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 昨年、同じタイトルの映画を見て、その原作となる小説を書店で見つけたので読んでみた。
 やはり、先に接した方の印象が強くなってしまう。
 小説は、ママと少年(ルート)と博士の心温まる交流が主体に感じられるけれど、映画では、それ以外にも、博士が愛した数式が表す美しい世界が予感できるように上手に作成されていたように思う。

 

 

【登場人物と概要】
 数学者の博士は、80分しか記憶が続かないという特殊な記憶時間制限を持った人。
 ママは、博士の家で家政婦として働くことになったシングル・マザー。
 ルートは、ママの子供で、博士によってルートと綽名がつけられた小学生。
 主な登場人物はこの3人。
 例え数学嫌いな一般の人々であっても、興味深い数学の世界に誘ってくれる小説である。

 

 

【友愛数】
「正解だ。見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。滅多に存在しない組み合わせだよ。フェルマーだって、デカルトだった、一組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいとは思わないかい? 君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」  (p.27)
 220=1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
 284=1+2+4+71+142=220
       これが友愛数。
 

【完全数】
 「一つ、私の発見について、お話してもかまわないでしょうか」
 私は、博士がその幼稚すぎる発見を、決して粗末に扱ったりはしないと確信していた。
 「28の約数を足すと、28になるんです」
 「ほう・・・・」
 博士はアルティン予想についての記述の続きに、
 28=1+2+4+7+14 と書いた。
 「完全数だ」
 「カンゼン、数」
 「一番小さな完全数は6。6=1+2+3」
 「あっ、本当だ。別に珍しくないんですね」
 「いいや、とんでもない。完全の意味を真に体現する、貴重な数字だよ。28の次は496。その次は8128。その次は33550336。次は8589869056。数が大きくなればなるほど、完全数を見つけるのはどんどん難しくなる」   (p.59-60)


 「もう一つ、完全数の性質を示してみよう」
 「完全数は連続した自然数の和で表すことができる」
 6=1+2+3
 28=1+2+3+4+5+6+7
 496=1+2+3 ~ 29+30+31        (p.61-62)
 完全数の28は、博士が大好きだった江夏豊の縦縞のユニホームの背番号として、この小説の最後のセンテンスにも記述されている。

 

 

【小説ならではの記述】
 一日に二人の男の涙を目の当たりにするとは、何という夜なのだろうと、私は思った。ルートが泣くのは今まで数えきれないくらい見てきた。おっぱいを欲しがって泣き、抱っこしてもらいたくて泣き、癇癪を起こして泣き、祖母を亡くして泣いた。そもそもこの世に生まれた瞬間から、もう泣いていたのだから。
 けれど今回は、かつて目にしたどの涙とも違っていた。いくら手を差し出しても、私が拭うことのできない場所で、涙は流されていた。   (p.101)
 ルートの涙の原因は、「ママが博士を信用しなかったからだよ」 とある。ここから、少年と博士の強く深い友情のような暖かさが感じられるけれど、ママの側の心境としてのこのような文章は、小説でなければ著せない美しい表現だ。

 

 

【このような数学的比喩表現】
 小説の終盤に描かれている、ママの心境を記述する場合の文章である。
 そういう時に漂う気まずい雰囲気の中で、どういう態度を取ったらいいのか、私は十分に心得ていた。ピュタゴラスの定理のように、あるいはオイラーの公式のように、毅然としていればよかった。 (p.205)
 数学の世界などまったく関わり知らない一般人のママが、このような表現をするようになるのが、至極ごもっともであるかのように思えてしまうのが、この小説のストーリーなのである。
 数学嫌いと自負する人々が、この小説を読めば、きっと、その偏見から解放されるのではないだろうか。

 

 

 映画を先に見ても、小説を先に読んでも、どちらでもいいかもしれない。
 どちらにも、それぞれの良さがあるように思う。 

 

『星へのプレリュード』 佐治晴夫 黙出版 

【映画 : 『博士の愛した数式』 】
 
<了>