《前編》 より
【「今」】
【「決着なきプロセス」と「時間というものの性格」】
【光速という速度定数の嘘】
結論から言って、宇宙には時間という概念も事実も存在しません。宇宙には、「今というゼロ次元のデジタルの瞬間」のみが、「今の連続性」の中に「永遠」に存在し続けています。
すなわち、「今」という瞬間は、アルファでありオメガであり、初めであり終わりであり、原因と結果が同時に存在し、始めなく終わりなき、「有って在るもの」の存在です。(p.57-58)
《参照》 『神とひとつになること』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《前編》すなわち、「今」という瞬間は、アルファでありオメガであり、初めであり終わりであり、原因と結果が同時に存在し、始めなく終わりなき、「有って在るもの」の存在です。(p.57-58)
【「決着なきプロセス」と「時間というものの性格」】
有って在るものとは、過去や未来という時間軸が存在せず、今という点のみが存在していて、「今」には軸のない、点であり続けていることになります。この時点で時間軸の範疇にある科学は、すでに無能化してしまいます。
科学の限界は、光の速さを超えるものは存在しないという、アインシュタインの理論の下に、全ての理論の枠組みと限界域を光速限界に置いたところにあります。(p.58)
《参照》 『ラムー船長から人類への警告』 久保田寛斎 (たま出版) 《前編》科学の限界は、光の速さを超えるものは存在しないという、アインシュタインの理論の下に、全ての理論の枠組みと限界域を光速限界に置いたところにあります。(p.58)
【光速という速度定数の嘘】
【タイトル改題】
《参照》 『言霊設計学』 七沢賢治 (ヒカルランド) 《前編》
【ひふみ祝詞が意味するもの】
ついでに、以下の動画をリンクしておきます。
《参照》 【バシャール】 ワクワク 無時間のセオリー
すなわち、科学は時間軸の範疇中で物事を発想し、時間軸のカテゴリーの中で理論付けようと試みます。
今の初めは今であり、今の終わりも今であり、今の今も今しかありません。どこから尋ねても今は今でしかありません。
今を限りなく今に近づけていくと、「ゼロ」に近づいていきます。(p.58)
最後の記述を読んで、哲学者ゼノンの思想を想い出したので下記をリンク。今の初めは今であり、今の終わりも今であり、今の今も今しかありません。どこから尋ねても今は今でしかありません。
今を限りなく今に近づけていくと、「ゼロ」に近づいていきます。(p.58)
《参照》 『言霊設計学』 七沢賢治 (ヒカルランド) 《前編》
【ひふみ祝詞が意味するもの】
ついでに、以下の動画をリンクしておきます。
《参照》 【バシャール】 ワクワク 無時間のセオリー
【霊性の次元特性】
「霊性の次元」を、簡単にひと言で表現するなら、「周波数」。
全てのアセンション系著作の目指すところは、「周波数の上昇=愛への帰一」。
繊細な周波数に近づけば近づくほど、自由な領域は増える。
恨みという粗雑な周波数であれば、極端な話、牢獄生活という不自由に帰着する。
霊性の次元は、「愛の分量と恨みの分量」によって決定付けられています。
すなわち、「愛の質的次元」が高くなればなるほど、「自由の量的次元」が広がります。(p.90)
「愛の質的次元」とか「自由の量的次元」というヘンテコな単語が記述されているけれど、これも地球人用に分かり易く表現したからなのだろう。すなわち、「愛の質的次元」が高くなればなるほど、「自由の量的次元」が広がります。(p.90)
「霊性の次元」を、簡単にひと言で表現するなら、「周波数」。
全てのアセンション系著作の目指すところは、「周波数の上昇=愛への帰一」。
繊細な周波数に近づけば近づくほど、自由な領域は増える。
恨みという粗雑な周波数であれば、極端な話、牢獄生活という不自由に帰着する。
【肉体感覚は、持続可能ではないことの意味】
しかし、毎日美食を続けても、毎日美人を見ていても、毎日美しい音楽を聴いていても、毎日好きな香水をつけていても、それが続けば飽きて来るし感度は鈍くなる。
五感を司る神経系のこのような特性に対して、精神活動を司る神経系の特性を知っておくべき。即ち、A10神経と呼ばれる精神活動を司る神経系には、オーバーヒートを防ぐオート・レセプター(自動制御受容器)という機能がないのである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 なあぷる
【人間を人間たらしめるもの】
だからこそ、「物質や肉体を超えた方向に、進化はベクトル化されている」と言えるだろう。
即ち、物質過程の生命圏である地球という星を“卒業する”という、確たる目的意識が必要。
霊性意識体の次元の低い人は、目に見えるモノしか認めないし、そこにしか価値観がもてないので、財物欲、地位欲、名誉欲など、極めて唯物的な価値観の思考による目先のことでしか生きていません。
ですから、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚である肉体の五感、「フィジカル・フィーリング(肉体感覚)」Physical Feeling を頼りに生きていくしかありません。(p.91)
物質過程の地球生命圏に完全に嵌ったままの肉体を持つ生き方は、高次に進化している存在から見ると気の毒な生き方なのだけれど、そんな自覚などてんでない地球人にとっては、余計なお世話なのかもしれない。ですから、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚である肉体の五感、「フィジカル・フィーリング(肉体感覚)」Physical Feeling を頼りに生きていくしかありません。(p.91)
しかし、毎日美食を続けても、毎日美人を見ていても、毎日美しい音楽を聴いていても、毎日好きな香水をつけていても、それが続けば飽きて来るし感度は鈍くなる。
フィジカル・フィーリングは一過性のものであって、持続可能性はないということです。なぜならば、肉体の生には限界があって、死は必ず訪れるからです。(p.92)
五感の感受性が鈍る傾向にあるのは、肉体としての人間は死すべきものだからと言っている。五感を司る神経系のこのような特性に対して、精神活動を司る神経系の特性を知っておくべき。即ち、A10神経と呼ばれる精神活動を司る神経系には、オーバーヒートを防ぐオート・レセプター(自動制御受容器)という機能がないのである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 なあぷる
【人間を人間たらしめるもの】
だからこそ、「物質や肉体を超えた方向に、進化はベクトル化されている」と言えるだろう。
即ち、物質過程の生命圏である地球という星を“卒業する”という、確たる目的意識が必要。
【科学の壁】
ところが、大方の科学者は、人類の進化を阻む側に位置する者として地位と権威と生活を保証されている。だから、ヘミシンク実践によって自ら率先して検証をするどころか、イケシャアシャアと嘘八百の科学理論を真顔で語り続けるのである。
「科学の壁」というよりは、「科学者の壁」である。
《参照》 『一念三千論で解く宇宙生命の秘密』 五井野正 (ヒカルランド) 《前編》
【人類進化を封印する科学理論】
死後の世界を認めない、物質限界に支配された世界観で、どんなに宇宙を探求したところで、真実の結論を見出すことはできません。・・・中略・・・。死線(生と死の境目)が大きな距離感と分離感の意識の壁となって、「科学の壁」ともいえる大きな分離境界線となり障害になっていると思います。(p.107)
本当に真摯な科学者なら、「認識の限界」が元となっている「知の境界域」に思い至って真剣に悩むんだろう。であるなら、現代科学が生み出したヘミシンクという簡単な装置を用いて自ら死後探検をして検証してみればいいだけのことである。ところが、大方の科学者は、人類の進化を阻む側に位置する者として地位と権威と生活を保証されている。だから、ヘミシンク実践によって自ら率先して検証をするどころか、イケシャアシャアと嘘八百の科学理論を真顔で語り続けるのである。
「科学の壁」というよりは、「科学者の壁」である。
《参照》 『一念三千論で解く宇宙生命の秘密』 五井野正 (ヒカルランド) 《前編》
【人類進化を封印する科学理論】
【宇宙霊界での移動】
【念波と天波】
宇宙霊界の移動や活動は、極めて微弱な意識というエネルギーだけで可能となり、僅かなエネルギーだけで機能していて、物理的エネルギーは全く必要としません。(p.145)
《参照》 『生命と宇宙』 関英男 (飛鳥新社)【念波と天波】
【「牢獄の惑星」地球の役割】
宇宙から見た地球は、一言で言って、「牢獄の惑星」といっても過言ではありません。では、本来の牢獄の役割と責任は、どこにあるのでしょうか。
それは、一言で言うと、「罪の償いと贖い」にあります。しかし、罪といっても宗教的な罪ではなく、個々の前世の霊格形成史に於ける、愛の恨みによる問題性と課題性に起因する恩讐として理解してください。(p.153)
ということで、タテの経綸としての親子関係と、ヨコの経綸としての夫婦関係について書かれている。それは、一言で言うと、「罪の償いと贖い」にあります。しかし、罪といっても宗教的な罪ではなく、個々の前世の霊格形成史に於ける、愛の恨みによる問題性と課題性に起因する恩讐として理解してください。(p.153)
【恩讐関係としての親子】
「目には目を、歯には歯を」という手法は、自らのカルマを再度加速するだけのことなのだから、最も教養に欠けかつ最も意識の進化レベルが低い、劣性人格を持つ者が行使する、最悪の手法なのは言うまでもない。
【まなざしの聖杯】
全ての親子関係が、全部が全部この恩讐関係のパターンになっているとは思えないけれど、本書には、例外パターンもあるとは書かれていない。
加害者である子どもの霊性意識体が贖罪降臨して、両親に罪を償い贖うために、親孝行をしなければなりません。
戦争体験者も語っていたように、死を直前に控えた時に、まず、最初に思ったことが、親孝行をしてきただろうかと思ったのは、この理由からです。
しかし、前世で加害者だった恩讐の子どもを、被害者である両親が、親として無条件で全面的に愛することによって、親自身に内包する被害者意識の恩讐が解放できるのです。
すなわち、「恩讐を愛することによって、自らの恩讐が解放される」というメカニズムとシステム(p.160)
恩讐解放のシステムを東洋的な表現で言うなら、「徳を以て怨みに報いる(以徳報怨)」システムということになり、最善にして唯一のカルマ断滅(=恩讐解放)手法である。戦争体験者も語っていたように、死を直前に控えた時に、まず、最初に思ったことが、親孝行をしてきただろうかと思ったのは、この理由からです。
しかし、前世で加害者だった恩讐の子どもを、被害者である両親が、親として無条件で全面的に愛することによって、親自身に内包する被害者意識の恩讐が解放できるのです。
すなわち、「恩讐を愛することによって、自らの恩讐が解放される」というメカニズムとシステム(p.160)
「目には目を、歯には歯を」という手法は、自らのカルマを再度加速するだけのことなのだから、最も教養に欠けかつ最も意識の進化レベルが低い、劣性人格を持つ者が行使する、最悪の手法なのは言うまでもない。
リストカットや拒食症、過食症、自殺などの自傷行為や自壊行為は、親に対する恩讐が、親が着せた肉体を傷つける復讐行為として現象化しているものです。(p.165)
《参照》 『なにも願わない手を合わせる』 藤原新也 東京書籍【まなざしの聖杯】
全ての親子関係が、全部が全部この恩讐関係のパターンになっているとは思えないけれど、本書には、例外パターンもあるとは書かれていない。
【「恨の思想」と「憾の思想」】
因みに、輪廻転生という概念がない儒教国家である韓国では、「恨(はん)の思想」が国民国家標準である。世界に安定をもたらす役割のある天与の民族か否かは、これだけで充分すぎるほどに自明だろう。
《参照》 一般の日本人は、韓国人をどう考えているか。(日本文化を背景に)
● 宗教的な視点から(その1:『因果応報』をキーワードとして)
《参照》 『韓国が日本を哀しむとき』 小板橋二郎 こう書房
【31】 【タイトル解題】
恨みの思想は体主霊従の法則に基づく、本能的残存意識の心根から派生し、肉体の欲望に支配された邪心による不快な感情に従って、被害者意識と責任転嫁に方向づけられた恨みです。(p.174)
憾みの思想は霊主体従の法則に基づく、真性の根から派生した、自らの罪深さや心の貧しさをウラミ、贖罪と懺悔の意識で、何事に対しても謙虚と謙遜で、感謝と喜びで受容する加害者意識と自己責任原則に方向付けられた憾みです。
憾みとは立心偏に感じると書きます。このウラミは、外に向かってのウラミではなく、自分自身に対する自己反省と悔い改めによるウラミで、自分自身の心の卑しさ、心の貧しさ、心の醜さに対して、謝りを感じながら生きる生き方です。(p.175-176)
「憾」も「恨」も、ウラミと読むけれど、「憾(かん)の思想」と「恨(こん)の思想」は真逆である。憾みの思想は霊主体従の法則に基づく、真性の根から派生した、自らの罪深さや心の貧しさをウラミ、贖罪と懺悔の意識で、何事に対しても謙虚と謙遜で、感謝と喜びで受容する加害者意識と自己責任原則に方向付けられた憾みです。
憾みとは立心偏に感じると書きます。このウラミは、外に向かってのウラミではなく、自分自身に対する自己反省と悔い改めによるウラミで、自分自身の心の卑しさ、心の貧しさ、心の醜さに対して、謝りを感じながら生きる生き方です。(p.175-176)
因みに、輪廻転生という概念がない儒教国家である韓国では、「恨(はん)の思想」が国民国家標準である。世界に安定をもたらす役割のある天与の民族か否かは、これだけで充分すぎるほどに自明だろう。
《参照》 一般の日本人は、韓国人をどう考えているか。(日本文化を背景に)
● 宗教的な視点から(その1:『因果応報』をキーワードとして)
《参照》 『韓国が日本を哀しむとき』 小板橋二郎 こう書房
【31】 【タイトル解題】
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