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 古書店で見つけて著者名のみで購入しておいた本。89歳の父親が亡くなる前後の過程を描きながら、父親の生き方を思いつつ綴られた随筆だった。異人さんと間違われるような容貌の父親だったたらしい。異国趣味的な面があったことも記述されている。この点をキーとして何か浮彫りにできそうな気がするけれど、私は、この本の主人公である父親より、著者の方に興味が向いてしまう。2003年9月初版。

 

 

【小説に目覚めた訳】
 ある日突然、小説に目覚めることになった。ある映画を見たあとで、家に帰り、その映画が面白かったことを父に話すと、それには原作があるのだと教えてくれた。さっそく貸本屋に行ってみると、小説の棚に父が言っていた本があった。借りて読むと、映画よりもっと面白かった。翌日から、私は漫画をほとんど読まなくなっていた。 ・・・(中略)・・・ 高校に入る頃には、その貸本屋にある小説はほとんどすべて読みつくしていた。(p.79)
 図書館が今日のように、あちらこちらになかった頃には、貸本屋というものが存在していたのだろう。使ったこともなければ、その存在すら知らなかった。
 ところで、最近ほとんど映画を見ていないけれど、映画と原作小説ないしノベライズをペアで鑑賞してみるのは、強く印象に残っていいかもしれない。
 『ホテル・ビーナス(ビーナスブレンド)』 は、映画も小説も極めて印象的な作品だった。
 『海の上のピアニスト』 や、小川洋子原作の 『博士の愛した数式』 や、韓国でつくられた 『ラブストーリー』 は、映画の方がちょっとだけ良かったように思える。
 岩井俊二原作の 『ラヴレター』 は、絶対に小説を先に読むべきだと思う。書評も何も決して読むことなく、いきなり小説からがいい。 エリック・シーガルの 『ある愛の詩』 もたぶん小説が先の方が良い。
 映画も小説も、単なるエンターテイメント作品のようなものでないならば、いずれも人生について思いを深くするはずだけれど、そういう作品に触れることができた場合、心はしばし静寂の中に佇んでいたいと思うものである。だから、映画だって一人で見るに決まっている。どう感じるかは、人それぞれなのだから特に話し相手が必要ということもない。勝手に書き残しておくか、一方的に聞いてくれる人がいてくれればそれでいい。
 著者の映画に関する読書記録

 

 

【著者にとって極めて重要な本】
 中学二年のとき、不意に父が一冊の本を買ってきてくれた。それは駅前の本屋で買った新刊本だった。袋を開けてみると、中には文学全集の一巻の 『太宰治集』 が入っていた。(p.79)
 そして、中学三年のとき小田実の 『何でも見てやろう』 を買ってきてくれた。
 父が買ってくれたその二冊は私にとって極めて重要な本となった。高校生になった私は、小説を読むこと、推理小説と時代小説以外のものを含めた小説全般を読むことと、旅することの2つに熱中することになったからだ。(p.80)
 私が厚い文庫本の 『何でも見てやろう』(上掲) を読んだのは大学生になったばかりの頃だった。世界中を見て回った内容が書かれたもので、もう内容の詳細は殆ど記憶していないけれど、当時とすれば極めて印象深い本だった。沢木さんにとっては 『深夜特急』 へと連なってゆく直接の契機となる本だったのだろう。こういった本に触れることもなく、広い世界に想いが至らない男なんて “信じられない” と私なんかは単純に思ってしまう。
 推理小説と時代小説以外という読書傾向も何故か私と同じである。
 『敗れざる者たち』(上掲) という作品に入り込んで沢木耕太郎という著者の名前を鮮明に記憶した若者たちは、おそらく、似たような読書傾向があるのではないだろうかと思っている。

 

 

【父と子】
 高校生の頃から、周遊券を使って何日も旅に出てしまう著者の行動を、両親は決して制約することがなかったという。
 父は自分が何者かであることを人に示したいというところがまったくなかった。何者でもない自分を静かに受け入れ、その状態に満足していた。もしかしたら、自分を何者でもないと見なす心性が、たとえ子供であっても恣意的にコントロールしてはならないという考えを生んだのだろうか。(p.137)
 著者の父親は “何者でもない自分” として生涯を生き続けてきた方だったらしい。このような心性をもたらすに至った原因らしきものについての記述はないけれど、戦争の時代を生きてきたことが何らかの影響を与えていたのかもしれない。しなやかな諦観という感じがする。
 著者は、大企業に就職した初日そうそうに辞めてしまったという。そんなとき、
 父は何らかの直観によって 「堅い会社」 に入らなかったことを 「よかった」 と思っていてくれていたのだ。(p,149)
 フリーランスのライターを選んだ子供の選択を 「よかった」 と思うのは、一般的な大人の常識と言う視点から見たら異様だけれど、きっと書物と旅に親しんでいた著者の日常性から、「堅い会社」 は相応しくないことなど良く分かっていたのだろう。
 そもそも、そんな人生になるように、読書に関わる影響を与えていたのは父親本人だったのである。

 

 

【無名】
 タイトルになっている 「無名」 という単語が、本文中に2か所だけ記述されている。
 もしかしたら、私は父を怖れていたかもしれない。 ・・・(中略)・・・ 私が畏れていたのは、その膨大な知識にいつか追いつくことができるのかということだった。父には、何を訊いてもわからないということがなかった。この人といつか対等にしゃべることのできる日がやってくるのだろうか。そう思うと絶望的になることがあった。
 文章を書くようになっても、私はどこかで父を畏れていた、世の中には、たとえ無名であっても、どこかにこのような人たちがいるのだと思うと、無邪気にはしゃぐわけにはいかなかった。(p.186-187)
 社会的に何事かを成し遂げていれば、 “何者かである自分” らしきものを見い出すことができるだろう。しかし、 “何者でもない自分” は “何者かである自分” の反対側ではない。無名は有名の反対語ではない。空虚な有名などいくらでもあるだろうし、充実した無名もたくさんあることだろう。星は輝けば美しいと称賛され認知されるけれど、宇宙には全く輝くことなく天空のバランスを保つという枢要な役割を担った星々が数多存在している。
 虚栄に溺れる人々はその事実に思い至ることがなく、無名で確かな人々は只存在するというだけですべてを諒解しているだろう。
 私は句集を出すことで父の供養をしたいと思っていた。だが、それは私の思い込みにすぎなかったのではないか。父は最後まで無名であることを望んでいたのではないか。
 死の直前、父が発した、自分は何もしなかった、というひとことは、悔恨の言葉ではなく、ただ事実を述べただけだったのかもしれない。いや、むしろ、何もしなかった自分をそのまま受け入れての言葉だったのかもしれない。(p.252)
 心揺らすことなく事実をそのまま受け入れ語ることができるのは、化石の心によっているのではなく、しなやかな諦観によっているのだろう。
 そもそも、何もしなかったはずはない。無名のままに、息子である著者に橋を渡しているではないか。

 

 

  沢木耕太郎・著の読書記録

     『無名』

     『深夜特急 第1便 黄金宮殿』

     『深夜特急 第2便 ペルシャの風』

     『深夜特急 第3便 飛光よ、飛光よ』

     『世界は「使われなかった人生」であふれている』

     『イルカと墜落』

  

<了>