せっかくの「韓流ブーム」ですが、普通の日本人は、日本・韓国間の政治問題に触れる度に、韓国が嫌いになってゆきます。そして、韓国人が哀れに思えてきます。何故でしょうか?


● 現実の日韓の政治状況に触れて
 嫌いになるのは 「韓国人は余りにも、しつこくて、くどい」 と思うからです。その具体的な根拠は前頁に記述しました。


● 宗教的な視点から ( その1 : 『因果応報』 を キーワードとして )
 『因果応報』 という概念があります。『善因善果・悪因悪果』 も同じ意味です。仏教の宗教用語ですが、仏教のみならず多くの宗教がこの言葉を前提概念として、宗教教義を構成しています。
 この概念に即して考えてみましょう。 「韓国人は日本人に苦しめられた」 というのが真実であるなら、「日本人に苦しめられた韓国人は、それ以前(前世)に、他者(日本人等)を苦しめたことがある」 ということを真剣に考えねばなりません。
 日本は、戦争末期、アメリカ軍による原子爆弾や都市部の絨毯爆撃で、余りにも多勢の一般市民が命を失いました。犠牲者総数150万人と言われています。日本人はこれらのことを、戦争中に日本人が世界各地で犯した罪の償い(『因果応報』)として受け入れているのです。韓国が天の法則に代わる役割を担って日本を裁こうとしなくても、因果応報の法則は既に十分過ぎるほどに日本を裁いていたのです。
 一方、韓国は、終戦によって日本が撤退して間も無く、朝鮮戦争が勃発し、急進してきた中国共産軍の手により、わずか1週間で126万人もの死者が出たと報告されています。日韓併合36年間に渡る犠牲者総数の 8倍(韓国側資料) から 25倍(日本側資料) に及んでいます。これだけの悪果を招くに等しい悪因が、韓国にはまだ残っていたということになります。
 日本人は 『因果応報という法則の必然』 を自覚しているからこそ 「水に流す(「自ら他者を裁かない」 の意)」 のです。自ら率先して水に流して、恨みを終わりにしない限り、因果の輪は永遠に回り続けるのです。『因果応報』 の理を知悉し、宗教的考察に長けた日本人は、謝罪要求・賠償要求を繰返したがる韓国人に対して、「『法則の必然』 を自覚するに至らぬ哀れな民族」 と思って、沈黙しているのです。

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 「韓国では、身内に加えられた被害については恨み続け、決して許さないいことが、身内に対する信頼の証しであり、また徳の高さ意味している」という、儒教誤解に基づく民族文化思想を聞いた日本人は、唖然として絶句 します。  言うまでもありません。『因果応報』 の理からみれば、この様な "恨を堅持する"考え方こそ、自滅を導き出す最も確実な方法だからです。
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●宗教的な視点から (その2 : 『ただいま』 を キーワードとして )
 『ただいま』 という日本語を知っていますか? 日本人の日常生活用語です。外から家へ帰って来た時に言う言葉です。元々は自給自足の修行僧が、野外で働いて道場に戻って来た時に、玄関 (建物の入口:「玄」 には深い意味が有ります) で発していた言葉の様です。
 『ただいま』 を漢字で書けば 『唯今』 、英語で書けば 『Just Now』 又は 『Only Now』 です。仏教の一派である禅宗で用いられている以下の文は、人間の生き方を明確に示しています。

   「過去はない。未来はない。あるのは永遠に続く現在だけだ。今を生きよ。今を生き切れ」

 これが 『ただいま』 の本来の意味です。

 洋の東西に係り無く、多くの宗教の聖者は、上記の内容と同じことを語っています。実は、これこそが全宗教のエッセンス(精髄)と言えるものなのです。このように 『ただいま』 という言葉を、日常生活用語として用いていること自体が、「神国・日本」 と言われている一つの明確な証拠になると私は考えています。
 『ただいま』 に生きている日本人は、過去に拘ることを良しとしません。『ただいま』 に生きている日本人は、未来に向っての戦略的思考も余り得意ではありません。『ただいま』 に生きている日本人は、都市部を絨毯爆撃され、広島・長崎に原子爆弾を落されても、「それで戦争が終わったのだから・・・」 とノー天気に考えて、毎日一生懸命、生きて働いていたら、世界一豊かな国になっていました。『ただいま』 を疎かにし、過去に拘り続けた韓国人は、それ故に IMFに支配されてしまったとはいえませんか?
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『ただいま』に生きている日本人。 恨を堅持し過去に拘り続ける韓国人。
この文化的態度の違いこそが、国力の差の根源なのです。
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● 政治家と国民 ●
 韓国が急成長を続けていたソウル・オリンピックまでの期間に在職していた全斗煥大統領は、1984年に来日した時「(日韓併合時代について)一切の責任を誰の責任であるとして、なじっていられるほどの暇はない」 と語りました。日本政府から多額の ODA(政府開発援助)を受取っていたからです。
 しかし、韓国経済の停滞が始まってから、4人の大統領が繰返し日本に謝罪要求をしてきたことは前頁に書きました。4人の韓国大統領は 「貧すれば貪する」 という醜悪な諺を、文字通り身を持って実践していたのです。韓国の政治家は、IMF管理下となった自国経済が既に容易に回復できないことを知っているでしょう。そのために生じている国民の不満の矛先を、韓国よりも繁栄している日本に向け続けることでしょう。
 韓国の政治家が、どれほど韓国という国家の品格を剥落させ続けても、韓国の国民一人々々の品格の向上ないし低下は、一人々々の宗教的研鑚しだいです。個人の品格は個人の内的成長・宗教的覚醒に依存します。韓国人であるあなたは、韓国の政治家の主張に合わせて、自らの内的成長・宗教的覚醒を放棄し、人間としての品格を落し続けるのですか?

 

<了>