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 それほど深いインド情報が記述されているわけではない。日本生まれ日本育ちのインド人著者だからなのだろう。ビジネスそのものというより、近代インドの文化傾向が記述されている。
 阪神大震災を経験して人生観が変容したらしい過程が綴られたあとがきを先に読めば、きっと著者に興味がもてることだろう。2008年1月初版。

 

 

【インドの商慣行】
 インドは知的財産権に関しての意識が高い。
 したがって、たびたび引き合いに出すのは気が引けるが、中国で起こっているようなことはインドではまず起こらない。 (p.69)
 インド人は、中国人のように他社ブランドのコピー商品を平気で作りはしない。
 ではあるけれど、一般的な商慣行に関しては中国とまるで同じである。
 インドで電話を引くのに、普通に電話局に頼んでいるようではダメだ。そんなことをしていたら、おおげさに聞こえるかもしれないが、一生つながらないかもしれない。
 外に出て、電話局のトラックの運転手を見つけて、「500ルピーあげるから、僕の家へ来てくれ」 とやれば、その場でつながる。それで、本当につながったら、100ルピーに値切る。 ・・・(中略)・・・ 。そんなしたたかで要領にいい人こそが、インドで成功できる。(p.95-96)
 ・・・・・・・。

 

 

【インドに進出するか否か】
 日本生まれ日本育ちの著者は、インドに進出しながら3年で手痛い結果と共に撤退したという。
 第6章には 『ぼくがインドとビジネスを「しない」理由』 などという章が記述されている。
 それでもって、
 日本は一刻も早くインドと手をつなぐべきだ。(p.170)
 などと書かれている。
 一般的にはヘンな連結だけど、まあ、個人の経験と国家単位での政策が、同じ視点で判断されるものでないのは当然だから、不整合ということにはならない。
 個人の視点をも含んで、著者は一般論でまとめている。
 とりあえず、トライアル。チャレンジする。 ・・・(中略)・・・ 。
 その、トライする、チャレンジする心が、「器」 と呼ばれるものではないだろうか。
 その 「器」 は、最初の大きさや強さは人それぞれかもしれないが、経験によって大きくしたり、強くなったりもするものだと思う。
 チャレンジするのも 「器」 だが、引き際を決めるのも、また 「器」 だ。
 「器」 の小さな人は、インドへは行かないほうがよい。
 もし 「器」 を大きくすることができれば、インドだけではなく、世界と交流していけるはずだ。(p.181)
 単なる精神論みたいなものである。
 神戸青年会議所の理事長をしたことのある著者だから、そういった人々へ向けてのメッセージなのだろう。

 

 

【国家としての推進力】
 インドでは、道州制でそれぞれの州が独自に強い権限を持っていること、多くの宗教が存在し各共同体で価値観が異なるため、インフラ整備に必要なコンセンサスをとりまとめるのに非常な困難が伴う。
 そのうえ、納税を大きな負担と感じる人が多く、またせっかく無理をして税金を納めても役人の私腹を肥やすだけではないかと考える人もいて、インフラ整備をまかなう税収は上がらない。そうして、一般の人々も、政府や地方公共団体の役人も、公共で使用する道路にお金をかけるよりも、自分たち専用のヘリコプターなどにお金を使うことを選ぶ。(p.72)
 著者は、インドの特徴として “多様性” という単語を頻繁に用いている。日本とは違って、宗教や民族の異なる多くの共同体的集団からなる国家であることを考えれば、こういった国家としてのまとまりなき状態は、確かにやむをえないのだろう。
 大英帝国時代にできた鉄道の軌道幅が地域ごとに違っているというのは、イギリスが統合的な反乱を阻止するためだったのか、インドの各民族共同体が意図的に選択したのか、この本を読んで本当のところがどっちなのか分からなくなってきた。
   《参照》   『鉄道地図から読みとく秘密の世界史』 宮崎正勝 (青春出版社)
              【レールの幅】
 カースト制度についても、大英帝国支配以前からあったのか支配中に出来たのか、この本には記述されていない。
   《参照》   『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《後編》
              【カースト制度はイギリスがつくった!】

 

 

【NRIカード】
 インドは、僕に限らず、国外に居住しているインド系の人々に、インド国籍を有しているのと同様の権利を与え、その証明書まで発行している。それが、ノン・レジデント・インディアン(NRI)・カード(海外居住インド人証明書)だ。(p.83)
 つまり、印僑はNRIカードを所持している。欧米に留学しそれぞれの土地に住んで成功している人達の力をインド国内に引き入れて、インドを活性化させる賢い政策である。

 

 

【数学に強いインド人の理由】
 インドにはソロバンはない。インドの人々はすべてを暗算で計算していたのだ。売る方はもちろん暗算ができなければ商売にならないし、買う方にしてもごまかされずに商品を購入するためには暗算の心得が必要だった。人々は勉強のために数学を学ぶのではなく、生きる知恵として数学を学び始めるのだ。インドの国民が数学に強くなった理由は、このようにシンプルなものだった。(p.101)
 単に生活に必要な知恵だからこそ二桁の掛け算まで暗算で習う。確かにありうる理由である。
 最近の数学のできない日本人の若者がインドになんか行ったら、カモられるだけカモられて自覚のないまま帰ってくることだろう。電卓を持って行く程度の知恵はあるかもね。

 

 

【カーストとIT産業】
 そもそも、カーストは、アーリア人とドラヴィダ人をはじめとする先住民族を区別する肌の色を表す 「ヴァルナ」 と、共通の職業集団を表す 「ジャーティ」 が複雑にからみあって成立している。
 つまり、カーストは、職業差別の制度でもあるということだ。 ・・・(中略)・・・ 。
 ところが、ジャーティは長い歴史の中で定められた制度だから、たとえば、IT産業のような近年になって突如として現れた職業については、もちろん対応していない。いわば、IT産業は、カースト外のジャーティなのである。(p.107)
 つまり、IT産業は所属するカーストに関わらず、誰でも就業できる職種になっている。
 インド全体から見れば、よくも悪しくも、カーストは厳然として存在しているが、IT関連の新しい職業の増加、さらに都市の広がりという流れの中では、無効化の動きも少なからず生まれてきたようだ。(p.121)
 新しい動きもあるようだけれど、在来の風習で日本人が意外に思うのは、インドでは物乞いもカースト下位の人々にとっての職業として認められているということだろう。彼らは蔑視されることもないし、プライドさえ抱いているという。生まれ変わればカーストの上下は入れ替わると考えているからだそうである。
   《参照》   『上品で美しい国家』 日下公人・伊藤洋一 (ビジネス社)
              【インド人のカースト是認意識】

 

 

【シーク教徒】
 現在の首相、マンモハン・シンがそうだ。
 彼は貧しい家で生まれ育ったが、教育を受けられ、そして何よりもカーストの影響を受けていないシーク教徒だったため、大学教授に就き、その後、首相にまでのぼりつめた。(p.118-119)
 シーク教徒はインド人であってもカーストの影響を受けていないという特異性は、初めて知った。
 表紙の写真にある著者のように頭にターバンを巻いているのは、シーク教徒を意味するだけであって、印度人を意味するものではない。シーク教徒は髪を切らないという宗教上の目的ゆえにターバンで包んでいる。

 

 

【ダウリー】
 インド人にとって結婚は大事である。そして、それは、インド独特の制度 「ダウリー」 によるものだといえるだろう。
 ダウリーとは、花嫁の家族から花婿の家族への支払いのことで ・・・(中略)・・・ 文系大卒男子の初任給が6000円程度のインドで、ダウリーの総額は25万円から、多いときには500万円にも上るという。
 日本の初任給を18万円として比例換算すればおよそ750~15000万円ということになる。ムチャクチャ。
 日本の結納とは向かう方向が逆である。
 ダウリーは、法律では禁止されているが、実際は今なお根強く残る習慣で、しばしば陰惨な事件を引き起こす原因にもなっている。(p.149)
 それでインドでは未亡人が徹底的に賤視されるのかと、いまごろ分かった。
 こういった背景を知った上で下記の小説を読めば、きっとその痛さ辛さが良く分かるだろう。
   《参照》   『家なき鳥』 グロリア・ウィーラン 白水社

 

 

<了>