著者の本を読むと、フラッっと旅に出たくなってしまう。出ようか、すべてをオール・クリアしてしまって・・・・。
【己をむなしくすることによって立ち現れてくるもの】
【己をむなしくすることによって立ち現れてくるもの】
自立しながらも、何か巨きなものに溶け込んでいる。それは自己主張ではなく、むしろ己をむなしくすることによって立ち現れてくる大きな形象とでも言うか。
私はそのような沈黙をジャコメッティやブランクーシ、あるいはブッタの瞑想彫刻、そして和南城さんの一連の石の彫刻に感じたのである。 (p.148-149)
私はそのような沈黙をジャコメッティやブランクーシ、あるいはブッタの瞑想彫刻、そして和南城さんの一連の石の彫刻に感じたのである。 (p.148-149)
『ディングルの入江』 の中で語られていたティール・ナ・ノーグと同じだ。
ここでは、人生にではなく彫刻の中に感じ取っている。
自我が世界の中心にあり、どこまでも肥大化して行く西洋的な思想、あるいは形象。それに対し、己を空しくし、宇宙全体に溶け込むことによってそれを真の我としてきた東洋的な思想、そして形象。
それとこれとは水と油である。 (p.151)
それとこれとは水と油である。 (p.151)
【まなざしの聖杯】
浜崎あゆみやグローブや華原朋美の歌詞の中で、共通するものと言ったら、“さがしている” ことではないだろうか。人生の中に自分の居場所を・・・・・。あるいは、さがさないでいられるような状況の快にとりあえず身をゆだねているような詩が、若者の心を慰撫しているように思えるのだ。自分自身もそうであったから。
著者は、浜崎あゆみの歌詞を掲げた後、このように書いている。
高校生の頃、あの澄んだ歌声をどれほどくり返し聴いていただろう。私が好んで聴いていたのは、ポップスのヒットチャート上位に上り詰めていた数々の明るいヒット曲ではなかった。それとは反対の、やや暗めの曲だった。たとえば 『愛にさよなら(I’ll say good-by to love)』 である。作詞者が誰であったにせよ、彼女の心に一番近かったのは、この歌詞に違いないのである。彼女もまた、スターゆえに鮮烈なライトに晒され続けながら、その背後に生ずる深い闇のコントラストに、自身の心が崩れ落ちそうな危うさを感じていたのではないだろうか。そして叫んでいたに違いないのである・・・・・・・・。
浜崎あゆみやグローブや華原朋美の歌詞の中で、共通するものと言ったら、“さがしている” ことではないだろうか。人生の中に自分の居場所を・・・・・。あるいは、さがさないでいられるような状況の快にとりあえず身をゆだねているような詩が、若者の心を慰撫しているように思えるのだ。自分自身もそうであったから。
著者は、浜崎あゆみの歌詞を掲げた後、このように書いている。
聖杯としてのまなざし、つまり掛け値のない無償の愛のまなざしというものはかつて本来母親が子供に与えるべきものであった。子供とは母親のまなざしの聖杯によって自己同一性の安寧を得つつ成長するものなのだ。そしてそのまなざしの聖杯を受けることによって子供は家庭の外における荒波にも耐えることができるのである。
しかし不幸なことに現代社会においては多くの母親は “聖杯としてのまなざし” を喪失している。それは戦後の知識偏重教育や自然を喪失した環境の中で母親そのものが子供とのもっとも重要なコミュニケーションの土台となる身体性を失ったということが大きい。身体のコミュニケーションとしての最も重要な手段である聖杯としての「まなざし」を失った母親は、ときにはそのまなざしとは対照的に世間の価値を押し付けるまなざしを子供に投げかけることによって逆に子供を追いつめ、子供の居場所を奪ってさえいる。母親の子供に対するまなざしは、このとき無償の愛のまなざしでありえることはなく、それは管理へのまなざしへと変化している。そして、その管理のまなざしを多くの母親は愛情であると錯覚しているのである。
しかし愛情の何かを身体で知る少女は成長過程のある時点で母親を突然拒否し始めるのだ。
そして少女はまなざしを求めて世間をさまよう。
またある少女はあの拒食少女のように母親の作る食事を偽の愛情、恐怖の対象とさえ感じ、それから逃れようとするまで煉獄のような日々を生きる。
拒食症の少女は「私」を維持する最後の砦として大学ノートに短い日記をつけていた。それは消え入るような鉛筆の線で書かれた彼女のつぶやきである。そんなある日のページに少女は小さく弱々しい文字を書く。
おねがい
わたしをさがして。 (p.167-169)
拒食症と言う単語を目にして、カーペンターズの妹、カレン・カーペンターのことを思い出してしまった。しかし不幸なことに現代社会においては多くの母親は “聖杯としてのまなざし” を喪失している。それは戦後の知識偏重教育や自然を喪失した環境の中で母親そのものが子供とのもっとも重要なコミュニケーションの土台となる身体性を失ったということが大きい。身体のコミュニケーションとしての最も重要な手段である聖杯としての「まなざし」を失った母親は、ときにはそのまなざしとは対照的に世間の価値を押し付けるまなざしを子供に投げかけることによって逆に子供を追いつめ、子供の居場所を奪ってさえいる。母親の子供に対するまなざしは、このとき無償の愛のまなざしでありえることはなく、それは管理へのまなざしへと変化している。そして、その管理のまなざしを多くの母親は愛情であると錯覚しているのである。
しかし愛情の何かを身体で知る少女は成長過程のある時点で母親を突然拒否し始めるのだ。
そして少女はまなざしを求めて世間をさまよう。
またある少女はあの拒食少女のように母親の作る食事を偽の愛情、恐怖の対象とさえ感じ、それから逃れようとするまで煉獄のような日々を生きる。
拒食症の少女は「私」を維持する最後の砦として大学ノートに短い日記をつけていた。それは消え入るような鉛筆の線で書かれた彼女のつぶやきである。そんなある日のページに少女は小さく弱々しい文字を書く。
おねがい
わたしをさがして。 (p.167-169)
高校生の頃、あの澄んだ歌声をどれほどくり返し聴いていただろう。私が好んで聴いていたのは、ポップスのヒットチャート上位に上り詰めていた数々の明るいヒット曲ではなかった。それとは反対の、やや暗めの曲だった。たとえば 『愛にさよなら(I’ll say good-by to love)』 である。作詞者が誰であったにせよ、彼女の心に一番近かったのは、この歌詞に違いないのである。彼女もまた、スターゆえに鮮烈なライトに晒され続けながら、その背後に生ずる深い闇のコントラストに、自身の心が崩れ落ちそうな危うさを感じていたのではないだろうか。そして叫んでいたに違いないのである・・・・・・・・。
おねがい
わたしをさがして。
<了>