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 『第1便』 は東南アジアが中心で、この 『第2便』 はインドからイランに跨る地域。しかし、この本は単なる旅行ガイド本ではないから、名所旧跡など主たる問題ではないし、それぞれの国固有の文化に言及しているのでもない。インド周辺は特異な地域だから、旅人の精神はある極点を経験することになるだろう。1986年5月初版。

 

 

【インド人のイメージ】
 私はその人の流れを縫って歩きながら、インド人が実にさまざまな皮膚の色を持っていることに感心した。 ・・・(中略)・・・ 色だけでなく顔立ちも千差万別だった。我々がインド人に対して抱いているイメージといえば、色は黒いが目鼻立ちの整った美男美女というものだが、通りを歩いている人々は、当然のことながら、誰もかれもが美男美女というわけではなかった。 ・・・(中略)・・・ 恐らく、美男美女が存在する確立などといったものはどの人種も大して変りがないのだ。にもかかわらず、日本で見かけるインド人がみな美しく感じられるのは、日本に来ているというまさにそのことによってだけでも明らかなように、彼らが上流の階級に属するため、かなり洗練されているからだろう。
 そんな事を考えながら、歩いている人を眺めているうちに、奇妙なことに気がついた。皮膚の色が濃くなれば濃くなるほど、身なりがみすぼらしいものになっていくのだ。それは残酷なくらいはっきりしていた。皮膚の色と服装のよしあしとの間にはかなり深い相関関係があるようだった。(p.36-37)
 近年のインドでは美白ビジネスが大盛況だという。肌の色(バルナ)はジャーティやカーストと絡んで、インド社会において相変わらず大きなウェイトを占めている。
 ところで、近年はITビジネス関連で多くのインド人が日本に来ているけれど、その中には、明らかにドラビダ系と思えるようなとうてい美男とは言えない肌の黒い人も結構いる。ITビジネスはカーストに影響されない新種の職業だからである。
   《参照》   『驚異の超大国インドの真実』 キラン・S・セティ  PHP研究所
             【カーストとIT産業】
   《参照》   『インドの正体』 藤本欣也 (産経新聞社)
             【民主主義とカースト】

 

 

【インドでは解釈というものが・・・】
 公園には、間違いなくドブネズミの大群がいて、それをネタに金を稼いでいる人物がいる。しかも、カルカッタの人々はそれを少しも奇異なこととは感じていないようなのだ。・・・(中略)・・・。
 ふと、このインドでは解釈というものがまったく不要なのかもしれない、と思えてきた。ただひたすら見る。必要なことはそれだけなのかもしれない、と思えてきたのだ。(p.53)
 先進国からやってきた旅人がインドの様々な実状を見て、それらに逐一解釈を施そうとしても、脳はひたすらカラ回りしてしまうように思う。そしてカラ回りしつつ、「解釈すること自体が無意味かもしれない」という本質に気づけるかもしれない。
 解釈というのはそもそも左脳がもつ業病である。右脳は解釈しない。全体をあるがままに捉えるだけである。インドという国土の産土力(神霊界)はそもそも右脳的なのかもしれない。だから、近代左脳文明のカウンターカルチャー(対抗文化)を標榜していたヒッピーのような世界中の若者たちが、インドで長期間たむろしていたんじゃないだろうか。

 

 

【ネパールの人々】
 カトマンズは確かに長期滞在しやすそうな街でした。それは物価の安さだけが理由ではありません。ネパールでは人と人の関係がインドよりはるかに丸みを帯びているように思えるのです。・・・(中略)・・・ 。
 このカトマンズがとりわけ僕たち日本人に安らぎを与えてくれるのは、街を行く人々の顔立ちが日本人によく似ているからです。すべての人がそうだというわけではないのですが、全体としてやはり堀の深いアーリア系より、扁平な顔立ちのモンゴル系が目立ちます。インド人を僕たちと同じ東洋人という言葉でくくることはためらわれても、ネパール人なら躊躇しなくてもすむといった親しさが感じられるのです。(p.101-102)
 ネパールやブータンと言った山岳地域にある国は、交通の便から通商は限られ、比較的閉じた社会を長年形成できたから、人々は安全と安定が保たれた社会で平穏に暮らすことができた。島国日本も、この点において同様である。しかし、大陸の平野部では自ずと通商が盛んになり、人の移動が容易であるがゆえに、人々は拝金傾向になり人間性はすさむし阿漕な人は増えてしまう。このような大きな傾向は、社会学的定義のようなものだろう。
 カトマンズはくすんだレンガ色をしています。(p.103)
 年数を経ているレンガ造りの家は言うまでもなく、チベット仏教のお坊さんたちの袈裟の色もそうだし、街を歩いている女子学生のサリーの色でさえレンガ色である。レンガ色の元となる土壌に含まれる鉄分がチベット文化の色を定めているんだろう。

 

 

【旅人を美化するロマンティシズム】
 歴史学者は、行く先々で日本のヒッピーに出会います。そして、自分の生き方に疑問をもって旅を続けている彼らの姿に深く感動するのです。確か、彼らの1人を評するのに「その毅然とした眸には孤独な精神の荒野があった」というような一節があったと記憶します。私にはそのロマンティシズムがあまりにも稚(おさな)すぎるように思えたのです。
 しかしいま、歴史学者が出会ったヒッピーたちと同じような旅をしてきて、そのロマンティシズムが稚いばかりでなく、表層しか捉えていなかったということが分かります。彼には、ヒッピーたちが発している饐えた臭いを嗅ぐことができなかったのです。(p.109)
 そう、そうである。あまりにも表層しか捉えていない。
 ヒッピーたちが発している饐えた臭いの深層にあるものが、続いて書かれている。

 

 

【ヒッピーたちの饐えた臭い】
 ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても明日はもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類の無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。(p.110)
 饐えた臭いの奥にあるのは無責任、さらにその奥にあるのは深い虚無。
 饐えた臭いは死体が発する臭いと同じである。虚無は、愛のフィールドの補集合。そこから出た者たちが必ず行き着く処だろう。愛は生きることで、生きない趨勢は虚無になってしまう。そこはすでに死地である。
 チャンちゃんは学生時代、旅をする以前から、既に虚無感を抱いていた。その頃そんな状態で旅に出ていたらヤバかったのである。もっとも、すでに死地に居たのだから、わざわざ長旅に出る必要などなかったとも言える。
 虚無の穴に落ちているヒッピーたちは、ズルズルとその環境で長居をしたがるのである。虚無の穴底に係留されていることを知りつつも、無責任という自由は、そこから現実の側へ帰還する能動的自由を行使せず、幻想の側に引きずり込まれる受動的自由に身を委ねようとする。虚無の穴を突きぬけて一挙に幻想の側へ飛翔するために用いられるのがハシシである。ハシシで死んでゆく旅の途中の若者たちの様子が書かれていたりする。

 

 

【アッサンシン】
 暗殺者になることを受け入れた若者は、出かける直前に薬を与えられてこう言われます。暗殺に成功したら楽園に連れて行ってやろう、万が一失敗しても、だから殺されても、やはり楽園に行けることには変わりないのだ、と。そしてその薬こそハシシだったというのです。西欧の言葉で暗殺者を意味するアッサンシンは、ここから来ていると言われています。(p.111)
 普通はアサッシンと言われているけれど、この本にはこう書かれている。
 ハシシを使って暗殺者(アサッシン)を育てる方法も書かれているけれど、その手順に感心してしまう。イスラム教徒による自爆テロは、宗教的狂信など関係ない。意図的に造られた現実とハシシの魔力の組み合わせで暗殺者など容易につくれてしまうのである。