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 この書籍全体は、プレリュードというタイトルに相応しく小中学生でも一般の大人でも興味が持てるように優しく記述されている。音楽や、宮沢賢治の遺稿や、金子みすゞの詩、を援用しながら、素直な気持ちで宇宙に心を向けることが大切であるということが書かれている。
 この視点の延長から、宗教団体の弊害を適切に記述してもいる。特定の教義・教学を持つ宗教団体に所属する人々が、この本に出合えたならばそこにあるトラップに気付けるはず。もっとも、独善的な教義・教学にドップリ漬かっている人々というのは、そもそもこのような本の優れた記述には永遠に気付けないものではあるが・・・・・。


【光速と念速】
 我々の見ている星の光は、数秒、数年、数百年、ないし数千年も過去のもの。私はこのような 「光速」 を基準とした科学者の説明を読むたびに、埴谷雄高著 『死霊』 の中にあった 「念速」 という言葉を思い出してしまう。

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 映画などで、死者の魂が地上を自由自在に駆け巡る映像をしばしば見かける。あれと同じ情景を夢の中で見ている人々は少なからずいると思う。自在に行きたい処へ行けるのに、どうして 「光速」 という概念でくくるのか。科学者が語る 「光速」 という概念が人間の本来自在な意識を 「拘束」 している。本来は 「念速」 であって当然なのに。

本来の光速については、下記。

   《参照》  『ラムー船長から人類への警告』 久保田寛斎 (たま出版) 《前編》
            【光速という速度定数の嘘】



【映画 : 『博士の愛した数式』 】
 “「数」 の彼方に見えるもの”という最後の章を読んでいて、最近見た 「博士の愛した数式」 という映画のことを思い出していた(原作の小説は読んでいない)。
 1枚の枯葉を手にとって眺めながら 「1は全体で美しい」。 そんな博士の科白があった。そして映画の最後にウイリアム・ブレイクの詩がスクリーンに浮かび出た時、私は分ったのである。映画の中で語られる言葉の美しさとあいまって、数式の先にある、それ以上表現しえない世界を私は頷くように感じたのである。極上の小説を読んだ後の深い清涼感のような気持ちの余韻を消したくなくて、私はあえて電車には乗らず霧雨の中、深夜1時間以上も歩いてアパートに帰った。
 映画の最後に表示されたウイリアム・ブレイクの詩の文言は記憶に残ってはいないが、この本にもこの詩人のことが言及されていた。純粋な魂を持つ芸術家、科学者、宗教家のみが、繊細な感性で宇宙を感じることができる。作者はプレリュードとして、そんな必要不可欠な基本的なことを語っているように思えた。

   《参照》  『意識 革命 宇宙』 埴谷雄高・吉本隆明 (河出書房新社)

            【ウイリアム・ブレイクがいう天国と地獄の結婚】
 その後、読んだ、映画の原作書の読書記録

   《参照》  『博士の愛した数式』 小川洋子 (新潮社)


<了>