ありがとう 銀河鉄道999
観てない映画を、観たと思いこむことがしょっちゅうあります。原作、ノベライズ、シナリオなどを読むと、脳内にその映像が作られるので、実際に映画を観たと勘違いしてしまうんです。さいきんは、ウィキペディアなどであらすじを読んだだけで同じようなことが起こります(こないだも、てっきり『アバター』の一作目を観たつもりだったのに、二作目を観はじめて「あ、観てなかった」と気づきました)。わたしだけじゃなくて万人に共通の現象なのかもしれませんが、少なくともわたしの場合、その大きな原因のひとつらしきものがつい最近判明しました。銀河鉄道999、です。自他ともに認めるミーハーで(この場合の「他」は主にシェフ)、これまでの人生で幾度もさまざまなものに熱中し、我を忘れて没頭してきました。その人生初の対象となったのが『映画版 銀河鉄道999 Galaxy Express』でした。ちなみに、原作コミックでも、テレビアニメでも、映画版の続編でもなく、あくまで『映画版 銀河鉄道999 Galaxy Express』のみです。中学一年生の時に映画館で観て衝撃を受け、それからハマりにハマった作品です。しかしいかんせん、当時はまだ配信はもちろん、そしてDVDはおろか、さらには家庭用ビデオデッキさえも普及しておらず、自宅で鑑賞する手段がひとつもありませんでした。そこでわたしが取ったのが、映画のセル画や絵コンテが掲載された市販の本を眺めながらサントラを聞く、という手段です。サントラ『交響詩 銀河鉄道999』にはそれぞれの楽曲に「氷の中のレクイエム」「時間城へ」「心の詩とアルカディア号」などシーンを彷彿させるタイトルがつけられていたので、どの曲がかかってる時にどういうシーンが繰り広げられたか、脳内で記憶と想像を織り交ぜながら繰り返し再生させました。ところが、あまりに繰り返し聴いたので、テープが伸びてしまいました。そう、中学生だったわたしは、親のステレオを勝手に使う権利を持っていなかったので、自分のラジカセ(あ、ラジカセってわかる? 若い人?)で聴けるよう、LPレコードではなくカセットテープ(という媒体でもアルバムが売られてたんです、当時は)でサントラを購入していたのです。そんな折、映画の内容の音声をそのまま録音した音源が売られてると知り、一も二もなく飛びつきました。カセットテープ2本組で計130分の音声。サントラより倍以上長いですが、声入りです。何十回、何百回聴いたでしょうか。サントラで覚えた曲が「このシーンでこうやって使われてたのか」と知った感動。記憶と想像だけで作った脳内ストーリーではなく、本物の正しいストーリーがわかった感動。そして、メーテルや鉄郎、ハーロックやエメラルダスの声が聞ける感動。セリフ、ナレーション、効果音、声のスピードや抑揚などのすべてを覚えました。音源に合わせて空で言えるほどに。やがて、こちらのテープもサントラと同じように伸びてしまいました。ナレーションとセリフをすべて文章で書き起こしました。それを元に、自分で「銀河鉄道999 Q&A」というクイズ形式のトリビア本を一冊のノートにまとめました。数多くの似顔絵も描きました。さらに、自分で勝手に続編を創作しました(松本先生、すみません)。……あ、引いてます? 引いてますね? わたしもです。ミーハーは怖い。こうして、映画をたった一回しか観ていないにもかかわらず、わたしの『映画版 銀河鉄道999 Galaxy Express』の脳内映像は、完璧に出来上がってしまったのです。……さて、ここで冒頭に戻ります。そうです、中学一年生の頃、音だけで脳内映像を作る「訓練」を繰り返し行なってきたため(当時はもちろん「訓練」のつもりはさらさらありませんでしたが)、音や文字を見聞きして脳内映像を作るのが癖になったのではないか……という仮説です。先日、映画のノベライズの翻訳をしました。お話をいただいた一年半ほど前は、「ノベライズを訳すなら、参考に映画を観ておきたいなあ」と思ってました。でも、当然まだ日本では公開されておらず、フランスではちょうど劇場公開真っ最中だったので、公開後にフランスでDVDが販売されたらそれを買って観てみよう、と決意。ところが、訳し進むにつれて「脳内映像が出来てきたから、これを壊されるのは怖いなあ」と思うように。さらに、訳了、初校、再校、と進むにつれ、どんどん完璧な脳内映像が出来上がっていき……どこでどうカメラが動くか、ここはアップ、ここはロング、ここは空撮で、ここでこの人からこっちに切り替わって……とかまでしっかり作りこんでしまいました。ここまで来ると本気で映画が観たくなくなります。本物の映像と脳内映像が違いすぎると、ショックを受けそうなので。幸いにも熊本は公開が遅いので(3月末)、実際に観る前に、ツイッターなどですでに観られたかたたちの反応を確かめることができます。「え、レスタックに感情移入できるってどういうこと?」、「クレールが父親の仕事を手伝うシーンはノベライズにはないぞ」、「高所恐怖の人は気をつけろ、ってマジ?」(←わたしは極度の高所恐怖)など、だんだん映画が気になりはじめます。どうやら、映画とノベライズはそもそも細かいところが違ってるようなので、それならわたしの脳内映像と違っててもおかしくないな、とホッとしてるところです。高所恐怖の点だけ気をつけて、あとは安心して観てみようと思います。そうそう、『映画版 銀河鉄道999 Galaxy Express』、松本零士先生がお亡くなりになられて、ふともう一度観たくなり(さすがにもうたった一回だけでなく、二、三回は観てます)、アマゾンプライムで観ようと思った矢先、何を血迷ったのかサントラのほうを先に聴いてしまい……。おかげで、当時わたしが作った脳内映像のほうを鮮明に思いだしてしまい、またしても映画を観るのが怖くなってしまいました。いや、観ますけどね。ちなみに、もしかしたらすでに気がつかれたかたもいらっしゃるかもしれませんが、わたしが映画版の続編『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』にハマらなかったのは、すでに自分の興味が「999」からほかに移ってしまったこともありますが(結局、その後、999以外のアニメには一度もハマらなかった)、一番は、前述したように、自分で勝手に創作した続編の脳内映像を壊されるのが嫌だったからです。わたしの続編において、鉄郎はふつうの青年として生き、やがてクレアによく似た生身の女性と結ばれます。ある日、ふたりで経営する商店に鉄郎がひとりでいたところ、すでに姿を変えた(つまり鉄郎の母の姿ではなく、冥王星に保管してた自分の姿で)メーテルがやってきます。鉄郎は最初はメーテルと気づかなかったのですが、まなざしでわかった……というストーリーになってます(あきれるほど松本先生の世界観じゃないですね)。だって、鉄郎にはふつうに生きてほしかったんです。ハーロックやエメラルダスのように、宇宙海賊にはなってほしくなかった。戦いが終わったあとは、戦士(兵士)にならず、ふつうの市民として暮らしてもらいたかったんです。でもまあ、今となっては、第二次世界大戦時のフランスレジスタンスのリーダーみたいな生き方なら、鉄郎に似合いそう、なんて思ったりして。たとえば、詩人で、ピカソ、ジャコメッティ、カミュ、ハイデガーなどとも交流があった、著名なレジスタンス運動家、アレクサンドル隊長ことルネ・シャール(写真)のような。Je tenais à ces êtres par mille fils confiants dont pas un ne devait se rompre.J’ai aimé farouchement mes semblables cette journée-là, bien au-delà du sacrifice.わたしは彼らと千本の信頼の糸で結ばれた。その糸は一本たりとも切れることはないだろう。この日、わたしは自分の仲間たちを激しく愛した。犠牲的行為をはるかに超えたところで、彼らを愛した。これは、ルネ・シャールの詩集『イプノスの綴り』(詩集というよりまるでレジスタンス運動中の日記のようですが)の一節で、フランスのマクロン大統領が演説の際に引用して喝采を浴びています。あるいは、バンクシーのようなグラフィティアーティストになる、という未来もいいかも。なんて、すべてわたしの趣味ですが。ああ、また妄想がはじまりそう……。鉄郎も猫が似合いそうだなあ。中学一年生だったあの頃も、999への興味を失ってしまった10代後半からつい最近までのわたしも、こうして再び気持ちが再燃するとは思いもしませんでした。結局、ひとの好みなんて、何十年経ってもたいして変わらないみたいですね(わたしだけ?)。サントラも、当時好きだった「惑星メーテル」、今も好きな曲です。松本零士先生、りんたろう監督、ありがとうございました。