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 学生時代から馴染みある著者名だから、すごく息の長い著述家さんなのだろう。本職は英文学者さんでありながら、編集者であったり、『わが子に伝える「絶対語感」』 という日本語に関する著作を出したりと、幅広い分野で活躍されてきた方。この本の内容を口述したのは87歳の時(p.185)とある。だったら、二毛作ではなく、三毛作か四毛作目だろうと思ったりする。2010年3月初版。

 

 

【生活のリズムとウォーキング】
 ウォーキングを毎日の習慣として持続させるためには、自分のスタイル、「型」をもつことが大切です。型とは、怠け心が頭をもたげても崩れないスタイルです。わたしの場合は、自宅の周りを歩くのではなく、定期券を買って遠方に行くことが自分の流儀です。平日だけでなく土日は勿論、多少の小雨程度ではやめる理由にはなりません。定期を買った以上、使わなくてはもったいない。だから、ひたすら歩くことになります。自分のケチな性分もふまえて、定期を絡めて歩くのです。(p.53-54)
 ご自宅近くの茗荷谷駅から九段下駅まで定期券で行き、北の丸公園で顔見知りとラジオ体操をしてから、皇居の周りを無心で歩くというスタイル。
 今時のように暑い夏は、早朝以外にウォーキングに適した時間なんてないから、このような定期券がらみの朝ウォーキングのスタイルは、確かに有効だろう。
 第二の人生の心得の一つは、生活のリズムです。生活のリズムができあがると、就寝・起床時間も安定します。(p.55)
 生活のリズムの大切さって、誰でも無意識では分かっているはずだけれど、案外、きちんと実践していない人が多いように思う。チャンちゃんは今でもほぼデタラメである。で、ウォーキングもしていない。かなりヤバイ。
 あまりにも出不精のグウタラさんは、定期券を買う前に、試しに1万3千円ほど出して「青春18キップ」を買ってしまえばいいかもしれない。今なら9月10日までの20日のうち5日間は、各駅停車に揺られてどこかを巡ってくる気にはなるだろう。
    《参照》   広島 「平和祈念公園・原爆ドーム」
                【追記】

 

 

【朝廷】
 むかしの中国の役所は、朝、陽が昇ると同時に仕事をはじめたといいます。だから、「朝廷」なのです。
 朝に仕事をこなすというのは、昔からの知恵です。(p.144)

 朝飯前はわたしにとって黄金時間です。(p.145)
 これを読んで、かつて10時始業というプロジェクトにいた数年間のことを思い出してしまった。個人的にも全体的にも、「能率が悪い」という実感だったのである。
   《参照》   『人体と宇宙のリズム』 ルドルフ・シュタイナー (風濤社)
            【知的活動は午前中】
 

 

【要は段取りの問題】
 夕食の支度は娘がたまにしてくれると書きましたが、あえていわせてもらうと、調理の手際を見ていてイライラしてくることがあります。
 台所でも動きを観察していると、ジリジリします。だから見ません。冷蔵庫と電子レンジのあいだを、あっちへ行ったり、こっちに来たり。非常の効率が悪いのです。出来あがるまでに小一時間かかってしまいます。・・・(中略)・・・。わたしがやると、朝食、昼食の支度は、15分程度ですんでしまいます。・・・(中略)・・・。
 要は段取りの問題です。(p.61-62)
 これを読むだけで、著者さんが今でも非常に冴えた頭脳で生きていることが良く分かる。
 台所作業に30分以上も時間を費やしている人って、要は段取り力がないのだし、それはとりもなおさず本当に頭が回転していない証拠である。調理に費やす時間が、30分か1時間かは非常に大きい。調理なんかに1時間もかけていたら、それだけで他の事をするための体力も時間も削がれることになってしまう。そんなのは、完全に人生の浪費である。この様な人に限って、「忙しい」を口癖にしているのだろう。
 男子、厨房に入るべし。そして、調理は段取りを旨とすべき、です。(p.63)
 「段取り力」=「人生の輝き」と言えるように思っている。
   《参照》   『段取り力』 齋藤孝 (筑摩書房)
 段取り上手の原点は、旧制中学時代にあるといっていいかもしれません。・・・(中略)・・・。
 夜、舎監が寝るのをみはからって、調理場へ行って、まかない用のコメをくすねるのです。・・・(中略)・・・。複数の部屋を使ったこの調理作戦は、チームプレーとともに、とにかく段取りが勝負でした。いかに短時間で手際よくすすめるか。
 手早く作ったからといって、決してまずいわけではなく、あのご飯の味わいは、70年後のいまも、舌に残っています。(p.64-65)
 (中略)にしてしまった箇所の具体的内容が面白い。旧制中学の宿舎生活がえがかれたものって、誰が書いた本であれ、非常に活き活きした感じで、羨ましいと思ってしまうのである。

 

 

【私的な会合での放談】
 わたしにとっては、私的な会合に出ることが、人とはちょっと違う「若返りの妙薬」というべきものになっています。いくつもあるのですが、まず、(p.75)
 月と日にちが同じ日に、株好き人間が集まる「重ね会」の例。
 長年の投資キャリアのあるわたしが、最近仕入れた情報をふまえて、今後の投資戦略を指南するのです。しかし、わたしがなんといおうと、自分が損してもひとのせいにしないのがこの会のルールです。
 30~40分まくしたてることがあるのですが、これがじつに痛快。義務観や責任感を背負っていた大学の講義などでは、一度も味わったことのない快感を毎回味わっています。(p.75-76)
 義務や責任を免れて言いたい放題言えるって、確かに最高の気晴らしだろう。
 投資するお金なんてコレッポチもなくても、投資がらみの話って、要はビジネス書を読むのと同じような内容を含んでいるはずだから、聞いているだけでも興味深い点はいくつもあることだろう。

 

 

【バラバラ人間たちが集う会】
 もうひとつ、職業が様々な人々が集う会。
 せっかく職業も経歴も違う人が集まっているのだから、とにかく、他のメンバーが知っていそうもないことを話す。独断と偏見もおおいにけっこう。ひとたび、だれかが口火をきるや、談論風発。互いに言いたい放題です。
 この放談会、雑談会の淵源は、わたしの修行時代にあります。
 気心の知れた学友が二人いて、それぞれ国文学と中国文学を専攻していました。わたしは英文学ですから、三人三様で関心分野が違う。この三人で、夜のふけるのも忘れるほどよく議論しあったのです。それが、とびきり面白かった。(p.77)
 これはよくわかる。絶対に楽しいに違いない。それに、知を愛する人々なら、必要不可欠なサロンとして、このような機会を積極的に利用し活用しているはずである。
    《参照》   『スタンフォードの未来を創造する授業』 清川忠康 (総合法令) 《前編》
              【“異質な”者たちが集ってこそ生まれるイノベーション】

 

 

【かつての関係に執着しない】
 かつて高齢者の集まる講演に呼ばれたときに、こんなことをいいました。
「若いときの友人関係は、もう賞味期限が切れています。賞味期限の切れたものは、捨てるか、買い換えるかのどちらかです」
 捨てるというのは少々乱暴な言い方ですが、現実に目を覚ましてもらうために、こういう言い方をしたのです。要は、かつての関係に執着しないということです。
 買い換えると言うのは、新しい友達をつくると言うことです。前述した私的な会合のメンバーは、わたしにとってまさに新たな友です。(p.82)
 新たな友といった場合、同年齢の人々ばかりを想定しているのなら、それは違う。
 そんなんでは、未知との遭遇だって、意識の変革だって、起こる可能性はほぼない。生じるのは停滞であり、タメグチに流れた場合はマスターベーション程度だろう。つまり、無駄に近い。
 新たな友だちをつくるなら、同業者は避けたほうが賢明です。年代もバラエティに富んでいたほうがたのしい。自分が年をとればとるほど、必然的にまわりの年代は若くなりますが、そういう若い世代の話は新鮮で、自分もつられて若返ります。(p.83)
 放談会とはいっても、テーマのようなものがない女性ばかりの中に、男性が一人参加していても、女性が同性だけのデメリットを自覚していないのなら、時間の無駄である。
   《参照》   『アタラシイ女子の光!』 蝶々 (小学館)
            【男は欠かさない】

 参加者全員が、スピリチュアルな成長という視点で揃っているなら、性別に係わりなく、「自分史の開示と解釈」というテーマでの放談は、互いに大いに学びになるだろう。

 

 

【義理を欠け】
 岸信介の元首相は「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」という養生訓を残しましたが、この「義理を欠け」は、浮世の人間関係を考えるうえで傾聴に値します。 ・・・(中略)・・・ 。人生二毛作の基本精神としては、できるだけ浮世のしがらみには縛られないほうがいい。高齢者と呼ばれる前から必要な心がけのひとつです。(p.99-100)
 義理に関する日本社会の煩わしさは、特に際立っているらしい。海外に移住した多くの日本人が、移住のメリットとしてこのことに言及していたりするのである。
 そもそも義理を欠くべきでない人なんて、そんなにいるはずがないだろうに、世間体などという愚かしい意識に縛られて、人生の多くの時間と費用をそんなことに費やしているのである。そんなことでは、魂本来の輝きなど生ずるはずがない。今この時代に地球に生まれてきている人々の中で、義理を学び順守するという目的の魂を有する人なんて、そんなにいるはずがないのである。
    《参照》   『宙が教える「受け取る」の仕組み』 Mana・雲黒斎 (晋遊舎) 《後編》
              【意識のシフト:3GからLTEへ】

 

 

【留学の是非】
 留学を常識とする同僚と喧々諤々の議論をしたすえ、「へそ曲がりの留学嫌い」というレッテルを張られたことが記述されているのだけれど、それに対して、
 『源氏物語』を英訳して欧米に知らしめたアーサー・ウェイリーは、日本に招聘されたとき、「自分の愛する日本の美しさは書物の中にある」と、辞退しました。このエピソードに、わたしは感銘を受けていました。
 アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトは戦時中、軍から日本の研究を委嘱されました。彼女は、結局、日本を訪れないまま、あの『菊と刀』を著したのです。これにも勇気づけられました。(p.112-113) 
 数年間の留学で現地人と同じ国語力など持てるわけはないし、日本に来て、僅か数ヶ月というのに凄い日本語力の留学生がいたりするのだし、日本での滞在年数の割には下手クソな日本語しか話せない人なんてワンサカいる。つまり、体験より意欲のほうが遥かに重要なのである。特に現代は情報機器が発達しているのだから、語学力のための現地留学なんて実質何の意味もないだろう。
    《参照》   『英語は勉強するほどダメになる』 栄陽子 (扶桑社新書) 《前編》
              【これで「英語をモノにした」と言えるのか?】

 また、海外滞在なんて誰でもできる時代なのだから、昔のように「箔がつく」という思い込みは、時代錯誤のナンセンス以外の何物でもない。

 

 

【忘却は天の恵み】
 記憶と忘却は不即不離、表裏一体をなすものです。陰と陽の関係に例えることもできます。世間では、記憶を陽、忘却を陰のように見る人が多いようですが、むしろその逆でしょう。忘却が主(あるじ)で、記憶はその従者と考えるべきです。
 呼吸にたとえれば、息を吐くのが忘却、吸うのが記憶です。 ・・・(中略)・・・ 呼吸という文字も「呼(は)く」のが先になっています。昔の人は、その順序がちゃんとわかっていたのです。
 この呼吸と同じように、忘却が先でなくてはいけません。(p.152-153)
 記憶力の衰えを嘆くより、「忘れたことは必要のないこと」、と割り切って生きることが大切。
 80歳を過ぎたような高齢の方は、このように肯定的に受け入れて生きた方がいいのだろう。
    《参照》   『老人力』 赤瀬川原平 (筑摩書房)
              【老人力】

 しかしながら、記憶力に頼って仕事をしてきた人々は、いずれ「愕然とする」時が来るのである。チャンちゃんの場合は、この長ったらしい読書記録を書き残す(指先を使う)ことで、記憶力の衰えを若干抑止できているらしいけれど、30代の後半あたりに「愕然としていた」時期があった。
 

 

【ボケは年齢とともに進むのではない】
 今はその原因が分かっている。当時は昼食に牛丼ばかり食べていたのである。
 アメリカから輸入されている牛肉の成分を研究した日本の学者さんたちが、アメリカでそれを発表しようとしたら、その機会を与えられずに帰国するしかなかったという事実を、後に本で読んだのであるけれど、輸入牛肉に脳力を衰えさせる成分が入っているのを当時は知らなかったのである。
 そして、日本の子どもたちの学力が非常に落ちているのは、小・中学校で受けるワクチン接種が原因である。全てのワクチンの中に、防腐剤として脳を劣化させる水銀が入っているのである。実際に知能を劣化させるものすら混入されているのである。
   《参照》   『日本人はドラゴニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、〔超削減〕させられる』高山長房《中》
             【人類根絶のためのワクチン(水銀)漬け計画】

    《参照》   アルシオン・プレヤデス-ビデオニュース No.44
              <43:20以降>
    《参照》   アルシオン・プレヤデス17−1 グローバル主義者−ナチスによる優 生学の地下実験室
              <28分以降>

 さらに注意事項として書いておくけれど、病院に行って人間ドックのような検査を受ければ、データを改竄して何らかの病気の可能性があると言われるのである。大きな病院では、データを自動的に改竄するためのソフトウエアが導入されているという。患者が減ると経営ができないから、検診を受ければ、異常がなくても異常予備軍としての数値に改竄して、通院へと誘導するのである。それに従って通院して注射を打たれれば、そこでまた水銀を打ちこまれることになり、記憶力はより一層衰えることになるのみならず、おかしなウイルスが同時に注入されるのである。
 財政破綻して市立病院を閉鎖した北海道夕張市では、それによって市民の平均寿命が延びたという事実が意味することをちゃんと考えるべき。そのような事実はもはや世界中で報告され認識されているけれど、日本の闇は極めて深い。知らないと鴨にされてボケるのだし、多額の出費を強いられた上で早死にさせられるのである。
    《参照》   『ついに来たその時!神仕組みの号砲が響き渡ります』 田村珠芳 (徳間書店) 《後編》
              【完成している新型ウイルス】

 

<了>