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 著者名だけで買っておいた本です。スポーツ選手を題材にした特殊なジャンルの 『敗れざる者たち』 の著者として、強烈に記憶している沢木さんです。世界を駆け巡った旅人としての経歴があるからでしょう、藤原新也さんと並んで、私にとっては別格の作家さんです。
 この書籍は、映画時評として掲載されたもの集合体です。


【タイトル解題】
 人生には選択の機会がいくつもある。選択しなかった方は、「使われなかった人生」 になる。「ありえたかもしれない人生」 を夢想するより、「使われなかった人生」 を思って見るほうが切実なのではないか。著者は、『旅する女 シャーリーバレンタイン』 を見て、この表現を思いついたという。


【旅、読書、映画】
 言葉の通じない外国を自分で旅している時、その国に入り込めない自分に虚しさを感じることがある。例えその国の言葉が少しばかり分かり、先行知識が少しばかりあったとしても、現地の生活者の中には入り込めないものだ。そんな自分が、自国の生活圏である東京都内を巡ってみてどうだろうか。ここでも私は異邦人のように思えることが多々ある。
 外国の旅が綴られた旅行記を読んでいる時、著者の視点に乗って誘われているのだから、虚しさを感じることはない。雰囲気も伝わってくるし、しかも、何がしかの意味ですら付されていることもあるのだから。しかし、旅作家でもある、著者、沢木さんはこう書いている。

「その土地の “生” に本質的に関われない旅人は、全てのものから切り離されて浮遊し、透明な存在になってゆく」 (p.282)

 と。この感覚はよく分かる。
 映画は、旅と読書では満たすことのできない領域を、あわよくば埋め合わせてくれる。言葉の理解が、旅の空虚さを埋め、会話が、意味と雰囲気を自分自身にダイレクトに伝えてくれるからだ。だから私は、技巧に懲りすぎた映画には感心しない。
 


【恋文食堂】
 渋谷にあるこの風変わりな名前のレストランに入ったことがある。場所柄であろうがお客は若者が殆どだった。この恋文という名前、東京に進駐してきた米兵と知り合った女性達が連絡をとるためにラブレターを代筆する店がこの付近にあったことが由来だそうだ。
『セントラル・ステーション』 という、代筆屋が主人公の映画時評の中に書かれていた。


【映画時評の意味】
 この本では、30本ほどの映画が対象になっている。この中に私が見たことのある映画は2本しかない。その2本について、解釈が重なるか重ならないかはどうでもいい。著者の感じ方に僅かでも共感できれば、それに関わる人生経験が類似しているのであろうから、親しみを感じるというだけである。
 映画であれ書籍であれ、良かったと思える確率は、30分の1程度だと思っている。自分自身の感性が鋭敏な状態にあるならば、その確率は上がり、そうでなければ下がる。自分の内的な尺度ですらこうなだから、そもそも書き手にとってのものである書評や映画時評を基に、見るか見ないかを決めてしまうのは意味がない。
 それでも、著者、沢木さんは私にとって別格なので、この本で取り上げられている映画の何本かを、自分の目で、自分の魂で、確認してみたいと思う、感性が鋭敏な状態の時に。
 

  沢木耕太郎著の読書記録

     『無名』

     『深夜特急 第1便 黄金宮殿』

     『深夜特急 第2便 ペルシャの風』

     『深夜特急 第3便 飛光よ、飛光よ』

     『世界は「使われなかった人生」であふれている』

     『イルカと墜落』   


<了>