一言を言っただけなんですが、激怒してしまいました。
「自分には生活がある!これまでだってこうして来た、うんぬんかんぬん・・・」
それはご自由に!と思うのですが、人に八つ当たりしないで欲しい。
それなのに依然毎日やって来て、愚痴を撒き散らし、また何かの一言で決定的に激怒。
前回同様たいした事を言った覚えはないのですが。

勝手に自分の状況を毎日報告にやってきて、客商売!しかたないから「ふんふん」適当に答えているだけなんだけど。
「きっと距離が近すぎたんだ!人が苦しんでいる時にそんな言い方はない」と言ってプリプリ帰っていきました。
近すぎたって、、、こっちは「友達」でもなんでもないただのお茶のみにくる「お客様」と思っている。
それより「本気でなんとかしたいと思っていないなら、無料のカウンセラーみたいに利用するのはやめていただきたい」と
「来ないで欲しい!」と明らかに思っていた。

「来なかったらどうしよう」でも「来たらどうしよう」でもなく

「来ないでほしい」が今回感じた事。

選択権が私にある?
「来て欲しい」「来ないで欲しい」どちらもありで、それは時と場合によるだけ。
「来なかったら」とか「来たら」は人任せで自分にはコントロール不可な感じ。

人の行動に振り回されるのを怖れていただけかな。
自分のことを自分で決定してよいと思っていなかったんだね!