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 宮沢賢治の名作をマンガで読んでみた。初期形(ブルカニロ博士篇)と最終形の2つが掲載されている。

 

 

【銀河鉄道が走っている世界】
 銀河鉄道の中でジョバンニは、「鳥を取る人」と乗り合わせた。「鳥を取る人」 は鳥を取ったかと思うといきなりジョバンニの隣の席に顕れたのである。
「どうしてあすこからいっぺんにここへ来たんですか」
「どうしてって来ようとしたから 来たんです」 (p.65 p.209-210)
 そう、つまり銀河鉄道はこのとき4次元の世界、つまり霊界を走っていた。霊界というのはまさにイメージの世界であり、思えば思った瞬間に思った場所に顕れることができる世界なのである。
 検札にきた車掌さんが、ジョバンニの切符を見て
 「これは3次元空間の方からお持ちになったのですか」 (p.67 p.214)
 と言っている。これに対してジョバンニは 「何だかわかりません」 と答えているけれど、その切符を見た 「鳥を取る人」 はこう言っている。
 おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上でさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第4次の銀河鉄道なんかどこまででも行けるわけでさ」 (p.68 p,215-216)

 

 

【タイタニック号から銀河鉄道へ】
 ジョバンニは銀河鉄道の車中で子ども二人を連れた父親に出逢った。父親は、ここを地上のコネクティカット州ランカシャイアだと思っていたけれど、直ぐに天上世界であることに気づいて、こう言っている。
 私たちは神様に召されているのです。(p.221)
 つまり、もう死んじゃっていることに気づいた。
「船が氷山にぶつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました」
「どこからともなく249番の声があがりました。たちまちみんなはいろんな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは海に落ち、もう渦に入ったと思いながらしっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったら、もうここへ来ていたのです」(p.75-77 p.225-229)
 宮沢賢治の生年は1896~1933。タイタニック号の遭難は1912年。
 レオナルド・デカプリオも、きっと銀河鉄道に乗っていた筈である。

 

 

【ほんとうの幸せって・・・?】
ジョバンニとカンパネルラとの会話
「僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん、僕だってそう思う」
「けれども、ほんとうのさいわいは一体何だろう」
「僕わからない」 (p.105-106 p.280)
 ここに出てくる蠍の話は、数多の研究者によって、ジャータカの喩に重ねて仏教的に解釈されているんだろう。
 本当の幸せについては、この地上世界だけの尺度で考えている人と、銀河鉄道が走っている死後の世界を含めて考えている人では、自ずと答えが違ってくる。
 宮沢賢治は、「銀河鉄道に乗り、死後の世界をも含めた視点で幸せを考えるべきだ」 と思っていたのだろう。
 そんな賢治の意匠は、以下の 〈三角標〉 に託されているらしい。

 

 

【 〈三角標〉 が示すもの】
 この作品の中に出て来る不思議な 〈三角標〉 について、画の著者はあとがきで以下のように書いている。
 僕はこのシーンを描くために、星座盤を机に置き、クルクル回して大熊座を低くして琴座のベガが天上付近近くにくるようにして、その位置をケント紙に写し始めて、ギクッとした。
「ああ、あるじゃないか、三角標が!」
 琴座のベガ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブ、これは夏の大三角形だ。
「三角形・・・。夏の夜空に浮かぶこの星をつないだ三角形から、三角標は想像されたんじゃないか。」
 そして僕は作品をねちねちと追って来たため、ジョバンニがこの丘にいる時刻は夜の八時前後と推定し、星座盤の夜の8時を見ると、何と8月20日あたり。
「これはお盆でないか! 死者が彼岸から帰ってくるあの時、現実と彼岸がつながる時・・・。」
 僕はスーッと血の気が引くのを感じた。
 宮沢賢治は、意図的に、星の位置によって、舞台がお盆であることを知らせた。そしてそうした季節の空に浮かぶ夏の大三角形。〈三角標〉とは、この星の作る形から想像されたものではないか。(p.323-324)
 そろそろ、お盆の季節です。 夏の大三角形 を確認してみてください。

 

 

【ブルカニロ博士】
 ブルカニロ博士は初期形の作品の中でしか登場していないけれど、未来のことを語っている。
「おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはだれだってそれを疑いやしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。けれども昔は、それを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。
 みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも、涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか、議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。
 けれども、もしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。(p.291-294)
 ここでは化学と書かれているけれど広義には科学だろう。秘教の世界では当然の認識である 「宗教と科学は、いずれ一つになる」 という見解を、宮沢賢治はブルカニロ博士のセリフとして言っていたのである。
 科学の力を用いて水の波動を解析した結果を 『水は答えを知っている』 という著作などに著し、世界的に高く評価され、世界中に招かれて活躍している 江本勝さんは、 神道 = 振動 であると言っているけれど、まさにそれは大和の国の言霊が意味するところであり、将来における宗教と科学の融合は、明白なことである。
 そのような未来形の著作として、傑出した最近の著作の一つが 『ガイアの法則』 だろう。

 

 

<了>