《前編》 より


 

【「反日」という「バカの壁」】
 彼女は、帰国して書いた本の中で「日本に学ぼうという声が高いけれども、日本のような国には絶対学んではいけない。なぜかといえば、日本は異常な国だからだ」と書いています。(田麗玉『日本はない』1993年、日本語版『悲しい日本人』たま出版1994年) (148-149)
    《参照》   『悲しい日本人』 田麗玉 たま出版
 韓国の「反日」は、「反日心情・侮日観」と「韓国の唯一の正しい歴史館・反日民族主義」の混合体です。そのように完成された一つの固定した考え、揺るぎない考えです。(p.150)
 ようするに「反日」は、一つの硬直した固定観念であり、それは養老孟司氏がいうところの、自分の思考を限界づける「バカの壁」とまったく同じ構造のものです。そのため話が通じないのです。(p.151)
 彼女(田麗玉)が本書で指摘している「日本人の異常性」は、ことごとくが二年目、三年目でぶつかった、異文化ゆえの習慣の違いや価値観の違いに関わることなのです。それが反日意識と結びつくため、すべからく日本人の「悪意の現れ」とみなしてしまうのです。私も2,3年で韓国へ戻っていたら、彼女と同じ考えのままだったと思います。(p.149)
 行った先がどこの国であれ始めての異文化体験した日本人は、日本と違うもろもろの様相に触れて、たいていは「信じられない」とか「バカみたい」のような表現をすることだろう。この点において、全ての日本人は、「田麗玉さんは愚かだ」と言うことはできない。むしろ、「もしも日本が「反韓」教育をしていて私の中に「バカの壁」ができていたら、私も韓国で異文化体験して田麗玉さんと同じことを書いたかも・・・」と思えるはずである。
 今、東アジアは、朝鮮半島南北の英明な為政者の判断によって、良き方向に向かっている。地球進化のアクセルが踏まれているこの時代、東アジアも、「分断と統治」という世界支配者たちの基本的統治戦略から抜け出ることは可能だろう。それを実現するには、洗脳され続けてきた諸国家の国民が、自らに内在する「バカの壁」を自覚し自らを調教する意志を持つことで、東アジアの平和と繁栄を後押しすることが必要である。
 反日民族主義は、実は韓国儒教に根差したイデオロギーや価値観に支えられており、これこそが問題の核にあるものだと気づいています。そこのところをカッコに入れて見さえすれば、韓国人が一番日本人を理解できるのではないか、そう思うようになりました。(p.158-159)
  《参照》  小平奈緒の親友、李相花が韓国メディアだけに話した「ある言葉」がヤバすぎる…涙が止まらない

 

 

【「親しき仲にも礼儀<アリとナシ>】
 「親しき中にも礼儀あり」の日本と「親しき仲には礼儀なし」の韓国があるわけですが、日本では「礼儀なし」はよそよそしい感じを、韓国では親しい感じを与えるところがまったく正反対なのです。それでも、日本でも「礼儀なし」の方が返って親しさの現れとなることはあるでしょう。とくに若者どうしなどはそうです。ただ韓国人の場合は、ベタッと密着した「一心同体感覚」を求めるところまでいくので、やはり日本人とは大きく違うのです。(p.174)
    《参照》   日韓文化比較
             【親友との人間関係】 

 本書の後半には、日韓の文化比較の諸相が記述されている。

 

 

【援助される方が上】
 朝鮮半島や中国の場合は、「自分の国は他国が援助するほど偉大な国なのだ」と考えたいのです。そこでは、援助する方が下で、援助される方が上だということになっているのです。・・・中略・・・。
 ですから、援助を受けていながら「ありがたい」という気持ちを示そうとはしません。堂々と「もっと援助しなさい」というばかりの態度を示します。
 そうではあるのですが、自分が援助する立場であれば、当然ながら「援助する私が上」と考えているわけです。・・・中略・・・。
 なぜそんなことになるのでしょうか。韓国が強固な儒教的な価値観の浸み通った社会だからです。少しでも下に立ったら負け、上下関係がほとんど価値を決定する社会だからです。その点は中国人よりも韓国人の方が強烈です。狭い国ですから中国以上に儒教的な価値観が国内に徹底しているのです。(p.179-180)
 儒教国家の韓国人にとって「道徳」とは、この上下関係のことをいっていると理解しておくべき。このことを自覚せずに、日本人が意味する道徳という用語を使って日本文化を説明すると、とんでもない誤解が生ずることになる。故に、下記リンクは、日韓文化比較の基本として理解しておくべきこと。
   《参照》  『日本人て、なんですか?』 呉善花・竹田恒泰 (李白社) 《前編》
            【日本と中国・韓国の儒教は違う】

 

 

【ドラッカーが考えていた新たな共同体】
 ドラッカーは1990年代に書いた著作の中で、「現在、世界が陥っている混沌から抜け出すには、我々は新たな共同体(コミュニティ)を必要としている」(『未来社会への変革』加納明弘訳/フォレスト出版)と述べ、21世紀の企業の課題は新たな共同体づくりにあると論じています。そしてこの本の中で取り上げられている共同体のあり方やその内容の大部分が、これまた日本的な「古い組織体質」に相当するものなのです。(p.194)
 ドラッカーさんがこの著作を書いてからもう30年近く経つけれど、現在の日本は、世界支配者の術策に嵌って混沌状況・格差社会化状況が加速するような企業形態・共同体形態になってしまっている。
 故に、企業家よりも日本と世界の近未来を見通しているスピリチュアルな人々の方が、先んじて新たな共同体を構築して行くことだろう。

 

 

【ルーブル美術館が定めた第9の芸術】
 漫画は英語圏ではコミックですが、フランスではバンドデシネとなります。ルーブル美術館はこのバンドデシネ(漫画)を建築、彫刻、絵画、音楽、詩(文学)、演劇、映画、メディア芸術に次ぐ第9の芸術と位置づけ、これまで数々のプロジェクトを展開してきています。展示作品全16点のうち、日本人作家の作品が6点となっています。(p.205)
 フランスは、以前から日本文化理解の先頭に立つ国なのだけれど、ルーブル美術館にバンドデシネの展示室があったとは知らなかった! 知っていたらモナリザやニケの像より先に、必ずや覗いていたのにと思う。
 2017年1月の大英帝国博物館の日本コーナー(定期的に展示内容が変わる)には、鉄腕アトムのマンガが1枚だけ展示されていた。
 マンガが日本文化の搬出に大きな枠割を担っていることに議論の余地はないだろう。世界各国が、日本のマンガのどの作品に興味を抱いているのかを知ることは重要だろう。
 諸外国の若者の日本文化理解は、マンガから始まり、その中から、やがて能や歌舞伎などの古典的伝統的芸術の中に日本文化の核心を見出すようになる人が現れるはずである。
   《参照》  『「知」のネットワーク』 大前研一 (イースト・プレス)
            【最近、フランスで行われた日本フェア】
            【文化の担い手が変った。大人文化から子供文化へ】


 

<了>